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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第18夜 喪失

 
 目を覚ましてから頭の回転が始まるまで、しばしの間が空いた。

(あれ………俺、なんでここにいるんだっけ)

 寝ていたのは、どうやら客室のようだった。4つのベッドにテーブルや椅子が並び、少なくとも自分の住んでいた宿舎の一部屋よりは創意を感じられる。そのベッドの一つの上に、トレックはいた。この部屋には他に誰もいない。ギルティーネも、いないようだった。

 窓の外は既に朱月が空を上り、暖かな光で白月の齎した闇を浄化するように照らし上げていた。天井からは簡素なシャンデリアの光が降り注ぎ、気温も低すぎず高すぎない。とても過ごしやすい環境のようだ。

(寝る前に、何してたんだっけ。駄目だ、頭がいまいち働いてない……)

 トレックはしばらくそこでぼうっとしながら頭を触って寝癖がないかを確認し、ふと部屋のテーブルに見覚えのある物体が置いてあることに気付く。自分が試験に持ち込んだ小さなウエストバッグに、レンタルのペトロ・カンテラ、愛用の拳銃(タスラム)やそれらを固定する金具のついたベルト。法衣は見当たらない。そして拳銃の下には一枚の紙が敷いてあった。

 のそりと起き上がると、全身に強い疲労感が押し寄せる。もう一度寝たくなる衝動を抑えてしっかりと立ち上がったトレックは、ベッドの下にあった自分のブーツを履いてテーブルまで歩み寄り、ベルトに手早く自分の装備を固定していく。最早呪法師としての習慣だろう、その行動をとることに疑問は感じなかった。
 そして拳銃をホルスターに収めたトレックは、やっと拳銃の下に敷いてあった紙を手に取った。そこには教導師からの伝言が(したた)めてあった。


『  トレック・レトリック準法師へ

 試験合格おめでとう。彼女と共に試験を突破できたのは君が初めてである。
 知ってのこととは思うが、これは君が彼女を御しきれるのかを試した試験でもあった。
 君は見事とは言い難いが、五体満足に生き延びた。それが一つの答えだと私は思う。
 君は選ばれた存在だ。特別だ。そう自信を持ってもいい。

 さて、君の今後の事について話そう。
 実はサンテリア機関内で新たな学科を増設する計画がある事を知っているか。
 君に、その計画のさきがけとなる特別学徒として参加してもらいたいと思っている。
 もちろん今度は罪人ではなく、新たなパートナーを付けようと思う。

 今の環境より過ごしやすい環境と、呪法師として大成する道を用意することを約束する。
 そちらにとってもこちらにとっても、互いに益のある話だ。
 今すぐにではないが、今月中には快い返事を期待している。              』


「試験、合格………」

 霞のかかっていた頭が少しずつ回転を再開し、記憶が鮮明になっていく。
 馬車に揺られての移動。罪人との邂逅。初めての戦闘。そして出会いと誓い。

 無意識に、トレックは自分のズボンのポケットに手を入れ、中をまさぐった。

 一本の、綺麗に編みこまれた紐が出てきた。よく見つめると、中ほどの部分だけが微かにくすんでいる。これは確か、ガルドの武器を真似て――。

「ガルド………そうだ、ガルド!!ステディさんとドレッド!!それに外灯の上の呪獣は!?ギルティーネさんはどこだ!?ここは――!?」

「――ここは、試験合格者に割り当てられた休憩室だ」

 静かに、部屋のドアが開いて女性の声が聞こえる。
 トレックがそちらに振り向くのと、その少女が光源杖を振りかぶるのはほぼ同時だった。

 顔面に強い衝撃。目の前がチカチカと転倒し、唯でさえ調子の芳しくなかった体が後ろに崩れ落ちてテーブルごと床に崩れ落ちる。遅れて、じわじわと顔に痛みが奔る。殴られて、転倒したのだと理解した。

 一体どうして、と考える間もなく、誰かがトレックの身体の上に馬乗りになってシャツの襟首をあらん限りの力で締め上げる。トレックは呼吸に詰まりながら反射的にそれに抵抗して、次第に回復する視界を必死に圧し掛かる相手に向ける。
 そこにいたのは、自分の知っている顔だった。

「ステディ、さん」
「貴様が………何でっ、貴様がっ!!何故私たちを捨てて真っ先に逃げ出した貴様が特別な待遇を受け、私は全てを喪ってこんなにも惨めな思いをせねばならん!!貴様と関わらなければ――ドレッド様が貴様のような半端で気味の悪い異端者と関わらなければっ!!」

 こちらが言葉を発するより早く、ステディの拳がトレックの顔面を打った。女性の細手であっても戦闘訓練を受けた準法師のそれとなると軽くはない。しかも体調が戻りきっていないトレックには、頭では殴られていると分かっていても体の反応が追い付かない。そのまま碌に抵抗できず、10回近く殴られ続けた。

「ぐあっ……!う、ぐっ……!」
「痛いか!痛いなら悲鳴を上げて苦しめ!!お前が犯した罪を一つ一つ思い浮かべて懺悔しろッ!!」
 
 最後とばかりに彼女が大きく振る被った拳。

 その時、トレックはやっとステディの瞳から涙が零れ落ちている事に気付いた。

「――お前らが逃げたせいで!お前らの所為でドレッド様も死んだッ!!ガルドだってお前の横の女は助けられたはずなのに、助けなかった!!お前らは呪法師の誓いをコケにして身の保身に走り、私の大切な者を全て奪ったんだぁぁぁぁぁーーーーッ!!」

 拳は、真っ直ぐトレックに叩き込まれた。
 骨と肉を叩く鈍い音。凄まじい衝撃が頭を突き抜け、トレックは再び意識が遠のきそうになった。
 しかし、理不尽な暴力に晒される中で、トレックはステディの発言のことばかり考えていた。

「ドレッドが――死んだ?」
「貴様がその名前を口にするなッ!!!もう一度殴られたいのかッ!?…………クソッ!クソクソクソクソッ!!こんな腐抜けた顔など思う存分殴ってやりたいと思っていたのに、顔を見返すほどに苛立ちが募るばかり……!!もういいッ!!貴様などの面を拝みに来た私が間違っていた!!貴様はそうやって自分の不幸を他人になすりつけながら勝手に戦って勝手に呪獣の餌になってしまうがいいッ!!」

 一方的に感情を爆発させたステディは最後に涙を流す目でトレックを見下ろし、そのまま足音荒く部屋を後にしていった。その背中を見送ってから、トレックはオウム返しのように自分の言葉を繰り返した。

「ドレッドが――死んだ?」

 目を覚ましてから何一つ実感の沸かなかった状況の中で、その言葉とステディの涙だけが異様に鮮明に頭の中に残り、胸の奥がずぐり、と痛む。痛みは血が滲むかのようにじわじわと体を蝕み、トレックは時間を置いてやっとその事実の意味を理解した。


 ドレッドは、今になって思えば変わった男だった。
 普通の「欠落持ち」は始めこそ友好的な態度をとるが、会話をすればするほどにその熱は冷めていく。俺の持つ普通の人間特有のしぐさや態度が彼らをそうさせるらしい。しかし結局ドレッドは最後まで俺に友好的な態度を崩さなかった。それは彼が特別だったのか、或いはそのように振る舞う欠落というだけで内心は違ったのか、真相はわからない。おそらく本人が生きていたところで、そのように内心を表に出さない欠落があるのなら絶対的に隠し通すだろう。

 ドレッドは死んだ。彼に陶酔していたステディが涙を流しながらああ言ったのだ。ドレッドは死んだのだろう。しかし、当の彼の死という事実に対して決定的に現実感が欠如していた。少し前まであれほど恐れていた筈なのに、頭の中に転がる死という言葉の重みが試験中と今とではまるで違う。

 俺にとって、ドレッドの会話はついさっきの出来事のようにしか感じられない。
 ふと自分はまだ夢を見ているのではないかと思った。しかし、腫れあがった顔面のひりつくような痛みが先ほどの生々しい暴力の真実味を訴えかけている。

「………なんで死んだのか、確かめないと」

 自分でもどうしてそんなことを思ったのかわからない。
 ただ、自分が試験に合格した実感が沸かず、何一つとして自分の脳裏をよぎる疑問たちに答えが出せないままでいる現状をどうにか打開するために情報を求めたのだと思う。俺は両足に力を込め、未だ倦怠感のある体を無理やり動かして部屋の外に出た。

 廊下には誰もいない。まるで生物そのものが存在しないような不気味さを覚えるが、実際には別の部屋の中からは人のしゃべり声が聞こえる。おそらく兵士か、別の試験合格者の会話だろう。盗み聞きする気も起きないまま廊下をまっすぐ進み、階段から降りる。自分が砦のどこにいるかがわからなかったため、とりあえず砦の入り口を探すことにした。

 しばらく道に沿って探索すると、廊下を歩いている呪法師を見つけた。法衣が砦の兵士と少し違うと思ってよく見ると、それは俺にギルティーネの鍵を預けた教導師だった。あちらは俺の顔を見るなり驚き、そしてあきれたような表情になる。

「なんだそのひどい顔は。じゃがいものように腫れあがっているぞ」
「え……あっ」

 言われて、思い出す。ステディに幾度となく拳で殴られた俺の顔は、自身の想像を超えてひどいことになっていたらしい。鏡がないので確認できないが、取りあえず治癒のために『流』の呪法を顔全体に展開する。

「癒せ、『活性化(アクティバシオン)』」

 『流』の呪法は基本的に治癒に使われる。他人に行使するのは難しいが、自分の体ならば血流を触媒に顔を治癒することなど容易だった。とはいえ、俺の使った呪法は基礎中の基礎の術であるためにそれほど強力なものではないので完全に腫れを癒し切れてはいないだろう。
 使ってから視界が開ける。腫れで想像以上に瞼が圧迫されていたらしい。

「これで大分ましになりましたか、先生?」
「本当に器用な奴だ。五行式すべてを扱えるのは嘘ではないようだな」

 教導師の男性はかすかに驚いたかのように目を細めたが、すぐに元の態度に戻った。

「誰と喧嘩をしたのかは知らないが、まぁ私にとってはどうでもいいことだ。それより手紙は読んだかね?」
「試験合格の手紙、でしたっけ……」
「もう一つの内容だ。それが理由で外に出ていたのではないのか?」

 もう一つの内容――とっさにポケットに乱暴に詰め込んでいた手紙を引っ張り出す。あの時はステディの介入で流し読み程度しか出来なかったが、それほど長い手紙でもないから改めて目を通す。合格通知の後に、新設学科に関しての誘いが書いてある。彼の言っているのはこの返事だろう。

 しかし、トレックは今更になってその手紙に小さく、しかし個人的には大きな事実が書き込まれていることに気付いた。

「『もちろん今度は罪人ではなく、新たなパートナーを付けようと思う』………とは?」
「ああ。元々今回の試験は君の素質を確かめる意味と、君に預けたあの罪人がきちんと使えるのかを試したものでもあったからな。……護衛対象を無事に連れて帰ったまではよかったが、戻った際の君の有様を考えるとやはり『あれ』は安定しない。君にはもっと安定性の高いパートナーを用意するよ」
「つまり、ギルティーネさんとのパートナー契約はこれで終了………?彼女はこれからどうなるんですか?」
「さん付けと来たか。いや、いい。彼女は次の機会があるまで牢屋に逆戻りだ。もう君の手を煩わせることもないだろうし、改めて教育し直しても暴走するならもう使わない。それだけだ。君にはもう関係のない話だから考えなくともいいぞ」

 冷たく突き放すようで、本当は何も感情がこもっていない空っぽの言葉が俺の頭に響いた。
 暴走――暴走とは何のことだろうかと思い、はっとする。彼女が俺の命を助けるために行ったのであろう疾走のことを言っているのだろう。確かにあれのおかげで砦にたどり着いた頃には俺は疲労でぼろぼろだった。
 しかし、道中のギルティーネは細かい部分は別としてしっかり人のいうことを聞いていた。鎧の呪獣の際も彼女は完全に言われた通りに役割を全うしたのに、その決断は早計に過ぎるのではないか。

 あんな暗い場所で髪の手入れもできずに閉じ込められていた女の子にその判断は、あまりに酷すぎる。俺は思わずその言葉に反論しようとした。

「で、でもあれは俺を助けるために仕方なくやったことでしょう。暴走とは――」
「仕方なくだろうと何だろうと、自分の主を息絶え絶えにさせるような行動を取っている時点で安定性が低いとみなすのは自然なことだ。3度目の正直となるかと思ったが、潰しても潰しても人間という生き物は問題が出てくるな。まるで欠陥品の集合体だ」
「……チームプレーも果たしていました。欠陥と断言するには早計でしょう!」
「君たちと直前まで高度を共にしていた3人一組のチームは1名死亡、1名行方不明だ。君の命の確保を優先するあまり周囲に無駄な被害を振りまいた可能性も否めない。それほどデリケートな行動をお求められていないがらこなせなかったというのが事実ではないかね?何を憤っているのか知らないが、声を荒げる必要はないな」
(こいつ………つらつらと、人を道具みたいに……)

 心の奥から熱がこみ上げるのを抑え、俺は唐突にこの男との会話に腹が立つ原因を理解した。

 この男は、俺の話を聞いているが理解していない。

 俺がギルティーネを庇うようなことを言っているというニュアンスを理解せず、ただ言葉として耳に届いた情報に自分の言葉をすり合わせて会話を形式ばったものにしているだけだ。彼にとって俺の意見はどうでもよく、ただ問われたことを機械的に返しているだけだ。恐らく、そういった『欠落』なのだろう。

 視界は開けているのに、意識だけが肉体から離れるかのように遠ざかる。

 俺の戦いは、ギルティーネの戦いでもあった筈だ。俺が試験をどう潜り抜けるかは彼女にかかっていて、俺が彼女をうまく使いこなせなければ彼女に未来はない。そんな状態で、俺は最後の最後に間違ったのだろうか。彼女を牢屋に戻すまいと思ったはずなのに、叶わなかったのだろうか。

 脳裏によぎる、あの人がいてはいけないほどに暗い牢屋。鉄仮面と拘束衣は見ているだけで息苦しくなるほどに窮屈で、まるで女であることを無理やり捨てさせられたようだった。男のベルトには一度俺に預けられた鍵束が収まっている。彼女はまた、あそこに閉じ込められているのだ。

 失われた命。
 失われたパートナー。
 失われた誓い。
 残った、自分だけが得をする道筋。

(ふざけんなよ………なんだよこれ………何一つとして納得できることがないじゃないか!!)

 憤怒にも似たもどかしい感情が胸中で激しくうねる。このままでは自分は何も出来ないままただ単に都に戻るだけで終わってしまう。それに、髪を梳かしてくれたギルティーネの暖かな指先や、最後のチャンスであることを伝えられた時の手の震えが『欠陥』というたった二文字の不要物にカテゴライズされるという事実が、どうしようもなく受け入れがたい。

 無表情で、喋れなくて、謎だらけで、優しいのか狂暴なのか全然理解できなくて、なのに不思議と目が離せない黒髪の少女の顔が脳裏をよぎり、俺は生唾を飲み込んで手に拳を作った。

 どうしてそこまで彼女の立場に自分が拘泥しているのかわからない。
 わからないけれど、心のどこかで「このままでは駄目だ」と叫んでいる自分がいる。
 そしてあの少女の未来を変革出来る可能性があるのは、自分しかいない。

「さて、無駄話はここまでにしてそろそろ手紙の件の返答を――」
「その前にいくつか確認したことがありますので、返答はのちほどに」

 まだ終わっていない。精一杯に知識を絞り、一滴の答えをひねり出せ――トレック・レトリック。
  
 

 
後書き
真相を明かすため、足掻く。 
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