ドリトル先生の名監督
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第六幕その九
「僕も好きだしね」
「やっぱりそうよね」
「バランスよくだね」
「食べないと駄目だね」
「そうだね」
「そうだよ、食べ過ぎたらね」
結局のところはというのです。
「よくないんだ」
「そうだよね」
「結局のところそうだよね」
「買ってはいけない、食べてはいけないっていうけれど」
「過ぎないといいよね」
「バランスよくってことでね」
「そうした本が日本にあったね」
先生は書きつつ言います。
「何々してはいけないってね」
買ってはいけないとか」
「食べてはいけないとか」
「そうしてはいけない」
「そうしたことを書いてる本なんだね」
「うん、結構売れたらしいけれど」
それでもというのです。
「結局はバランスなんだよ」
「どっちにしてもそんなのばかり飲んだり食べたりね」
「偏食だからね」
「過ぎたらよくない」
「そういうことだね」
「お水だって飲み過ぎたら身体に悪いよ」
何でもないこれもというのです。
「そうした本は一見科学的根拠を出してるけれどお」
「実は違うんだ」
「何でもないのを変に書いてるんだ」
「それで何々してはいけないって言ってるんだ」
「そういう本なんだ」
「そう、そして書いている人達や出版社を調べたら」
先生はそうしたことまで調べる人です、本当の意味での学者だからこそ。
「これがね」
「おかしな人達?」
「そしておかしな出版社?」
「そうした人達で」
「そうした変な本を書いていた」
「そして出版していた」
「そうだったんだ」
「そうなんだ、変な人達と出版社だったよ」
実にというのです。
「だからその本もね」
「おかしいってだね」
「先生わかったんだね」
「その何々してはいけないって本も」
「ファーストフードとか炭酸飲料とかに言ってる本も」
「そうした風だったんだ」
「そう、そうした人は何でも自然食って言うことが多いし」
それにというのです。
「大企業とか文明とか批判しがちだけれど」
「ううん、先生とは全然違うね」
「先生ってそういうの検証するからね」
「真面目にね」
「そうしてから言ったり書いたりするから」
「カルトみたいに批判する人達で出版社だから」
先生はその本を読んでおかしいと思ったのです、そのうえで調べてそうしてそのうえでわかったのです。
「鵜呑みにしてはよくないよ」
「何でも過ぎたらいけない」
「偏食はよくない」
「普通にしろ」
「そういうことね、結局は」
「そうだよ、普通にだよ」
あくまでというのです。
「そうしていけばいいから」
「食べることと飲むことは」
「スポーツも過ぎたりしたら怪我するしね」
「オーバーワークはよくないし」
「そっちも過ぎたらね」
「柔軟とかも忘れたら駄目だし」
「そうだよ、何でも過ぎないこと」
まさにというのです。
「一言で言うとそうだよ」
「そうだね、じゃあね」
「僕達も過ぎないようにしよう」
「何でも普通に」
「普通にしていこうね」
「そういうことでね、さて」
ここで先生は論文を書くのを止めました、そして。
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