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殺人鬼inIS学園

作者:門無和平
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第十六話:ちょっとした修羅場

 
前書き
 恋愛描写なんてやるもんじゃない 

 
 忘年某日某時刻、IS学園職員宿舎にて。用務員の編田羅赦は、バスルームにて神妙な表情で身を清めていた。
冷水のシャワーが肌を刺し、脳と臓腑を刺激する。徐々に眠気が取れてクリアになっていく思考を暖かく迎えながら、ラシャは時代錯誤な水垢離をしている自分自身に対して苦笑した。

「三十路にもなって女性との逢瀬に緊張か……全く嫌になる」

 脳裏に浮かぶのは意を決して告白する山田先生の緊張に張り詰めた表情。そして、反射的に肯定の意をうっかり示した自分の返答を受けて見せた満面の笑み。その総てがラシャの心の平衡を大いに揺るがした。

「世が世なら未熟者の誹りを受けて然るべし。といったところか」

 最早、女人の一挙手一投足に浮つくような年ではなくなったと断じていたが、中々どうして難しいものだ。

「だがしかし、俺はどうあがいても殺人者。こんなことは今回ばかりだ」

 悲願成就の暁には総ての罪を認めて裁かれる予定の自分には明るい未来など無い。そんな人間にいつまでも懸想させておく訳にはいかないのだ。故に、遠回しに自らに好意を抱くことは悪手であることを、それとなく、さりげなく、後腐れなく伝えて納得してもらわなければならない。

「さて、行くか」

 前時代的な禊を終えたラシャは、手早く着替えると待ち合わせ場所に指定された校門前に直行した。

 IS学園の校門前では、山田先生が生徒・教職員を問わずの大勢に囲まれて質問攻めにあっていた。彼女の服装は少々高級感があるブラウスとフリルの付いたスカートに、ハンドバッグを携えている。元々童顔である彼女が更に背伸びをしたような服装に皆興味を惹かれたのだろう。

「あ、山田先生!!お出かけですか!?」

「は、はい!ちょっと駅前まで……」

「目的地が駅前で、そのめかしこみ様……さてはオトコだね、やまぴー!!」

「や、やまぴー?……はっ!?違いますよ!?ッ別にラシャさんとデートだったりしませんよ!!」

「ラシャ……まさか編田さんとデートですか!?そうなんですかぁ!?どうやってあのミステリアスなイケメンを口説いたんですか?それとも口説かれたんですかぁ!?やっぱりそのおっぱいでかぁ!?」

「さ、榊原先生まで!?やめてください~~~~!!!」


「帰ろうかなぁ」

 思わずラシャはそう呟いてしまっていた。眼前には、鬼気迫る表情で山田先生の胸を親の敵のように揉みしだいている榊原菜月先生が生徒たちに囲まれて居たのだ。容姿端麗、品行方正であり、教師としての姿勢も教本に載せるべき人柄を持ちながら、呪われたが如く男運が悪いというのが榊原菜月の周囲の評価だ。
 町中でとんでもない男性に唐突に惚れて、こっぴどくやけどをしてやけ酒ですべてを忘れるという流れが板についてしまっている彼女に、ラシャはよくやけ酒に付き合わされたりしていた。

 思わず回れ右してベッドに倒れ伏したくなる衝動を何とか抑えて、気を引き締めたラシャは騒動の渦中へと歩を進める。ラシャの存在に気付いた女子生徒がどよめきながら道を空けていく。紅海を割るモーゼの如く群衆を掻き分けたラシャは、山田先生に対して硬い表情のまま軽く一礼した。

「失礼、少々遅れましたか?」

「い、いいえ!大丈夫です!!私が早く来過ぎただけですから!!」

 唖然とする榊原先生の拘束から何とか抜けだした山田先生は、慌てて手を振ってとりなした。その様子を見たラシャの表情もいくらか和らいだ。

「それでは行きましょうか」

 ラシャに手を引かれて慌てて歩調を合わせて歩く山田先生の姿は恋人というより不器用な兄についていく妹のようにも見えた。

 編田羅赦の自己評価は驚くほど低く、それは自らの外見に対しても例外ではない。だが、彼の外見は少々硬い印象を与えるが、より均衡の取れた優男風の相貌を持っておりながら、体躯は強靭なれども柔軟さを備えた偉丈夫である。そのような男が穏やかな、下品な言い方をすれば女人受けしそうな表情を浮かべれば、女尊男卑が浸透したことによって慢性的な男日照りに苛まれた者達の心を鷲掴みにするのは実に容易いことであった。

「やっぱり私、この人をオトすわ。私にはこの人しか居ないのよ……」

 呆然とする生徒たちの中で榊原先生がそう呟いた。周囲の教員は、彼女が珍しくまともな人間に惚れた事に驚愕の表情を浮かべたが、恋慕の対象である彼の本性を鑑みるに、此度の恋愛も彼女の法則に当てはまる運命である事は確かである。



 ラシャと山田先生は駅前のショッピングモール「レゾナンス」前で固まっていた。眼前には禍々しいオーラを振りまいている存在が居たからだ。この界隈では知らぬ者は居ない超有名人にして古馴染み。織斑千冬が笑顔で仁王立ちしていたのだ。

「待っていたぞ」

 思わずラシャは一歩後ずさりする。表情に合わぬ憤怒の気配に思わず気圧されたのだ。学園の汚れ仕事を喜々として受けていた表情は鳴りを潜め、ただの謂われなく追い詰められた一般人がそこに居た。

「ど、どうして此処に?」

 完全に萎縮してしまっている山田先生に代わって何とか絞り出した疑問。ついでに何故怒っているのかも訊きたかったが、そこまで踏み込めるほど「表のラシャ」はふてぶてしくなかった。
 彼の問いかけに対し、千冬は満面の笑みを浮かべる。普段滅多に浮かべること無い表情に、ラシャの背に悪寒が走る。「笑うという行為は本来攻撃的なもの」だという説は根拠もない虚説であると学会はみなしている。という話を思い出したラシャは、速やかにその説の洗いなおしをすべきなのではないか、と感じた。

「どうして此処に、だと?」

 千冬は不自然な笑顔を崩さずにツカツカと距離を詰める。進行上には完全に恐怖に囚われた山田先生が居た。自らが新たな標的となっていることを察した彼女は悲鳴を上げる。

「せ、せせせ先輩……」

「山田君」

 壁際にまで追い詰められた山田先生に対して、千冬は手を伸ばす。手は山田先生を通り過ぎ、彼女が背を預けている壁に添えられた。所謂「壁ドン」の姿勢だ。周囲のギャラリーの女性から軽く歓声が上がる。

「(現実に起こりうるシチュエーションだったのか……知らなかった)」

 ラシャが緊張と現実逃避のあまりにくだらない思考に耽溺している間に、千冬は山田先生に顔を近づける。周囲の歓声とどよめきが大きくなる。

「お前も、人が、悪いな、真耶。共に、買い物に、行くと、言い、ながら、先走る、とはな?そこ、まで、楽しみ、だったの、かぁ?んん?」

「せ、先輩ぃ……?」

 涙目でへたり込む山田先生に、千冬は一句一句染みこませるように言葉を叩きつける。心なしか、周囲に──特にラシャに敢えて聞こえる様に声量を調節して叩きつけているのは気のせいだろうか。
 言葉のデンプシーロールとも受け取られかねない様子の二人を見て、ラシャは自らの何かが腑に落ちる感覚を覚えた。

「共に買い物に行く?……買い物。買い、物……ふ、ははははははははははははっ!!成る程そうか!そういうことか!!なんと滑稽なことか、一人相撲とはまさにこの事!先人も粋な言葉を作るものだ!!」

 こみ上げてきた愉快さに、ラシャは躊躇い無く身を任せた。総ては杞憂であったと。自らの危惧したようなことは何一つ無かった。彼女は自らに対して特に大したものを抱いてはいなかったのだ。ただ純粋に「千冬を含めた三人」で買い物に行こうと誘ってきただけだったのだ。ラシャはそう読み取ってしまっていた。

 真実を述べると、無論山田先生の胸中はそういうわけではなく、此度の外出はれっきとしたデートのつもりであり、臨海学校に向けて購入する水着の吟味役として彼を指名したのだ。
 狙いは彼好みの水着の調達と共に、彼の好みのリサーチであった。僅かながらも今年度は職員にまとまった夏季休業が与えられることになる。その日に向けての布石であった。今回のデートで彼の好みを把握して、夏季休業を利用して急接近することを目論んでいたのだが、見事に千冬に目論見を潰された形になる。

「何がおかしい、ラシャ?」

 満面の笑みを浮かべた唇から紡ぎ出されたとは思えないほどの底冷えするような声色が千冬から漏れた。しかし、ラシャは何時も通りの微笑みを浮かべて千冬に向かい合った。すでに山田先生にまつわる憂いを断った事により、彼は生来の余裕を取り戻していたのだ。

「いや、何。山田先生はおっちょこちょいだなと思ってな」

 彼の胸中を理解したのか、千冬から溢れる禍々しい憤怒の気配が引き潮のように消えた。彼女の表情は作り笑いの表情から不満気な表情に変わる一方で、放心状態になっていた山田先生は、先ほど千冬に言われた言葉とラシャの発言を、朦朧とする意識の中で繰り返し繰り返し諳んじていた。

「はっ!違うんですよ!?偶々行き先に先輩が待ち伏せしていただけで、三人でのお買い物ではなく二人っきりでですね……」

「真耶」

 慌てて訂正しようとする山田先生を、千冬が制した。もしも、言葉を形造れるのであれば、その声色は妬心に狂った利鎌のような蛇の牙の様であったであろう。山田先生は胸の内にある焦燥感を綺麗に刈り取られてしまった。それらに代わって胸中に蔓延ったのは死の危険を思わせる恐怖であった。今、確かに自身は尊敬すべき先輩である織斑千冬に殺気を向けられているということを敏感に感じ取っていた。口を開こうにも声が出ず、いたずらに時間が流れ行くのみ。

「さて、ともかく合流したことですし目的を果たしますか。何を買いに行くのですか?」

 大きく伸びをしてリラックスをしたラシャの表情は出発当初に纏っていた神妙な雰囲気が跡形もなく取り払われていた。周囲に立ち込める千冬の殺気に晒されているにしては明らかに場違いであった。
 周囲の人間が怯えたり、堪らず腰を抜かしたり失神してしまう者が出始めた辺りで、千冬は殺気を漸く緩め、ラシャの方へ向き直った。

「臨海学校への水着を購入する予定だ。何せ最近の流行りなぞには疎いからな、第三者の意見を聞きたいんだ」

「俺を頼っても大したことは出来ないが良いのか?」

「大丈夫だ、お前が良い」

「そんなことならお安い御用だ。どうせ暇していたからな」

 ラシャは足取り軽く、それこそ鼻歌でも歌い出しかねない気軽さで、レゾナンスへ向かって歩を進めていった。そんな中、漸く弛緩していた脚の筋肉に力が戻り始めた山田先生は、千冬が自らに手を差し伸べていることに気付いた。

「あ……先輩、ありが……っ!?」

 その手を掴んだ瞬間、山田先生は凄まじい勢いで千冬の胸に飛び込むような形になった。凄まじい力で千冬が彼女の身体を引き寄せたのだ。本日何度目かの戸惑いの表情を浮かべる山田先生に対して、千冬はそっと耳打ちをした。

「人のものに手を出すな、次は無いぞ」

 地獄の底から響いてくるような、人と思えない程冷えきった声が、それこそ鎌鼬のように山田先生の耳孔を凍りつかせた。
 山田先生はあまりの恐怖に千冬の顔を直視できなかった。幸いなことに逆光が彼女の表情を覆い隠してくれていたので、彼女の心はそれ以上恐怖に侵されることはなかった。何とか折れる寸前だった心を奮い立たせ、五体に熱を取り戻した時、千冬がラシャと「並んで」レゾナンスに入って行くのが見えた。

「先輩、ラシャさん。私……ません」

 無謀にも呟いた一言は、確かな熱を持って初夏の青空へと溶けていった。山田真耶は確かに、自らの内に何かが燃えているのを感じていた。
 
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