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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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瞬殺

アスナがメッセージを飛ばした30分後、本当にその男が現れたのに、少々驚いた。

アルゲード中央の転移門から進み出た身長の姿を見た途端、広場を生き交う多数のプレイヤー達が激しくざわめいた。暗赤色のローブの背にホワイトブロンドの長髪を束ねて流し、腰にも背中にも一切の武器を持たない。SAOには存在しない《魔導士》クラスとすら思える雰囲気をまとう男。ギルド《血盟騎士団》リーダーにしてアインクラッド最強の剣士、《神聖剣》ヒースクリフは、3人を見るとピクリと片方の眉を持ち上げ、滑るように近づいてきた。

アスナがビシッと音がしそうな動作で敬礼(けいれい)し、急ぎ込むように弁解した。

「突然のお呼び立て、申し訳ありません団長!この者がどうしても呼べと言うものですから……」

どうしても、とは言ってない。そう脳裏で呟いたが、口に出すことはなかった。

「何、ちょうど昼食にしようと思ってたところだ。かの有名な《黒の剣士》キリト君に、《神速》と恐れられたネザー君とご馳走を共にする機会など、そうそうあるとも思えないしな。夕方からは装備部との打ち合わせが入っているが、それまでなら付き合える」

滑らか、かつ鋼のように引き締まったテノールでそう言うヒースクリフの顔を見上げ、俺は肩を竦めた。

「俺もできればあんたを呼び出したくなかったが、仕方ないんでね。興味深い話を聞かせてやる」

ご馳走と言っても、店を選ぶのはキリトの役目であるため、少々不安だった。

最強ギルドKoBのナンバー1と2を案内したのは、キリトの知る限りアルゲードもっとも胡散臭い、謎のNPC飯屋だった。しかしその店を見て、俺は不思議と不安を感じなかった。決して味が気に入ってるわけではないが、(かも)し出す総体としての雰囲気、そして何より人数があまりに少ないのが、俺の琴線(きんせん)に触れた。

キリトの後に続き、迷宮のような隘路(あいろ)を、5分ほども右に折れ下に潜り左に回って上に登りした先に、ようやく現れた薄暗い店を眺めてアスナが言った。

「……キリト君……帰りもちゃんと道案内してよね。わたしもう広場まで戻れないよ」

「噂じゃあこの街には、道に迷ったあげく転移結晶も持ってなくて、延々(えんえん)さまよってるプレイヤーが何十人もいるらしいぞ」

キリトが薄く微笑みながらそう脅かすと、俺が何事でもないように注釈(ちゅうしゃく)を加えた。

道端(みちばた)でNPCに頼めば、10コルで広場まで案内してくれる。その金額を持ってない場合は……言わなくてもわかるな」

両方の掌をヒョイッと持ち上げ、スタスタ店に入っていく。

狭い店内は、予想通りまったくの無人だった。安っぽい4人がけテーブルに座り、陰気なNPC店主に《アルゲードそば》4人前を注文してから、曇ったコップで氷水を(すす)る。俺の右隣の席に座るアスナが、いっそう微妙な顔で呟く。

「なんだが……残念会みたいね」

「俺だって、こんな店に来る気はなかった」

「まぁ、そんなこと言うなよ。それより、料理が来るまでの間、団長様に俺らの話を聞いてもらおうじゃないか」

俺の向かいで涼しい顔をしているヒースクリフを、チラッと見上げてキリトは言った。

昨夜の事件のあらましを、アスナが的確かつ簡潔に説明するのを聞く間も、ヒースクリフの表情はほとんど変わることはなかった。ただ唯一、カインズの死の場面で、片方の眉がピクッと動いた。

「……そんなわけで、ご面倒おかけしますが、団長のお知恵を拝借できればと……」

アスナがそう締めくくると、ヒースクリフはもう一度氷水を含み、ふむ、と呟いた。

「では、まずはネザー君の推測から聞こうじゃないか。キミは、今回の《圏内殺人》の手口をどう考えているのかな?」

話を振られ、俺は頬杖(ほおづえ)をついていた手を外して指を3本立てた。

「……最初は、3通りだった。1つ目が、正当なデュエルによるもの。2つ目は、既知(きち)の手段の組み合わせによるシステム上の抜け道。そして3つ目が……」

その先に続く言葉を言おうとした途端、不意に口を閉じた。

「……いや、3つ目は除外でいい」

「何を言おうとしたのか知らないが、キミが除外するということは、あり得ない可能性なのだな」

即座にそう言い切ったヒースクリフの顔を、キリトはおもわずまじまじと凝視してしまった。アスナも同様に、二、三度瞬きしてから言う。

「……断言しますね、団長」

次いでアスナは、先ほど俺の言おうとした3つ目の可能性、《圏内の保護を無効化する未知のスキル、またはアイテム》を伝えた。

「ネザー君の思ってる通りだ。想像したまえ。もしキミらがこのゲームの開発者なら、そのようなスキルや武器を設定するかね?」

「しないな」と、キリト。

「なぜそう思う?」

磁力的な視線を放つ真鍮(しんちゅう)(いろ)の瞳をチラリと見返し、キリトは答えた。

「そりゃ……フェアじゃないから。認めるのもちょいと業腹(ごうはら)だけど、SAOのルールは基本的に公正さを貫いてる。たった1つ、あんたの《ユニークスキル》や、特別(エクセプション)たるネザーを除いては、な」

最後の一言を、片頬の笑みと共に付け加えると、ヒースクリフが無言で同種の微笑を俺に向けた。

少しばかり驚くが、表情は冷徹のまま。いくらKoB団長とは言え、俺の《力》のことまでは知らないはずだ。

謎の微笑を応酬(おうしゅう)する俺とヒースクリフを順に見やって、アスナがため息混じりに首を振り、言葉を挟んだ。

「どっちにせよ、今の段階で3つ目の可能性を云々(うんぬん)するのは時間の無駄だわ。確認のしようがないもの。てことで……仮説その1、デュエルによるPKから検討しましょう」

「よかろう。……しかし、料理がでてくるのが遅いな、この店は」

眉をひそめ、カウンターの奥を見やるヒースクリフに、キリトが肩をすくめて見せた。

「俺の知る限り、あのマスターがアインクラッドで一番やる気のないNPCだな。そこも含めて楽しめよ。氷水ならいくらでもおかわりできる」

卓上(たくじょう)の安っぽい水差しから、団長殿の前にコップにどばどば注いでから続ける。

「圏内でプレイヤーが死んだならそれはデュエルの結果、てのがぁ、常識だよな。でも、これは断言していいけど、カインズが死んだ時、ウィナー表示はどこにも出なかった。そんなデュエルってあるのか?」

すると、アスナが軽く首を傾げた。

「……そういえば、今まで気にしたこともなかったけど、ウィナー表示の出る位置ってどういう決まりになってるの?」

「………」

確かに、それは誰も考えもしなかったことだ。しかし、ヒースクリフは迷う素振りもなく即座に答えた。

「決闘者2人の中間位置。あるいは、決着時2人の距離が10メートル以上離れている場合は、双方の至近に2枚のウィンドウが表示される」

「……よく知ってるな。なら……カインズから最も遠くても5メートル弱の位置にはいたことになる」

あの惨劇の様子を脳裏に再生し、下渡は首を横に振った。

「でも、周囲のオープンスペースに、ウィンドウは出なかった。目撃者があれだけいたんだから、これは確実で考えていいはずよ」

「あとは、カインズの背後の教会の中に出た場合だけど、それなら、あの時点で犯人もまた教会内部に留まってたはずで、カインズが死ぬ前に中に飛び込んだネザーと(はち)()わせしてなきゃおかしい」

「だが、誰もいなかった。ウィナー表示も出なかった。それは事実だ」

俺が付け加えた途端、うむむ、とキリトが唸ってから……

「……デュエルじゃない……としたら、一体……」

呟くと、うらぶれた飯屋の店内に、いっそう濃い影が落ちた気がした。

「……選択間違ってない?このお店……」

「……だから、こんな店に来るつもりはないと言ったんだよ」

呟いたアスナに次いで俺が、思考を切り替えるようにコップを干し、タンッとテーブルに置いた。そこにすかさず氷水をなみなみ満たすキリト。微妙な顔で礼を言い、アスナは指を2本立てた。

「じゃあ、残る可能性は2つ目のやつだけね。《システム上の抜け道》。そこで、どうしても引っかかる点があるのよ」

「何が?」

「《貫通継続ダメージ》よ。あの槍は、公開処刑の演出だけじゃない気がするの。圏内PKを実現するために、継続ダメージがどうしても必要だった……そう思えるのよ」

「確かに……妙な点だ」

頷いてから、しかし俺はおもむろにかぶり振る。

「だが、それはエギルに鑑定してもらった後に実験した。例え圏外で貫通武器を刺しても、圏内に移動すればダメージは止まる」

そう。

俺は一度、カインズを殺したあの黒い槍を、圏外で自分の手のひらに刺したのだ。結果は、HPが減少し圏内に戻ればダメージが止まるだけ。HPが減ったこと以外、死に(いた)るようなことは何も起きなかった。

キリトとアスナには内緒でやったため、後になってアスナにばれてしまい、怒りを(あらわ)にして叱られた。だが俺は相変わらずの冷徹さで「俺の命だ、どう使おうが俺の勝手だろ」と言い返してやった。

今でも時々思い出す記憶のため、アスナもしばらくの間は俺を見張るような目線を送ってきた。だが今は事件の話の最中であるため、《システム上の抜け道》に懸命だった。

「なら……《回廊結晶》はどうなの?あの教会の小部屋を出口に設定したクリスタルを用意して、圏外からテレポートしてくる……その場合も、ダメージは止まるのかしら?」

「止まるとも」

再び、ヒースクリフが切れ味鋭く即答した。

「徒歩だろうと、回路によるテレポートだろうと、あるいは誰かに放り投げられようと、圏内……つまり街の中に入った時点で、《コード》は例外なく適用される」

「ちょっと待った。その、《街の中》ってのは、地面や建物の内部だけか?上空はどうなる?」

ふと、奇妙な空想に(とら)われてキリトは訪ねた。

あのロープ。槍に貫かれたカインズの首にロープを掛け、地面に触れないよう吊り上げたまま回廊を通して教会の窓からぶら下げる……?

これには、さしものヒースクリフもやや迷った様子を見せた。

しかしほんの2秒後、(たば)ねられた長髪(ちょうはつ)がフワリと横に揺れた。

「いや……、厳密に言えば、《圏内》は街区の境界線(きょうかいせん)から垂直に伸び、空の(ふた)、つまり次層の底まで続く円柱状の空間だ。その三次元座標に移動した瞬間、《コード》はその者を保護する。だから、仮に街の上空100メートルに回廊の出口を設定し、圏外からそこに飛び込んでも、落下ダメージは発生しないことになる。大いに不快な神経ショックを味わうことにはなるが」

「へぇーっ」

キリトとアスナの2人が異口同音に嘆声(たんせい)を漏らした。

《圏内》エリアの形状にではない。そんなことまで知っているヒースクリフの博覧強記ぶりに対してだ。ギルドマスターというのはそこまで勉強しなきゃ務まらないのか、と思いかけたが、脳裏に刀使いの無精ヒゲ面が浮かび即座に否定する。

しかし……

となると、例え《貫通継続ダメージ》といえども、カインズが圏内にいた以上、その発生は停止していなくてはならない。つまりあの男のHPを削り切ったのは、短槍《ギルティソーン》以外のダメージソース、ということになる。だが、そこに抜け道がありはしないだろう。

考え続ける内に、俺の近くにのそっと立つ人影があった。

「……おまち」

やる気皆無な声と共に、NPC店主は四角い(ぼん)から白いテーブルに移した。油染みのあるコック帽の下に伸びる長い前髪のせいで、顔はさっぱり見えない。

他の層の、清潔で礼儀正しくキビキビしたNPC店員ばかり見慣れているのだろうアスナの唖然とした視線に見送られながら、店主はのそのそとカウンターの向こうに戻っていった。

キリトは卓上から安っぽい割り箸を4本取り、他の3人に手渡した。割り箸をパキンと割って、ドンブリを1つ引き寄せた。同じようにしながら、アスナが低い声で言った。

「……なんなの、この料理?ラーメン?」

「似た料理、かな。名前は《アルゲードそば》っていうんだけど」

と答え、キリトは薄い色のスープに沈む縮れ麺を引っ張り上げた。

うらぶれた店内は、4人の麺をすする音で響いた。

ノレンの外をカサカサと乾いた風が吹き抜け、表で謎の鳥がクアーと鳴いた。

「……おいしくないわね、これ。生麺の味しかしないわ」

「やっぱり来る店を間違えたな」

「そこまで不味いか……。俺はこの微妙な味、気に入ってるんだけどな」とキリトは美味しそうに食べている。

数分後、空になったドンブリをテーブルの端に押しやってから、アスナはヒースクリフを見やった。

「……それで団長、何か閃いたことはありますか?」

「………」

スープをきっちり飲み干し、その底の漢字っぽい模様を凝視しながら意外な言葉を放った。

「1つ気付いたことがある。……これは断じてラーメンではない!」

「……は?」

俺が唖然とした顔で、しばらく口をポッカリと開けていた。

「団長もそう思いますか?麺の出来は悪くないと思うけど、スープの味がね……。醤油とかあれば、立派な東京風ラーメンになると思うけど……」

「俺は、このままでも美味いと思うけど……確かに醤油があれば、ちゃんとした醤油ラーメンが完成するな」

ヒースクリフの意外な発言により、いつの間にか話がラーメン評論会に変わった。しかもキリトとアスナは、美味しいラーメンの作り方を模索し始めた。

「……お前ら、話を逸らすな」

唖然から解放された俺が、怒りのこもった口調で言った。

「……そうだったな」

ヒースクリフがドンブリから眼を離し、顔を上げた。

「では、この偽ラーメンの味の分だけ答えよう」

パチンと割り箸を置く。

「現時点の材料だけで、《何が起きたのか》を断定することはできない。だが、これだけは言える。いいかね……この事件に関して絶対確実と言えるのは、キミらがその眼で見、その耳で聞いた情報だけだ」

「……最後に頼れるのは自分自身、ということだな」

「その通り。さすがだな、ネザー君」

ヒースクリフは、真鍮色(しんちゅういろ)双眸(そうぼう)で、首を左右に動かしながら3人を見つめ、更に言った。

「アインクラッドに於いて直接見聞きするものはすべて、コードに置換(ちかん)可能なデジタルデータである、ということだよ。そこに、幻覚幻聴の入り込む余地はない。逆に言えば、デジタルデータでないあらゆる情報には、常に幻や欺瞞(ぎまん)である可能性が内包される。この《圏内事件》を追いかけるのならば、眼と耳、つまるところ己の脳がダイレクトに受け取ったデータだけを信じることだ。先ほど、ネザー君の言う通り、最後に頼れるのは自分自身だけだ」

ごちそうさま、と最後に言い添え、ヒースクリフは立ち上がった。

謎めいた剣士の言葉の意味を考えながら、俺も席を立ち、出口のノレンを潜った。

前に立つヒースクリフを見ながら、……彼は、何者なんだ……、と脳裏で呟いた。











視界右下端の数字が、ちょうど午前2時を示した。

最強ギルドの1つ《聖竜連合》が、56層に華々(はなばな)しくギルド本部を構えたのは最近のことだ。血盟騎士団本部のある55層の1つ上なのは決して偶然ではあるまい。

アルゲードの転移門から移動したキリトは、街を見下ろす小高い丘にそびえ建つ忌まわしき飽食の館を睨み、呆れてものも言えなかった。《ホーム》というより、《(キャッスル)》あるいは《要塞(フォート)》というべき大仰(おおぎょう)さだったのだから。

アスナと俺のほうは特に感慨もないらしく、すたすたと赤レンガの坂道を登っていく。

銀の地に青いドラゴンを染め抜いたギルドフラッグが(ひるがえ)る白亜の尖塔(せんとう)(ぐん)を見上げながら、キリトはしつこくぼやいた。

「しっかし、いくら天下の聖竜連合様と言っても、よくこんな物件買う金があるよなぁ。その辺、血盟騎士団の副団長としてはどう思う?」

「まー、ギルドの人数だけで言えば、聖竜連合はうちの倍はいるからね。それにしたってちょっと腑に落ちない感じはするけど。うちの会計のダイゼンさんは、『えろう高効率のファーミングスポットを何個も抱えてはるんやろうなぁ』って言ってた」

「へええ」

因みに《ファーミング》というのは、大量のモンスターを高回転で狩り続けることを指すMMO用語だ。

「どうでもいいから、さっさとシュミットを連れいくぞ」

ギルド本部の形にまったく興味を示さない俺が足を動かし、サクサクと聖竜連合本部へと歩き始めた。

キリトとアスナも、釣られるように後へ続く。





3人がシュミットを連れて、第57層主街区《マーテン》へと転移し、青いポータルから出てきた時には、街はすでに夕景に包まれていた。

広場にはNPCや商人プレイヤーな屋台が立ち並び、賑やかな売り声を響かせている。その間を、1日の疲れを癒しに来た剣士達が連れ立って歩いているが、広場のとある場所だけがポカリと空疎(くうそ)間隙(かんげき)を作っていた。

小さな教会に面した一画。言うまでもなく、ほぼ24時間前にカインズが謎の死を遂げた場所だ。俺はどうしても吸い寄せられそうになる視線を無理矢理前方に固定し、昨日歩いた道を進み始めた。

数分で目指す宿屋に到着し、2階へと上がる。長い廊下の一番奥が、ヨルコが滞在(たいざい)……または保護されている部屋だ。

ドアをノックし、ネザーだ、と名乗る。

すぐに細い声で応えられ、俺はノブを回した。引き開けたドアの正面、部屋の中央に向かい合わせに置かれたソファの片方に、ヨルコが腰を掛けていた。す、と立ち上がり、暗青色の髪を揺らして軽く一礼する。

俺はその場から動かずに、ヨルコの張り詰めた表情、そして背後のシュミットの同じく強張った顔を順番に見て、言った。

「念のため確認するが、2人とも武器は装備するな。ウィンドウを開くのも禁止だ。いいな」

「……はい」

「わかってる」

ヨルコの消え入りそうな声、シュミットの(いら)()ちの(にじ)む声が同時に応じた。俺はゆっくり中に足を踏み入れ、シュミットとキリトとアスナを導き入れた。

随分と久しぶりに対面するはずの、元《黄金林檎》メンバー同士の2人は、しばし無言のまま視線を見交わしていた。

かつては同じギルドメンバーだったヨルコとシュミットだが、今となってはそのレベル差は20を超えているだろう。上なのはもちろん攻略組の一員たるシュミットのほうだ。しかし俺の眼には、屈強(くっきょう)なランス使いのほうが余計に緊張しているように見える。

事実、先に口を開いたのはヨルコだった。

「……久しぶり、シュミット」

そして薄く微笑む。対するシュミットは、一度ギュッと唇を噛み、掠れ声で答えた。

「……ああ。もう二度と会わないと思ってたがな。座っていいか」

ヨルコが頷くと、フルプレートアーマーをガシャガシャ鳴らしながらソファーに歩み寄り、向かい側に腰を下ろした。さぞかし窮屈(きゅうくつ)だろうと思うが、除装する様子はない。

俺はしっかりとドアを閉めて再度ロックされたことを確認し、向き合って座るヨルコとシュミットの東側に立った。反対側にはアスナが立ち、北側にはキリトが立った。

数日間の缶詰(かんづめ)を強いられるヨルコのために一番高い部屋を借りたので、5人が()になってもまだ周囲は広々としていた。ドアは北の壁にあり、西には寝室へと続くもう1つのドア、東と南は大きな窓になっている。

南の窓は開け放たれ、春の残照を含んだ風がそよそよと吹き込んでカーテンを揺らしていた。もちろん窓もシステム的に保護されており、例え開いていても誰かが侵入してくることは絶対にない。周囲の建物よりやや高台になっているので、白いカーテンの間から、濃い紫色に沈む街並みが遠くまで見渡せる。

フルプレート装備のシュミットとは比較にならないが、今夜はヨルコも相当着込んでいた。厚手のワンピースに革の胴衣(どうい)を重ね、更に紫色のベルベットの短衣(チュニック)を羽織って、肩にはショールまで掛けている。金属防具はなくとも、これだけ着込めばかなりの防御力が加算されているはずだ。表面上は平静でも、やはり彼女も不安なのだろう。

風に乗って届いてくる街の喧騒(けんそう)を、今回起こった事件の説明に(さえぎ)られた。

事件の重大さを理解したシュミットが、ヨルコに向けて口を開いた。

「……グリムロックの武器で……カインズが殺されたというのは、本当なのか?」

「……本当よ」

途端、シュミットは大柄な身体をビクッと震わせ、立ち上がる。

「何で今更カインズが殺されるんだ!?あいつが、あいつが指輪を奪ったのか?グリセルダを殺したのはあいつだったのか?グリムロックは売却に反対した3人全員を狙っているのか?俺もお前も狙われているのかよ!?」

今の台詞は、シュミットが指輪事件および圏内殺人双方と無関係だと宣言したに等しい。これが演技だとすれば大したものだ。

低い叫びを聞いたヨルコの表情が、初めて変わった。微笑を消し、正面からシュミットを睨みつける。

「私もカインズも、そんな事しないわ。それに……これはグリムロックさんに剣を作ってもらった、他のメンバーの仕業かもしれない。でも、もしかたら……」

虚ろな視線を、ソファの前に置かれた低いテーブルび落とし、呟く。

「死んだグリセルダさん自身の復讐なのかもしれない」

ヨルコの言葉にシュミットは唖然としていた。

「だって、圏内で人を殺すなんて、普通のプレイヤーにできるわけないんだし」

「な……」

パクパクと口を動かし、シュミットは(あえ)いだ。これには護衛3人も、少しばかりゾッとさせられた。

ヨルコは音もなく立ち上がると、一歩右に動いた。

両手を腰の後ろで握ると、皆に顔を見せたまま、南の窓に向かってゆっくり後ろ歩きしていく。(かす)かなスリッパの足音に合わせた、細かく切られた言葉が流れる。

「私、ゆうべ、寝ないで考えたの。結局のところ、グリゼルダさんを殺したのは、ギルドの誰かであると同時に、メンバー全員でもあるのよ。あの指輪がドロップした時、投票なんかしないで、グリセルダさんの指示に従っていればよかったんだわ」

言葉が途切れると同時に、ヨルコの腰が南の窓枠に当たった。

そのままそこに腰掛けるようにしながら、ヨルコはもう一言だけ付け加えた。

「でも、グリムロックさんだけはグリセルダさんに任せると言ったわ。だから、あの人には、メンバー全員に復讐して、敵を討つ権利があるんだわ」

しん、と落ちた沈黙のなか、冷たい夕暮れの風がかすかに部屋の空気を揺らした。

がて、震えるシュミットが蒼白になった顔を俯け、うわ言のように呟いた。

「なんで……なんで半年も経って今更……」

がばっ、と上体を持ち上げ、突然叫ぶ。

「お前はそれでいいのかよ、ヨルコ!今まで生き抜いてきたのに、こんなわけもわからない方法で殺されていいのかよ!?」

シュミットと、俺、そしてアスナとキリトの視線が窓際のヨルコへと集まった。

どこか(はかな)げな雰囲気を纏う女性プレイヤーは、視線を宙に彷徨わせながら、しばらく言葉を探すようだった。

やがてその唇が動き、何かを言おうとした__。

その瞬間。

とん、という乾いた音が部屋に響いた。同時に、ヨルコの眼と口が、ぽかんと見開かれた。

続いて、細い体が大きく揺れた。がく、という感じで一歩踏み出し、よろめくように振り返ると、開け放たれたままの窓枠(まどわく)に手をつく。

その時、一際(ひときわ)強く風が吹き、ヨルコの背中に流れる髪をなびかせた。

部屋にいた全員がそこに、信じがたいものを見た。

紫色の光沢(こうたく)のあるチュニック。その中央から、小さな黒い棒のようなものが突き出している。

それはあまりにもちっぽけで、瞬間、いったい何んなのかわからなかった。だが、その棒を包み込むように明滅(めいめつ)する赤い光を認識した途端、皆が戦慄(せんりつ)させられた。

あれは、投げ短剣の柄だ。そして刀身は、丸ごとヨルコの体に埋まっている。つまり……窓の向こうのいずこから、黒い短剣が飛来し、ヨルコの背中を貫いたのだ。

前後に頼りなく揺れていた体が、グラッと大きく窓の奥へと傾いた。

「あっ……!」

アスナが悲鳴じみた(あえ)ぎを漏らした。同時に俺は飛び出していた。

手を伸ばし、ヨルコの体を引き戻そうとする。だが。

ショールの端にわずかに指先が(かす)っただけで、ヨルコは音もなく宿屋の外側へと落下していった。

窓から身を乗り出し、俺の目の前で。

眼下の石畳(いしだたみ)に墜落し、バウンドしたヨルコの体を、青いエフェクトが包んだ。

ぱしゃっ、という、あまりにもささやかな破砕音(はさいおん)。ポリゴンの欠片が、炸裂したブルーのの光に吹き散らされるるようにして拡散し……

1秒後、乾いた音を立てて、漆黒のダガーだけが路上に転がった。

そんな!!

俺の脳内に響いた無音の絶叫には、何重もの意味が存在した。

宿屋の客室はシステム的に保護されているのだ。例え窓が開いていようとも、その内部に侵入することはもちろん、何かを投げ込むことも絶対に不可能だ。

更に、あんな小型のスローイングダガーが、中層レベルプレイヤーのHPを全て吹き飛ばすほどの貫通継続ダメージを発生させたことも信じがたい。ダガーが刺さってからヨルコが落下・消滅するまで、どう長く見積(みつ)もっても5秒と経過していなかったのだ。

絶対にあり得ない。これはもう、《圏内PK》などという呼び方では収まらない。

息が詰まり、背筋に極低温の戦慄が駆け巡るのを感じながら、俺はヨルコの消えた石畳から無理矢理に視線を外した。勢いよく顔を上げ、見開いた両眼で、外の街並みをカメラのように切り取る。

そして、それを見た。

宿屋から2ブロックほども離れた、同じ高さの建物の屋根。

深い紫色の残照を背景に、ひっそりと立つ黒衣の人影。

漆黒のフーデッドローブに包まれ、顔は見えなかった。脳裏に閃いた《死神(ヴァーミン)》という単語を押しのけ、俺は叫んだ。

「あいつッ……!!」

窓枠に左右を掛け、背後を見ずにもう一声、

「アスナ、キリト、そこにいろ!!」

叫び、通りを(へだ)てた向かいの建物の屋根へと一気に跳んだ。

しかし、いかに敏捷力(びんしょうりょく)補正があるとは言え、道幅(みちはば)5メートルを助走なしに飛び越えようとしたのはやや無謀だったが、屋根と屋根の間を飛び越えることなど、現実世界で何度も体験したことだ。スキルがあろうがなかろうが、俺には関係なかった。

屋根上に着地すると同時に、後ろからアスナの切迫(せっぱく)した声が届いた。

「ネザーさん、だめよ!」

静止の理由は明白だった。もしあのスローイングダガーによる攻撃を被弾すれば、俺も即死するかもしれないからだ。

だが、今更自分の命を惜しむことなどなかった。もしここで死ぬのが俺の運命なら、喜んで受け入れる所存だ。

俺の思考を(あざ)(わら)うかのように、彼方の屋根上で、黒い腰ローブが風に大きくなびいた。

「逃がすかよ……!!」

叫び、俺は猛然と走り始めた。同時に後ろ腰の剣を引き抜く。街中ゆえに俺の剣ではやつにダメージを与えられるかはわからないが、投げられたダガーを弾くことぐらいはできるはずだ。

ダッシュの勢いを殺さぬよう、屋根から屋根へといとも簡単に飛び移っていく。眼下の道を行き交うプレイヤー達は、俺を敏捷力(びんしょうりょく)自慢の痛いパフォーマーか何かと思っているだろうが、どうでもいいことだ。半袖ロングコートの(すそ)をなびかせ、夕闇を切り裂いてジャンプを続ける。

フーデッドローブの暗殺者は、逃げる、あるいは攻撃する気配も見せず、肉薄(にくはく)する俺をただジッと眺めているようだった。双方を(へだ)てる建物があと2つとなった時、不意に暗殺者はの右手が動き、ローブの(ふところ)へと差し込まれた。俺は相手がスローイングダガーを投げてくるかと思い、剣を正面に構えた。

しかし。

引き出された手に握られていたのは、スローイングダガーではなかった。宵闇(よいやみ)の底で、見慣れたサファイアブルーが鋭く(きら)めいた。転移(テレポート)結晶(クリスタル)

「くそっ!」

俺は毒づき、疾駆(しっく)しながら左手でベルトから投げ針を3本同時に抜いた。振りかぶり、一息に投擲(とうてき)する。ダメージが目的ではなく、反射的な回避動作を取らせてコマンド詠唱(えいしょう)を遅らせる狙いだ。

だが相手は憎たらしいまでに落ち着いていた。銀のライトエフェクトを引いて襲い掛かる3本の針を恐れる様子もなく、悠然(ゆうぜん)と転移結晶を掲げる。

フーデッドローブの寸前で、3本のピックは全て紫色のシステム障壁に(はば)まれ、空しく屋根に転がった。俺はせめて、相手の音声コマンドを聞き取ろうと耳を()ませた。行き先がわかれば、結晶で追跡することができる。

しかし目論みは、今度も裏切られた。まさにこの瞬間、マーテンの街全体に、大ボリュームの鐘の音が響き渡ったのだ。

俺の耳……正確には聴覚(ちょうかく)()は、午後5時を告げる多重サウンドに大部分を占領されて、殺人者が最低限の音量で発したコマンドを捉えることができなかった。青いテレポート光が(ほとばし)り、あと通り1つをを隔てたところまで肉薄した俺の視界から、漆黒のフーデッドローブ姿は呆気なく消え去った。

「………ッ!!」

俺は声にならない叫びを上げ、右手の剣を、3秒前まで奴が立っていた場所へと叩き付けた。紫の光が飛び散り、視界の中央に【Immortal Object】のシステムタグが無表情に点滅した。
 
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