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相模英二幻想事件簿

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File.2 「見えない古文書」
  Ⅸ 6.15.AM.9:21


「では、私と相模君で如月家に行きます。木下さんと岸野さん、そちらも充分気を付けて下さい。何もないとは思いますが、念を入れるに越したことはないですからね。」
「分かっとりますよ。しかし…石川家があんなとこにあるとはのぅ。」
 日が明け、ここは刑部家の前だ。
 昨日、刑部家へと来た私達を、キヌさんは何も言わずに入れてくれた。こちらも分かっていたようだ。そこで、七海さんに関する手掛かりを、キヌさんが見付けてくれていたのだ。
 キヌさんの情報によれば、如月家の建つ以前に、今は如月家の所有になっている山…あの社のあった山だが、そこへ石川家があったそうだ。刑部家の古い資料にその石川家のことがあり、キヌさんは不審に思って調べたのだ。なぜかと言えば…如月家が建つ直前に、突然家系が途絶えたからだ。
 そもそも、この刑部家には石川家から婿養子に入ったものもいたらしく、その婿養子が当主になった際、“長壁"から“刑部"へと改めたらしいのだ。
 石川家最後の当主は惣一と言い、かなり病弱だったらしい。妻は次男を産んで直ぐに亡くなり、直系は二人の男子だけ…。ところが、長男は事故死で次男は婿養子に出てしまい、石川家は途絶えたと言うわけだ。
 しかし…その長男はどこで死んだのか分かっていない。ただ、事故死としか書かれてなかったのだ。それでキヌさんは不審に思ったと言うわけだ。
 さて、話を戻そう。そんな訳で、翌日には如月家と石川家、両方へ行くことになったのだ。無論、如月家へは私と櫪氏だけで行くしかない。あまりにも危険だからだ。石川家は恐らく危険はないだろうとキヌさんが言ったため、そちらへは木下さんと執事の岸野さん、そして、昨日こちらへ帰って来ていた直哉氏の三人が行くことになった。
 特に直哉氏は七海さんをとても心配している様子で、私達が刑部家へ着いた時も顔が蒼冷めていた…。
 私と櫪氏は、一足早く刑部家を出て如月家へと急いだ。もし、あの霊に木下さん達の行動を知られれば、彼らが危険にさらされる。こちらが先手を打てば、恐らくは彼方に危険はないだろうからだ。
 さて、無人と化した如月家へと着くと、そこにはいないはずのキヌさんの姿があった。
「伯母様…何故ここに?」
「早ぅ片を付けんとならんようじゃから、若僧の手助けに来たんじゃよ。」
 それだけ言うと、キヌさんはそのまま館の中へと入って行ったため、私達も苦笑しつつ後に続いた。
 中へ入った瞬間、私は空気の変化に気が付いた。外はジトッとした蒸し暑さなのに対し、ここはまるで…冷暗所のような感じなのだ。無論、如月家は個別の部屋に冷暖房の設備はあるのだが、玄関ホールや廊下には無いのだ。それが今は…肌寒いくらいなのだから…。
「全員連れ出したのは正解じゃったな。しかしのぅ…これ程強い邪気があったのじゃったら、わしも早ぅに手を打っとったんじゃがなぁ…。」
 キヌさんは歩きながら櫪氏にそう言った。櫪氏はキヌさんの後ろで歩きながら、その言葉へと返した。
「では…これ程強力ではなかったと?」
「そうじゃ。確かに火も出とるし死人も出とるが、他は全く何も無かったんじゃ。何か起きた後じゃと邪気も弱り、本体がどこにあるか分からん様になっとってのぅ。まぁお前のことじゃから、もう見付けておるんじゃろ?」
「はい。ですが…近付けるかが問題なんですよ。」
「夏希…櫪現当主のお前がそう言うとは、ただ事ではないのぅ。ここは全員心して行かねばのぅ。」
 そう言っているうちに、あの食堂へと着いた。その中に入る前、キヌさんは私に一枚の護符らしきものを差し出した。
「…これは?」
「護身用の札じゃよ。まぁ、気休めにしかならんと思うが、持っとって損もなかろ。」
 私はそれを受け取って見ると、やはりそこには私には読めない字が書いてあった。だが、櫪氏の用いてるものとは少し違うような気がした。
「有り難う御座います。」
「礼を言われる様なもんじゃないよ。さ、入るよ。」
 その言葉を合図に、私達三人は食堂へと踏み出した。食堂の中はやけに空気が重く感じ、床に開いた大きな穴は、恰かも地獄へ通ずる入り口の様にさえ見えた。
 私達はレスキューが使ったであろうあの縄梯子で、再び地下空洞へと降りた。
「邪気が濃くなっとるのぅ…。夏希、灯りを。」
 キヌさんがそう言うと、櫪氏は直ぐに懐から札を出して何や呟いたかと思った刹那、それを闇へと放った。すると、それは蒼白い光を放ちながら四方へと散り、辺りを明るく照らし出した。
「さて、邪気の中心は…あれじゃのぅ…。」
 キヌさんはそう言って、とある場所へと向かった。その時、空洞の奥から幾人もの声が響いてきたが、キヌさんにそれを気にする様子はなかった。
「キヌさん…あの声…。」
「ありゃ、ここへ囚われたもんの声じゃ。邪気を浄めれば、あやつらも逝ける。さ、早ぅ片を付けるぞ。」
 そのキヌさんの言葉を聞いて櫪氏を振り返ると、彼はただ何も言わず首を縦に振っただけだった。
 先に進むにつれ、私は何だか胸苦しさを覚えた。何というか…高山に行った時の、あの空気が薄くなる感じに似ていた。
「ここじゃな。」
「そうですね。どうも、ここへ二人埋められたようで…。」
「この御方の妻子じゃな?」
「はい。」
 キヌさんと櫪氏は、あの木乃伊の前で短い言葉を交わすと、この後に遣るべきことが決まったようだ。
「相模君。少し下がっていてくれないか。」
 櫪氏に言われ、私はその場から十歩程退いた。すると二人は平行して並び、唄を詠み上げながら舞だしたのだった。

- 写し世に 想い残せし 春の日の 過ぎ往く時も いずれ還らん -

 それは…とても幻想的な光景だった。櫪氏が唄えば、それにキヌさんが呼応する。キヌさんが呼応すれば、それに櫪氏が呼応する…。

- 逆巻ける 時を昇らば 夏草の うつろう風も いずれ還らん -

 そうか…これが櫪家現当主が得意とする解呪の舞いか…。これ程に美しいものだとは、私は夢にも思わなかった。
 だが…そんな思いも束の間だった…。その幻想的な風景の中、突然あの古井戸のあった場所…その後に残った土山が盛り上がったのだ。私はギョッとして櫪氏とキヌさんをみたが、二人はそれに動じることなく舞い続けていた。

- 己ぇ…奪ったものを奪い…壊したものを壊してやる…! -

 そう不気味な声が響いたかと思った直後、盛り上がった土の中からいきなり骸骨が姿を現し、私はもう少しで失神しそうになってしまった。

- そう容易く…滅ぼすものか…。我が怨み…思い知らせてやる…! -

 一体…どこから声を発しているのだろう…?骸骨はまるで生きているかのように土から這い出し、少しずつこちらへと近付いてきた。まるで…怨念の塊であるかのように、そこから禍が噴き出しているように思え、私は身動きすることが出来なかった。

- 少しずつ…恐怖の中で死に逝くがいい…! -

 骸骨は剥き出しになった歯をカタカタと鳴らし、動く度に目玉の無くなった穴から土を溢していた…。その様は…もはや恐怖そのものだった…。だが、そこでもう一つの声が響いてきたのだった。

- もう止めなさい。怨んでも、もう何一つ戻りはしないのだから…。怨むのであれば、僕一人を怨めばいいんだ…。 -

 その声は、はっきりと男性だと分かる声だった。私が声の出所を探してみると…あの如月信太郎の木乃伊が淡く光っていたのだった。

- 信太郎様…貴方様は自分だけを怨めと申しますが…貴方様は私を裏切り、かの男の甘言に溺れた…。女である私より…男のあやつを…! -

 目の前の骸骨から見えない何かが溢れ出るのが分かった。邪気、障気、怨念…そういった言葉で表現出来るかも知れないが、でも…そんな生温いものじゃなかった。
 私はその中を、ただじっと時間が過ぎ去るのを待つしかなかった…。私には何も出来ないのだから。
 その凄まじい怒りを露にした骸骨を前に、木乃伊になった信太郎は言った。

- それは…お前も知っていたこと。今更、僕の性癖を咎めるというのかい?
-
- そのせいで…私達三人は闇に消え、私達を消した卑しき者等もまた、この漆黒の闇に沈んだのです…。そうしたのは…あの石川惣助ではないですか!なのに…自分だけを怨めとは…。今も、彼の者を愛していると…? -

- それはない。愛からは遠く離れてしまった。だが…僕は怨むことに疲れてしまったんだ…。そうして…お前と息子に会いたいと切に願った…。だから…こうしてここに居るんだよ…。 -

- 今更…今更…今更…! -

「これはまずい…。伯母様、早く結界を!」
「言われんでも分かっとるわい!」
 二人はそう言うと懐から護符を出し、何やら呟いて空中へと放った。すると、それは一斉に光を放ちながら広がった。だが…程無くして蒼白い炎に包まれたかと思うと、それらは灰となって四散した。
「こりゃ…なんちゅう怨念じゃ。まぁ、男なんぞに夫を寝とられちゃ、女もこうなるわいなぁ。」
「何を暢気なことを言ってるんですか!?あれをどうにかしないと、それこそ惨事になっちゃうんじゃないんですか!?」
 暢気に構えているキヌさんに、私は慌ててそう言った。だが…キヌさんはそれに答えることなく、櫪氏のもとへ行って言った。
「夏希。ありったけの札を寄越せ。」
「伯母様…どうなさるおつもりですか?」
「良いから、早ぅせい!」
 キヌさんに急かされ、櫪氏は渋々懐から護符を出し、それをキヌさんへと渡した。そうしてキヌさんは、私達へとこう言ったのだった。
「わしがこやつらをどうにかしとる間に、お前たちは上に行っとれ。」
「キヌ伯母様、それは…」
「時間が無いのじゃ!早ぅ行かんかい!」
 キヌさんは今まで見せたことのない険しい表情をし、私達をこの場から退かせようとした。
「相模君。さ、行くよ。」
「しかし…。」
「足手纏いと言われたんだよ。何か策があるようだから、私達は大人しく従おう。伯母様のことだから、きっと大丈夫さ。」
 そう櫪氏は言ったが、その言葉とは裏腹に、彼は何処と無く悲し気な表示をその顔に滲ませていた。
 私がもう一度キヌさんを振り返ると、キヌさんはとても穏やかな表情をし、私に「気ぃつけて行くんじゃぞ。」と一言だけ言った。だが、私はその一言に何か寂しさを感じたが、櫪氏に促されるままキヌさんに背を向けて駆け出したのだった。
 私達が駆け出した刹那、キヌさんは大声で何かを叫ぶと、周囲の禍々しい気があの骸骨へと集中して行くのが解った。そこからは様々な声が幾重にも響き、私は気がおかしくなりそうだった。
 櫪氏と共にあの縄梯子を登って上へ出ると、櫪氏が「早く館からでるよ!」と叫んだため、彼に続いて急いで如月家から脱出した。随分と走ってから私達が後ろを振り返ったその時…轟音と共に、あの美しい如月家が崩壊したのだった…。恐らく、あの大空洞の天井に力が加わり、如月家の重さに耐えきれなくなったのだろう。
「キヌさん…。」
 崩れ逝く館を見ながら私が呟くと、櫪氏が私の肩に手を置いて言った。
「伯母様は、最初からこうなることを知ってたんだ。だから…僕等を下がらせたんだよ。」
「だったら…何故キヌさん自身は…。」
 私が振り向いてそう問うと、櫪氏は静かにこう答えた。
「前にも言ったが、伯母様の力は強いんだ。強すぎたために…伯母様は力を使わなかったんだ。力を使えば、それは周囲にまで大きな影響を及ぼしてしまうから…。だから…伯母様はこれを最後にしようと決めたんだろう。自らの人生の幕引きとして、この一件の解消を選んだんだ。自分の子供ため…そして、これから生まれるであろう新たな命のために…。」
 そう言う櫪氏の目からは涙が溢れていた…。
 暫くは崩れ去った如月家をやりきれない思いで見ていたが、その思いを断ち切るように、私達がその場に背を向けた時だった。再び轟音が響いてきたため、私達は驚いて後ろを振り返った。すると…崩れ去った如月家の下から、水が噴水の如く噴き出したのだった。
「地下水が…!」
 いや、違う…。よく見れば、そこからはもうもうたる湯気がたっていたのだ。
「相模君…温泉だよ…。こんな場所から温泉が湧き出すなんて…。」
 私達は、ただ呆然とそれを眺めた。その湯は全てを洗い浄めるかの如く、町を流るる河へと下る。その中には、館の瓦礫であったり地下の崩れた岩などが混じっていた。
「あれは!」
 私と櫪氏は共に駆け出した。流れの中にあったあるもの目掛けて…。そして私達はそれに追い付き、それを地へと引き上げたのだった。
「帰ってこれたね…伯母様。」
「キヌさん…お疲れ様でした…。」
 私達が引き上げたのは、キヌさんの遺体だった。あちらこちら擦りむけ、髪は乱れているが…その顔には笑みさえ浮かべていた。
「帰ろう…家へ…。」
 櫪氏と私は、もう動くことのないキヌさんを抱え、刑部家へと戻ったのだった。



 
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