ダタッツ剣風 〜中年戦士と奴隷の女勇者〜
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最終話 グーゼルの旅立ち
それから、一ヶ月。
戦場となった街や城の復興を終えた反乱軍は、新生公国軍として再編成され――新たな時代に向け、生まれ変わろうとしていた。
今日は、その日を祝うパレードが大々的に行われている。
「勇者様! 勇者グーゼル様ぁーっ!」
「クセニア姫ぇーっ!」
路地の脇に集合した民衆が、声高々に英雄達に賞賛を送る。彼らの歓声を浴びる新生公国軍の面々は、守り抜いた人々に満面の笑みで応えていた。
そんな彼らの先頭では――煌びやかなドレスに身を包んだ二人の美姫が、輝かんばかりの笑顔で手を振っている。
公国勇者として十年に渡り戦い続けてきたグーゼル・セドワと、この国の新たな君主として立ち上がった公女クセニア。
公国の歴史に名を刻むであろう彼女達を一目見ようと、民衆は窓や屋根にまで登り、このパレードに集まっている。中には、噂を聞きつけ、外国からやって来た者達もいた。
――そう。十年間の暗黒時代を打ち破り、ついに公国は平和を取り戻したのだ。
しかし。
民衆の賞賛を浴びるべき英雄の一人が、ここにはいなかった。マクシミリアン傭兵団と戦い、勇者グーゼルと公女クセニアの窮地を救った、あの戦士は――姿を消したまま、戻ってくることはなかったのだ。
(ダタッツ……)
あの日見失った、逞しい背中を思い出し――グーゼルは微かに、表情に憂いを滲ませる。平和の到来に歓喜する民衆は、その変化には気づかなかったが――彼女の隣にいたクセニアは、それを見逃さなかった。
――そして、そのパレードを終えた後の夜。城では、多くの人々が集まっての宴で盛り上がっていた。
新生公国軍の兵や街の人々、救出された子供達が皆……泣き、笑い。長い戦いの果てに掴んだ平和を謳歌している。そんな彼らの様子を見守りながら、クセニアはグーゼルを連れ、騒がしさから距離を置くようにバルコニーに向かった。
月明かりに照らされた美しいブロンドのショートヘアが、ふわりと揺れ――華やかな香りが風に流されていく。その香りを感じつつ、グーゼルは艶やかな黒髪を靡かせ、クセニアの隣に立つ。
ドレスを押し上げている二人の豊かな胸は、一歩踏み出すだけで大きく揺れていた。
「クセニア姫……何の御用でしょうか」
「グーゼル。私にはわからないと思いますか? あなたが最近、何を考えているか。誰を想っておられるのか」
「……! そ、それは……」
クセニアの言及に、グーゼルは目を見張る。
彼女としては、うまく隠したつもりだったのだろう。見透かすように目を細めるクセニアを前に、思わず言葉を濁してしまった。
そんな彼女の仕草が、クセニアに自分の見立てが的中していることを確信させる。
「彼は……ダタッツ様は、この国に留まることを良しとせず、旅立たれてしまわれた。恐らくは、私達のように苦しんでいる人々を、己の剣で救うために」
「……はい」
「私は、彼に留まっていて欲しかった。そばにいて欲しかった……。きっとそれを見抜いておられたからこそ、何も告げずに去ってしまわれたのでしょう。引き留められると、わかっていたから……」
「……」
切なげな面持ちで、月明かりに照らされた夜空を見上げる絶世の美姫。その横顔を見つめ、グーゼルも表情に陰りを見せる。
「ですが。私は、諦めるつもりはありません。いつかまた、彼に会える日が来るまで……ここで待ち続けます。彼とあなたが救って下さった民を、一生守り抜いて。いつ彼が帰ってきても、心からの笑顔で迎えられるように……」
「クセニア姫……」
「ですが……あなたは待ちきれないのでしょう? 昔から、あなたは気が短かった。パレードの時も、ジッとしているのが耐えられない、という顔でしたよ?」
「い、いえそんな……!」
「十年以上も一緒にいれば、嫌でもわかりますわ。恋敵の考えていることくらい」
「こ、恋敵……」
クセニアに言及され、グーゼルは頬を赤らめる。自覚していることとはいえ、他人にそれを指摘されると、恥じらいのあまり身体が熱くなってしまうのだ。
自分は、あの戦士を愛してしまったのだと。
「グーゼル。生まれ変わった公国の君主として、命じます。彼を探す旅に出なさい」
「ク、クセニア姫っ!?」
「公国のことなら、心配いりません。今は亡き父に代わり、私が見守って行きます。あなたはあなたのやり方で、ご自分の気持ちに向き合いなさい。彼をこの場に引き摺り出して婚姻を結ぶまで、私も『戦い』が終わったとは思いません」
「こ、婚姻って……! クセニア姫、彼が三十年前に消息を絶った帝国勇者だったのなら、どう若く見積もっても今は四十代半ばですよ!? しかも部下から聞いた話によると結婚歴があり、姫より歳上の子供もいるとか……! 姫の相手としては、些か年が離れすぎているかと……」
「たかが二十歳程度の差など、気にすることはありません。彼に恋慕している女性兵達も、同じでしょう。それに高名な武人が後妻を娶ることなど、珍しい話ではありませんわ」
「そ、それは……」
「私に奪われるのが嫌なら。私より先に彼を探し出し、愛を伝えることです。これは早い者勝ちですわ」
クセニアは、そう宣戦布告すると――挑戦的な眼差しで、グーゼルを射抜く。
彼女はいつかダタッツが帰って来るまで、ここで待ち続けるつもりなのだろう。再会した瞬間、彼を伴侶とするために。
そうならないためには――ダタッツが公国に戻ってくる前に、彼を探し出さなければならない。そして……彼と結ばれるしかない。
(そ、そんな……そんなことって……。で、でも……!)
彼を想いながらも、公国の勇者としてここに留まらねばならないと思っていたグーゼルは、突然舞い込んできた決闘の内容に目を回す。
しかしそれは、もう一度彼に会える千載一遇のチャンスでもあった。
グーゼルは、どうしても彼に会わねばならなかった。伝えていない言葉があるからだ。
(……ごめんなさいと、ありがとうを。私はまだ、彼に伝えてない。行かなくちゃ。この気持ちを届けなくちゃ!)
それを決断した彼女には、もう迷いはない。
「クセニア姫、申し訳ありません……暫しの間、失礼しますっ!」
「ええ。……行きなさい、勇者グーゼル」
グーゼルは踵を返すとバルコニーを飛び出し、パーティ会場を駆け抜け――自室で素早く緑の服と軽鎧を纏う。
そして愛用の剣を腰に提げ、盾を背負うと瞬く間に城から飛び出してしまうのだった。
さながら、一迅の風のように。
「公女殿下! 先ほど、勇者様が息を切らせて城を飛び出されたと報告がありました! 一体何があったのです!?」
「グーゼルなら、旅に出ましたわ」
「た、旅ですと!?」
「ええ。……この国の英雄を探す、旅です」
彼女の行動を問い詰める兵達に、背中を向けたままクセニアは笑顔で答える。その瞳は、城下町を猛スピードで駆け抜けていくグーゼルの姿を見下ろしていた。
「じゃあ……行ってきます、お母さん!」
一方。城を出てから立ち止まることなく走り続けていた彼女は、戦没者を弔う記念碑の前でようやく足を止める。
そして、この地に眠る母に祈りを捧げると――再び、外の世界に向けて走り出して行った。あの日見失った背中を、抱き締めるために。
「待ってて、ダタッツ。あなたを、独りになんて――させないっ!」
夜空に向かって叫ぶグーゼルは、少女のように溌剌とした眼差しで、これから進んでいく道を見つめていた。この地平線のどこかで、彼と繋がっているのだと信じて。
――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。
その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。
人智を超越する膂力。生命力。剣技。
神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。
如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。
しかし、戦が終わる時。
男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。
一騎当千。
その伝説だけを、彼らの世界に残して。
だが。
男はもう、独りにはならない。独りにさせまいとする者の想いは、やがて男を繋ぎ止め、その心に安らぎを与える。
その日はきっと――遠くはないだろう。
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