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フロンティアを駆け抜けて

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賽は投げられた!

それぞれの夜が明け、次の朝。ジェムが目を覚ますと、いつの間にかベッドで寝ていたようだ。ジェムの母親、ルビーは夫がチャンピオンとしての務めを果たしながら自分を支えてくれたこと、彼は彼の苦悩を抱えているのにそれをあまり見せようとはしなかったことを話してくれた。今まで自分に遠慮していたであろう母親の本音を聞くのは楽しくて、ついつい時間を忘れてお喋りしてしまったのだ。
 ノートパソコンを畳んでから、昨日はお風呂に入れなかったのでシャワーを浴びるために着替えを持って小さな脱衣所へ行く。着替えは自分が今までに来たことのないもので、ルビーが自分のために選んでくれたらしく、昨日の夜この部屋に届けられたのだった。本当はジェムがフロンティアに行く日に用意したかったらしいが、ルビーが自分の元を離れてしまうことへの躊躇いからすぐに渡せず、フロンティアに着いてからようやく受け入れることができたらいい。

「お母様……私のために、色々無理してくれてたんだ」

 昨日着たまま寝てしまった服を脱ぎ、風呂場へと入る。シャワーの蛇口をひねり、程よい熱さのお湯が出るようになってから髪を濡らしながら会話の内容を思い出す。母親は昔両親にご飯をロクに作ってもらえず、お菓子ばかり与えられて育てられていたこと、そのせいで普通のご飯を食べるのが嫌いだったこと。それをジェムの父親であるサファイアが改めてくれたことや、昔は一人称が『ボク』であると教えてくれた。そういうわけだから家事全般は苦手で自分で料理なんて作れなかったのにジェムの為に必死で覚えたり、娘が真似するといけないからと一人称を『私』に改めたらしい。また、ジェムがシンボルハンターに過去の記憶を見せられた時に感じた気持ち悪さは、子供がお腹の中にいるときは誰でもそうなるものなのだと言われた。それは少し安心できたけど、数ヶ月はあの気持ち悪さが続くと思うとジェムは正直怖い。とても耐えられないだろう。

「お母様はジェムがしたいことのために明るく頑張ってくれるのが一番幸せだって言ってくれた……お母様とお母様が託してくれたポケモンのためにも、自分を大事にしないといけなかったんだよね……」

 今までのジェムは、誰かのために自分に辛い思いをさせることを平気でやっていた。でも、ジェムが傷ついてボロボロになったら、例え私やサファイアのために頑張ってくれたとしても悲しいと。バトルフロンティアについて最初に会話した時も同じことを言われたが、今ならその言葉を本当の意味で受け止めることが出来る。母親があんな辛いを思いをして自分を育ててくれたのを否定するようなことはもうしたくない。

「うん、やっぱりお母様と色々お話ししてよかった。ダイバ君やアルカさんにどうお話しすればいいかも相談できたし」

 ジェムもフロンティアでどんな人に会って、ダイバやアルカ、ドラコについてどう思っているなどを話した。ドラコとはお互いに実力を認め合って仲良くなれそうだが、ダイバアルカとは昨日の夜のこともあって接し方に悩んでいた。特にダイバは男の子だし大体一緒に行動しているのでどうすればいいか相談したのだ。母親もあまりサファイア以外の男の人と一緒に行動したことはないらしく、女の子としてどうすべきかみたいな話はされたがどう仲良くなればいいかはわからないらしい。それでも、彼女の経験から来る言葉のおかげで少し迷いは晴れた。

「『その子たちは昔の私……ボクがそうだったように、心に傷を負ってるんだと思う。でも、ジェムが心から仲良くしたいと思って接すれば少しずつ変わっていけるはず』……きっとそうだよね、お母様」

 思いを固めながら体の汗をさっぱりと流して、ジェムは風呂場から出る。そういえばダイバは昨日この部屋に戻ってこなかったようだった。体を拭いて替えの下着を身に着けたところで、強い喉の渇きを感じた。思えば昨日ずっと喋っていて、そのままお風呂に入って汗を流したのだから当然ではある。

(確か、冷蔵庫にジュースがあったよね)

 そこそこいいホテルだからこそなのだが、この部屋には小さな冷蔵庫が備え付けられている。そこには何本かのドリンクが入っているのをジェムは知っていた。熱気の籠る脱衣所から出て、冷たいジュースを取りに行こうとして――

「あ」
「……朝からお風呂?」

 そこには、いつの間にか部屋に戻って来たダイバがいた。ジェムの格好を一瞥したが特に気にせず、冷蔵庫から瓶ジュースを取り出して飲み始める。数秒硬直した後ジェムは飛びのくようにして脱衣所に戻った。ダイバは挙動不審なジェムに呆れた声を出す。

「……何してるの?」
「な、なんでもないわ!」

 ダイバが部屋に戻ってきていなかったので完全に油断していたジェムは恥ずかしくて洗面台のコップを使い水をがぶ飲みする。冷水で頭を冷やしひとまず喉の渇きを癒してから服をちゃんと着て、とりあえず脱衣所から部屋の中に戻った。

「えっと……いきなり出てきてごめんね、びっくりしたよね」
「いや、別に……」
「でもほら、ちゃんとお洋服着てなかったし……」

 全く気にしていないダイバになんとなくもやもやして食い下がるように言うジェムだが、ダイバは帽子の鍔を抑えながら被せるように呟く。

「お風呂あがりの格好なんてどうでもいいよ。そんなことより、今日も二人でシンボルを集めなきゃいけないんだ。早く挑戦しに行こう」
「えっ……? う、うん。ちょっと待ってね!」

 どうでもいいと言われたこと以上に、ダイバがジェムがシンボルを集めることについて口に出したことが驚きだった。今まではジェムと一緒に行動するうえでこちらの都合に付き合ってくれていただけで、ジェムのシンボル集め自体に何の興味もなさそうだったからだ。ジェムは慌てて部屋の隅にある大きめの鏡の前で自分の見出しなみを整える。昨日までの濃い青色のパーカーに赤いミニスカートとは違う、淡い水色を基調とした半袖のトップスに小さめの赤いネクタイをつけ、小豆色のショートパンツに身を包み、髪には小さな雫を象ったヘアピンをつけている。母親が用意した新しい服は今まで着ていた服よりも少しぴったりとしていて、なんだか背筋が伸びるような思いがした。これを用意してくれたことに思いをはせていると、ダイバが少し苛立った声を出す。

「……まだ?」
「ううん、もう大丈夫! じゃあ朝ごはん食べにいこっか」

 モンスターボールはポケモンセンターに預けてある。朝食がてらそこに行こうと当然のように提案したが、ダイバは首を振った。

「いらない。さっさと施設に挑戦しに行く」
「えっ……? 朝ごはんはちゃんと食べないと力が出ないよ?」
「うるさいよ、君は僕より弱いんだから大人しく言うことを聞いて」

 何か、すごく不吉な焦りを伴った声だった。妙に態度の変わったダイバに、ジェムは昨日の夜ダイバがどうしていたかを考えて問いかける。

「昨日、あなたのお父様に何か言われたの?」
「……関係ない」
「関係ない……? そうだとしても、朝ごはんまで要らないなんて言うなんておかしいよ。腹が減ってはバトルは出来ぬっていうし……ね、ちゃんとご飯は食べよう?」
「なんで僕が君のいうことを聞かなきゃいけないのさ」
「いうこと聞くって約束したし、無理にとは言わないけど……ダイバ君は私より強いんだからお腹が減ってるせいで負けたりしたらもったいないでしょ?」
「……はあ、わかったよ」

 何が関係ないのか、をダイバは言わなかった。ジェムには関係ないと言っているようでもあり、ダイバの父親に言われたことなど関係ないと言っているようでもある。正論だと判断したのかしぶしぶ納得したダイバは、それでもジェムより先に部屋を出てしまう。やはり何か焦っているようだった。慌ててついていくジェム。そのまま二人で近くにあるポケモンセンターのフードコートまで歩いていった。

「……いただきます」
「いただきます!」

 ジェムはジャムトーストにスクランブルエッグとベーコンサラダに牛乳、ダイバは目玉焼きに味噌汁、白米のお椀にお茶だった。しかしただのお茶だと思ったら中に平たい黒い物体が何枚か沈んでいる。

「変わったお茶ね。何が入ってるの?」
「……昆布」
「昆布? あの海の?」
「……そうだよ、梅こぶ茶」

 昨日までならどうせ聞いても答えてくれないと思ってしまっていたけど、ジェムは臆さず色々聞いてみようと決める。面倒くさそうにしつつダイバは答えた。梅と昆布のお茶らしいが、味が想像できなかったジェムは自分も注文してみる。すぐに用意されたそれを少し飲んで見ると、今まで味わったことのない酸味と渋みが口の中に広がった。思わず吹き出してしまいそうになったけど、何とか飲み込む。

「しゅ、すっぱっ……」
「馬鹿じゃないの?」
「ば、馬鹿じゃないわ! ちょっとびっくりしただけよ!」

 ダイバは目玉焼きをご飯の上に乗せて、黄身を潰して半熟のそれをご飯にかき混ぜ、醤油をかけて食べ始める。時折平然と梅こぶ茶を飲みながらだ。ダイバはこの味にすっかり慣れているようだった。ジェムは一旦牛乳を飲んで口の中をリセットさせた後、昨日のことについて話す。

「私はね、昨日お母様がどんな思いで私を育ててくれたのかとか、お父様がチャンピオンのお仕事を続けるためにどんなことをしてるのかとか色々お話ししたんだけど……ダイバ君は、何を話してたの?」

 直接焦っている理由を聞いても答えてくれないので、まずそこから聞いてみる。話の内容から彼の焦りの内容を察せるかもしれないからだ。

「別に……フロンティアのバーチャルシステムがちゃんと機能してるかどうか聞かれただけ」
「それだけ? 本当に?」

 ダイバの父親はフロンティアのオーナーなのだから、ダイバに聞かなくてもそんなことはわかりそうなものだった。何か隠しているんじゃないかと訝しむジェムの目線から顔を反らすように帽子の鍔を抑えてダイバは言う。

「……このフロンティアのバーチャルシステムを鍛えたのは僕とグランパなんだよ。だからパパより僕の方が詳しいんだ。それだけ」
「グランパ? えっと……」
「祖父。昨日椅子に乗って空を飛んでたあの人」
「お爺様と一緒に……そっか、だからあんなにバーチャルもダイバ君も強いんだね。自分のお父様より詳しいことがあるなんてすごいわ!」
 
 ジェムも二回ほど負けたバーチャルを作ったという言葉をジェムは素直に受け止めてそう褒める。ジェムが自分でも驚くほど、昨日までの自分がダイバより弱いことへの怯えはなくなっていた。自分の未熟さと弱さを、恐れずに受け止めることが出来たからだろう。

「何、急に。僕がおかしくなったんじゃなくて君が変になったんじゃないの?」
「ふふ、そうなのかも。でも、じゃあダイバ君はお父様に頼りにされてるのね」
「……は?」
「だってそうでしょ? わざわざダイバ君を呼んでまで聞くってことは、ちゃんと確認して安心したかったってことだと思うし」
「……」

 何気なく、ジェムは思ったことを言っただけだった。それにダイバは何かはっとしたように顔を上げて黙考する。

「まさか。パパが僕を頼るなんてあり得ない。……そう、あり得ないよ」
「そんな風に決めつけちゃダメだよ! ダイバ君はすごくバトルが強くて私よりもいろんなことを知ってるんだから!」
「そうだとしても、結果が出せなきゃ意味なんてない……だから僕はシンボルを7つ集めて、チャンピオンに勝たなきゃいけないんだ」

 シンボルを7つ、のところでダイバはジェムを一瞬睨んだ。それは昨日ダイバがチャンピオンに向けていたのと同じ目で、ジェムの事を眼中にいれていなかったはずだった。まるで尖った鋼のような危なさのある目だったけど、それでも目を合わせてくれたダイバにジェムは語り掛ける。

「……あのねダイバ君。私も、今お父様に勝ちたいって思ってるの」
「知ってるよ。あんな風になりたいって何回も聞いた」
「違うの。昨日まではそう思ってたけど、今はお父様と同じになりたいんじゃなくて、私の気持ちをぶつけたいの」
「自分の気持ち……?」
「うん、昨日初めてお父様のやってることを許せないって思った。悪いことなんてしてないし優しいお父様だけど、どうしても納得できないことがあったの。今はまだそれがなんなのかはっきりわからないけど……このフロンティアでシンボルを7つ集めて挑戦出来たら、その時はお父様に憧れてただけの私じゃない、自分の力で戦いたいなって」

 ダイバとジェムが最初に会った時は、父親を真似た口上を馬鹿にされただけで怒るほどジェムはチャンピオンに心酔していた。ひな鳥のように、親の後を追っていた。ダイバはジェムをそういう人だと思っていたから、今の言葉に目を丸くした。でもダイバにも自分の目的がある。目を伏せて、呟いた。

「ふん……無理だよ。7つのシンボルを集めるのは僕なんだから」
「そうかもしれないわ。でも、私だって負けないからね!」
「……勝手にすれば」
「うん! そうするわ!」

 なんだか話したいこととは違う方向にいってしまったけどそれでも言うべきことは言えた気がして、満足して朝食を食べる。結局梅こぶ茶は残してしまったがもともと頼んだものは完食した。自分の仲間たちが入ったボールを受け取る。自分のポケモン達は、昨日色んな辛いことがあったことでジェムが落ち込んでいないか心配してくれていたようだった。そんな優しいみんなに、ジェムは心からの笑顔で話しかける。 

「大丈夫! 私ね、今すっごく元気だよ、みんなと勝ちたくって仕方ないくらい! だから……今日も一緒に頑張ろうね、みんな!」

 そういうと、ボールの中のみんなの表情が明るくなり、ラティアスに至っては勝手に出てきてジェムの周りをくるくる回った。その頭を撫でてやりながら、ジェムは告げる。今日の挑戦する場所を。

「ラティ、みんな……今日はね、最初にここにきて負けちゃったあのサイコロの施設に挑戦しようと思ってるの。あのブレーンのお爺さんともう一度勝負して、言葉をぶつけて……今の私たちで、勝ってみせたいから」

 バトルダイスのブレーン、ゴコウ。彼はジェムの父親を知り、またそれに憧れるジェムに対して何度かバトル以外での言葉をかけていた。でもその時のジェムは父親に追いつきたい一心で、耳を傾けていなかった。だから、もう一度勝負をしに行くのだ。ジェムの仲間たちは、それぞれの声で快く返事をしてくれた。

「バトルダイスに挑戦するの……? 僕、もうそれは持ってるんだけど」
「え、それがどうかしたの?」

 ダイバがバトルダイスのシンボルを持っていることで何か困ることがあるとはジェムには思えない。ダイバは何かしまったという顔をして、取り繕うように言った。

「……じゃあ僕はバトルドームに行くから。そっちが終わったら勝っても負けてもまたここに来ること」
「わかったわ、もちろん勝ってくるから!」
「……どっちでもいいよ。じゃあね」

 ダイバは踵を返してバトルドームへと歩いていった。ホテルでジェムがシンボルを取ることも大事そうにしていたのはなんだったんだろう?と思いつつも、それはこれからゆっくり話し合っていけばいい。ジェムも初めての敗北の場所となったバトルダイスへ再び足を踏み入れ、説明を改めて受けて新たな挑戦を始める。二つのサイコロを握り、バトルフィールドの片方につくとジェムの傍にお椀をひっくり返したような物体が現れる。たった二日前の事なのに懐かしく感じながら、サイコロを振った。

「最初だし気合入れていくよ! ダイスロール!」

 サイコロの眼は3と6を出した。この前挑戦した時の作戦でいけばここは2体で戦って後で6匹全員を回復出来るようにした方が安全だ。逆にすれば6体で戦ってみんながダメージを負っても、3匹しか回復出来ないからだ。

「でも私は……6を選ぶ!」
「了解しました。では……バトル、スタートです!」
「ポケモンは しょせん人間 ではない 絆など 幻想にすぎないのです」

 受付の人の掛け声とともに研究員らしきヴァーチャルトレーナーが現れる。決められた言葉を言っているだけなのはわかっているけど、ジェムははっきり否定した。

「私は、お父様とお母様、ジャックさんがくれたこの子たちの事を信じて戦うわ!いくよ、キュキュ!」

 キュウコンを出し、相手のバーチャルポケモンと戦う。このバトルダイスはサイコロの出目によって使用できるポケモンと回復できるポケモンの数が変わる運と駆け引きの勝負。今回ジェムは敢えて出目の大きい方を選び、戦いながらジェムは自分のポケモン達と自分の答えを探していくことにした。負けを恐れ、今この場を勝つことに拘らずその先の答えを求めて――

 
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