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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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迷子

朝の白い光の中でまどろむアスナの意識に、穏やかな旋律(せんりつ)が流れ込んでくる。オーボエによって奏でられる起床アラームだ。アスナは覚醒直前の浮遊城の中、どこか懐かしいメロディーに身を(ゆだ)ねる。やがてストリングスの軽快(けいかい)な響きと、クラリネットの主旋律(しゅせんりつ)が重なり、そこにかすかな声でハミングが聞こえた。

歌っているのは自分ではない。アスナはパチリと眼を開けた。

腕の中で、黒髪の少女が(まぶた)を閉じたまま、アスナの起床アラームに合わせてメロディーを口にずさんでいた。

一拍(いっぱく)たりともずれていない。しかし、そんなことはあり得ない。アスナはアラームを自分にのみ聴こえるよう設定しているので、彼女の脳内のメロディーに合わせて歌うなどということは誰にも不可能だ。

だが、アスナはその疑問をとりあえず先送りすることにした。それよりも重要なことが眼の前で起きているのだから。

「き、キリト君、キリト君ってば!!」

体を動かさないまま、背後のベッドで眠るキリトに呼びかける。やがて、ムニャムニャという声と共にキリトが起き上がる気配がする。

「………おはよう。どうかした?」

「速くこっちに来て!」

床板が軽く(きし)む音。ひょいとアスナの体越しにベッドを覗き込んだキリトも、すぐに眼を見張った。

「歌ってる……!?」

「う、うん……」

アスナは腕の中の少女の体を軽く揺すりながら呼びかけた。

「ね、起きて。目を覚まして」

少女の唇の動きが止まった。やがて、長い睫毛(まつげ)がかすかに震え、ゆっくりと持ち上がった。

濡れたような黒い瞳が、至近距離からまっすぐアスナの眼を()た。数度の瞬きに続いて、色の薄い唇がほんのわずかに開かれる。

「あ……う……」

少女の声は、極薄(ごくうす)の銀器を鳴らすような、(はかな)く美しい響きだった。アスナは少女を抱いたまま体を起こした。

「……よかった。目が覚めたのね。自分がどうなったか、わかる?」

言葉をかけると、少女は数秒間口をつぐみ、小さく首を振った。

「そう……。お名前は?わかる?」

「……な……まえ……。わた……しの……なまえ……」

少女が首を(かし)げると、(つや)やかな黒髪がひと筋頬にかかった。

「ゆ……い。ゆい。それが……なまえ……」

「ユイちゃんか。いい名前だね。わたしはアスナ。この人はキリトよ」

アスナが顔を振ると、《ユイ》と名乗る少女の視線も動いた。アスナと、中腰で身を乗り出すキリトを交互(こうご)に見て、口を開ける。

「あ……うな。き……と」

たどたどしく唇が動き、切れ切れの音が発せられる。アスナは、昨夜感じた危惧(きぐ)が蘇るのを感じていた。少女の外見は少なくとも8歳程度、ログインから経過した時間を考えれば現在の実年齢は10歳ほどには達していると思われる。しかし少女の覚束(おぼつか)ない言葉は、まるで物心ついたばかりの幼児のようだ。

「ね、ユイちゃん。どうして22層にいたの?どこかに、お父さんかお母さんはいないの?」

ユイは眼を伏せ、黙り込んだ。しばらく沈黙を続けた後、フルフルと首を動かす。

「わかん……ない……。なん……にも、わかんない……」

__その時。

コンコンというドアを叩く音が響いた。2人はハッと驚くように気づき、アスナが「はーい」と言いながらドアに向かって行く。

ドアノブに手を置き、ゆっくりと回してドアを開けると、顔に傷痕を持ったお馴染みの少年が立っていた。

「……本当に来てくれたんだ、ネザー君」





抱き上げて食卓の椅子に座らせ、温めて甘くしたミルクをすすめると、ユイはカップを両手で抱えるようにして少しずつ飲み始めた。その様子を眼の端で見ながら、離れた場所でアスナは、キリトと途中参加の俺と意見交換をすることにした。

「ねぇ、2人とも。どう思う……?」

キリトは厳しい顔で唇を噛んでいたが、やがて俯いて言った。

「記憶は……ないようだな。でも、それより……あの様子だと、精神に、ダメージが……」

「そう……思うよね、やっぱり……」

「くそっ」

キリトの顔が、泣き出す寸前のように歪む

「この世界で……色々、酷いことを見てきたけど……こんなの……最悪だ。残酷すぎるよ……」

その瞳が濡れているのを見ると、アスナの胸には突き上げてくるものがあった。両腕でギュッとキリトの体を包み込み、言う。

「大丈夫だよ、キリト君。……わたし達に、できることだって、きっとあるよ」

「……そうか。そうだよな」

キリトは顔を上げると、小さく笑ってアスナの両肩に手を置き、食卓へと歩き出した。俺とアスナもその後に続く。

ガタガタと椅子を移動させてユイの横に座ると、キリトは明るい声で話しかけた

「やあ、ユイちゃん。……ユイって、呼んでいい?」

カップから顔を上げたユイが、こくりと頷く。

「そうか。じゃあ、ユイも俺のこと、キリトって呼んでくれ」

「き……と」

「キリトだよ。き、り、と」

「………」

ユイは難しい顔でしばらく黙り込む。

「……きいと」

キリトはニコリと笑うと、ユイの頭にポンと手を置いた。

「ちょっと難しかったかな。何でも、言いやすい呼び方でいいよ」

再びユイは長い時間の中で考え込んでいた。アスナがテーブルの上からカップを取り上げ、ミルクを満たして目の前に置いても身じろぎもしない。

やがてユイはゆっくり顔を上げると、キリトの顔を見て、恐る恐る、という風に眼を開いた。

「……パパ」

次いでアスナを見上げて、言う

「あうなは……ママ」

アスナの体が抑えようもなく震えた。本当の両親と間違えているのか、あるいはこの世界にはいない親を求めているのかわからなかったが、そんな理屈を考えるより先に、アスナは込み上げてくるものを必死に抑えつけ、微笑みと共に頷いていた。

「そうだよ……ママだよ、ユイちゃん」

それを聞くと、ユイは初めて笑顔を浮かべた。切り揃えた前髪の下で、表情の(とぼ)しかった黒い瞳がキラリと(またた)き、一瞬、人形のようなその整った顔に生気が戻ったように見えた。

「ママ!」

こちらに向かって差し出された手を見て、アスナは大きく胸を波打たせた。

「うっ……」

こぼれそうになった嗚咽(おえつ)を懸命に(こら)え、どうにか笑身を保ち続ける。椅子からユイの小さな体を持ち上げ、しっかりと抱きながら、アスナは色々な感情が混じり合った涙が一粒溢れ、頬に伝うのを感じていた。

……父さん、母さん……。

その光景を見て、俺は脳裏で両親のことを呟き、更に懐かしい思い出までもが浮かんだ。

楽しいと感じられる思い出のはずなのに、今では忌まわしき記憶のように感じられた。





ホットミルクを飲み、小さな丸パンを1つ食べると、ユイは再び眠気を覚えたらしく椅子の上で頭を揺らし始めた。

テーブルの向かい側でその様子を見ていたアスナは、グイと両眼をひと拭きすると隣の椅子に腰掛ける俺とキリトに視線を向けた。

「わたし……わたし……」

口を開くが、言いたいことをなかなか形にすることができない。

「ごめんね、わたし、どうしていいかわかんないよ……」

キリトはいたわるような眼差しでしばらくアスナを見つめていたが、やがてぽつりと言った。

「……この子が記憶を取り戻すまで、ずっとここで面倒みたいと思ってるんだろ?気持ちは……わかるよ。俺もそうしたい。でもな……ジレンマだよな……。そうしたら当分攻略には戻れないし、その分この子が解放されるのも遅れる……」

「うん……それは、そうだね……」

「………」

ユイという、謎に満ちた少女を何とか助けようとしてる2人を見ていて、心の奥底に封印していた《彼》との思い出が俺の眼に浮かび上がってきた。

唯一無二の親友である彼は、見知らぬ俺を自分の自宅へ運び、瀕死の俺を救ってくれた。しかし、いつしか俺はその思い出を心の底にしまい、二度と開けることのないパンドラの箱として封印した。だがその箱は俺の思考状態によっていつでも開けることが可能であるため、完全な封印を施せてはいない。

全てを忘れ、全てを戦いに委ねるしかない俺に、楽しい思い出があっては邪魔になる。空回りする感情は凶器でしかない。

この場の空気を入れ替えるように、キリトは寝息を立て始めたユイを見ながら言った。

「とりあえず、俺達にできることをしよう」

「まず、《はじまりの街》にこの子の親とか兄弟とかがいないか探しに行くんだ。これだけ目立つプレイヤーなら、少なくとも知ってる人間がいると思うし……」

「………」

もっともな意見だった。しかしアスナは、自分の中にこの少女と別れたくないという感情があることに気づいていた。夢にまで見たキリトとの2人だけの生活だったが、なぜかそれが3人になることに抵抗はない。まるでこのユイという少女が自分とキリトの子供のように思えるからだろうか__とそこまで漠然(ばくぜん)と思考してからハッと我に返り、アスナは耳まで赤くなった。

「……?どうかしたの?」

「な、なんでもないよ!!」

訝いぶかしむキリトに向かってブンブンと首を振る。

「そ、そうだね。ユイちゃんが起きたら、《はじまりの街》に行ってみよう。ついでに新聞の訪ね人コーナーにも書いてもらおうよ」

キリトの頭を見ることができず、早口で言いながらアスナは手早くテーブルの上を片付けた。椅子で眠るユイに眼をやると、もう完全に熟睡しているようだったが、気のせいか、その寝顔は昨日とは違いどことなく安らかなものに見えた。

ベッドに移動させたユイは午前中ずっと眠り続け、また昏睡(こんすい)してしまったのではないかとアスナはやや心配したのだが、幸い昼食の準備が終わる頃に眼を覚ました。

ユイのために、普段はほとんど作らない甘いフルーツパイを焼いたのだが、テーブルについたユイはパイよりもキリトとレギンが食しているマスタードたっぷりのサンドイッチに興味を示した。

「ユイ、これはすごく辛いぞ」

ユイの視線に気づいたキリトに注意を言われた途端、ユイは少しだけ顔が苦くなったが__。

「う~……。パパとおんなじのがいい」

「そうか。そこまでの覚悟なら俺は止めん。何事も経験だ」

キリトがサンドイッチを1つ差し出すと、ユイはためらわず小さな口を精一杯開けてカブリと噛み付いた。

キリトとアスナが固唾(かたず)を呑んで見守る中、難しい顔で口をモグモグさせていたユイは、ゴクリと喉を動かすとニッコリ笑った。

「おいしい」

「中々根性のある奴だな」

キリトも笑いながらユイの顔をグリグリと撫でる。

「晩飯は激辛フルコースに挑戦しような」

「もう、調子に乗らないの!そんなもの作らないからね!」

だが《はじまりの街》でユイの保護者が見つかれば、ここに帰ってくる時はまた2人だけの生活に逆戻り。そう思うとアスナの胸中には一抹(いちまつ)の寂しさが()ぎる。

サンドイッチを(たい)らげ、満足そうにミルクティーを飲むユイに向かって、アスナは言った。

「ユイちゃん、午後はちょっとお出かけしようね」

「おでかけ?」

キョトンとした顔のユイに向かって、どう説明したものか迷っているキリトが言った。

「ユイの友達を探しに行くんだ」

「ともだち……って、なに?」

その答えに、思わず2人は顔を見合わせてしまう。ユイの《症状》には不可能な点が多い。単純に精神的年齢が後退していると言うよりは、記憶が所々(ところどころ)消滅しているような印象がある。

その状態を改善させるためにも、本当の保護者を見つけるべきである。アスナは自分にそう言い聞かせ、ユイに向かって答えた。

「お友達っていうのは、ユイちゃんのことを助けてくれる人のことだよ。さ、準備しよう」

ユイはまだ(いぶか)しそうな顔だったが、こくりと頷いて立ち上がった。

少女の(まと)う白いワンピースは、短いパフスリーブで生地も薄く、初冬のこの季節に外出するにはいかないにも寒そうだ。もっとも寒いと言ってもそれで風邪を引くなどのダメージを受けたりするわけではないが、不快な感覚であることに変わりはない。

アスナはアイテムリストをスクロールさせて次々と厚手の衣類を実体化させ、どうにかユイに似合いそうなセーターを発見すると、そこではたと動きを止める。

通常、衣類を装備する時はステータスウィンドウから装備フィギュアを操作することになる。

布や液体などの柔らかいオブジェクトの再現はSAOの苦手分野であり、衣類は独立したオブジェクトと言うよりは肉体の一部として扱われているからだ。

アスナの途惑いを察し、俺はユイに訪ねた。

「おい、ウィンドウは開けるのか?」

(あん)(じょう)ユイは何のことかわからないように首を(かし)げる。

「右手の指を振るんだ。こんな感じに」

俺が指を振ると、手の下に四角い窓が出現した。それを見たユイは覚束(おぼつか)ない手つきで動きを真似たが、ウィンドウが開くことはなかった。

「……NPCだとしても、ウィンドウが開けないのは致命的すぎる……。お前……一体何者だ?」

最初にユイと会った時と変わらず、俺は怪しいと感じ続けてる。その時、ムキになって右手の指を振っていたユイが、今度は左手を振った。途端、手の下に発光するウィンドウが表示された。

「でた!」

嬉しそうにニッコリ笑うユイの頭上で、アスナは呆気に取られてキリトと顔を見合わせた。

「ユイちゃん、ちょっと見せてね」

アスナはかがみ込むと、ユイのウィンドウを覗き込んだ。ステータスは通常本人にしか見ることができず、そこには無地の画面が広がっているだけだ。

「ごめんね、手を貸して」

アスナはユイの右手を取ると、その細い人差し指を移動させ、勘で可視モードボタンがあると思われるあたりをクリックさせた。

狙い(たが)わず、短い効果音と共にウィンドウの表面に見慣れた画面が浮き上がってきた。基本的に他人のステータスを盗み見るのは重大なマナー違反であるので、こういう状況ではあってもアスナは極力画面に眼をやらずにアイテム欄のみを素早く開こうとしたのだが。

「な……なにこれ!?」

画面上部を視線が横切った瞬間、驚きの言葉が口をついて出た。

メニューウィンドウのトップ画面は、基本的に3つのエリアに分けられている。最上部に名前の英語表示と細長いHPバー、EXPバーがあり、その下の右半分に装備フィギュア、左半分にコマンドボタン一覧という配置だ。

アイコン等は無数のサンプルデザインから自由にカスタマイズすることができるが、基本配置は不可変である。だが、ユイのウィンドウの最上部には、《Yui-MHCP001》という奇怪なネーム表示があるだけで、HPバーもEXPバーもレベル表示すら存在していない。

装備フィギュアはあるものの、コマンドボタンは通常と比べて大幅に少なく、わずかに《アイテム》と《オプション》のそれが存在するだけ。

アスナの動きが止まったことを(いぶか)しむように近づいてきたキリトも、ウィンドウを覗き込むなり息を呑んだ。ユイ本人はウィンドウの異常など意に(かい)せぬ風で、不思議そうな顔で2人を見上げている。

「これも……システムのバグなのかな?」

アスナが呟くと、キリトは喉の奥で低く唸った。

「なんだか……バグというよりは、元々こういうデザインになってるようにも見えるけどな……。ネザーは?見た感じどう思う?」

キリトはユイの表示したウィンドウに意識を集中させていた俺に問うが、「さあな」と短い単語だけを残した。

だが実は、俺には心当たりがあった。

《Yui-MHCP001》という名前には見覚えがある。以前、《茅場》の助手としてSAO開発に(たずさ)わっていた頃、その名前を一度だけ眼にしたことがある。あの時はソースコードの一部文字だと思ったが、どうやら違ったようだ。

SAO開発時に見覚えのあるものなら、この少女はNPCに近い存在としか思えない。キリトとアスナが見つけた時にクエストもイベントも何も発生していない時点で違うとはっきりわかったが、このまま彼らと行動を共にしてもっとユイに関する明確な情報を探るしかない。

「くそ、今日くらいGMがいないのを()(がゆ)いと思ったことはないぜ」

キリトは悔しそうに唸る。

「普通はSAOってバグどころかラグることもほとんどないから、GMなんて気にしたことなかったけどね……。これ以上考えてもしょうがない、よね……」

アスナは肩を(すく)めると、改めてユイの指を動かし、アイテム欄を開かせた。その表面にテーブルから取り上げたセーターを置くと、一瞬の光を発してアイテムはウィンドウに格納された。次いでセーターの名前をドラッグし、装備フィギュアへとドロップする。

直後、鈴の音のような効果音と共に言いの体が光の粒に包まれ、(あわ)いピンクのセーターがオブジェクト化された。

「わあ!」

ユイは顔を輝かせ、両手を広げて自分の体を見下ろした。アスナは更に同系色のスカートに黒いタイツ、赤い靴を次々と少女に装備させ、最後に元々着ていた白いワンピースをアイテム欄に戻すとウィンドウを消去した。

すっかり(よそお)いを改めてユイは嬉しそうに、フワフワしたセーターの生地に頬を(こす)りつけたり、スカートの裾を引っ張ったりしている。

「さ、じゃあお出かけしようね」

「うん。パパ、だっこ」

屈託(くったく)なく両手を伸ばすユイに、キリトは照れたように苦笑しながら少女の体を横抱きに抱え上げた。そのままちらりと、俺とアスナの2人に眼を向け、言う

「アスナ、ネザー、一応すぐ武装できるように準備しといてくれ。街からは出ないつもりだけど……あそこは《軍》のテリトリーだからな……」

「ん……。気を抜かないほうがいいね」

「抗ってくるなら……全て返り討ちにするだけのこと」

お互い頷いて、素早く自分のアイテム欄を確認すると、アスナはキリトと連れ立ってドアへと歩き出し、後を追うように俺もついて行った。少女の保護者な動揺も感じてしまう。出会ってわずか1日で、ユイはアスナの心の柔らかい部分をすっかり占領してしまったかのようだった。





第1層《はじまりの街》に降り立ったのは実に数ヶ月ぶりのことだった。

俺は複雑な感慨(かんがい)を覚えながら、転移門を出たところで立ち止まり、巨大な広場とその向こうに横たわる街並みをグルリと見渡した。

もちろんここはアインクラッド最大の都市であり、冒険に必要な機能は他のどの都市よりも充実している。物価も安く、宿屋の(たぐい)も大量に存在し、効率だけを考えるならここをベースタウンにするのが最も適している。

だが、俺の知り合いに関して言えば、ハイレベルのプレイヤーで未だに《はじまりの街》に留まっている者はいない。《軍》の専横(せんおう)も理由の1つだろうが、何よりこの中央広場に立って上空を(あお)ぐと、あの時のことを思い出さざるを得ないからだ。

《ソードアート・オンライン》という名のゲーム。最初はほんの気まぐれだった。

茅場と出会ってからの俺は、世界の創造、異世界の実在、世界の法則といった話にのめり込み、魅力さえ感じた。彼の弟子となって、多くの知識と力を得た。だが得られないものもあった。

スレイド・フェルザーも仮面ライダーカブトも、俺が真に望むものを与えてはくれない。一度は望みを手に入れたとしても、すぐに奪われる。俺の物語は闇で構成されているようなものだ。

SAOと対になるあの2年間のバトルは、俺を強くしたわけじゃない。俺に更なる苦痛と絶望を与え、希望を奪ったのだ。そんなどうしようもない世界から逃げ出したい。違う世界に旅立ちたい。本当に異なる世界が存在するのであるならば、その世界に行きたい。単純にそれだけの理由で、俺はSAOに手を出した。

そして、全てが変わった。

スレイドがネザーに変わり、見知らぬ街、見知らぬ人々の間に降り立ち、脱出不可能のデスゲームであることを茅場に告げられた時のことは、今でも覚えている。現実と仮想の違いを()ても、俺は何も変わってない。夢も希望もない。

別に茅場に恨みの気持ちなどは抱いていなかった。むしろ貴重な体験をさせてもらった、と思うかもしれない。だが正直、俺が茅場のことを今も師匠として見ているのか、それとも極悪人として見ているのか、判断できなかった。

もし、俺の何かが変わったんだとしたら__キリトのせいだろう。
 
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