ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
種族の憂慮
結局自前のケーキを食って行っただけのデコボココンビと入れ違いに入ってきたのは、猫妖精領主、アリシャ・ルーその人だった。
ウェーブがかった黄金色の髪と同色の尻尾を振りながら残ったケーキ(レンのぶん)をリスのようにもごもごさせている上司に、ヒスイはお茶に変わったカップを傾けながら言った。
「ほんで、なんでアリシャちゃんがここにいてはんの?明日総選挙やゆうのを忘れたんか自分」
「ンー、ぶっちゃけここに来ると当の本人はやることなくてサー。忙しそうな執政部の中で一人だけのんびりするのも気まずいから逃げてきたんダヨー」
「避難所にせんとって欲しいなぁ。……つーか案外落ち着いとるんやね。もっと緊張してると思ってたわ」
「領主なんてやってみても良いことないヨー。気軽にソロでスキル上げとかできないし」
じたばた脚を振り上げながらアリシャの愚痴は止まらない。
実際、種族の領主となればシステム的にも内外的にも様々なしがらみや縛りが生まれる。領主特権で様々なことが体験できる一方で、そういった悩ましいことも増えるのもまた一長一短ということだろうか。
それに、彼女が緊張していないのもそういった鎖がイヤだからというのもあるが、ただ単に慣れの問題だからかもしれない。歴代最長の領主歴の持ち主の名は伊達ではないのだ。
机に肘をついて大きく鼻から息を吐き出すヒスイを見て何を思ったのか。アリシャはヒゲをぴくぴくさせながら人差し指を立てた。
「領主だったらヒスイちゃんがなればいいんダヨー。少なくともワタシよりはずっといいコトできるかもだし」
「アホくさい。政権取ろうと思えばいつでも取れるわ。傀儡でも使てへんとやってられんっちゅーねん」
「ンなッ!?ま、まさかの下剋上鬼畜発言が飛び出してきたヨ!」
全身の毛を逆立てるという器用なリアクションを取るちっこい領主に笑みを浮かべながら、ヒスイは手に持つカップをくいっと持ち上げて見せた。
「ジョーダンやジョーダン。あんた以外の輩にこの種族まとめられるとは誰も思てへんよ」
だからこそ長期にわたって政権を握り、このケットシーという種族を支えてきたのだ。その実績あっての毎度の高い得票率であり、また彼女の人望であり人徳であった。
それに、なんだかんだ言いながらアリシャの政治的駆け引きは上手い。
今は遠いがアルン高原で起きた、火妖精によるケットシー・シルフ同盟決議襲撃事件。
あれの目的はもちろん、今ではうやむやのままクリアされたことになっている元グランド・クエストである世界樹攻略へ両種族の力を合わせるというものだった。
だが、あの事件をすんでのところで防いだレンの活躍、そして出動した狼騎士隊を見ていると、どうしても疑念が胸をよぎる。
そもそも、アレはそんな単純な事件だったのだろうか。
あの当時、ケットシー上層部ではかなりピリピリした空気が流れていた。
それもこれも、ポッと出の新人がこともあろうに竜騎士隊と対を成すような新たな軍を設立し、それとともに本人の実力の高さに嫉妬――――いやあれはもはや敵意が向けられていたのである。
現にアリシャ自身もフェンリル隊配備に尽力したということで、一時期彼女への執政部の評価は著しく下がっていたそうだ。
だが、そんな折にあの襲撃事件である。
あの一件でレンの評価、並びにフェンリル隊への当たりやアリシャの評価。その全てが軒並み上がったのだ。偶然にしては、いくらなんでもアリシャへプラスの要素が多すぎるような気がする。
だが、いくら領主と言えど他領の情報を抜き出すなど生半可なことでは不可能だ。それに、当時の彼女はALO有史初の種族連合の設立に大忙しだったはず。とてもそんな裏工作をするような手間暇は得られない。
だが、それでも。
どうしても、疑念は消えない。
無意識のうちに見つめていたヒスイの視線に気づいたアリシャだったが、返ってきたのは気の抜けるような屈託のない笑顔と無防備な小首を傾げる動作だった。
思わず笑みをこぼさずにはいられない領主の仕草を楽しみながら、ヒスイは疑念をコーヒーとともに押し戻してから「そういえば」と言った。
「アリシャちゃん、何でわざわざ《ここ》に来たん?執務塔からは結構離れとるし、自室のほうが近いやろ」
「そりゃレンくん目当て……あ、いや嘘ですゴメンナサイ」
仮にも一種族の陸軍副隊長に任命されるぐらいの速度で鼻先に突き付けられた短剣に、ちっこい領主は素直に両手を上げた。
短剣を引いたヒスイは、ケットシーの中でも珍しいキツネ耳にも似た大きめの耳を揺らしながら軽く鼻を鳴らす。
「第一、ウチの坊がいないことくらい、アンタ知っとったやろ」
何たって、ケットシー領が誇る究極の《個》だ。
プレイヤースキルの高い者の価値が高いのは、どこの種族でも同じである。そういうプレイヤーに限って、早々に自らの種族に見切りをつけるか嫌気がさすかのどちらかの理由で脱領者になるのだ。
貴重なまだ属領しているランカーの動向を、アリシャは領主として常時把握している義務がある。レン自身だって、それくらいは知っているだろう。
ネコミミ領主はぬぐっ、と言葉に詰まり、お茶を飲むことに逃げようとしたようだが、カップの中身は先刻飲み干したばかりだったようだ。
健康的に焼けた頬を膨らませながら、空のカップをソーサーごとこちらへ突き出す。
ヒスイは軽く肩をすくめ、卓上のポットを傾ける。六種類の中からランダムで注がれる黄金色の色合いはハーブ茶だろう。
むくれるアリシャにソーサーを返しながら、ヒスイは静かに聞き役に徹する。
ハーブ茶を一口含んだアリシャは、同様に静かに雰囲気を一変させた。
そこに普段の陽気さ、無邪気さは欠片もない。
結構な付き合いだから分かる。今の彼女は紛れもなく妖精九種族中の、一種族の長なのだ。
「……ヒスイちゃん。再来週、ドラグーン隊と合同演習する予定あったでショ」
「あぁ、選挙明けやからな。他ん領に政治的な不安定を意識させないためやろ?」
「うん、そう。選挙の時は、どうしても選挙戦のほうに意識が行って、領の運営自体が手薄になることが多いからネ。大したことはないんだケド、他の印象的には……ちょっと、ネ」
柳眉を力なく下げる彼女を見、ふむふむとヒスイは頷く。
「けどそれがどうしたんや?別に一般公開とかする訳やあらへん。言うてみれば、《裏》へのパフォーマンスっちゅー話でケリつけとったはずやで」
「うーん……それが、《裏》でも見せられないことになってて……」
「……どういうことや?」
目を細めるヒスイに対して、いよいよもって深刻さを増した顔でアリシャは口を開いた。
「ヒスイちゃん。現在の猫妖精の戦力をどう思ってル?」
「あぁ?そりゃ安泰やろ。竜騎士もいて、狼騎士もいる。例え火妖精どもが攻めてこようが、風妖精の手ぇ借りひんでもいてこませるわ」
「それがダメだんダヨ」
ズ、と。
少女の矮躯が、一回り大きくなったような気がした。
種族の長としての責任。その重さを背負うに値するほどの重さを、その言葉は発していた。
領主の少女は言葉を重ねる。
「前々から、前兆はあったンダヨ」
ため込んだ何かを吐き出すように。
「過剰……。そう、過剰なんだヨ。今のウチが持つ戦力は。もともと与えられていた高い俊敏性能にスキルなしでも高補正のかかっている視力、そして唯一無二のテイムスキル特化」
それは何か、選挙などどうでもよさげな。それほどまで張りつめていた案件があったのだ、と言外に吐き出すように。
「ドラグーン隊だけならまだ良かった。だけどフェンリル隊はそうはいかない。限界まで溜めてた風船が破裂したみたいに、今のケットシーへの当たりは強いンダヨ」
「なッ……、あてらが悪い言うんか!?」
思わず語気も強く立ち上がるヒスイに手のひらを向け、アリシャはあくまでも淡々とした口調を崩さない。
「いや……いや、もちろん違うヨ。短期間で成し上がったフェンリルの皆の頑張りはぜーんぶ見てるし、ケットシーが言うほど過剰な戦力を持ち合わせているかって言われても自信はない」
ただこれは、もはや事実や真偽は関係ない。
そういう噂、そういう論が上がった時点で、集団の総意はそちらへ流れていくものだ。
空気を読まない真実より、少し納得する――――させられてしまうくらいの噂。民衆なんてそんなもんだ、と実際に民を率いる種族の長は言う。
「具体的には?」
しばし沈黙したアリシャは、「ここだけの話だヨ」と前置きした上で語り出した。
「……前々からちょくちょくアンチは見かけたけど、最近は酷いネ。運営への苦情メールも結構行ってるみたい」
「そないなことに……」
「ケットシーそのもののステータス低下か……最悪、テイムスキルの補正に下方修正が加えられるかも」
「な」
ヒスイは絶句する。
現在、ケットシーの誇る二軍――――ドラグーン隊とフェンリル隊を支えているのは、言うまでもなくテイムスキルに他ならない。
全種族中最高のテイムスキルへの補正あったからこその両軍であって、それへ下方修正が入れば、当然新米隊員が飛竜や巨狼を飼い馴らすことも叶わなくなり、隊は先細りにならざるを得ない。
もしそうなれば、あの《暗黒期》の再来になる。
「も、もし、そんな状況になったら……」
「ウン。十中八九、ケットシーは壊滅的なことになるだろうネ」
「ッ!」
しかも、ことはケットシー単体の話ではない。
現在、表向きとはいえアルヴヘイムが平和を保っているのは、ひとえにケットシー・シルフの種族連合が過激派であるサラマンダー勢の蓋として機能しているためだ。
もし仮にケットシーが瓦解するような事態になれば、当然なし崩し的に同盟を組んでいるシルフも崩れることだろう。もともと連合の理由の一端は、サラマンダーのシルフへの執拗なPKに対しての威嚇――――牽制もあったのだ。シルフだけでサラマンダーを押しとどめるのは不可能に近い。
そして蓋としての機能を果たせなくなった連合を無視し、またサラマンダーはシルフ領への嫌がらせ――――いや、もっと踏み込んで侵略を開始するかもしれない。何せ今まで散々頭から抑えられていたのだ。鬱憤もあるだろう。
そしてその行動に触発するようにして、各種族の戦争意識が表面化。
再びALOは、旧運営体時代の群雄割拠、戦国乱世に逆戻りになる。
「止めんとあかん……」
「もちろんダヨ、ヒスイちゃん。だけど、一度威力を持った意見っていうのは中々引くことを知らなくってサー」
どことなく疲れて見えるのは、実際そうなのだろう。
もうこうなったら選挙など些末なことだ。冗談や比喩抜きで種族、あるいはALOの今後の進退がかかっている。
行き場のないもどかしさを吐息として吐き出すヒスイに、アリシャは勢いよく手を合わせた。
「だからゴメンッ!合同演習も中止させてくれないカナ?」
「そういうことやったらしゃーないなぁ。ただでさえ過剰戦力や言うてる奴らに力ぁ見せつけても火に油やし」
かえって運営への意見申請メール件数が上昇するだけだろう。
来週に控えていた新アインクラッド第二十層のフロアボスへの挑戦。それも見直しになるかもしれない。大手ギルドの連中に戦果を持っていかれるのは少々癪だが、事情が事情だけに致し方ない。
「あい了解や。細かいガス抜きはこっちでしとくわ」
「ごめんネー、いつも気ぃ使わせちゃって」
「領主が頭簡単に下げるもんやないで」
からからと笑いながら、ヒスイは自分のカップにポットを傾ける。
ケットシーの空軍、陸軍などと呼ばれるドラグーンとフェンリル隊だが、結成の順番から言っても、なんだかんだ言ってドラグーン隊のほうがエリート指向が強い。もともとフェンリル隊設立の理由の中にも、秘匿すぎて表には出しずらいドラグーン隊の代わり――――要は使い勝手がよく、かつすぐさまにでも動かせる戦力としての一面もあるのだ。どう足掻いたって、フェンリル隊の面々が劣等感を覚えるのは必然でもあった。
ドラグーン隊隊長を兼任しているアリシャから出た合同訓練を、他ならない本人が蹴るとなれば、フェンリル隊の隊員から少なからぬ不満は噴出するだろう。
―――それをいさめるのは、あての仕事じゃないんやけどなぁ。
ジャスミン茶に変わった中身のカップを傾けながら、ヒスイは肩をすくめた。
本来なら、隊員のメンタルケアは隊長の領分――――なのだが、笑顔で送り出した手前、戻ってくるなリ仕事を押し付けるのはどうだろうか。
ふぅと溜め息を吐き出すヒスイにアリシャは何かを言いかけた。
寸前だった。
バァン!と。
ノックもせず、部屋にいきなり闖入者が現れる。
見ればフェンリル隊の隊員でもなく、はたまたアリシャを追ってきた執政部の奴らでもない。ただ一般のケットシーの女性プレイヤーだ。
「ヒッ、ヒスイ!さん!」
「なんや……どうしたん?」
ただならぬ表情にさすがのヒスイも茶化す雰囲気でもなく、すぐさま駆け寄ってひとまず落ち着かせようとする。アリシャも空気を察したのか、小動物さながらのスピードで駆け寄る。
「あ、あああ、あの、そ、外に、外で――――」
二匹の巨狼が、うっそりと立ち上がった。紅玉のような鈍い輝きを放つ瞳が静かに細められた。
その段階となって領主と副隊長、二人の実力者は異常に気付く。
先刻まで窓の外で散々響いていた総選挙前夜祭の、文字通りのお祭り騒ぎ。煩わしいけれど、どこか心を高揚させるその雑踏の声。
その音質が、若干変わっていた。
『――――ッ!』
『ッ………………………!!』
『――――!!!』
怒号。
悲鳴。
そして明らかな――――戦闘音。
「な、何……!?」
「何が起きてるんや!?」
思わず駆け込んできた女性プレイヤーをも放って置いて、二人は窓に走った。
鍵の有無さえも確認せずに、ガラスを割り砕かんとばかりの勢いで開け放たれた硝子窓。その外に広がっていた光景に、思わずアリシャとヒスイは喉を鳴らす。
アイボリーが日に焼けたようなサンドイエローの煉瓦で組まれた尖塔群。ケットシーの首都、フリーリアの代名詞とも言えるそれらの合間から――――不吉な煙エフェクトが見て取れた。
「こ、これは……」
そこは、戦場だった。
紛れもなく、そして逃れようがない。
主人公がいない、戦場だった。
後書き
日常系だと思ったかい?そんな訳ないじゃないかベイビー(震え声
という訳で色々こっから動く回でございます。
この編は様々なテーマをごった煮にしたような感じなのですが、今話のアリシャさんの説明にあった、現ケットシー勢に対する不満というのもその一つです。
いや、ケットシーに対する、というものではなく、もうちょっとメタ的な視点でいうところの『二次小説における、オリジナル主人公、オリジナル要素をブチ込んだ副作用』といった方が分かりやすいかもしれません。
原作にない要素――――ウチでいうところのフェンリル隊が生まれたのは、無論作者である私があったらいいなできたらいいなと思ったからです。しかし、ただ生まれただけではそのキャラや設定はきちんと作品に根をおろしきれていません。
生まれた結果、つまり水滴を零すだけではなく、それによってどんな波紋が広がるか。それを考えて、その結果がこの編のテーマの一つです。どうぞお楽しみに。
ところで副作用があるのは、何もフェンリル隊だけじゃないんだぜ?
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