立ち上がる猛牛
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第二話 エースとの衝突その一
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第二話 エースとの衝突
近鉄には一人の左腕がいた。その名を鈴木啓示という。
昭和四十一年に入団し一年目から十勝を挙げ最多勝利投手にも輝いたことのある投手だ。ノーヒットノーランを達成したこともありその速球はかなりのものだ。
それに加えて抜群のコントロールと打たれ強さを併せ持ち自己管理も徹底していた。怪我にも強く近鉄にとっては柱とも言える存在だった。
しかしどうもその鈴木の速球に翳りが見えてきていた。度々打たれることが出て来ていたのだ。西本が近鉄の監督に就任した頃には鈴木の速球は極盛期のそれと比べて明らかに落ちていた。
西本はその鈴木に対してだ。キャンプ開始早々彼のところに来て言ったのである。
「スズ、そこは違う」
「何が違うんですか?」
「そこは速球を投げるところやない」
こう言うのだ。彼の武器の速球に対してだ。
「もっと緩急をつけて投げるんや」
「緩急!?」
「そうや、ゆるい球を投げるんや」
具体的にはだ。そうしたボールを投げろというのである。
「そうしたボールを投げるのもやり方やぞ」
「そんなんあきまへんわ」
鈴木はむっとした顔になってだ。西本にすぐに言い返した。
「わしには速球があります。それでどんなバッターでも抑えます」
「どんなバッターでもかいな」
「今までそうしてきました」
その自負も見せる。鈴木がこれまで勝ってきたこと、そして地道に黙々と練習してきたことの積み重ね。そういったものにより培われてきた自負もだ。
「ですからこれからもです」
「そうか。そう言うねんな」
「はい、わしにはわしのやり方があります」
あくまで言う鈴木だった。相手が監督でも引かない。
「だから。わしに任せて下さい」
こう言うのである。これで話は終わったと思われた。少なくとも鈴木は西本の話なぞ聞きはしないとだ。多くの者が思った。しかしであった。
西本は尚もだ。何かあれば鈴木に対して言うのだった。それもだ。
ランニングの仕方やピッチング練習の仕方をだ。何から何まで言うのだ。西本が言う相手は投手陣ではまず鈴木だった。野手では小川だったがその小川よりも遥かにだ。鈴木に対して言うのだった。
その鈴木が叱られるのを見てだ。ナインは目を瞠った。
「鈴木さんはうちの看板やのにな」
「その鈴木さんにあれだけ言うて大丈夫か?」
「鈴木さんがチームを出たらうちはあかんようになるぞ」
「それでも言うんかいな」
若し西本と鈴木の衝突が今以上に激しくなれば本当に鈴木はチームを出るかも知れないという声もあがったのだ。そしてこのことは杞憂ではなかった。
実は鈴木はプロに入る直前に阪神からスカウトが来ていたのだ。それでドラフト指名される予定だった。だが阪神側の都合で鈴木の阪神からの指名はなくなり近鉄から指名された。そうした経緯があるのだ。
鈴木は元々関西出身だ。そして近鉄も阪神も同じ関西の球団だ。リーグこそ違えどだ。そのことが今になって大きく影響してこようとしていた。
鈴木がだ。阪神に行くのではないかとだ。危惧する声が出て来ていたのだ。
「西本さん何考えてるんや」
「確かに阪急は強うした」
「けれど近鉄と阪急はまた違う」
「それは西本さんが一番よおわかってる筈やけれどな」
少なくとも西本が阪急のやり方を近鉄ナイン、ひいては鈴木に押し付けるとは誰も思っていなかった。少なくとも西本はそうしたことはしない。彼はどのチームのやり方を押し付けるのではなくだ。彼の指導を教えるのだ。彼はそうして鈴木と対していたのだ。
そしてだ。鈴木もだ。過去に彼にとって思いだしたくもないものがあった。
昭和四十四年のペナント終盤だ。阪急、奇しくも西本が監督を務めていたそのチームと近鉄が優勝争いをしていた。その時にだ。
鈴木は天王山の試合で打たれた。阪急側から言えば鈴木を打った。阪急は勝ち近鉄は敗れた。このことに当時の近鉄の監督だった三原が言ったのだ。
「鈴木は稲尾や秋山と違う」
かつて彼が率いてきた西鉄、大洋の大エース達と比べての言葉だ。
「いざという時に頼りにならん。そういうピッチャーや」
そしてだ。こうも言ったのだった。
「鈴木がいる間は近鉄は優勝できん」
こうした一連の言葉は鈴木の心に突き刺さった。彼にしてもチームの為に必死に投げているのだ。その彼にだ。三原は言ったのだ。
三原にしてみればチームを優勝させなければならない。その為には絶対のエースが必要である。三原は常に絶対のエースをチームの軸に据えそこから采配を振るい勝ってきた。西鉄黄金時代も大洋の奇跡の優勝もそうしたエースがいてこそなのだ。
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