ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
砲火
――――五七、五八、五九……ゼロ。
二〇二五年一二月一四日、八時三十分。
フリーリア近辺ではあまり見られない、良く言えば鮮やかな――――悪く言えば毒々しい色彩の植物たちの隙間に身を潜めながら、ヒスイは視界端に浮かぶデジタルクロックを冷静に見つめていた。
アリシャも使っていた指揮官系の上位魔法の一種、《号令旗手》を用い、他所に散らばっている隊員達へと言葉を投げかける。
この魔法は背景音や戦闘音をブチ抜いて直接肉声を届けることができる。本来の用途でももちろん使用されるが、もっぱらこういうお気楽通話手段として用いられることが多い。
もっとも、通話できるのはパーティメンバーやフレンドだけで、通話可能距離も戦場とシステムが認識できる限界距離――――半径五百メートルほどで、しかも使用者からの一方通行でしかないのだが、通信手段がメールだけのALOでは案外重宝したりする。
例えば今とか。
「……オーケーかぇ?」
すぐさま、木々の合間を縫うように仄かな灯りが意味ありげに点灯する。
一見すると背景動体のホタルか何かかと見逃しそうになるほど頼りない光だが、その点滅パターンははっきりと事前に取り決めておいた合図の一つだ。
よし、と頷いた狐耳の女性は、ゆっくりと立ち上がる。
その拍子に、羽織っていた迷彩用のフォレストグリーンに色付けされたケープが滑り落ちるが、もう彼女はそれに構わない。
すぐ脇に、小山のように丸まっていた大きな影――――自らの愛獣、ガルムと預かりもののクー。二匹の巨狼を労わるように撫で、次いで顔を引き締めてぽつりと呟いた。
「頼むで」
その言葉を皮切りに、まるで眠っていたように動かなかった二匹は各々紅玉の如き双瞳を開き、うっそりと立ち上がる。
がばりと口を上げ、銀砂を振り撒いたような夜空を仰ぎ見た。
号令は、聞こえなかった。
二匹の巨狼は、自身らの種族がMob最強クラスたる所以を高々と打ち上げる。
夜闇を切り裂く、白熱した輝線は真っ直ぐ真上に打ちあがり、腹に響く轟音とド派手な大爆発を巻き起こした。
それが起点。
闇の中で弾ける火球に照らされる中、《街》を囲うように潜んでいた巨獣達が、その背に己が主を乗せ一斉に飛び出す。
持ち前の俊敏さで対応範囲が広いフェンリル隊が地を埋めるように。
鈍重ながら持ち前の翼で制空権を併せ持つドラグーン隊が空から圧力を。
小虫が獲物に群がるのとは訳が違う。
単体でも獲物を狩れる肉食動物が、群れることで狩りの成功率を上げるようなもの。
効率を考えられる程度には余裕を持っている、ということの現れ。
圧倒的な上からの驕傲さえ伝わってくるその陣形の中、ガルムの背を離れ、一人飛翔したヒスイは全体を俯瞰する。
影妖精の首都《シナル》
島国で面積が限られているフリーリアと比較すると、家屋の類が驚くほどまばらだ。少々語弊があるかもしれないが、都会と農村くらいの差があるかもしれない。
その家々だとて、これといった特徴もない。牧歌的、としか表現しようのないものだ。
だが、それらがあって余りあるほどの存在感を放つ建物が、そこにはあった。
ピラミッド。
いや、現実世界でのピラミッドで連想するギザのピラミッドのように綺麗な四角錐ではなく、先端が欠け落ちた台形型という事はシュメールなどにあったとされるジッグラトのほうが妥当か。
赤褐色の馬鹿デカい煉瓦で構成されたジッグラトが、松明の温かみのある灯りで夜闇の中浮かび上がる様は中々に壮観だ。
ピラミッドから、あるいは家々から、天に打ちあがった宣戦布告の証を見、わらわらとまばらに人影が出てくるのが見える。
困惑から混乱に移ろっていく彼らの顔を存分に見た後、ヒスイは魔法の起句を怜悧に唱え始めた。
発動するのは、単純な拡声呪文。
スペルを唱え終え、魔法が発動したのを確認した女性はそのまま口を開く。
「あっあー。こちらケットシー連合軍、ケットシー連合軍。ちょっとあてらにケンカ売ったバカども、出向いてやったんやから、とっとと出頭せぇー。今ならセンセー怒らへんでー……ま、嘘やけど」
何とも間の抜けた脅迫文。
実際、フェンリル隊やドラグーン隊の陣列からは失笑が漏れ聞こえる。
だが、これだけの戦力を目の前に置かれた状況で言われたら、相当な心的圧迫を与えるはずだ。軽薄な口調とは裏腹に、酷薄な視線で下界を睥睨する狐耳の女性は薄く息を吸う。
「繰り返し言うで。……とっとと出て来いバカ野郎ども」
その凛とした声が、隅々まで響き渡る。
なまじ激昂していないだけに、底知れない迫力が伴っていた。
そして、『繰り返し』とは名ばかりの最後通告。《黒幕》が出てきたのも、当然だろう。
「……大人しゅう出て来たか」
寒風になびく紅色の髪を軽く払いながら、ヒスイは言った。
来たのは初めてだが、首都に必ずある領事館がどの建築物かは言われなくとも分かる。普通、種族の首都といえば領内にある圏内村とは違い、イベントホールや死に戻り地点が入っているセーブポイントなど、領事館に負けず劣らずの建物が多いが、この都市に至ってはそんな間違いも起きないだろう。
その他の建物全てがどうでもいい。この塔さえあれば良いと言わんばかりの存在感を放つジックラド。
その正面入り口。今にも動き出しそうな(というか有事の際は絶対動く)門番石像の間を縫うように、一人のスプリガンが姿を現した。
背丈は普通。スプリガンはケットシーと同じく、全種族の中では壁面走行もできる軽量小柄な部類のため、それに照らし合わせればやや高いという風になるのだろうか、とケットシーの中では相当珍しい高身長のヒスイは適当に思う。
装備は遠目に見た限り、隠蔽性の高い地味めな黒地のコート。軽鎧の類は身に着けておらず、革鎧も見受けられない。圏内ということで、武装は解除しているようだ。
その姿に、知らず顔見知りのとある男を重ね、女性は静かに首を振る。
―――似てるだけや。それで腹立てるんは、さすがに子供すぎるで。
ケットシー軍全員が見守る中、ジックラドから出てきたそのプレイヤーはゆるりと顔を巡らし、声を張り上げた。
「俺はスプリガン領主、ファナハンだ!これはいったいどういうことだ!」
拡声魔法を使った形跡はないが、よく通る声だ。減衰エフェクトをまったく受け付けていない。
いい指揮官になりそうだ、との第一評価を下し、ヒスイは一人ごちる。
「ほー、あれが領主かいな」
すると、近くを滞空していたドラグーン隊の一人が口を開いた。
「意外ですね。もっと閉じこもるとばかり」
「あっちとしちゃ、あてらの勘違いで済まそうとか考えてるんやろ。早めに否定しとかんと、民の心も離れるしな。出てくるタイミングとしては……ま、及第点とちゃうん?」
まぁもう遅いがな、という言葉を噛み潰し、ヒスイは再び夜空に声を乗せる。
「どういうこととは、けったいなこと言うなぁ。何でこうなってるかは、判ってはると思てたがな」
「何を馬鹿なことを……。我々スプリガンとケットシーとの関連性は薄いだろう!貴領と交易も結べていない我が領に、このような軍事行動とはいかなる了見か!」
―――おやおや。
激昂するスプリガン領主に対し、ヒスイはどこまでも余裕の表情を崩さない。どころか、含み笑いの苦笑を口元に浮かべた。
―――領主自らが、自分の種族を貶めてどうすんねんな。あんさんのコンプレックスが丸出しやぞ、小僧。
滴るような嗜虐の言葉を心の中で唱えつつ、たっぷりと間を置いてヒスイは返答を返す。
「なら、言い聞かせてやろか。……とはいえ、話は簡単よ。我々ケットシーは、スプリガンによる情報攻撃を受けた。そして、此度はその報復に来た。そんだけやよ」
「…………ッ」
ファナハンの様子に動揺は見受けられない。
だが、傍にいた幹部連中と思わしきプレイヤーは別だった。険しい顔を歪め、遠目に見てもはっきりと肩を強張らせる。
その様子を見、おとがいに手を当てていたヒスイは手元を見ずにメールウインドウを開き、慣れた手つきで素早くホロキーボードを打った。
宛先は、連合軍の中にいるフニ。最も重要な目撃者であり、証言者でもある彼は、ヒスイの後方。正門後方支援組にいるはずだ。
『アイツか?』
この距離だと、ケットシーの視力補正でどうにか見えるが、森に囲まれ、視野が狭い後方からは見えない。だが、彼のことだから遠隔透視魔法の類で視ていることだろう。
例え自己評価が低く、内向的であっても、あの領主が認めた逸材なのだから。
するとその予想を証明するように、主語を抜いた端的なヒスイのメールに、すぐさま返信があった。
こちらも、こっちの意図を汲んでか、読みやすいシンプルな文面だ、
『ヤツです』
ウインドウを一瞥し、口許に底知れない笑みを浮かべた狐耳の女性は続けざまにこう吐き捨てる。
「ま、情報攻撃の真偽についてはこの際どーでもええわ。やってるやってないなんて、今時小学生でもやらんケンカやからな。だからあんさんらには、ウチの小隊がサラマンダー領近辺で受けた襲撃についてじっくり伺いましょか」
狐とは似つかない。それこそ、蛇のようなじっとりとした笑みの形に唇を歪め、女性は宣言するようにこう言った。
「よう、よう……ようやってくれたなァ、ゴキブリども。大人しゅう地ぃ這っとったら、見逃しとったのになぁ」
「……具体的にどうやってだ」
「ぁん?」
追い詰められた領主の男は震えていた。
確かに追い詰められていた。彼らが実行した計画が順調に行っていれば、本来こんな状況にはならなかった。
ケットシーの矛先は見当違いの別の種族――――それこそサラマンダー辺りに行き、軍事行動の代償として運営直々の下方修正が入るはずだった。スプリガンは本来、舞台にすら登場しない蚊帳の外。そのはずだった。
だが。
スプリガン領主、ファナハンと名乗った男は顔を上げる。
その顔は、知的で厳格そうなな顔立ちから考えられないような歪んだ笑みが貼りついていた。
「お前らの足りない頭でも、ここがスプリガン領ということは忘れたわけじゃないだろうな!?この中じゃスプリガンのHPバーは減らない!いくらお前らご自慢のフェンリルとドラグーンを出そうと、こここにいる誰も殺すことなどできないッ!!」
それに、とファナハンは続ける。
「仮に侵略行動など起こそうものなら、情報操作などする必要もない!――――過程は理想と少し違ったが、最終的に下方修正まで持っていければ問題はない、ケットシーは当初の目的通り引きずり落とせる!!」
領主の狂乱に、圏外ギリギリの位置をホバリングするヒスイは、とうとうその悠然とした笑みを引っ込めた。
代わりに彼女は、目を細めながら僅かにトーンを落とした声を空気に乗せる。
「……一つ、訊いてええか?何であてらなんや?ケットシーがALO最強なんは、あくまでシルフと同盟を組んどるからや。単純な領同士の力比べなら、マンダー連中の方がお眼鏡にかなうんとちゃうんか?」
すると、ファナハンは吐き捨てるように嗤った。
唾棄するように、自嘲的な笑いで。
「サラマンダーは憎んではいない。むしろ、尊敬しているよ。自らの知力と武力と財力を絞り、駆使し、領主殺しを成し遂げた種族。……今ある自分が出せる最高の力でお膳立てして、不可能を可能にした種族」
「綺麗ごとやな。ただの騙し討ちやろうに」
「それでもだよ」
スプリガン領主は緩やかに両腕を広げた。
「騙された方が悪い、とまでの極論は言わない。だが、シルフは考えるべきだった。種族の生命線たる領主が敵の鼻先にのこのこ出ていく危険性をな」
仲良しこよしやってんじゃねぇんだ、と彼は吐き捨てる。
「信頼はいつだって疑念と表裏一体だ。一定の信頼には一定の懐疑心が要る。それがなかったからこそ、シルフは地に叩き落とされ、サラマンダーは天下を取った。それだけだろう?」
「随分とご立派な詭弁やな。カンペでも用意してたんけ?」
ヒスイの子供のような挑発にも、ファナハンはあからさまに柳眉を逆立てた。
憤激する領主を尻目に、ヒスイは更なる追い打ちのように欠伸をした。
「そんで?あんさんがトカゲどもの大ファンやぁゆーのは充分分かったけど、肝心要の答えは聞いてへんで。何であんたらは、あてらケットシーを標的に選んだんか?」
すると男は、一拍の時を置いて語り出した。
怨念のような怨嗟の声で。
「…………お前らが、恵まれているからだ」
「はぁ?」
ギラリ、と。
抜き身の刃のような、赤熱した炎のような、激甚の感情を瞳に宿し、領主の男はこちらをキッと睨みつけた。
「最高クラスの敏捷値!視力、聴力!加えて魔法全般との親和性も高く!!おまけに飼い馴らしスキルまで持ってやがるッ!!それに対して俺らはどうだ!スプリガンの特性なんて、宝探し関連と幻惑魔法の非戦闘系だけだ!!……なぁ教えてくれよ、優良種族サマよ!!影妖精と猫妖精、いったいどう食い違った!!?一体全体、どこをどう間違ったらこの違いが生まれるんだよッッ!!!!」
「――――ッ」
彼の気迫に、その怒気に、大気が恐れをなしたように身をすくませる。
木々が突風を受けたようにざわめき、その空気の変質を敏感に感じ取った隊員達によって、陣列が微妙に揺れる。
それを落ち着かせるように手を上げ、なだめすかしながら、ヒスイは激昂する領主ファナハンを睥睨する。
―――今の現象は、心意か?
ALOプレイヤーでも、古参しか知らない技術。感情制御系回路を使い、事象を《上書き》する。
だが、心意発動の際に確認されるべき、過剰光は見受けられない。意図的な発動ではなく、極めて高い感情の発露による、弱い心意の暴発といったところか。
―――こん程度なら、皆に言い訳するコトもないか。
心意は秘匿されるべきである、とかつて自分にその存在を教えた一人の少年は言った。
あの力は濫用するものじゃない。その先にあるのは、圏内とか安全圏とかを度外視した、ただの殺し合いだ、と。
彼がかつて虜囚となっていた《あのゲーム》からの生還者であることも知っていたヒスイとしては、それ以上深くは訊かなかった。いや、訊けなかったと言うほうが正しいかもしれない。
あの世界がどれほど血生臭かったかなど、その世界を生き抜いて帰ってきた当人に問うべき内容ではないのだから。
ざわつく陣営を落ち着かせるように、努めて声を大きくしながらヒスイはせせら笑った。
「……つまり、あんさんらがケットシーを標的にしたんは、つまらん嫉妬っちゅーワケか?ハッ、こりゃちっさいハナシやな」
「突撃する気もなくただバリケード作ってる指揮官には言われたくないな。埃を被ってそうなご大層な代物を出してきたが、手に余ったのか?」
もはや敵意を隠そうともせず、ギチリと顔の皮膚が裂けるのかと思えるほどに歪んだ表情を男は浮かべる。
その表情は雄弁に言っていた。
お前には分からないだろう。全てにおいて最初から勝ち組だったお前らのような人種には、と。
それに反論したい心をぐっと抑え込んで、ヒスイはあくまで冷静を徹した。
傍らの飛竜に、騎手であるドラグーン隊隊員とともに乗っていた執政部プレイヤーにアイコンタクトを送る。
彼女が頷き返したのをしっかり確認した後、ヒスイはゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
準備は完了した。
時間稼ぎは終わりだ。
「――――まぁ、バリケードっちゅうんは、当たりやで。ドラグーンとフェンリルはこのまま、この位置から動きはせん。あんさんらが逃げようとせぇへん限りは、な」
「……?馬鹿か、なぜ逃げる必要がある?俺らスプリガン属領者は、このシナルの圏内にいる限りHPバーは変動しない。この中にいる間、俺達はシステム的に不死なんだよ。……それとも、俺らをここに閉じ込めるつもりか?いつでも即時ログアウトができるこの世界で?消耗するのはどう見てもそっちだぞ」
「ふむ。ま、それも大国らしいっちゃらしいけど、やるならもーちょいスマートな手法で行かせて貰うわ」
タイミングもどんぴしゃやったしな、と笑顔で言い切った狐耳の女性は自身のアイテムウインドウを開き、そこから煙管を取り出した。
自動的に点火されるそれを口に含み、緩やかにライムグリーンの煙を吐き出す女性は、一拍を置いた後、ぽつりと呟くようにこう言った。
「来るぇ」
「……?何を――――」
首を傾ける領主に応じるように、ジックラドの頂点。その上空にささやかな光が発生した。
プレイヤーが蘇生する際のエフェクトに似ているが、違う。そもそも蘇生場所は各町に一つは備えてあるロケーター・ストーンであり、あんな何の目印もない上空ではない。
その場にいる全プレイヤーが見守る中、光は収束し、みるみるうちに人の形をかたどった。
ファナハンは訝しむように首を傾ける。
その様子を悠々と横目で見つつ、ヒスイはその一連の現象を見守った。
―――悪いとは思わんで。……けど、ようよう詰ませてもらうわ。
ジックラドの天頂部。
イケニエの祭壇めいたそこに、生成時のみにしか発生しない落下抑制エフェクトを伴ってゆっくりと降り立ったその新米プレイヤー。
それは――――
そのプレイヤーは――――
「お、小生が一番でござるか!!?やったー、いえーい!!ヒスイさーん、入れましたよー!!」
その場の空気をまとめてブチ壊すような勢いで、そう叫んだ。
後書き
原作では本当にチラッとだけしか登場しなかったスプリガン領の情景を固めていくのに、想像以上に骨を折った記憶が。
アニメ版では、キリト先生が初ログインする時にビジュアルがチラ見してたんですよねー。あとは古代遺跡のような~とかの原作説明を拾っていきました。
……しかし、極寒のノーム領に次ぐくらいの極北の地なのに、熱帯圏にあるマヤ文明遺跡を参考にするとはこれいかに。
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