異伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(ヴァレンシュタイン伝)
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黒色槍騎兵 生成秘話
俺の名はフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、第六次イゼルローン要塞攻防戦の功績で准将に昇進した、新進気鋭の若手士官だ。二百隻ほどの艦隊を率いる事になったのだが少々困っている。問題は司令部の人事だ。
参謀長にはグレーブナー中佐、副参謀長にはオイゲン少佐、副官にはディルクセン大尉を持ってきた。あとは補給関係を扱う参謀が要る。俺はその手の仕事が全然駄目なのだ。出来のいいのが必要だ。
人事局長のハウプト中将に“出来の良いのを呉れ”と頼んだが、余り期待はしなかった。たかが准将のために人事局長が骨を折ってくれるとも思えない。普通なら良しとしよう、そんな気持ちだった。
ところがその日の内に“ちょうど一人いいのが居る。卿のところに配属させよう”と言ってくれた。一応言ってみるものだな、俺はついてる、そう思った。後から考えればかなり間抜けだったと思う。
その士官が来たのはハウプト中将に頼んだ翌日の朝だった。
「申告します。エーリカ・ヴァレンシュタイン大尉です。本日付で司令部参謀を命じられました」
澄んだ柔らかい声で申告したのは女だった。黒髪、黒目、年齢は二十歳前後か。小柄で華奢な立ち姿だが、曲線は優美といっていい。顔立ちは可愛い感じの美人だ。柔らかい微笑を浮かべている。好感の持てる女性だ。
しかし何の冗談だ。何で女が参謀として俺の所に来る。大体女なのに大尉とはどういうことだ? 士官学校を出ているわけは無い、下士官上がりのはずだが、それにしては若すぎる。
「ヴァレンシュタイン大尉。貴官は本当に此処への配属を命じられたのか? 俺たちは戦場にも行くのだが」
「はい。よろしくお願いします」
どうやら冗談ではないらしい。グレーブナー、オイゲン、ディルクセンは顔を顰めているが、俺はとりあえず彼女の着任を認め、ディルクセンに彼女の事を調べさせた。ハウプト中将に抗議するにも先ずは彼女の事を知る必要がある。俺はこう見えても用意周到なのだ。
ディルクセンが彼女の事を報告してきたのはその日の夕刻だった。彼女は高校卒業後、帝国女性下士官養成学校に入学し卒業している。任官時は准尉だった。普通は伍長なのだが帝文に合格していた事が准尉任官になった。
彼女は有能だった。法務局、兵站統括部、宇宙艦隊司令部等を転々としているが何処でもその働きを認められ昇進している。女性下士官の昇進は簡単なことではない、余程有能だったのだ。不思議だったのは配置換えが多い事だった。俺の所に来る前は憲兵隊にいた。
翌日、俺はハウプト中将に面会を求めた。いくら有能でも女は困る。絶対断るつもりだった。中将は直ぐ俺を部屋に入れてくれた。どうやら俺が来ると予想していたようだ。
「どうして彼女を小官のところに寄越したのです?」
「不満かな、卿の希望に応えたつもりだが?」
ハウプト中将は微笑を浮かべながら答える。確かに有能だ。昨日一日の仕事振りでも十分にわかる。しかし……。
「確かに有能です。しかし戦場に連れて行くわけには……、第一帝国では女性兵は後方支援だけのはずです」
「卿の言うとおりだ、しかしこの人事が撤回される事は無い」
ハウプト中将は何処か面白がっているような表情で話した。はっきり言って面白くなかった。馬鹿にされて堪るか、そんな気持ちだった。
「どういうことです?」
「この人事は、私個人の判断で行なったものではない、そういうことだ」
「?」
どういうことだ? 人事局長の判断ではない?
「この人事は軍務尚書の意向を受けているのだよ」
「軍務尚書?」
困惑する俺に、他言無用だといって中将が話し始めたのは一寸信じられない内容だった。ヴァレンシュタインは、この半月の間に二度命を狙われていた。
その内一度は、官舎を爆破されている。彼女の留守中に官舎にゼッフル粒子を仕掛けようとして失敗したらしい。当然侵入者は爆死した。問題は侵入者がどうやって官舎に入ったかだった。
官舎のドアは電子ロックになっている。解除№を何処から入手したかだが当初、調査をした憲兵隊はヴァレンシュタインから何らかの方法で解除№を聞き出したのだろうと考えていた。
しかし、ドアのアクセスログを確認した憲兵隊は呆然とした。アクセスログに有ったのはマスター№だった。電子ロックには解除№とマスター№がある。解除№は利用者に教えられ、利用者が番号を変更する事も可能だ。
しかしマスター№は変える事は出来ない。そしてこれは利用者に教えられることも無い。兵站統括部の福利厚生課で厳重に保管され外部に教えられることは無い……。
それが漏れた。容易ならざる事だ。事態を重視した憲兵隊は彼女が何を調べているのかに改めて興味を持った。
「彼女は二つのことを調べていた」
「二つですか」
中将は軽く頷いた。
「一つは軍内部にいるフェザーンの協力者についてだ」
軍内部にいるフェザーンの協力者? つまりそいつが兵站統括部の福利厚生課に居るという事か?
「卿が何を考えたか判る、残念だがはずれだ」
「……」
「彼女が調べていた協力者は技術部に居る。間違いなくフェザーンに情報を流しているそうだ」
「では軍内部に二人、フェザーンの協力者が居ると?」
「……彼女が調べていたもう一つの件は地球教だった」
「地球教?」
俺にはそれが何なのかよくわからなかった。いや地球教は判っている。しかし何故調べる必要が有るのだ?
ハウプト中将が俺の疑問に答えてくれた。地球教徒は帝国にも反乱軍にも居る。彼らが国に囚われず、宗教を軸としてネットワークを築いているのではないか?
中継点であるフェザーンがそのネットワーク構築に絡んでいないか? 帝国、反乱軍の知らない所で宗教とフェザーンの財力を軸とした政治勢力が生まれつつあるのではないか? ヴァレンシュタインはそう懸念している。
俺は呆然として中将の顔を見つめた。そんな事が有るのか? いやそんな事を考える人間が居るのか? しかも女……。どういう女だ?
「憲兵隊も軍上層部も彼女の疑念を馬鹿げている、と一笑することは出来なかった。彼女が調べていた二件はこれからも極秘に調べられる事になった」
つまり、爆破事件に地球教が、フェザーンが絡んでいる可能性があるということか?
「……」
「准将、ヴァレンシュタイン大尉は憲兵隊に置く事は危険だとなった」
「しかしだからと言って」
「地上勤務では何処においても相手が疑うだろう。いっそ前線勤務の方がいい、それが上層部の決定だ」
「……」
「彼女は有能だ。政戦両略において傑出した能力を持っている。後方で使うより参謀として使ったほうが帝国のためにもなる。先ずは若手の士官の元に配属させ、様子を見よう、それが上層部の考えだ。卿に取っても悪い話ではあるまい。」
結局俺はヴァレンシュタイン大尉を追い返すことに失敗した。軍務尚書の意向となれば俺が騒いだ所でどうなるものでもない。
それに確かにハウプト中将の言うとおり、政戦両略において信頼できる能力のある部下は必要だ。上層部は彼女に注目している。つまり俺にも注目するということだ。
俺は未だ若い。上手く行けば正規艦隊の司令官にだってなれるかもしれない。そうなればただの戦闘馬鹿ではいられない。色々な意味で彼女は俺にとっても必要な人材だ。
幸い彼女は直ぐ司令部に馴染んでくれた。当初顰め面をしたグレーブナー、オイゲン、ディルクセンも“若い女性がいると職場が華やぐ”とか“職場には潤いが必要だ”とか言いだした。
確かに真面目で、いつも笑顔を浮かべている美人が居たら誰でも楽しくなるだろう。おまけに彼女は菓子作りが得意で時々振舞ってくれる。いつもさり気無くコーヒーを入れてくれて机の上においてくれる。癒される、ほのぼのする……。
違う! 違うのだ。俺の望みは帝国軍最強の艦隊を作ること。艦隊を黒一色で統一し黒色槍騎兵と名づける。剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊……。それなのに司令部は毎日、三時のお茶会を楽しみにしている……。
いや、それも戦争になれば変わる。お茶会なんかで和んでいる暇は無い。俺はそう思うことで自分を抑えた。大体戦争を経験すれば彼女だって前線勤務は嫌だと言い出すかもしれないではないか。
そして第三次ティアマト会戦が始まった。俺はそこで女性が戦争に参加すると言う事の意味を嫌というほど教えられた。
宇宙に居る間は女っ気はまるで無い。そんな生活が何ヶ月も続く。ところが戦艦シュワルツ・ティーゲルには若い美人が乗っているのだ。とんでもない事、信じられないことが起き続けた。
最初に起きたのはタンクベッドを巡る争いだった。艦内の保安係からそれを聞いたとき、俺は最初何が起きたのか判らなかった。
「何故、タンクベッドで争いが起きるのだ? 数は十分に足りているだろう?」
「タンクベッドの数は足りております」
「?」
「今回の争いですが、原因はヴァレンシュタイン大尉の使った後のタンクベッドを誰が使うかで争いになったのです」
「……」
「とても良い匂いがするそうで……」
俺は最初冗談だと思った。いくらなんでもそれは無いだろうと。
しかし保安係は大真面目だ。ニコリともしない。つまり、彼の言う事を信じるなら戦艦シュワルツ・ティーゲルには、変態さんがたくさん乗っていると言う事になる。
冗談ではなかった。一つ間違えば、セクハラ問題になりかねない。俺は部下の管理監督責任を問われ、降格されるだろう。軍は女性下士官を多く使っているためセクハラ、パワハラ問題には煩いのだ。
俺は早速、予備のタンクベッドを彼女の個室に用意させ、それ以外は使うなとヴァレンシュタインに命じた。彼女がタンクベッドを使うたびに喧嘩沙汰など俺の艦隊であってはならんのだ。
ついでに彼女の個室も司令官室の隣にした。どこぞの阿呆が不埒な事を考えかねん。いや考えるだけならまだ許せる、実行したらとんでもない事になる。
次に起きたのは、やたらと配下の艦艇より通信が入ってくる事だった。殆どの艦艇が毎日、多いときは二度三度と通信してくる。しかもどうでもいいような要件でだ。総司令部からも注意を受けた。敵に傍受される恐れがある。通信は最小限にせよと。
総司令部の心配は尤もだ。俺は、配下の艦艇に詰まらん事で連絡するなと通達を出した。その結果、各艦から抗議が山のように来た。“旗艦だけで女性兵を独占するのは許せない”、“一日一回ぐらい顔を見させろ”
悪夢だった。何かの間違いだと思いたかった。後方で使うより参謀として使ったほうが帝国のためにもなる? エーレンベルク元帥もハウプト中将も何も判っていなかった。いや、一番判っていなかったのは俺か? 俺が悪いのか?
結局一日一回、ヴァレンシュタインが朝の挨拶を全艦に通信する事になった。挨拶だけじゃ足りんと言うので、星座占いとか、オーディンの天気予報とかやっていた。そのあたりは全部オイゲンが取り仕切った。俺は係わり合いになりたくなかった。変な病気が移りそうで怖かった。
しかし、この朝の挨拶は他の艦隊でも傍受し始めた。最終的には遠征軍全体、総司令部でも見ていたらしい。らしい、と言うのは確認できなかったからだ。
ミュッケンベルガー元帥に今日の朝の挨拶はどうでしょう? なんて訊けるものか。しかし、俺の名は確実に軍内部で広まっていった。俺の望む形ではなかったが知名度が上がるのは良い事だ。良い事の筈だ……。そう思って自分を慰めるしかなかった。
他にも小さなトラブルは一杯あった。俺は彼女を常に俺の傍に置いた。誰も信用できなかった。長い戦争で軍人の質も落ちたらしい。どいつもこいつも腐っている! 脳味噌が膿んでいるに違いない。
この連中では戦闘だってまともにできんだろう。俺は戦闘が始まるのが怖かった。こんなことは初めてだった。
しかし、戦闘が始まると俺の心配は吹き飛んだ。俺の艦隊は猛然と敵に襲い掛かり敵を粉砕した。そうだ、俺が望んだ黒色槍騎兵、剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。それが此処にある!
俺は歓喜した。俺は帝国最強の艦隊を手に入れた。まだ規模は小さいがこれから大きくすればいい。帝国軍人は腐っていなかった。多少問題は有るかもしれないが、許容範囲だ。最高の気分だった。ミュッケンベルガー元帥からも褒められた。誰もが認める働きだった……。
そのまま死んでいれば良かった。そうすれば俺は幸せなままでいられた。真実を知ったときの俺の正直な気持ちだ。部下たちが奮戦したのは帝国軍人の義務感からではなかった。ヴァレンシュタインに良い所を見せよう、それだけだった。
俺が望んだ黒色槍騎兵、剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。そんなものは何処にも無かった。有ったのは、萌えっ子ヴァレンシュタインと頭のおかしな仲間たちだった。俺が言ったのではない。ディルクセンが言った言葉だ。
続けてディルクセンは俺にこう言った。
「過程はともかく閣下は間違いなく最強の艦隊を手に入れました。大事なのは結果です」
ディルクセン、つまりお前は俺にこの連中をこれからも使い続けろと言うのだな。ヴァレンシュタインを司令部に置けと。お前の本心はそれか。グレーブナー、オイゲン、お前たちも同意見か?
俺は確信した。あの女はロキの生まれ変わりだ、厄介事を持ち込む代わりに素晴らしい財宝を持ってくる。俺には部下たちの頭をおかしくしてしまったが、代わりに俺の望んだ最強の艦隊を与えた。
エーレンベルク元帥もハウプト中将もあの女がロキの生まれ変わりだと知っていたに違いない。各部署を転々としていたのもその所為だ。各部署にどんな厄介事と財宝を持ち込んだのやら。それで今度は俺に押し付けた。
いいだろう、ディルクセンの言うとおり俺が欲しいのは宇宙最強の艦隊だ。敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。それが得られるなら我慢してやる。必ず黒色槍騎兵の名を宇宙に轟かせて見せる。必ずだ。
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