ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
閣下のお散歩
昼下がり―――とはいえ、もう結構日は傾いてきたが―――の世界樹の天辺に広がる巨大都市、イグドラシル・シティ。通称《イグシティ》は、ログイン人数が多い土日であっても人でごった返すことはそこまでない。お上品、といえば聞こえはいいが、要するに閑散としている。
というのも、都市機能としては店舗の種類も規模も、真下のアルンのほうが充実しているのだ。木の上、という関係上、都市そのものの大きさもアルンより一回りも二回りも小さい。加えて、ALO開始直後からあった央都に比べ、運営体が変わり、最近実装されたイグシティでは街中で受けられるめぼしいクエストの種類も少ない。わざわざ遥か天空まで上がってくる労力よりは、アルンで買い物をしていた方が得である。
ちなみに遥か下方では、天空都市に物珍しさという理由で人が流れているという商人クラスのプレイヤーの嘆きがあったりするのだが、何事も隣の芝生は青く見える、というヤツかもしれない。
そんなイグシティだが、さすがに大通りともなればそこそこの密度で人が歩いている。
押されたり肘が当たったりと直接的な接触はないにしても、パーソナルスペースぐらいはさっきから平気で侵されていたりする。
いつしか来日した時に目の当たりにしたシブヤだかシンジュクだかのスクランブル交差点を引き合いに出さなくても、日本人というのは高層ビルで地平線を見えなくしていったのと同じように、パーソナルスペースも擦り減ってなくなっているのではないか、と《白銀の戦神》ヴォルティス=ヴァルナ=イーゼンハイムは思った。
巨漢である。
二メートルを優に超す、筋肉が鎧を着て歩いているような男は、歩いているだけで道ができる、というか道を譲らざるを得ないようなオーラを常に発し、彼自身のパーソナルスペースは言うほど傷ついていないのだが、英国紳士は慎み深いのである。身も蓋もない言い方をすればナイーブなのだが、ヴォルティス卿を知る者に訊けば十人中十人が否定どころか笑い飛ばして冗談でしょ?というような単語だった。
当然ながら、そんな大男が群衆の中で大人しく埋もれている訳がない。荒野の中のハイウェイにポツンと立つ標識のように、ヴォルティス卿は行きかう人々の中でも文字通り頭一つ抜けていた。
何ていうか、存在感が違いすぎる。
物理的に頭―――彼の場合、もうほとんど上半身といっていいが―――が飛び出ていなくとも、ここまで目につく存在も珍しいだろう。空飛ぶUFOとかのほうが星の光に紛れるぶん、よほど目立たないというまである。
仮に卿の獅子のように逆立つ銀髪と、肉食獣のような眼光を常に発する黄金の瞳を人並みに変えたとしても、この男はいつもと変わらぬ輝きを放っているだろう。
そんな偉丈夫がお供の一人も付けずにほっつき歩いているのは、まさにそのお供が原因にあった。
いや、原因というのは若干語弊があるだろう。そもそもの原因というか起因というか、発端という点で言えば、ヴォルティス自身に非があるのだから。
まぁ、要するに――――
「むぅ、しかしあの量の書類は殺人的だと思うのだ」
まったくレンキの奴も困ったものだ、と愚痴るように原因を簡潔に完結させた筋肉は、唸りながら歩を進める。
ちなみに彼の唸りで隣をビクビク歩いていた一般プレイヤーの男の冷や汗が五割増しくらいになったのだが、偉丈夫は気付かない。閣下の悩みはメテオ海淵より深いのだ。
もう端的に言ってしまえば、お仕事イヤだから逃げ出してきたダメな大人、ヴォルティスは追手(部下)の追随を振り切るために筋肉しか詰まっていない脳みそをフル回転させていた。
―――さすがに我が目立つのは自覚している。屋外を歩くよりは、その辺にある適当な喫茶店……できればあまり窓が大きくないか、大きくても中の様子が見えない磨りガラスの店に入るべきか……。いや、別の都市に飛行したほうが早いのではないか?
追い詰められたスパイのように唸りながら閣下の思索は続く。
ただでさえ、威圧感を与える風貌なのだ。これで、それこそGGOにいたら怖がられることもなかったろう。ヴォルティスに真後ろを歩かれている少女など、ほとんど半泣き状態だった。
―――いや待て。レンキから逃げてそこそこ経つ。時間からいって、ぼちぼちウィルやリョロウも合流する頃合いだろう。そうなれば、イグドラシル・シティの空も見張られ始めているかもしれん。
今飛行しても、我の首を絞めるだけだ、とヴォルティス卿は力強く頷く。
彼の背には、イグドラシル・シティを行きかう妖精九種族のどれにも当てはまらない光の翅があった。
ヴォルティスはなぜかALO初ログイン時に選べるはずの九種族のどれにも当てはまらない、本当ならかつて世界樹の天辺に辿り着いた者だけがなれる《光妖精》という上位種族になっちゃってるのだ。
それゆえに彼は《孤独な領主》などと呼称されるが、ヴォルティス自身は他からの評価など特に頓着していない。
評価は他人から付けられるモノではない。自らの手で創るモノだ。とは彼の言だ。
閣下は凡人の感覚とは違うのである。
「…………む」
思考の迷宮の中に陥りそうになっていた脳筋は、そこで腹の辺りに軽い感触を得た。
もっともこの場合、軽いというのはヴォルティス卿視点のことで、相手からしたらダンプカーと正面衝突したようなものだったのかもしれない。
その証拠に、天高くそびえる偉丈夫にぶつかった猫妖精の少女は派手にブッとんで、NPC経営の果物屋の軒先に頭から突っ込んでいた。山と積まれていた色とりどりのオレンジやアップル(に見える何か)が転々と転がっていく様は、端から見ればホームドラマ級に面白くなくもないが、加害者側から見ると痛ましくて仕方がない。
矢がそのまま刺さっているようにピンと張っていた脚が、しんなりして地面につく前に駆け寄ったヴォルティスが華奢な足首を掴んで引き抜こうとした。
ばきゃっ、と。
変な音がした。
「…………………」
音の音源は、フルーツが積まれていた木箱のほう。
どうやらズレないように地面に直接固定するタイプのアイテムだったらしいのだが、そもそもの箱の底部が布がやぶけたように引き千切れていた。
そして、パンパンに中身が詰まった箱の底がなくなったらどうなるか。
答えは自明。
ざらざらごろごろごんごんざ――――ッ!
カラフリーな果物が木箱という立方体のくびきから脱し、大通りの一角を占領する勢いで広がる音が、響き渡る。
あまりの光景に通行人が立ち止まる中、閣下は静かに嘆息して店主である壮年のNPCに首を巡らせた。
こんな事態を想定した動作など組み込まれていない。そのはずなのに、ヴォルティスには、男の目元が怒りを堪えるように痙攣したように見えた。
「ふむ、ロベリア……か。良い名だ」
「ありがと。んで、えーと、ヴォル…ティス?だっけ。アンタはどーしてまだ付いてくるの?」
「我はあまりログインできていなくてな。正直、新しくできたこの街のマップも、あまり頭の中に入っていないのだ。案内してくれると助かるのだが。…………できれば、あまり人に見つからないような裏道だと助かる」
「図々しい上に後半が変質者チックだなオイ!人に見つからない脇道案内させてナニする気だマッチョ野郎!!」
噛みつくように叫ぶ、ネコミミ付きのニット帽を被った少女を見下ろしながらヴォルティス卿は首を傾げた。
―――むぅ、ロベリアはいったい何に怒りを覚えたのだろうか。
恐らく脳筋には一生答えの出せない命題に偉丈夫が悶々としている間に、小柄なケットシーは腕を組みながらぷりぷり怒っていた。
「まったく、気が付いたら吹っ飛ばされるわ、果物の塊にブッ刺さるわ、そんで助けようとしたバカが零した果物拾いをさせられるわ。……割とキレていいラインナップよね、これ」
「すまない」
「もーいいわよ。てか隙あらば土下座しようとすんな!暑ッ苦しいのよソレ!!」
「む、これがジャパニーズハラキリに続く日本古来からの謝罪方法だと、我のギルドメンバーが言っていたのだがな……」
「道端でンなことしてたら不審者一直線でしょーが!」
ええい調子が狂うフィーと同じ天然の匂いがする、と頭を抱えて呻く少女から目線を外し、ヴォルティスはもと来た道を軽く見る。
仕方がないとはいえ、騒ぎを起こした一所にいすぎた。ボチボチ人並みの変化を悟った追手(部下)が動き出しているはずだ。普通ならば、急いでこの辺りを離れた方がいいと思うだろうが、すでにウィル達がこの近辺にいた場合、その行動はいらない衆目を無駄に呼び寄せる可能性がある。
結局、人を騙せる一番の嘘は無表情のポーカーフェイスよりもフレンドリーな笑顔という訳だ。
「……ま、いっか。んで、裏道通ってイグシティ抜けたいっていうのね」
「良いのか?頼んでおいてなんだが、卿にも卿の用事があるのではないか?」
ほとぼりを冷ますという意味では、その用事が終わるまで待つというのもやぶさかではないのだが。
そう訊き返す大男に、ロベリアと名乗ったネコミミニット帽少女は片目を瞑って肩をすくめた。
「あたしの用っていっても、ただの迷子捜しだし。しかも、他にも人員いるしね」
「そうなのか。ならば頼むとしよう」
「はいはい」
ひらひらと手を振りながら先行する少女の揺れる尻尾の先端を追いかけるヴォルティス。
だが、その直前。
「…………む?」
前方の人込みが割れるように左右に裂かれ、一本の道を形成し、海面に突き出したサメのひれのようにこちらへ向かってくることにヴォルティス卿は気付く。
すわウィル達か?と身構える偉丈夫だったが、なんだか様子がおかしい。
本人はあんまり自覚していないが、ヴォルティスが歩く際に怯えと畏怖で道を開けるような形ではない。なぜか皆が皆、もともとそちらに用事があったように、自然に足を運び、結果的に大通りの中央に異様な一本道が現れているのだ。
そして、前を歩いていたロベリアも同様に脇へ逸れると同時。
本日二度目の軽い感触が、低い位置で炸裂した。
「べぶッ!!」
という、潰れた声とともに石畳の上に転がったのは、意外にも知人だった。ただし一方的に知識として知っているというだけで、面識はそんなにないはずだ。
白。
老人の白髪のような濁った白ではなく、絹のような滑らかで雪のように白い髪を持つ、少女。
足首までありそうなぶかぶかのコートを石畳の上に広げ、金銀妖瞳が特徴的な二つの大きな眼を白黒させていた少女は、ヴォルティスを視認するとチッと舌打ちした。
「《戦神》……!あぁもうッ、これだから無駄に《持ってる奴》は嫌いなのよ!無意識に『私』の力を跳ね除けるくらいの心意を垂れ流しやがって!」
「??」
おや?と閣下は首を傾げた。
おかしい。この少女はこんな言動をする人格構成をしていただろうか。
眉根を寄せる大男を放って置いて、頭をくわんくわん揺らせながら少女は何とか立ち上がる。
「おい、大丈夫か?」
「ほっといて。構わないで。…………畜生、あの野郎……絶対、ただじゃおかないから……」
ブツブツと怨嗟の声とともに人込みの中の一本道に消えていく矮躯を見送ったヴォルティスは、首を捻りながらも、大通りに面した露店に突如興味を持ったように釘付けになっていたロベリアの肩を叩いた。
「ん?何?」
「……いや」
後遺症などはないようだな、と口に出さずに逞しい胸をなで下ろした閣下は再びニット帽の少女を案内人に歩き出す。
「そういえば、卿のいう迷子捜しならば、抜け道に行くまでにも行えるのではないか?眼は多いほうが良いだろう。特徴を教えてくれ」
「あ?あー……真っ白い髪のちっこい女の子だってさ。NPCみたいなもんだからすぐ分かるらしいんだけど」
結果は惨敗ですよ、と肩をすくめる少女に、閣下はこの日、何度目か分からない首を傾げる動作を向けた。
「……ふむ?」
後書き
これが一番書きたかったんや!
という訳で閣下回です。まごうことなき閣下回です。
この方はズルいね!他の視点のことがどうでもよくなるくらい持ってくからズルいよ!
マッチョなお人が一人でもいると世界観が豊かに見える不思議。
さて内容についてですが……何だろうね、またとある少女がトリップしておられるけど、まぁいっか!閣下がいるし!(錯乱←
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