殺人鬼inIS学園
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
番外編:殺人鬼の昔話1 上
忘年某月某日-6年ヨーロッパの何処か。
バーの片隅でピアノが弾む。外の土砂降りを舐めるように。
酒を呑む者、愛を確かめ合う者、空腹を満たすもの。グラスを磨く者、掃除をするもの、シェイカーを振る者。皆一人の東洋人の青年の演奏に聴き入っていた。朝露が垂れるような旋律は耳に心地良く、飲んだくれていた客は幸せそうな表情で寝息を立てていた。
そんな旋律を弾いている青年は真剣な表情でティアーズ・フォー・フィアーズの『Everybody Wants To Rule The World』を高らかに熱唱し始めた。
かつての名曲中の名曲を熱唱する青年は、一ヶ月前に日雇いで転がり込んできた男だった。気まぐれで雇った店長はパフォーマンスとして披露した彼のピアノの腕に驚嘆し、かつてイギリスを騒がせた男に因んで「ピアノマン」と呼んでいた。
今日も、ピアノマンの演奏が終わりバーは拍手に包まれた。舞台の上やグランドピアノの上に札巻や小銭が投げ込まれる。ピアノマンはそれを丁寧にかき集めると、アンコールの要求には応えずに、綺麗なお辞儀を披露してソデに引っ込んでいった。この男がアンコールに応えるのは極稀なのが、常連客のささやかな不満だった。
アンコールに背を向けてソデに引っ込んだピアノマンを、バーの店長は暖かく迎えてその日の日当を手渡す。彼はそれを恭しく受け取ると、店長の明日の演奏の依頼を快諾し、コート一着で雨も止まぬ夜闇へと去っていった。
家路を急ぐ青年の表情に、店内で見せた穏やかさは欠片も感じない。彼は吐き気をこらえるように口元を抑え、夜闇と電灯を映す水たまりを踏み荒らして通りを駆け抜ける。
時折止まって道端に嘔吐するそれは、いよいよ尋常ならざる様相を呈してきた。事実、彼の身体は蝕まれており、一刻も早く対処が必要なものであった。だが、青年は病院に駆け込んだり、他人に救いを求めるようなことはしなかった。彼が抱えている疾患はとても他人に伝えられるようなものではないからだ。
彼の姿に見かねて一人の通りがかりの女性が駆け寄ってきた。女尊男卑の蔓延る世の中では奇特な存在である。最早意識が朦朧としつつある彼に肩を貸し、助け起こそうとした。
だが、ここで予期せぬ出来事が彼女を襲った。最早半死人も同然であった青年の腕が蛇のようにしなると、女性の腹に深々と短剣を突き立てたのだ。女性は痛みに呻くことも、青年の唐突な敵対行為に悲鳴を上げることも出来ないまま、イモガイに刺された獲物のように2~3度程弱々しく痙攣すると、失血と刺されたショックによって急速に訪れた死を受け入れた。
青年は斃れ伏した女性を近くのマンホールに捨てると、何事もなかったように家路を急ぎ始めた。その表情は生気に満ち溢れて清々しく、先程の苦悶の貌が何か悪質な冗談やペテンの類のように思えるほどであった。
だが、これは事実である。この青年は「人を殺さずには居れない」性を植え付けられてしまった男なのだ。最早彼にとって殺人は睡眠や食事のように生活のサイクルに組み込まねばならないものだった。殺らねば渇く。渇けば狂い、死に至る。青年は疼き続ける殺人衝動を抱えて日陰に潜む日々を送っているのだ。青年の名前は編田羅赦。彼は一介の畜生に堕した男である。何時からこの様な生活を送っているのか、それは本人にも解らない。
ラシャは気付いた時から人を殺す生活を当たり前の様に送っていた。自らの記憶は初めて殺したと思われる死体とともに始まったと言っても過言ではない。親兄弟や生まれ故郷といったものは全て記憶から抜け落ち、「今」の記憶しか存在しなかった。
そして定期的に襲いかかってくる飢餓に似た苦痛。幾ら食しても、潤しても満たされなかったそれは、アジアの一都市で無我夢中で藻掻いていた最中、絡んできたチンピラを返り討ちにする形で殺した際に満たされた。そして、司法の目から逃れるべくあらゆる国を転々としつつどうしようもない飢えを満たすべく今日も殺すのだ。罪悪感はとうの昔に擦り切れ果てている。
雨中の殺人から数日後。ラシャは久しぶりの休日を満喫していた。日の出前に目を覚まし、軽いストレッチとブラックコーヒーで意識を完全に覚醒させると、まだ夜闇に包まれた表街道を、鼻歌を唄いながら歩き始めた。冬を目前に控えたこの街には木枯らしが吹き抜け、四季の変わり目を否応なく知らせてくる。
「今日はカフェで一日中過ごそうかなあ」
胸に巣食う「それ」を案じつつ、ラシャは数少ない楽しみである散歩をしむ。東の空が白み始め、朝日が顔を出す瞬間を密かに待ちわびていると、眼前に少女を痛めつけている二人の男が居た。同時に抑えられていたはずの黒い衝動が鎌首をもたげる。ラシャは折角の休日を最悪の形で潰されてしまったのだ。
「おい」
ラシャは自身、思いもよらぬほどの冷えきった声が出た。対する男達は少女への暴行を取りやめてラシャを睨みつけた。明らかに堅気ではない雰囲気を纏っており、場末のガードマンやPMCの印象を与えた。
「……」
男の一人がナイフを抜く。刃先は丁寧に研がれ、中程から根本にかけては骨を断てるように敢えて粗く研がれている。機能的に致命傷を与えられるように手入れがされた殺意の象徴を前にしても、ラシャは一歩も退かないどころか挑発するように更に一歩を踏み出した。
当然である。既に二人はラシャにとって狩られる獲物としか認識されていないのだ。
「フン、馬鹿野郎が」
ラシャの行動に男の一人が呆れて、彼の胸にナイフを突き立てるべくナイフを構えてラシャに突っ込んだ。だが、ラシャは腕押しされた暖簾のように身を翻すと、男の後頭部をひっぱたいて転倒させた。
「取り敢えず命だけ置いていってもらおうか」
ラシャは脳震盪を起こしているのか石畳に突っ伏して動かない男の首筋に爪先を這わせると、タバコの火を消すように踏みにじって脛骨を粉砕した。ラシャの予想外の行動に、残った男の表情が驚愕に染まる。
「どうした、よもや自分らは決して殺されないとでも思っていたのかな?」
その表情を読み取ったかのごとくラシャは嘲笑う。同時に屠った男の手からナイフを拾い上げる。
「さぁてさてさてさて、相棒が死んだ。お前はどうする?」
男は躊躇うこと無く懐から拳銃を取り出そうとする。大口径のリボルバー拳銃だ。ラシャも表情を引き締めて身構える。だが、男の手から拳銃は呆気無く滑り落ちてしまう。先程まで痛めつけていた少女が背後から忍び寄っており、男の首に腕を絡め、締め上げたのだ。
「!?…貴様ァ!Mゥ!!」
予想外の抵抗だったのか、男はパニックに陥り抵抗を行うも、容易く気を失うと同時に首があらぬ方向に曲がり、動かなくなった。
「あれまぁ、ガッカリ…っとそれより大丈夫か?」
ラシャは男の脛骨を粉砕した少女に駆け寄ったが、少女は男が取り出した拳銃を素早く拾い上げ、ラシャに体当たりをお見舞いした。完全に虚を衝かれ、もんどり打って転倒したラシャの胸目掛けて、少女は直ぐ様引き金を引いた。のだが、彼女の拳銃は無煙火薬の咆哮を上げなかった。少女は慌てて何度も引き金を引くも、銃は無慈悲にも沈黙を保ったままだ。
「探しものはこいつかな?」
ラシャの手から放たれ、少女の額にぶつかったものは銃のシリンダーだった。リボルバーにおける弾倉を意味するレンコン状の部品である。銃をつきつけられた瞬間、ラシャは目にも留まらぬ素早さで彼女の銃からもぎ取っていたのだ。
少女は拳銃を捨てて身構えるも、疲労が溜まっていたのか、男達に痛めつけられていたダメージが尾を引いていたのか、糸が切れたように倒れてしまった。
「……」
ラシャは倒れた少女に近寄り、爪先で入念に小突いた。そして、完全に意識を失っていることを確認すると、とどめを刺すべくナイフを振り上げた。が、少女の顔が偶然視界に入ると手を止めた。
まじまじと顔を見つめること数秒。ラシャは死体を片付けると、少女を担ぎ上げた。すると、少女のポケットから鎖の千切れたペンダントがこぼれ落ちた。
「ん?」
ラシャは即座に拾い上げた。ロケットだったのか、落ちた衝撃で蓋が開いて中の写真が見えていた。黒髪で鋭い目つきの凛々しい女性だ。肌の色からアジア系の人種だろう。ラシャはその写真を視界に収めた瞬間、えも言われぬ衝撃が走るのを感じ取った。
「これは、いや、この人は!?……そうだ、帰らなきゃ、帰らないととんでもないことになる!!」
ページ上へ戻る