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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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第75層の驚異

「偵察隊が、全滅だと?」

2週間ぶりに第55層《グランザム》にある血盟騎士団本部に戻った俺を待っていたのは、衝撃的な知らせだった。

ギルド本部となっている鋼鉄塔の上部、かつてヒースクリフとの会話に使われたガラス張りの会議室である。半円形の大きな机の中央にはヒースクリフの賢者然としたローブ姿があり、左右にはギルドの幹部連が着席している。

ヒースクリフは顔の前で骨ばった両手を組み合わせ、眉間(みけん)に深い谷を刻んでゆっくり頷いた。

「来たるボス戦に備え、5ギルド合同パーティー20名を偵察隊として送り込んだ」

ヒースクリフは抑揚(よくよう)の少ない声で続けた。半眼に閉じられた真鍮(しんちゅう)色の瞳からは表情を読み取ることはできない。

「偵察は慎重を期して行われた。10人が後衛としてボス部屋の入り口で待機し……最初の10人が部屋の中央に到達して、ボスが出現した瞬間、入り口の扉が閉じてしまったのだ。ここから先は後衛10人の報告になる。扉は開かなかったが、5分ほど経過してようやく扉が開いた。しかしその時は……」

ヒースクリフの口元が固く引き結ばれた。一瞬眼を閉じ、言葉を続ける。

「部屋の中には、何も無かったそうだ」

「何も無かった?」

「10人の姿も、ボスも消えていた。転移結晶で脱出した形跡もなく、彼らは帰ってこなかった。念のため、基部フロアの黒鉄宮までモニュメントの名簿(めいぼ)を確認しに行かせたが……」

その先は言葉に出さず、首を左右に振った。今の動作は、偵察隊10人は死んだということを表している。更に、その10人がボス部屋から脱出できずに死んだ理由を悟った。

「クリスタル無効化エリア……だな」

俺の答えにヒースクリフは小さく首肯(しゅこう)した。

「そうとしか考えられない。アスナ君の報告には74層のボス部屋もそうだったということだから、おそらく今後全てのボス部屋が転移結晶無効化空間と思っていいだろう」

それが事実なら、思わぬアクシデントで死亡する者が出る可能性が飛躍的(ひやくてき)に高まる。死者を出さずにゲームを攻略していくのが、より難しくなるだろう。

「本格的なデスゲームに突入した、ということだな」

「そうだ。だからと言って攻略を諦めるわけにはいかないがね」

ヒースクリフは眼を閉じると、囁くような__だがきっぱりとした声で言った。

「結晶による脱出が不可な上に、今回はボス出現と同時に背後の退路も絶たれてしまう構造らしい。ならば統制の取れる範囲で可能な限り大部隊をもって当たるしかない。君もそれに備えたまえ」

俺はすぐさま答えた。

「ボス攻略には当然参加する。だが、念のため言っておこう。俺にとってはボスを倒すことが最優先だ。あんたのように、他人を気を配ったりなどしない」

ヒースクリフはかすかな笑みを浮かべた。

「別にそれで構わんよ。困難に立ち向かおうとする君の勇気は大いに評価する。それに君は強い。攻略開始は3時間後。予定人数は君を含めて33人。75層《コリニア》市ゲートに午後1時集合だ。君の勇戦を期待しているよ、ネザー君」

そう言われ、俺は後ろの扉へと歩き出し会議室を出て行った。

大いに買い被られているようだが、俺のヒースクリフに対する疑惑は、まだ消えていなかった。





そして、3時間が過ぎた今、75層《コリニア》のゲート広場には既に攻略チームと思しき、一見してハイレベルとわかるプレイヤー達が集結していた。俺がゲートから出て歩み寄っていくと、皆ピタリと口を閉ざし、緊張した表情を向けてきた。中には右手でギルド式の敬礼(けいれい)をしている連中までいた。

これほど大勢から注目が集まるのは実に久しぶりだった。

「よう!」

景気よく肩を叩かれて振り返ると、そこには悪趣味なバンダナを付けた刀使い《クライン》の姿があった。ニヤニヤと笑うクラインの隣には、両手斧を武装した《エギル》の巨体もあった。

「久しぶりだな、ネザー!」

景気がよいのは出会った頃と変わらないクラインと最後に会ったのは、74層のボス《グリーム・アイズ》を倒して以来だった。

当然キリトとアスナもいるのかと思い、首を左右に回した。

「誰かお探しかな?」

不意に後ろから声が聞こえた。

振り向くと、22層で新婚生活を送っていた2人の姿が眼に入った。

キリトとアスナとクラインの3人が参加するのは当たり前だが、商売に溶け込んでいるエギルがボス攻略に参加するのは以外だった。

俺はエギルに視線を合わせ、言った。

「……なんでお前も参加するんだ?」

「なんでってことはないだろう!」

憤慨(ふんがい)したようにエギルが野太い声を出した。

「今回はえらい苦戦しそうだって言うから、商売を投げ出して加勢に来たんじゃねえか。この無私(むし)無欲(むよく)の精神を理解できないとはなぁ」

「もとよりお前のことなんか理解してない」

大げさな見振りで言う俺の肩を、キリトがポンと叩いた。

「まあまあ、お前の気持ちは一応わかった。エギルは戦利品の分配から除外すればいいさ」

そう言った途端にエギルはツルツルの坊主頭に手をやり、眉を八の字に寄せた。

「いや、そ、それはだなぁ……」

情けなく口籠もるその語尾に、俺とエギル以外の3人の(ほが)らかな笑い声が重なった。笑いは集まったプレイヤー達にも伝染し、皆の緊張が徐々に(ほぐ)れていくようだった。

__その時。

午後1時丁度に、転移ゲートから新たな数名が出現した。真紅(しんく)の長衣に巨大な十字盾を(たずさ)えたヒースクリフと、血盟騎士団の精鋭だ。彼らの姿を眼にすると、プレイヤー達の間に再び緊張が走った。

単純なレベル的強さで俺を上回るのはキリトかヒースクリフくらいだと思われるが、やはり彼らの結束感を感じる。白赤のギルドカラーを除けば、皆武装も装備もまちまちだが、(かも)し出す集団としての力はかつて眼にした《軍》の部隊とは比べ物にならないと思わせる。

聖騎士と4人の配下は、プレイヤーの集団を2つに割りながら真っ直ぐ俺達のほうへ歩いてきた。威圧(いあつ)されたようにクラインとエギルが数歩下がる中、俺だけは堂々と立っている。

立ち止まったヒースクリフは俺達に軽く頷きかけると、集団に向き直って言葉を発した。

「欠員はないようだな。では出発するとしよう」

そう言ってヒースクリフは、腰のパックから回廊結晶を取り出し、握った右手を高く揚げると「コリドー・オープン」と発声した。クリスタルは瞬時に砕け散り、ヒースクリフの前の空間に青く揺らめく光の渦が出現した。

「では皆、行こう」

攻略組をグルリと見渡すと、ヒースクリフは紅衣の裾を(ひるがえ)し、青い光の中へ足を踏み入れた。その姿は瞬時に眩い閃光に包まれ、消滅する。間を置かず、4人の血盟騎士団メンバーがそれに続く。

いつの間にか転移門広場の周囲にはかなりの数のプレイヤーが集まっていた。ボス攻略作戦の話を開いて見送りに来たのだろう。激励の声援が飛ぶ中、俺を含むボス攻略の参加者達は次々と光のコリドーに飛び込み、転移していく。





軽い眩暈(めまい)に似た転移感覚の後、眼を開くとそこはもう迷宮の中だった。広い回廊だ。壁際には太い柱が列をなし、その先に巨大な扉が見て取れる。

75層迷宮区は、わずかに透明感のある黒曜石(こくようせき)のような素材で組み上げられていた。ゴツゴツと荒削りだった下層の迷宮とは違い、鏡のように磨き上げられた黒い石が直線的に敷き詰められている。空気は冷たく湿(しめ)り、薄い(もや)がゆっくりと床の上を(たな)()いている。

キリトの隣に立つアスナが、寒気を感じたように両腕を体に回し、言った。

「……なんか……嫌な感じだね……」

「ああ……」

キリトも首肯する。

今日に至る2年間の間に、俺達は74にも及ぶ迷宮区を攻略し続け、ボスモンスターを倒してきた。だが、さすがにそれだけ経験を積むと、これから先も戦うことになるボスの力差を何となく測れるようになる。

周囲では、30人ものプレイヤー達が三々(さんさん)五々(ごご)に固まってメニューウィンドウを開き、装備やアイテムの確認をしているが、彼らの表情も一様に硬い。

回廊の中央で、十字盾をオブジェクト化させたヒースクリフがガシャリと装備を鳴らし、攻略組のプレイヤー達に言った。

「皆、準備はいいかな。今回はボスの攻撃パターンに関しての情報がない。基本的には我々血盟騎士団が前衛で攻撃を食い止めるので、その間に可能な限り攻撃パターンを見切り、柔軟(じゅうなん)に反撃してほしい。厳しい戦いになるだろうが、諸君の力なら切り抜けられると信じている。解放の日のために!」

ヒースクリフの力強い叫びに、プレイヤー達は一斉に「おー!」と叫び、応えた。勢い社会性に欠けるコアなネットゲーマーの中に、よくこれほどの指導者の器を持った人間がいたものだ。やはり奴は__《あの男》なのか?

「では、行こうか」

あくまでもソフトな声音で言うヒースクリフは無造作に黒曜石(こくようせき)の大扉に歩み寄り、中央に右手をかけた。プレイヤー達に緊張が走る。

キリトは、並んで立っているエギルとクラインとアスナに言った。

「死ぬなよ」

「へっ、お前こそ」

「今日の戦利品で 一儲ひともうけするまではくたばる気はないぜ」

「みんな、頑張ろうね」

3人が言い返した直後、大扉が重々しい響きを立てながらゆっくりと動き出した。プレイヤー達が一斉に抜刀すると同時に、俺も後ろ腰から片手剣を引き抜いた。

最後に、十字盾の裏側から長剣を音高く抜いたヒースクリフが、右手を高く掲げ、叫んだ。

「戦闘、開始!」

そのまま、完全に開ききった扉の中へと走り出す。全員が続く。

内部は、かなり広いドーム状の部屋だった。以前に俺とヒースクリフがデュエルをした闘技場ほどの広さだろう。円弧を描く黒い壁が高くせり上がり、遥か頭上で湾曲(わんきょく)して閉じている。33人全員が部屋に走り込み、自然な陣形を作って立ち止まった直後、背後で轟音を立てて大扉が閉まった。最早(もはや)開けることは不可能だろう。ボスが死ぬか、33人全員が全滅するまでは。

数秒の沈黙が続いた。だだっ広い床全面に注意を払うが、ボスは出現しない。限界まで張り詰めた神経を()らすように、1秒、また1秒と時間が過ぎていく。

首を左右に回しながら何度も周りを見ているが、ボスの影も形も見受けられない。

「何も、起きないぞ……」

1人のプレイヤーが(しび)れを切らして声をあげた、その時。

シャシャシャ……。

不意に、俺の耳に奇妙な音が届いた。

「は……!」

その音が部屋のどこから聞こえていたのか、俺にははっきりとわかった。

「上だ!!」

俺の鋭い叫びに、全員が釣られて頭上を見上げる。

ドームの天頂部に__それが貼りついていた。巨大だ。途轍もなく大きく、長い。

百足(むかで)

見た瞬間、そう思った。全長は10メートルほどあるだろう。しかし、複数の体節に区切られたその体は、虫というより人間の背骨を思い起こさせた。灰白色の円筒形(えんとうけい)をした体節1つ1つからは、骨剥き出しの鋭い脚が伸びている。その体を追って視線を動かしていくと、徐々に太くなる先端に、凶悪な形をした頭蓋骨(ずがいこつ)があった。これは人間のものではない。流線型に歪んだその骨には2体4つの鋭く吊り上がった眼窩(がんか)があり、内部で青い炎が(またた)いている。大きく前方に突き出した(あご)の骨には鋭い牙が並び、頭骨の両脇からは鎌状に尖った巨大な骨の腕が突き出している。

視線を集中すると、イエローのカーソルと共にモンスターの名前が表示された。《The Skullreaper》__骸骨の刈り手。

無数の脚を(うごめ)かせながら、ゆっくりとドームの天井を()っていた骨百足は、全員が度肝を抜かれ声もなく見守る中、不意に全ての脚を大きく広げ、パーティーの真上に落下してきた。

「固まるな!距離を取れ!」

ヒースクリフの鋭い叫び声が、凍り付いた空気を切り開いた。我に返ったように全員が動き出す。俺も落下予測地点から慌てて飛び退(しさ)る。

だが、落ちてくる骨百足の丁度真下にいた3人の動きが、わずかに遅れた。どちらに移動したものか迷うように、足を止めて上を見上げている。

「こっちだ!!走れ!!」

キリトは慌てて叫んだ。呪縛の解けた3人が一斉に走り出す。

だが、その背後に、百足が地響きを立てて落下した瞬間、床全体が大きく震えた。足を取られた3人がたたらを踏む。そこに向かって、百足の右腕……長大な骨の鎌、刃状の部分だけで人間の身長ほどもあるそれが、(よこ)()ぎに振り下ろされた。

3人が背後から同時に切り飛ばされた。宙を吹き飛ぶ間にも、そのHPバーが猛烈な勢いで黄色から赤へと減少していく。

「………!?」

そして、呆気なくゼロになった。まだ空中にあった3人の体が、立て続けに無数のポリゴン片を撒き散らしながら破砕した。消滅音が重なって響く。

「……っ!!」

アスナが息を詰めた。隣のキリトも、体が激しく強張るのを感じた。

「一撃で……死亡だと……!?」

レベルの上昇に伴ってHPの最大値も上昇していくため、剣の腕前いかんに関わらず数値的なレベルさえ高ければ、それだけ死ににくくなる。特に今日のパーティーは高レベルプレイヤーだけが集まっていたため、例えボスの攻撃といえど数発の連続技なら持ち(こた)えられるはずだった。それが、たったの一撃で__。

「こんなの……無茶苦茶だわ……」

掠れた声でアスナが呟く。

一瞬にして3人の命を奪った骸骨百足は、上体を高く持ち上げて(とどろ)く雄叫びを上げると、猛烈な勢いで新たなプレイヤーの一団目掛けて突進した。

「わあああーーー!!」

その方向にいたプレイヤー達が恐荒(きょうこう)の悲鳴を上げる。再び骨鎌が高く振り上げられる。

と、その真下に飛び込んだ影があった。

__ヒースクリフだ。

巨大な盾を掲げ、鎌を迎撃する。耳を(つんざ)く衝撃音。火花が散る。

だが、鎌は2本あった。左側の腕でヒースクリフを攻撃しつつも、右の鎌を振り上げ、凍り付いたプレイヤーの一団に突き立てようとする。

「くそっ……!」

キリトは我知らず飛び出していた。宙を飛ぶように瞬時に距離を詰め、轟音(ごうおん)を立てて振ってくる骨鎌の下に身を躍らせる。左右の剣を交差させ、鎌を受ける。

途方もないう衝撃。だが鎌は止まらない。火花を散らしながらキリトの剣を押し退け、眼前に迫ってくる。

「ダメだ、重すぎる!」

その時、新たな剣が光芒を引いて空を切り裂き、下から鎌に命中した。勢いが緩んだその隙に、キリトは全身の力を振り絞って骨鎌を押し返す。

キリトの横に立った俺は、こちらを一瞬見て言った。

「同時攻撃なら……何とかいける」

「わかった、やろう!」

キリトは頷いた。俺が共に戦ってくれると思うだけで気力が湧いてくる、そんな気がする。

再び、今度は横薙ぎに繰り出されてきた骨鎌に向かって、俺とキリトは同時に右斜め斬り降ろし攻撃を放った。完璧にシンクロした2人の剣が、二筋の光の帯を引いて鎌に命中する。激しい衝撃。今度は、敵の鎌が弾き返された。

キリトは、声を振り絞って叫んだ。

「鎌は俺達が食い止める!!みんなは側面から攻撃してくれ!!」

その声に、ようやく全員の呪縛が解けたようだった。雄叫びを上げ、武器を構えて骨百足の体に向かって突進する。数発の攻撃が敵の体に食い込み、ようやく初めてボスのHPバーがわずかに減少した。

だが直後、複数の悲鳴が上がった。鎌を迎撃する隙を()って視線を向けると、百足の尾の先についた長い槍状の骨に数人が薙ぎ払われ、倒れるのが見えた。

「くっ……」

歯嚙みをするが、俺とキリトにも、少し離れて単身左の鎌を 捌さばいているヒースクリフにも、これ以上の余裕はない。

「キリトっ……!!」

俺の声に、ちらりと視線を向ける。

「左斬り上げで受けろ!」

「わかった!」

水と油のような関係だった2人が、ほんのわずかな間に短い言葉を交わすだけで意思を疎通(そつう)し、完璧に同期した動きで鎌を弾き返した。

時折上がるプレイヤーの悲鳴、絶叫に耳を傾けず、2人は凶悪な勢力を秘めた敵の攻撃を受けることだけに集中した。不思議なことに、途中から2人は言葉を使わず。互いを見ることすらしなくなっていた。まるで思考がダイレクトに接続されたようなリニア感。息も吐かせぬペースで繰り出されてくる敵の攻撃を、瞬時に同じ技で反応し、受け止める。

その瞬間………限界ギリギリの死闘の最中(さなか)、俺はかつてないほどの一体感を感じた。キリトと自分が融合し、1つの戦闘意識となって剣を振り続ける。それは今までに無い官能的な体験だった。時折繰り出される敵の強攻撃を受ける余波(よは)で骸骨百足のHPが減少していくが、俺はそれすらも意識していなかった。











戦いは1時間にも及んだ。

無限にも思えた激闘の果てに、ついにボスモンスターがその巨体を四散させた時も、誰1人として歓声を上げる余裕のある者はいなかった。皆倒れるように黒曜石の床に座り込み、あるいは(あお)()けに転がって荒い息を繰り返している。

終わった………のか?

ああ、そのようだ。

その思考のやり取りを最後に、俺とキリトの《接続》も切れたようだった。不意に全身を重い疲労感が襲い、(たま)らず床に膝をつく。キリトはアスナと背中合わせに座り込み、その隣にいた俺を含めるほとんどのプレイヤー達も同じく床に膝をつき、しばらく動くことはできなかった。

なんとか生き残った。そう思っても、喜べる状況ではない。あまりにも犠牲者が多すぎた。開始直後に3人が散った後も、確実なペースで禍々(まがまが)しいオブジェクト破砕(はさい)音が響き続いた。

「何人……殺られた……?」

左のほうでガックリとしゃがみ込んでいたクラインが、顔を上げて掠れた声で聞いてきた。その隣で手足を投げ出して仰向けで地面に倒れていたエギルも、顔だけでこちらに向けてくる。

キリトは右手を振ってマップを呼び出し、表示された緑の光点を数えた。出発時の人数から犠牲者の数を逆算する。

「……14人、死んだ」

自分で数えておきながら信じることができなかった。

皆トップレベルの、歴戦プレイヤーだった。例え離脱や回復が不可能な状況とは言え、生存を優先した戦い方をしていればおいそれと死ぬようなことはない、と思っていたが__。

「……嘘だろ……」

エギルの声にも普段の張りはまったく無かった。生き残った者達の上に暗鬱(あんうつ)な空気が厚く垂れ込めた。

「後、25層もあるんだぜ……」

「本当に俺達は……天辺まで辿り着けんのか……?」

クラインとエギルの弱音に釣られるように、次々とプレイヤー達がざわついた。何千のプレイヤーがいると言っても、最前線で真剣にクリアを目指しているのは数百人といったところだろう。1層ごとにこれだけの犠牲が出れば、弱音を吐くのも仕方がないだろう。最後にラスボスと対面できるのはたった1人、という事態にもなりかねない。

もしそうなら、残るのは……自分か……あの男だろう。

俺は視線を部屋の奥に向けた。そこには、他の者が全員床に伏す中、背筋を伸ばして毅然(きぜん)と立つ紅衣の姿があった。ヒースクリフだ。

俺とキリトが2人掛かりでどうにか防ぎ続けたあの巨大な骨鎌を、1人で(さば)ききったのだ。普通なら披露(ひろう)困憊(こんぱい)して倒れるところだ。だが、悠揚(ゆうよう)迫らぬ立ち姿には、精神的な消耗など皆無(かいむ)と思わせるものがあった。

俺は、ただひたすらヒースクリフの横顔を見つめ続けた。伝説と呼ばれた男の表情はあくまで穏やかだ。無言で、床に(うずくま)る血盟騎士団メンバーや他のプレイヤー達を見下ろしている。だが、その視線は仲間を(いつく)しむような視線ではない。

言わば、檻の中に閉じ込められた実験動物を観察するような眼。俺達と同じ場所に立っているのではない。あれは、遥かな高みから慈悲(じひ)を垂れる__神の視線。

その刹那、俺の全身に覚えのある感覚が貫いた。

俺の中に生まれた、ある予感。種がみるみる膨らみ、疑念の芽を伸ばしていく。そして__確信できた。

俺は近くに放り出されていた片手剣を右手で握り、地面を蹴った。ヒースクリフとの距離約10メートル、床ギリギリの高さを全速で一瞬にして駆け抜け、右手の剣を(ひね)りながら突き上げた。片手剣の基本突進技《レイジスパイク》。威力の弱い技ゆえこれが命中してもヒースクリフが死ぬことはないが__もし、俺の予想通りなら__。

ペールブルーの閃光を引きながら左側面より迫る剣尖(けんせん)に、ヒースクリフはさすがの反応速度で気づき、眼を見開いて驚愕の表情を浮かべた。咄嗟に左手の盾を掲げ、ガードしようとする。

しかしその動きの(くせ)を、俺はデュエルの時に何度も見て覚えていた。一条の光線となった俺の剣が、空中で鋭角に軌道を変え、盾の緑を掠めてヒースクリフの胸に突き立つ。

寸前で、眼に見えぬ障壁に激突し、俺の腕に激しい衝撃が伝わった。紫の閃光が炸裂し、俺とヒースクリフの間に同じく紫のメッセージが表示された。

【Immortal Object】__不死存在。有限の存在たるプレイヤー達にはあり得ない属性だった。

そのメッセージを見た周囲のプレイヤー達が驚きの表情を浮かべ、ぴたりと動きを止めた。キリトも、アスナも、クラインも、エギルも、部屋にいるほとんどのプレイヤー達も動かなかった。静寂の中、ゆっくりとシステムメッセージは消滅した。

俺は剣を引き、軽く後ろに跳んでヒースクリフとの間に距離を取った。キリトの隣に立つアスナが、言った。

「システム的不死……?…って…どういうことなんですか…団長…?」

戸惑ったようなアスナの声に、ヒースクリフは答えず厳しい表情でジッと俺を見据えている。俺は右手に剣を下げたまま、口を開いた。

「これが伝説の正体だ。こいつのHPは、どうあろうと注意域(イエロー)にまで落ちないようシステムに保護されている。……この世界で不死属性を持つ者といえば、システム管理者以外あり得ない。この世界の管理者といえば……1人だけだ」

言葉を切り、上空をちらりと見やる。

「……この世界に来てから……ずっと疑問に思ってきた。奴は今、どこで俺達プレイヤーを観察し、世界を調整しているのか……?俺はゲームを進めるうちに、わかったことがある」

俺は紅衣の聖騎士にまっすぐ視線を据え、言った。

「《他人のやっているRPGを(はた)から眺めるほどつまらないつまらないことはない》とな。……そうだろ、茅場晶彦」

全てが凍りついたような静寂が周囲に満ちた。

ヒースクリフは無表情のままジッと俺に視線を向けたままだ。周りのプレイヤー達は皆身動き1つしない。いや、できないと言うべきだ。

その場にいたプレイヤー達の瞳は、虚無の空間を覗き込んでいるようにヒースクリフに集まった。全員の注目が集まる中、ヒースクリフの唇が動き、言葉を発した。

「……なぜ気づいたのか、参考までに教えてもらえるかな?」

「……ヒースクリフとしてのあんたと初めて会った頃から、ずっと疑ってた。あんたの、全ての物事を見通すようなその眼は、今でもよく覚えているからな。そして、決定的に怪しいと思ったのは、あんたとのデュエルだ。最後の一瞬、あんたは余りにも速過ぎた。普通のプレイヤーが、あんなに速く動けるはずがない」

「やはりそうか。あれは私にとっても痛恨事だった。君の動きに圧倒されて、ついシステムのオーバーアシストを使ってしまったよ」

ヒースクリフはゆっくり頷くと、表情を見せた。唇の片端(かたはし)を歪め、(ほの)かな苦笑の色を浮かべる。

「本当なら95層に達するまでは明かさないつもりだったが……」

ゆっくりとプレイヤー達を見回し、笑みの色合いを超然としたものに変え、紅衣の聖騎士は堂々と宣言した。

「確かに私は《茅場晶彦》だ。付け加えれば、最上層で君達を待つはずだったこのゲームの最終ボスでもある」

衝撃的な宣言に、俺以外のプレイヤー達は騒然。中にはよろめく者もいた。

「……最強のプレイヤーが一転、最悪のラスボスとはな。あまりいいシナリオとは言えないぞ」

「私はなかなかいいシナリオだと思うがね。しかし、たかが4分の3地点で正体を看破されるとは。さすがにこれは私のシナリオにもなかった」

このゲームの開発者にして1万人の精神を虜囚(りょしゅう)した男、茅場晶彦は見覚えのある薄い笑みを浮かべながら肩を(すく)めた。ヒースクリフとしてのその容貌(ようぼう)は、現実世界の茅場晶彦とは明らかに異なる。だが俺にはわかっていた。彼の無機質、金属質は、SAOに囚われる前から知っている。

ヒースクリフは笑みを(にじ)ませたまま言葉を続けた。

「最終的に私の前に立つのはキミだと予想していたよ、ネザー君。私の一番弟子であり、私のことを誰よりも理解しているキミこそが、魔王に対する勇者の役割を担うはずだった。だが、キミは私の予想を遥かに超える力を見せた。攻撃速度といい、その優れた洞察力といい、現実同様にキミの力も大したものだった。まあ……この想定外の展開も、ネットワークRPGの醍醐味(だいごみ)と言うべきかな……」

その時、凍り付いたように動きを止めていたプレイヤーの1人がゆっくりと立ち上がった。血盟騎士団の幹部を務める男だ。朴訥(ぼくとつ)そうなその細い眼に、凄惨(せいさん)な苦悩の色が宿っている。

「お、俺達の忠誠……希望を……よくも……よくも……」

巨大な斧槍を握り締め、

「よくもーーーッ!!」

絶叫しながら地を蹴った。止める間もなく、大きく振りかぶった重武器が茅場へと……。

だが、ヒースクリフの動きのほうが一瞬速かった。左手を振り、出現したウィンドウを素早く操作したかと思うと、男の体は空中で停止し、次いで床に音を立てて落下した。HPバーにグリーンの枠が点滅している。麻痺状態だ。茅場はそのまま手を止めずにウィンドウを操り続けた。

周りを見ると、キリトやアスナを含めるプレイヤー達が次々と地面に膝をつきながら倒れていった。気づけば、俺とヒースクリフ以外の全員が麻痺状態となっていた。

俺は右手に持つ剣を鞘に収めることもなく、ヒースクリフに向かって視線を上げる。

「……この場で全員殺して隠蔽(いんぺい)でもする気か?」

「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」

紅衣の男は微笑を浮かべたまま首を左右に振った。

「こうなってしまっては致し方ない。私は最上層の《紅玉(こうぎょく)(きゅう)》でキミ達の訪れを待つことにするよ。ここまで育ててきた血盟騎士団、そして攻略組プレイヤー諸君を途中で放り出すのは不本意だが、何、キミ達の力ならきっと辿り着けるさ。だが……その前に……」

ヒースクリフは言葉を切ると、圧倒的な意思力を感じさせるその眼で俺を見据えてきた。右手の剣を軽く床に突き立て、高く澄んだ金属音が周囲の空気を切り裂く。

「ネザー君、キミには私の正体を看破した褒美を与えなければな。チャンスをやろう」

「チャンス?」

「今この場で私と1対1で戦うチャンスだ。もしキミが私に勝てばゲームはクリアされ、キミを含めた全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。……どうかな?」

その言葉を聞いた途端、俺から少し離れた位置で自由にならない体を必死に動かすキリトが叫んだ。

「ダメだネザー!厄介者のお前を排除する気だ!今は退け!」

キリトの必死の呼び掛けは、俺の耳に届かなかった。自分の中に閉じ()もっていた。

今目の前にいるヒースクリフ/茅場晶彦はシステムそのものに介入できる管理者。一般プレイヤーが倒せるような相手ではない。ただ、1人を除いては__。

「俺と1対1で戦うと言ったが、具体的にどう戦うつもりだ?」

ヒースクリフは唇を歪め、笑みを浮かべ答えた。

「私は不死属性を解除し、自身のHPや攻撃、防御などにシステムの力を加える。そしてキミは……内なる力を駆使して私に挑む」

《内なる力》という言葉を聞いたキリトとアスナは首を傾げた。

「わかるかね、ネザー君?……変身してもかまわないということだよ」

《変身》という言葉が現れ、俺は選択を迫られた。

確かにビートライダーに変身して戦えば、いくらゲームマスターといえど倒せるはず。しかし、その代償として周囲の地面に倒れるプレイヤー達に自分の正体を看破することになる。ここは退き、改めて対策を練るのが最上の選択だと思われるが__。

晶彦の与えたチャンスは、まさに二度と訪れない千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスだ。このチャンスを放棄しても、次の層で更なるボスに挑むことになる。先ほどの百足モンスターより手強いボスを相手にすることになるかもしれない。

最上層__第100層に到達するまで。

どの道戦うことに変わりはない。

奴は己の創造した世界に1万人の精神を閉じ込め、そのうちの4000人の意識を電磁波によって焼却せしめるに(とど)まらず、自分の描いたシナリオ通りにプレイヤー達が愚かしく、哀れにもがく様子をすぐ傍から観察していた。

茅場晶彦の助手としてSAOの開発に手を貸した俺もある意味、同罪だ。死ぬことが罪の償いになると思ってるが、今はまだ死ねない。デュエルに勝利し、現実に帰還し、両親を殺したあの《黒いスピードスター》を倒すまでは__絶対に死ねない。

様々な思いが交差する中、とうとう俺は苦渋の決断を下した。

「いいだろう。決着をつけよう」

そう言ってゆっくりと頷いた。

「ネザーっ……!」

キリトの悲痛な叫び声に、ほんの少し首を向け、視線を落とす。

「黙って見てろ」

無言でこちらを見ているヒースクリフにゆっくりと歩み寄りながら、右手に握られた片手剣を鞘に収めた。チン、という金属音が鳴り響いた後、俺の真上の空から水面波が現れた。

ワームホールから飛び出してきたシステム外の存在__《カブトゼクター》が翅音と共に円を描きながら舞い降り、俺の右の手のひらに着地した。次いで、銀色に輝くベルトが俺の体内から押し出されてくるように腰に現れた。

カブトゼクターとベルトを見た瞬間、キリトは思わず眼を丸くしながら悟った。

あれって……まさか……!?

自分とヒースクリフを凝視するプレイヤー達が周囲に倒れてる中で覚悟を決め、俺は手にしたカブトゼクターを顔の前方にまで掲げ、

「変身!」

ベルトにセットした。

【Henshin】

電子音声が鳴り響く。

スマートな下半身とアンバランスな鎧を纏う上半身。パワー性が重視された《クリサリスフォーム》に変身が完了した後、

「キャストオフ」

と発し、すぐさまカブトゼクターに設置された角レバーを右手で掴み、右に展開した。

【Cast Off】

わずかに浮いたアーマーが弾け飛び、その破片がヒースクリフへと飛んでいくが、彼は装備していた十時盾で自分の身を隠し、飛散した全てのアーマーを防いだ。

【Change Beetle】

(あご)を基点にY字型の角が顔に起立し、青い複眼(ふくがん)が一瞬ピカッと光る。《クイックフォーム》へと姿を変え、完全な《カブト》に変身した途端__世界が静寂に満たされた。
 
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