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ヒカリアン・フォーエバー

作者:7仔
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プロローグ"ウィンドロード"
  ”ウィンドロード”4

 
前書き
そしてミナヨは・・・ 

 
R願寺で待っていたのは一人の若い女性だった。
チェンと名乗ったが、日本語は日本人と見分けが付かないくらい流暢だった。
香港人で子供時代は日本で生活していたらしい。
ターゴとの関係を聞くとただ一言。「優しいおじさんの一人だった」と。
満身創痍の自転車の様子を見て、こんなことを言っていた。
「よくがんばったね。ミナヨさんと一緒に・・・。」
遺骨を納めた後、チェンは私を金沢駅まで送ってくれた。
自転車はチェンが引き取り、香港の知り合いへ送るらしい。
去り際に一つ軽いやり取りがあった。
チェン「ミナヨさん、エミリー・チュウって聞いたことありません?」
ミナヨ「エミリー・・・誰です?」
チェン「昔の香港映画に良く出ていた人です。わたし、よく似ているって言われていまして・・・そんだけです。」
後で、スマホで検索してみると、確かに似ているような感じはした。
ま、贔屓目に見ればかも知れないけど(誰?私がヤキモチしているだけだろうって言うのは?)

父は特急はくたかで迎えに来てくれた。この北越急行が誇る特急も、北陸新幹線延伸と共に過去のものになる。
遺骨を納めて旅は終わりのはずだが、私はもう少し自転車に乗っていたかった。
そんなワガママをつい漏らすと、父はムッとするかと思いきや、意外な言葉を返した。
「京都なら、いくらでもレンタサイクルをやっているはずだ・・・。」

またも長旅。ただし京都までは、サンダーバードでひとっとび。
自転車で長旅した後の電車の乗り心地がこんなにいいものとは知らなかった。
サンダーバードは特に何も言わなかった。先輩が次々引退して、自分が北陸本線を引っ張っていくことへの不安を抱えていたのだろうか。ただ一言、「ウエストによろしく」と言っただけだった。

そして京都に着いた。小さな旅館で一休みした翌日、レンタルした自転車に乗り、京都の町中を走る。
私はすぐに分かった。
私が母のお腹にいる時分、父と母はこの京都の町に願いを込めたのだ。丈夫な子が生まれますようにと・・・。
ちなみに、それを願った場所自体は、清水寺だったらしい。まずは清水寺へ行き、ご報告と将来の祈願をした。

それから次に向かったのは小さなお寺。
ここは・・・私の母のお墓がある場所だ。
仏前で旅の報告をした。
以前は来るたびに悲しくて悲しくて泣いていたが、今回は泣かなかった。強くなろうと決心したからだろうか・・・。

最後に父が私を連れてきたのは、京都タワーだった。完成が1964年と、意外に古いことにびっくりした。
父はここで母にプロポーズしたんだそうな。
タワー頂上からは京都の町が良く見えた。お寺も塔も町並みもそして・・・鉄道も。
「ほうら、見てみろ。」
父の見ていたコイン式双眼鏡の先には、一編成の新幹線が見えた。300系だった。
その運転席部分・・・バイザーがせり上がるのを見た瞬間、私は叫んでいた。
「のぞみ、私やったよ。自分を変えることができたよ、きっと・・・。」

チェンがいったい何者だったのか、後で父やテツユキ君、峠一家やそれにヒカリアン達に訊いてみたが、誰も手を振って詳しいことを話したがらなかった。
ただ、テツユキ君がバッジのようなものをくれた。チェンが残していったらしい。
何かの植物をあしらった徽章で、真ん中には海に面した町、下の方にはリボンがかけられ、こう記してあった。
「香港~HONG KONG POLICE~警察」と・・・。

その後、アオバのプジョーは、テツユキクンやドクターの大修理によって復活した。私もわずかだが手伝った。
そしてそれから約半年たらず後・・・。 
 

 
後書き
プロローグ終わり。ここから本編(?)です。 
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