ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
OVA
~暗躍と進撃の円舞~
光明、明転、転戦
執務室内の、時が凍り付く。
床に倒れ込んだ猫妖精の少年が発した言葉は、それほどの衝撃を伴って皆の心に刺さった。薄ぼんやりとした光しか発さない室内灯のみが照らす室内で、二十人を優に超す人数が棒立ちになる。
誰かが思わずという風に落とした羊皮紙の音が、空間に音を取り戻した。
「今……なんて……?」
そう発したのは、誰だったろうか。
自分の耳を疑ったのも、無理もない。彼の普段のヘナヘナ具合を見ていれば、その気持ちは分かる。
だが、勢いよく立ち上がった少年は、ケットシーでデフォに設定されている黄金色の髪を振り乱しながらこう言った。
「敵は、影妖精――――スプリガンです、領主……ッ!」
「ッ」
一瞬、アリシャは何を言っていいか、どんな言葉をかければいいか、分からなかった。
だが、一度だけ深呼吸し、息を整える。
剥がれかけた領主の仮面を、再び被り直す。
「それは、どういうことなの?ファフニール執政部員」
あえて本名で呼ばれた自分の名前に、少年は肩を跳ねさせる。だが、それを圧し通すほどの力強い輝きを瞳に宿し、彼は言い募った。
「ぼ――――私より前に、私と同じ姿形をした者がここに来ませんでしたか!?」
質問に質問で返す。
その礼儀知らずに古参の執政部の面々の中には鼻白んだ者もいたが、少年の言葉を吟味し、その言葉の《先》を連想するに至って顔色を変えた。
「まさか……幻惑魔法か!?」
「バカな!領主館に潜入する大それた真似――――!」
「静かにッッ!!」
雷鎚の一撃のように、天板を叩く音が混乱の声を掻き消した。
アリシャ・ルーは、強い意志を強い言葉を以って場をならす。
「まずは、フニ君の言いたいことを全部聞いてからだヨ」
一人の領主は、宣言するかのようにそう言った。
それから少年が話した内容は、アリシャ自身も苦い顔をせずにはいられなかった。
簡単な話なのだ。トリックとしては、バグ利用だとかそういうものですらない。
彼――――フニは調査隊の隊長として、火妖精領の首都《ガタン》付近で昨日起きたキャラバン襲撃の事実確認を行っていた。そしてそこで、水妖精の一団から襲撃を受け、交戦。
結果、隊長の彼は乱戦の中死亡し、最後のセーブポイントであるフリーリアに帰ってきた。その後、ウンディーネから、自分達がケットシーから襲撃を受けた、という謎の食い違いが発生したのだ。
だが、当のフニ本人に言わせれば、そもそも彼は死亡していないらしい。
どころか、ウンディーネの一団ともそこまでの戦闘は行っていない、とのこと。
最初の攻撃が魔法攻撃ではなく、市販の矢であったことを不審がったフニは、ウンディーネの一団との戦闘を隊員達に任せ、付近を探した。
そしてその結果、隠蔽スキルを使って岩陰に潜んでいたスプリガンのプレイヤーを発見したのだ。
「それも、ただの一般プレイヤーじゃありません。装備の良さから、幹部クラスの大物だと思います」
床に膝をつき、こちらを見上げる少年の顔を見つめながら、アリシャは唸る。
「……となると、報告に来たフニ君は偽物だったってことカナ?」
「はい。戦闘が終わった後、知人から『死んじゃったんでしょ?大丈夫?』ってメールが来て、何のことだって思って……詳しく聞いて、初めて全貌が判ったんです!」
「なるほどネ……。ウンディーネのほうは?隊の皆はどうしたの?」
「ウンディーネの皆さんには話をして、事情は分かってもらいました。隊員達は今頃は帰路についているはずです。僕は速く、直接報告しようと思って、自殺しました」
「そりゃまたご苦労サマ」
正直、フレンドメッセージでも良かったような気がしなくもないが、それでは信憑性がなくなる可能性がある。いくらフニに信を置いているといっても、それはあくまでアリシャ個人のモノだ。執政部の面々を説得するには足りなかっただろう。
死亡罰則も恐れずにこの場に参上した少年の心意気にこそ、この場の誰もがその言葉に確信を持つのだ。
「で、そのスプリガンは?」
ゆえに、視線が鋭くなるのも仕方がない。
ここまで健気に尽くされるとヤル気も湧いてくるものだ。知らず、剣呑な空気を醸し出す領主の雰囲気に、フニは息を詰まらせながらも口を開く。
「に、逃げられました。交戦しようとしたんですが、目潰しからの隠行魔法コンボで……」
「…………」
ふン、と少女は鼻を鳴らす。
こうなってくると、今頃バレたと連絡が行った、央都にいる偽物のフニを抑えようとしても無駄だろう。そもそも、捕まえたとしてもアミュスフィアの強制ログアウト機能がある限り、拷問したりといった情報を吐かせることはシステム上不可能だ。
だが、とはいえ。
「敵は――――分かった」
ウンディーネの食い違い抗議文も、こうなってくると色々腑に落ちる。あちらでもお得意の幻惑魔法でコソコソ操っていたのだろう。
―――ゴキブリが。
小さく収斂された怒気が、顔を出す。
ケットシー領主は、ここに来て口調を切り替えた。
確認から、先導へ――――否。
扇動へと。
ゴドン!!と物凄い音を立てて黒檀の執務机が揺れる。その上に積んであった報告書の山が派手に突き崩れるが、もはや誰もそんな些事には気が向かない。
「皆、今私達は《侵略》されてる」
人を操るには、強い言葉は必要不可欠なファクターだ。
ソレの真偽などどうでもいい。ただ人々は強い言葉にこそ誘蛾灯のように惹かれ、蛾のように燃えるのだから。
天板に振り下ろした拳を振り回し、アリシャ・ルーは言葉を重ねた。
「レン君のおかげで復興したのに、こともあろうに本人がいない間を狙って……《侵略》されてる」
この言に、古参の者達の中にはあらかさまに眉を顰める者もいた。
あんな新米がいなくとも、この種族は強いと思っているからだろう。古参連中の中では、いまだにあの少年に対する風当たりが強い。
―――だけど。
ただ強い、だけではケットシーは救われなかった。
少なくとも、アリシャ自身はそう強く信じている。
「気に入らない……気に喰わない、色々あると思うヨ。そりゃそーだ、ここまで一方的にボコられてて、怒らない方が無理って話だヨネ」
だから――――命じよう。
領主なんてガラじゃない。人に命令するなんてキャラじゃない。
けれど、だけれど。
個人の意思を押して、命じよう。
「現時刻を以って、領主アリシャ・ルーの名に於いて戦時体制への移行を宣言する。各員は自らの任務を全うするように」
そこで、ケットシー領主は一拍入れた。
少女は、領主を示す額の額冠を鈍く光らせながら鋭く息を吸い込み、「最後に」と続ける。
「身の程知らずのガキどもに、山猫の本気を見せてやるヨ……ッ!」
雪も止んだ、真冬の執務室。
だだっ広い執務室に忍び込む夜気も掻き消す咆哮が、こだました。
ケットシー領首都、フリーリアの領主館。
だだっ広い廊下に、闊歩する大人数の足音が反響していた。
大名行列のように執政部どころか、他の部署も巻き込んで脚を動かす集団の穂先には、領主アリシャが矢継ぎ早に口を動かしていた。
「――――そう、ウンディーネはちゃんとこちらの申し出を受けてくれたんだネ?」
「はい、もともと調査隊と会敵した一団もいましたし、順調に進みました。先方も結構煮え湯を飲ませられてるみたいで、《月光鏡》越しに怒鳴られましたよ。ゴネられた時用の証拠記録も撮ってあります」
「オッケー……次!」
先刻の報告会とやっていることは同じだが、そこに伴う熱量は段違いだ。
もはやケットシーは多少の傷は恐れない。そう領主その人が号令をかけたからだ。
―――これで大ポカしたら、いよいよ政権交代かナ?
執政部面々が聞いたら失神しそうな内容だが、それでも泡のように浮かんだその思いに、ふっとアリシャは小さく笑う。
退くことそのものに憂いはない。どころか、その後の自由気ままな冒険にワクワクしている自分を改めて認め、いかに領主に向いていないか分かったからこその苦笑だ。
―――変わったっていい。史上最悪な領主って蔑まれても構わない。
後進はちゃんと育っている。何も心配することなどない。
そう思いながら、隣を歩く幹部ケットシーの一人を見ると、怪訝げな表情をされた。
それを笑顔で誤魔化し、再び前を向きながら、少女は思う。
―――ケド、それは万全なケットシーを渡したい。薄汚い屑漁りに傷物にされたヤツらなんてレッテルを、絶対に貼らしちゃならないんだヨッ!
ズン、と勢いよく足を踏み出しながら、アリシャは鋭い声を投げる。
「シルフは同盟関係もあってか、初めから乗り気で承認されました。サクヤさんから、一部費用の肩代わりも提案されてるぐらいです」
「サクヤちゃんには悪いけど、今回だけは費用は全部こっち持ちで!サクヤちゃん自身は良くても、費用を払ったことでシルフ領民がそれでチャラって思っちゃうかもしれないからネ!」
「了解!」
「今回、傍観を決め込んでいた闇妖精、音楽妖精、鍛冶妖精からも、それぞれ現認してます。ただ、レプラコーン領主だけが不在だったので、懸念は残りますが」
「そこは後で騎乗動物しこたま押し付けてゴマスリするしかないかもネ。ひとまずその三種族についてはそれでオーケーだヨ」
領主館の玄関ホールは、天窓までブチ抜いた高い吹き抜けになっている。
宵闇を越え、完全に夜のとばりが下り、真っ暗な闇を真珠色の灯りが裂いている大空間の中、大集団は足早に通過していく。
「火妖精は意外でした、領主は、こちらの要求など跳ね除けるものとばかり……」
「……皆、殺し合いなんて望んでないんだヨ」
アリシャは目を細める。
先刻、執務室で遠隔映像会話魔法《月光鏡》でサラマンダー随一の頭脳と名高い彼と交わした会話が思い起こされる。
ぎゅっと拳を握ったアリシャは、真っ直ぐ前を見据えて口を開く。
「サラマンダーはクリア。問題は土妖精だヨ」
「あ、その件なんですが――――」
「ん?」
玄関ホールを横切り、アリシャは勢いよく大扉を開け放つと、軽く眼を見張った。
大通りに面した領主館。その前には、ちょっとした小山のような集団があった。
綺麗に整列した飛竜、そして巨狼だ。両者とも騎乗するための鞍と、レプラコーン謹製の専用鎧を装着しており、街灯の光を浴びて燦々と輝いている。
その巨躯の傍らには各々の騎手がいて、戦意の吐息を吐き出す巨獣達をなだめていた。
ずらりと並ぶその壮観さに一瞬声が詰まった一同。
だが領主ただ一人は、欠片も臆することなく向き合った。
その中央。
竜騎士隊と狼騎士隊の境目に立つ二人の女性と。
一人は、アリシャもよく知っているフェンリル隊副隊長、ヒスイ。彼女もまた、テイマーらしく傍らに小山のようにそびえる自らの巨狼、ガルムをいたわるように撫でていた。
そしてその近くで若干肩身狭そうに佇むインプの女性。路面スレスレまで垂れた緋袴と白衣、その古式溢れる巫女装束に不釣り合いなほどの大きさ長さを誇る太刀を帯刀するプレイヤー。
《炎獄》カグラ。
こちらに視線を向けてくる彼女らに軽く手を振り返しながら、しかしアリシャの意識はガルムの背後から出てきた三人目の女性に釘付けになっていた。
その女は、長身だった。
黒瑪瑙のような黒髪とその向こうに見える瞳は鮮やかな青。だが、それを差し置いて目を引くのはその体表色だ。
しなやかな肢体は滑らかなチョコレート色。しなやかだがきちんと女性らしい身体を包むのは、サリーだっただろうか、インド辺りの民族衣装のようなゆったりとした薄い布だけ。別にネグリジェみたいに透けていないにも関わらず、ハラハラしてしまう危うさがあった。
そんな装備も相まって、どこか踊り子も連想させるノームの女性は、裸足でぺたぺたと歩いて来て、後頭部を掻きながら口を開いた。
「カグラぁ、どこかどう間違ってこーなってるのか、いまだによく把握してないんだが?」
「わざわざ来てまで開口一番迷子捜しが嫌だと言い出したのは、あなたじゃないですか……。それに、こちらの方が満足な結果になると思いますが」
さらりと返された言葉に即座に口をつぐまされた女性に、アリシャは思わず呟かざるを得なかった。
「……《暴虐存在》、テオドラ」
確か、ノーム領に比較的最近出現した超新星だったか。かの《超越存在》と同じく、瞬く間に十存在入りを果たしたプレイヤーで、ウチの領でも要注視人物としてマークしていた。
最悪ノームのパワーバランスの追随をも覚悟していたのだが、幸いにして彼女はアカウントを作って早々、脱領者となりマークは外れたのだが。
しかし、噂ではノーム領主が彼女を手放さないために仕向けた一個大隊をこの女性は単騎で鏖殺したというのだから、その実力はただ事ではないだろう。十存在入りがこれほど早く成ったのも、それが一因と言われている。
ともあれ、そんな思考も断ち切り、眼前でカグラと会話するテオドラに目線を固定させながらも隣の部下にアリシャは声を投げかけた。
「何で彼女がいるの?」
「カグラさんが誘ったみたいですよ。なんかヒマだったみたいで」
なんか飲み会に誘われたような参加方法だった。
仮にも、先の世界樹攻略に次ぐケットシー史上最大規模の作戦なのにナー、と肩を落とす領主に、共感したように頷く同胞が幾らかいた。
しかし、これでノームの件はほとんど片付いたも同然か。
「テオドラちゃん、キミがノームの説得を?」
カグラとの会話を打ち切った女性は、こちらを見上げながらニッ、と快活な笑みを浮かべる。
「ンなお上品なモンじゃねーって、領主さん。『あたしの邪魔すんな』……それだけで充分だろ?」
―――よーするに脅迫ってことネ。
さすがはあの子の同輩だ。
ふぅ、と吐息を吐くアリシャは、言葉を重ねる。
「とりあえず、協力には感謝するヨ」
「気にすんな。こっちはガキのカウンセリングもどきで溜まってンだよ。……ただまぁ、そうだな」
首に手を当て、ごきりと鈍い音を響かせたテオドラは、それがシフトレバーだったかのように口許に浮かぶ笑みを獰猛で好戦的なモノにゆっくりとシフトしつつ、口を開いた。
「気持ちよく暴れさせてくれりゃ、文句ないよ」
「……ご期待に沿えるように、尽力するヨ」
アリシャは肩をすくめ、こちらに視線を投げかけてきていたヒスイに言葉を紡ぐ。
口にするのは、核心を抜いた言葉。
「ヒトは?」
「もーちょい。けど増加率から考えると、移動時間で頭数はキチンと揃えられる算段ぇ。心配あらへん」
「うん、了解」
ふんふん、と人差し指で手持ちの羊皮紙上のチェック項目を一つずつ確認していく。
それを終え、最後に大きく頷いたアリシャは羊皮紙を適当に放り投げ、拡声魔法の呪文を小声で唱え始めた。いくら普段が普段で、政権を手に入れてから前線から離れていたとはいえ、ケットシー族の中でも屈指の古参。練達した詠唱技術は、システムが認識できるぎりぎりのボリュームで、滑らかにスペルを刻む。
魔方陣が展開され、視界端に拡声器のアイコンが派手なサウンドエフェクトとともに出現した。本来は指揮官クラスが戦場の仲間達に通す指示を、敵モンスターの咆哮などによって潰されないようにするための魔法なのだが、こういう使い方もあるのだ。
アリシャは領主館の出入口の大扉、その前に仁王立ちし、集まった大集団の顔を睥睨した。
一度息を吸い、吐く。
領主アリシャ・ルーは、宣言するように――――宣誓するように、こう言った。
「あー、長い口上は嫌われちゃうから言わないヨー。これでも総選挙発表はもーすぐだからネ。応援してくれてる皆のために、好感度保っておかないとイケナイのは辛いトコだヨー」
一同の中から、失笑が漏れる。
余計に気負った力が抜ける。だからといって、ただ腑抜けになるのではない。抜けた分だけ視野が広くなる。
上に立つ者として、一言で集団をベストコンディションまで持っていく。アリシャ自身の評価はともかく、紛れもなく彼女が領主たる証明の一片だった。
「今回の作戦指揮はヒスイちゃんに一任したヨ。ヒスイちゃんに従っとけば、とりあえず何とかなるからだいじょーぶ!」
すかさずヒスイが「大丈夫ってなんやねんー」と気の抜けた野次を飛ばす。
朗らかな笑いが大きくなる。
それが収まるのを待ち、アリシャは一変、表情を引き締め、口を開いた。
「――――だから、私から言えるのはたった一個だけ」
そして。
そして。
そして。
「勝て。勝って、私達の誇りを取り戻せ」
聖戦が――――始まる。
夜闇の中に、巨獣達が一斉に動き出す音が響き渡った。
後書き
上に立つ人の鶴の一声って何か格好いいよね←
という訳でなべさんです。起承転結で言えば転に差し掛かってきたような気もしますが、それはあくまでこの群像劇中のケットシー視点でのお話でごんす。つまり、この編そのものから見た転や結はまだあるという訳ですな(ウワーキタイシチャウナー
ともあれ、GGO編でちらっと出てきたテオドラさんも無事合流出来て一安心。やっぱり群像劇ってのは、こういう点と点が噛みあった時が一番面白いですよね。あんまり接点ないと、群像劇じゃなくてオムニバスになっちゃいますし。
ページ上へ戻る