真田十勇士
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巻ノ八十三 仕置その二
「あれでな」
「治部殿達で」
「そうじゃ、治部の子達も殺さぬ」
主犯の子であるがだ。
「出家をさせてな」
「それで収めますか」
「そうする、だから宇喜多殿もな」
「切腹といいましたが」
「おそらく諸大名から助命の話が来る」
家康はそこまで読んでいた、そのうえでのことだった。
「だからな」
「その助命を聞かれ」
「そういうことにしてじゃ」
最初からそのつもりであったがというのだ。
「切腹を減じてな」
「そのうえで」
「流罪としよう」
宇喜多秀家についてはというのだ。
「その様にな」
「わかり申した」
「まあ時が来れば流罪も許す」
家康はそこまで考えていた。
「十年、まあ長くとも十五年流罪にしてな」
「それで許しますか」
「後は十万石程で遇する」
それ位の大名として、というのだ。
「そうするとしよう」
「それでは」
「後は佐竹家も禄を大きく減らすが」
石田についたこの名門もというのだ、鎌倉時代からある関東八家の一つで源頼朝のご落胤がはじまりとも言われている。
「やはりな」
「潰しませぬか」
「そうする、しかし後の治部についた家はな」
「お取り潰しですか」
「そうしていきますか」
「そうせよ、ただ島津は本来は東軍につく筈であった」
それが行き違いで石田についた、家康はこのことも知っている。
「だからな」
「jはい、それでは」
「島津はお咎めはなし」
「そうしますな」
「その様に」
「うむ、そうする」
こう言うのだった。
「注意はするがな」
「して殿」
先程とは別の重臣が家康に聞いてきた。
「真田家ですが」
「あの家か」
「どうされますか」
「治部についた方は潰す」
その彼等はというのだ。
「しかしじゃ」
「その潰した方の禄をですな」
「源三郎殿の功として与える」
「そうされますか」
「それで源三郎殿の褒美としてな」
そのうえでというのだ。
「終わらせる」
「では真田殿は」
昌幸のことも聞かれた。
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