殺人鬼inIS学園
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第一話:用務員は殺人鬼
前書き
こんな夢を見た、それだけの話です。
日本国の何処か。少なくとも、数年前まではただの海だった箇所に位置する人工島にて。ホコリひとつ無い音楽室で男がピアノを弾いていた。
天気は快晴、雲はまばら。おおよそ雨とは無縁の空模様。そんな青空へ、心地よい旋律が開け放たれた窓から、大海に雫を垂らすように吸い込まれていく。逆行する雨を思わせる演奏を奏でる男の背後に、いつの間にか女性が立っていた。年は男性と変わらない二十代前半の若い女性。
「まさか、お前が『昼間の怪談』の正体だったとはな」
漆黒のビジネススーツをきっちりと着こなし、上質な墨の河を思い起こさせる程の黒髪を無造作に束ねた女性。織斑千冬は、半ば呆れを含んだ声色で男に話しかけた。男の手がそれに応えるように止まる。
「一介の用務員が触っていいものじゃないんだがな?」
男の格好は所謂作業着と呼ばれるものであった。軍手も尻のポケットに丁寧に畳まれて入っている。しかし、彼の纏う雰囲気。佇まいや物腰は、肉体労働者によく見られがちな粗野なものではなく、極めて穏やかなものであった。
千冬の柔らかな苦言に、男は苦笑する。
「失礼致しました、織斑先生。余りにも良い音を出すもので、私が触れたらどうなるのかと思いましてね。我慢できませんでした」
そんな態度に、千冬は一瞬不機嫌な表情を覗かせる。まるで夕食に好物が出なかった時の子供のように思えた。男は、その雰囲気を察したのか、「修飾すること無く本来の声色で」声を紡ぐ。
「生徒が見ているんじゃないか?」
「誰もいないさ、この時間帯は」
抜身の刀のように鋭かった千冬の視線が柔らかくなる。
「ならば……飯でも食おうか、千冬ちゃん」
男の態度も千冬の視線に倣う。同時に帽子をかぶり直すと、穏やかに微笑んだ。その笑みを見て、初めて仏頂面に近かった千冬の表情が崩れた。所謂笑顔に近い表情である。
「ああ、行こう。」
此処はIS学園。十年余りで当時の常識の尽くを粉砕し、歪に練り直したパワードスーツ。『インフィニット・ストラトス』の搭乗者養成学校である。既存の兵器を大幅に上回るスペックを誇りながらも、「女性にしか扱えない」重大な欠陥を抱えたそれは、世界の軍事バランスをジェンガのように崩しつつ、その残骸の上に歪な秩序を積み上げた。
女尊男卑。女性は男性より優れており、優遇されるべき存在である。IS登場から十年、そのような考えが日本を中心に広がっていた。
世の博愛溢れた良識ある女性達の名誉のために記しておくが、女性全てが斯様な思想に染まったわけではない。この世相に異を唱え、IS登場以前の世界に戻そうと試みる者も、男性以外に居ることを追記しておかねばなるまい。
閑話休題。そのような場所に男性が居ること自体は大いに珍しく、一般生徒どころか教員に至るまで女性で統一されていた。用務員や一部の管理職には男性職員が採用されているものの、全員ある程度年配の職員であり、特に色恋沙汰に目ざとい方々の間で話題に上るほどの存在感は無かった。
だが、今年は違った。唐突に用務員として一人の男性が採用されてきたのだ。しかも年齢は20代後半の青年と、生徒や教職員が密かに求めていた若い人材である。それどころか、この若き用務員は学園長から直々のオファーを受けて来たのである。
「学園長の娘の婚約者では?」
「どうせ、金持ちの道楽者が女目当てで入ったに決まってる。これだから男は…」
「新しい警備員の教導官じゃない?」
「先生たちを慰安するためだったり……?」
根も葉もない噂が学園を満たしたが、噂の渦中にある当の本人はそ知らぬ顔である。今日も今日とて用務員の制帽を目深に被り、上司である轡木用務員の補佐や簡易警備、簡単な備品の修理並びに清掃行為等に勤しんでいるのである。
「千冬ちゃん、先月言ってた週末の飲み会の件なんだけど、IS委員会への定期報告が前倒しになったから出られなくなった」
「何だと!?」
先程まで、ほほ笑みに近い表情を浮かべていた千冬の顔は瞬時に般若と化した。
「な、何故だ!!どうしてお前はこうも飲み会を蹴るんだ!?」
「嫌だなぁ、先月の時は参加したじゃないか」
「私が参加してない飲み会など知るものか!!」
「あれ?ちふ…織斑先生参加しませんでしたっけ?いやぁ、あのときは部活棟監督の榊原先生と数学のエドワース先生にしこたま飲まされたんでそれどころじゃなかったなぁ」
段々と千冬の瞳からハイライトが無くなっていく。その手は関節が白く見えるほど握りしめられ、まるで目に見えない抜身を握っているかのような迫力があった。
「すまん、私はどうやら殺らねばならんことが出来てしまったようだ」
「織斑先生が危惧するようなことは無かったですよ?」
男は落ち着き払った様子でフォローを入れる。まるで彼女の反応を見て愉しんでいるかのようだ。
「信用できんな」
「潰される前に潰しましたから。よっぽどお酒に自信があったんですね」
あっけからんと応える男に対して、千冬の瞳は疑わしげに細められる。
「写真の一つでも撮っておけばよかったですかね?」
その視線を味わうように男は告げる。並みの人間であれば裸足で逃げ出しかねない刃の如く鋭い千冬の視線に彼は平然とその身を晒しつつ、刃紋のようなその瞳を見つめ返していた。
一瞬、剣呑な空気が場を満たす。そして、千冬は目を逸らした。
「まあ、そこまで言うなら信じるさ。ところで、急に敬語になった理由を……」
「あれです」
遠回しにやり込められたことに拗ねたのか、話題を変えて来た千冬に対して、男が指差した先には期待に目を輝かせながら二人の様子を見守っている生徒数名だった。傍から見ればメロドラマに出てくる様な修羅場のようにも見えただろう。何せ役者は最強のIS乗りと噂の若い男性職員なのだ。千冬は言わずもがな、男の方も帽子を目深にかぶっているのでわかりづらいが顔自体は整っている方である。少なくとも画にはなった。
「……いつからだ?」
男からの視界では、振り向いた千冬の表情は伺えない。だが、髪の隙間から見える耳の一部が真っ赤になっている時点で心中はお察し出来る有様であった。
「そこで何をしている!?出て行け!ISを背負わせてグラウンドを100周させるぞ!」
千冬の上ずった怒鳴り声で、生徒達は黄色い声を上げて散り散りになる。少なくとも夕方には全校生徒に、翌朝までには全職員の耳に入り、噂の煙が立ち込めることになるであろう。
数日経ち、ついに飲み会の日であり報告日が訪れた。男は作業服を脱ぎ、スーツに着替える。千冬は名残惜しそうに男の顔を見ながら後輩の教諭に引っ張られて行った。
男もまた、苦笑いとともに一行を見送る。何人かの職員が熱い視線を投げかけるも、男は会釈だけ返すとコートの襟を正し、タクシーを呼び止めた。
「歓楽街までよろしくお願いします」
歓楽街のアスファルトに足を下ろした男の表情からは、無害そうなほほ笑みは消え失せ、一切の表情を葬り去った能面のような無機質さを全面に押し出した無表情に変貌していた。報告会とは建前にすぎない。
「…」
男はコートの胸ポケットに折りたたまれた写真を取り出す。それには一人の女性の退屈そうな表情が焼き付けられていた。女性権利団体急進派の幹部だ。元々は女性の社会進出や自立をサポートする団体なのであったが、ISの登場により女性そのものに特権階級的な権力を授け、男性は皆奴隷の如き卑しい存在として隷属させるという歪んだ思想に取り憑かれる者が現れた。その中心的存在が前述の急進派であり、その女なのだ。
排除せねば
能面の内に僅かに笑みが浮かび、彼の心境を代弁するかのように指の関節が軽快に鳴った。
女性権利団体急進派の幹部が一人、音連蓮(おとずれ れん)は高級レストランの個室の中で苛立ちの極みにあった。女性の権利を盤石なものにすべく活動を続けていたが、今期の女性権利団体の活動に織斑千冬が苦言を呈したばかりか、華のIS学園に男性職員が就職したのだ。
IS産業に男性の影が射すだけで、音連の腸は煮えくりかえる思いだった。彼女にとってIS産業は「女性の、女性による、女性のためだけの産業」なのであり、彼女にとって異性の介入はまさしく染み一つ無い白布を土足で不躾に踏みにじられるがごとき事態なのだ。
蟻の穴から堤が崩れる様に、この一人の男性の介入によって男性の発言力の増大の足がかりとなる『可能性がある』だけで、十二分に排除対象として認識できるのが、いずれ男性という男性を尽く奴隷化させる未来を実現させることに精力的な音連蓮という人間なのだ。
「全く、ブリュンヒルデが女性権利拡大に消極的なのは痛手だったわね。IS学園は治外法権だから抗議活動なんかは効果が薄いか。ならばこちらから…」
リスクが高いが、成功した暁には女権団の内部バランスを一変させることが出来る策が頭をよぎる。全てが彼女の意のままに流れる程の大胆不敵かつ無頼な策だ。
頭のなかで仮組みされるプランとそれに応じて生じる利益をニヤつかせながら思い浮かべた音連蓮の生涯は、これから4秒後、背後から迫るフォークによって鎖されることになる。
つまらなかった
駅の裏に群がるホームレス達に紛れて給仕服をさりげなく燃やしている男はおぼろげな星空を見て嘆息した。調達した給仕服でウェイターに変装して潜入。調理場からフォークを失敬して、個室に潜伏。ターゲットが半分ほど食事を平らげたところで脳幹目掛けて一撃で仕留めた。
わざわざ『殺傷能力が一番低い』フォークで仕掛けたのにもかかわらず、相手は積み木を崩されるが如き無常さで倒れ、半呼吸する間も無く息を引き取った。ただひたすら異性を辱めることに人生の大半を費やしてきた負の傑物が、さしたる抵抗どころか悲鳴さえも上げなかったのだ。
あまりにもあっけなさすぎる幕切れ。ホームレスたちが暖を取っているドラム缶からはみ出た給仕服の一部が、彼の心情を代弁するかのごとく燻っていた。
「今度はスープに顔を突っ込んで溺死させるっていうのもありかな?」
つい口をついて出てきた言葉に男は我に返り、同時に恥じた。実に幼稚な手口であったからだ。そして何より標的は既に死んでいるのだ、次など無い。幸いなことに周囲の人間は彼の独り言に全く興味がなかった模様で、いつもどおりの光景が広がっていた。
その頃、織斑千冬は某居酒屋の一室で不貞腐れていた。本来誘われて然るべき男が土壇場で踵を返したのだ。今回の飲み会自体、千冬が中心になって催したものであるが故に一層不機嫌になり、飲み干した酒の量に比例するように眉間の皺は深く刻まれていくばかりであった。
そろそろ内に溜まった怨念が形を成そうとしたところへ、後輩である山田真耶が隣に腰掛けてきた。今回の飲み会の中心人物の二人目であり、今回の幹事を買って出たのである。真耶本人も、本来来るはずだった男の参加を楽しみにしていた様で、その表情は少々暗い。
「織斑先生、そんな顔してちゃダメですよ?せっかく私も知らないこのお店見つけてくれたのに…」
「良いんだ、だってアイツが居ないから…」
平時の凛々しさなぞ何処かへ追いやったかのように、グラスについた水滴でテーブルの上に「バカ」と何回も書く姿を見て、彼女がIS初代世界王者『ブリュンヒルデ』だと気付ける者は居るのだろうか。
「残念でしたね―…」
千冬の言い分を聞いて真耶の表情も僅かに曇る。彼女が幹事を引き受けたのも彼の事を純粋によく知りたいという、邪念とは無縁の感情からくるものであった。
「ま~や~!!貴様ぁ、あんな奴の何処が良いんだァ!?」
「ちょっ!?先輩、ベロンベロンじゃないですか!そんなハイペースで呑んだら良くないですよ!?」
いつの間にか絡み上戸と化した千冬に拘束された真耶。日付が変わっても教員たちのどんちゃん騒ぎは続いたという。
翌日、昼下がりのIS学園の花壇にて二人の用務員が花壇の手入れを終えて一息ついていた。一人はIS学園の用務員兼理事長である轡木十蔵。もう一人は出張という名の暗殺劇から帰還した用務員である。二回り以上歳の離れたお互いの間には、緊張や遠慮というものが見られなく、良い上司と部下の間柄と言うよりは親子、或いは祖父と孫の様にも見えた。
「学園には慣れましたか?」
老人が口を開く。声色、表情。共に労りと優しさにあふれていたが、その瞳は一切笑っておらず、無駄口を許さぬ色を秘めていた。
「ええ、初出張『万事事無く』」
男も穏やかな表情と返事とは裏腹に、猛禽を思わせる瞳を返す。
「ふむ…帰りのおみやげは何にしたのです?」
「清酒一瓶」
二人にしか分からない会話が続く。十蔵の瞳の中から凄みが消える。満足の行く結果であったようだ。
「それは結構、よい出張でしたようで…」
「はい、次の出張が『楽しみで仕方ないです』」
十蔵の瞳が驚愕の色に染まった。眼前の男は、この綱渡りのような暗殺劇を明らかに愉しんでいた。この男と初めて出会ったことを思い出す。難癖をつけてきた過激な女尊男卑主義者を煮物のように『撹拌する』この男の笑顔は、年頃の男が想い人、若しくは娘に向けるが如き柔和な表情であった。
──破綻している。
十蔵は目を細めた。そこから数瞬漏れ出た感情は男に対する不安であり、その男本人に首輪をかけることの出来た安堵でもあった。兎に角、今は労わねばならない。十蔵は一度表情を殺し、柔和な笑みを作った。
「ともかく、お勤めご苦労様でした。編田羅赦(あみだ らしゃ)用務員」
「はい、またご用命有ればお呼びください」
羅赦は一礼すると帽子を目深にかぶり直し、備品点検のために校舎に戻った。後は静寂と思わぬ曲者を抱え込んだやも知れぬと、眉を顰める理事長だけが残った。
備品点検の為に倉庫へ向かう羅赦。道中、見覚えのある顔に出会う。
「あ、織斑先生に山田先生。おはようございます」
「おはよう編田君」
「おはようございます!編田さん」
織斑千冬と山田真耶の二人だ。羅赦の姿を見かけるなり、真耶の表情は明るくなる。
「これから授業ですか?」
「まあ、そうだな」
「そうなんですよ~せんぱ…織斑先生は実技監督で、私は座学です!」
自信満々に胸を張る真耶。幼気な外見に反して大いに成長した双丘が元気よく弾むが、羅赦は顔色一つ変えずに笑顔を返す。純真ささえ香る表情に真耶は赤面し、恥ずかしそうに書類で顔を隠してしまった。同時に、千冬がわざとらしく咳をして空気を変えた。
「あまり後輩をからかわないでくれ」
「私は別にからかったつもりではないんですが…ああ、山田先生。煙出てます煙…」
「ふえぇ…」
千冬はどうにか真耶を平時の調子を取り戻させると授業へと急がせた。真耶は名残惜しそうに何度も羅赦に対して振り返りながら教室へと向かっていった。
「さて、それでは私は…」
「ラシャ」
帽子を目深にかぶり直した羅赦はそそくさと倉庫へ向かおうとしたが、千冬に再度呼び止められた。否、止まらずには居られなかった。その呼び方ははるか昔、彼女がまだ無力だった時によく呼ばれた名前だったから。
「なぁに?千冬ちゃん」
「また、いなくなるなよ?」
その声色は、在りし日の無力でか弱く、愛しい少女の姿を羅赦の瞼の裏に映しだした。
「もう何処にも行かないよ、約束する」
羅赦は振り返らず、軽く手を挙げて応えた。振り向く訳にはいかない。意地でも、何としてでも。今の自分は彼女に見せられる顔をしていない。今の自分の顔は、きっととても猟奇的で加虐的な表情をしているから。
胸の何かが彼の表情を読み取り、大きく鼓動を一拍打った。
彼の名前は編田羅赦。これは壊れて殺人鬼に堕した一介の畜生の物語である。
後書き
主人公の名前は「あみだ らしゃ」と読みます。
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