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ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜

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第二章 追憶のアイアンソード
  第31話 少女の涙

 翌日。村では、犠牲となった人々への祈りがしめやかに行われていた。
 藁に包まれた遺体は、門近くの墓場へ埋葬され、遺族でない村人達も数多く参列していた。この村にとっては誰もが家族であり、兄弟なのだろう。

「……かあ、さん……お母、さんっ……!」

 村人は皆悲しみに暮れ、昨日までの賑やかさは嘘のように失われていた。とりわけ、最愛の母を失ったベルタの悲しみは深く、墓に泣き縋る彼女の姿は、人々の心に痛みを残している。

「……」

 だが、村の誰もが、彼女にかける言葉を見つけられずにいた。嘆き悲しむ背中を見つめるしかなかった竜正も、その一人である。

 ――あの後。村人達は倒された男達を全員縛り上げた後に納屋に閉じ込め、逃げた残りの連中を探す捜索隊を再編成することになった。
 突如平和な村を襲った、王国騎士に「扮した」凶暴な男達。その異様な外敵を前に、村に住む人々は皆、剣呑な雰囲気に包まれていた。

(……俺の、せいだ。俺の過ちが、この村に災厄を呼び込んでしまった……)

 今までの平穏な景色は一瞬にして失われ、人々を包む殺伐とした空気が、村の全てを包んでいる。
 そんな光景を苦々しく見つめる竜正は、原因となった自分の行いを思い返していた。忘れかけていた悪夢を見るように。

 ――その夜。いつものように仕事を終え、この日の客が全て去った後の大浴場に、竜正は一人身を浸していた。

「ふ……ぅ」

 大浴場で働く身としては最年少である竜正は、最後の片付けをしなくてはならない代わりに、最後の風呂を一人で満喫することを許されている。
 しかも竜正の実力が知れ渡った今となっては、片付けをする役目も他の村人が請け負うこととなっていた。「賊と戦える優秀な剣士だから」と、村人達が揃って彼の評価を一変させたためである。
 もはや彼らにとっては、竜正の比類なき強さのみが希望なのだ。

(巻き込んだのが俺なら、解決できるのも俺……か)

 竜正が見下ろした水面に映る、諸悪の根源。その憂いを帯びた表情は、これから始まる戦いの虚しさを予感していた。
 自分自身がそもそもの原因である以上、勝ったところで罪を償えるわけではない。負ければ、より多くの命が失われる。
 その事実が生む心の淀みは、万病に効くと評判のこの浴場でも、洗い落とすことは出来ずにいた。

(それでも……せめて、今生きている村の皆だけは……ん?)

 その時。竜正以外には誰も来ないはずの時間帯でありながら、湯煙の向こうに人影が現れる。
 浴場の営業時間は終わっているはず。なのにここに来るということは、ここの職員なのか。
 竜正は咄嗟にそう考えたが、その人影は彼が知る職場の先輩達の誰とも一致しなかった。

(……!?)

 まさか、奴らがこのタイミングで村に……!? と、思考を巡らせた竜正は、咄嗟に目の色を変えて立ち上がる。

 が。

 湯煙を越えて現れた人影の正体は、竜正の予測を遥かに越えていた。

「あっ……」

「え……?」

 竜正の目の前に現れたのは職場の先輩でもなければ、狂気に囚われた騎士でもない。
 タオル一枚に色白の肢体を隠した、亜麻色の髪の美少女――ベルタの姿だったのである。

「な、なっ……」

 女性の使用時間はとうに過ぎている。生まれも育ちもこの村である彼女が、それを知らないはずがない。
 にもかかわらず、なぜ彼女がここにいるのか。その答えが見出せず、竜正は混乱する。

「……」

 一方。ベルタも頬を赤らめ、恥じらうような表情で竜正を見つめていた。
 その微熱を帯びた視線は、竜正の――ある部分へ向かっている。

「うっ!」

 彼女の視線を追い、自分が裸のまま浴場から立ち上がっていることを思い出した竜正は、慌てて座り込む。激しい水飛沫が、彼の動揺を物語っていた。

 そんな彼の様子を見遣りながら、ベルタはゆっくりと白い爪先から湯船に浸かり、竜正の側へ寄り添って行く。その白い肩が、少年の傷だらけの肩に触れるまで。

「……どうしたんだ。営業時間を知らない君じゃないだろう」

 それから僅かな間を置き、冷静さを少しだけ取り戻した竜正が口を開く。村一番の器量と言われる彼女の柔肌を前にしたためか、その声は僅かに上ずっているようだった。

「……ごめんね。来ていい時間じゃないのは知ってたけど……番台さんに無理言って、通してもらったの」
「なんで、また」
「……ここにいれば、安心かな、って」
「――そう、か」

 ばつが悪そうにそう答えるベルタの言葉を受け、竜正は深く追及することなく彼女から視線を外す。正確には、彼女の胸元から。

 ――昨夜の戦いで男達の大半は仕留めたが、彼らの生き残りは今もこの近辺に潜んでいる。
 村人達にとっては、身に迫る危険は今も続いているのだ。

 母を失った痛みは、時間が解決してくれるかも知れない。しかし、今自分達に近付いている危難は、時間が過ぎたところでどうにかなるものではない。
 諸悪の根源が断たれるまで、永遠に続く苦しみなのだ。

 肉親を亡くした苦しみに苛まれながらも、それだけに囚われず現状に気づいたから、彼女はここに来たのだろう。
 少なくとも竜正のそばにいれば、殺されることはないのだから。

(……すまない、ベルタ)

 彼女の短い言葉からそれを察した竜正は、自分の行いのせいで、好きでもない男と肌を寄せ合うことになった彼女の境遇に胸を痛めた。
 自分が死ねば、父は独りになってしまう。それだけは避けねばという想いが、彼女をここへ誘ったのだろう。他意などない。
 それが、彼女の行動についての竜正の見解であった。

「……タツマサくん、みんなを守ってくれたんだよね。お父さんから聞いたよ」
「ん、あぁ……いや、守ってなんかいない。結局、俺は――」
「――お母さんも、きっとありがとう、って言いたかったと思うよ。私だって、感謝してるんだし。……ありがとう、私達を守ってくれて」
「ベルタ……」

 泣き笑いにも似た表情で、ベルタは竜正に微笑みかける。その儚げな笑顔は、少年の心を深く抉った。
 悪いのは、自分なのに。それを知らずに、彼女は自分を慕っている。
 その状況に心を痛めながら、竜正は人知れず誓いを立てる。

(……今はただ、戦おう。例え甲斐がないとしても――この笑顔を、この優しさを、無駄にはできない)

 本当は、辛くてたまらないはずなのに。悲しくて、たまらないはずなのに。それでも彼女は、自分のために笑おうとしている。
 自分を、追い詰めないために。きっと、それが彼女なりの礼だったのだろう。

 それでも。

「ぁっ……」
「……」

 竜正は、見ていられなかったのだ。

 少年の腕の中に、少女の白い裸身が収まる。抵抗する暇さえ与えない自然な動作に、少女は頬を赤らめ、思わず甘い声を漏らしてしまった。

「今ぐらい、泣いていい」
「……っ!」

 そして少女は自分の声に恥じらう暇もなく、耳元で優しく囁かれ――本心を、暴かれてしまった。

「俺は今夜、誰の涙も見ていない。泣いてるところも見ていない。だから、いいんだ」
「……ぅ、ぁ、ああっ……!」

 取り繕う隙もない、甘い囁き。それは少女が懸命に作り上げた心の壁を、雪のように溶かしていく。
 その溶けた雫は涙として少女の頬を伝い、やがて少年の胸に滴り落ちた。

 少年は何も言わず、ただ静かに少女を抱き締める。浴場に響く、彼女の啜り泣く声が消え去り――再び、この空間に静けさが戻るまで。
 いつまでも、待ち続けた。

 ――それから、どれほど経っただろう。いつしか少女は安らいだ表情で、少年の胸板に身を委ねていた。
 そうして生まれたままの姿で、自分に寄り掛かる少女の肩を抱き、少年は静かに呟く。彼女にしか、聞こえないように。

「こんなことを言える資格など、俺にはない。それでも……」
「……」

 少年は穏やかに――力強く、宣言する。

「……君は、俺が守る」

 あまりにも簡潔で、飾り気のない言葉。しかし、死の恐怖に晒されていたベルタにとっては、それだけで十分だった。

「……うん」

 彼女も、小さくか細い声で呟くと、小さく頷いて見せた。赤く染まるその顔は、どこか恥じらっているようで――それでいて、幸せそうにはにかんでいる。

 もはや、その笑顔に偽りはない。

 少女はようやく、笑うことが出来たのだ。
 
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