銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百二十六話 凶刃
帝国暦 487年9月 28日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) アントン・フェルナー
「パウル・フォン・オーベルシュタイン准将ですね」
カウンターに座るオーベルシュタインに声をかけた。オーベルシュタインは義眼をこちらに向け無機質な声を出した。
「そうだが、貴官は」
「お初にお目にかかる、アントン・フェルナー准将です。隣をよろしいかな」
そう言うと、彼の答えを待たずに隣に座りウオッカ・ライムを頼んだ。
愛想の無い男だ。半白の頭髪、血の気の乏しい顔、陰気な事この上ない。最近ローエングラム伯の信頼が厚いと聞くが、周りにこんな陰気な男を置くとは……。いや、それだけ能力はあるということか。
「小官になにか用かな、フェルナー准将」
「いや、ローエングラム伯の信頼厚い参謀といわれる貴官に会ってみたいと思ったのです」
「……」
「今ほど宇宙艦隊が充実している時代はないでしょうな」
「……」
「ヴァレンシュタイン元帥とローエングラム伯、お二人とも当代の名将と言って良い」
オーベルシュタインは僅かにこちらを見たが直ぐ興味なさそうにグラスを口に運ぶ。ウオッカ・ライムが出て来た。ほんの少し口に含む。酸味とライム独特の苦味に似た風味が口に広がった……。
「しかし残念だ。ローエングラム伯が副司令長官とは。本来なら十分に司令長官が勤まる方だと思うが……」
「卿は何処の部隊に所属しておられるのかな?」
「部隊ではない。ブラウンシュバイク公に仕えている」
「……」
オーベルシュタインは黙ってグラスを口に運んでいる。
「ブラウンシュバイク公も惜しい事だと言っていますよ、オーベルシュタイン准将」
「……所用を思い出した。失礼させていただく」
「残念ですな。もう少し御一緒したかったが」
にこやかにオーベルシュタインに笑いかけ、グラスを掲げた。
オーベルシュタインは無表情にこちらを見ると席を立った。そして無言のまま離れていく……。オーベルシュタイン、一人で飲むのは止めるのだな。もう少し人付き合いを良くしたほうがいい。
ブラウンシュバイク公の部下とローエングラム伯の幕僚がカウンターで親しげに酒を飲みながら話をしていた。その光景を見たミッターマイヤーとロイエンタールはどう思うかな。
エーリッヒの母方の祖父については結局分らなかった。分ったのは当時四十代ぐらいの男性だという事だ。今生きていれば八十代だろう。つまり陛下ではありえない。
エーリッヒがフリードリヒ四世の血縁者ではない以上、残る手段は謀略で相手を弱め、仕留めるしかない。エーリッヒ相手では楽な仕事ではないが、先ずはここからだ……。
俺はミッターマイヤー、ロイエンタールの視線を背中に感じながら、ウオッカ・ライムを口に含んだ。ライムの苦味が口に広がる……。
帝国暦 487年9月 29日 オーディン 憲兵本部 ギュンター・キスリング
目の前のTV電話が鳴った。着信番号は宇宙艦隊司令部司令長官室の隣にある応接室を示している。受信するとエーリッヒが映った。敬礼すると
「五分後に連絡が欲しい」
と言って切れた。
TV電話をかけてきながら、五分後に連絡が欲しい。内密に話がしたい、邪魔が入らないところからかけて欲しいということだ。席を立ち、奥の小部屋に行く。憲兵隊にはこの手の部屋が幾つかある、機密保持のために……。
TV電話でエーリッヒを呼び出すと直ぐに出た。
「ああ、待っていたよ、ギュンター」
「エーリッヒ、何が有った?」
エーリッヒはちょっと顔を顰めると困ったような口調で話しかけてきた。
「アントンが動いた」
「……」
「昨日の夜、ゼーアドラー(海鷲)でアントンがオーベルシュタイン准将に接触した」
「オーベルシュタインか……、副司令長官の参謀だな」
エーリッヒは一つ頷くとマントを少しいじりながら話した。
「切れる男だ。ローエングラム伯の信頼も厚い」
「良く分かったな。誰か見ていたのか?」
「ロイエンタール、ミッターマイヤーの二人が見ていた。カウンターで飲む二人をね……。短い時間だったらしい。わざと見せた、そんなところだろうね」
そう言うとエーリッヒは苦笑した。
「なるほど」
こちらも苦笑した。アントンらしい、上手い所をついてきた。ゼーアドラー(海鷲)でカウンターか、オーベルシュタインの偶然隣に座った、言い訳はいくらでも出来るだろう。それにしても、オーベルシュタインか……。
「エーリッヒ、アントンの狙いは何だと思う?」
「そうだね、狙いは四つ有ると思う。一つはローエングラム伯がブラウンシュバイク公と通じていると疑わせる。それによって宇宙艦隊に疑心暗鬼の種を撒く、そんなところかな」
「……」
「次はローエングラム伯を自分たちに寝返らせる事だ。内乱になれば軍を指揮する人間が要る、彼を寝返らせれば、こちらの力を弱め、有能な指揮官を得られるだろう」
「三つ目は何かな」
「私を暗殺してその罪をローエングラム伯にかぶせる」
「では最後は」
「追い詰められたローエングラム伯が私を暗殺する。究極はこれだろうね、自分の手は汚さずに邪魔者を二人始末できる」
うんざりした口調でエーリッヒは四つ目を話した。彼の気持ちは分かる。今の宇宙艦隊は実力で見れば過去最高と言っていいだろう。だがその中で唯一の弱点がローエングラム伯だ。
元々伯は宇宙艦隊司令長官としてエーリッヒの上官だった。それが降格されて副司令長官になった。誰が見ても伯に不満が無いとは思えない。伯が弱点だと分かっているだけに、そこをアントンに突かれた事にうんざりするのだろう。
「エーリッヒ、ローエングラム伯はどうすると思う?」
「とりあえず安心して良いと思う。伯が軽挙妄動することは無いだろう」
「何故、そう思う?」
「それは、私が伯を疑う事は無いからさ」
「おやおや、随分と信頼しているんだな」
ちょっとおどけて言うと、エーリッヒは苦笑しながら答えた。
「信頼している。彼は暗殺といった卑怯な手段を嫌うし、それに愚かでも無い。ブラウンシュバイク公についても碌な事にならないのは分かっているだろう。私が彼を追い詰めない限り大丈夫だと思う」
「今の言葉をローエングラム伯に聞かせたいね。泣いて喜ぶだろう、あるいは屈辱に感じるかな」
「ギュンター、私はローエングラム伯は信じると言ったが彼の周囲も信じるとは言っていない」
俺の皮肉にエーリッヒは意味深長な答えを返してきた。
「オーベルシュタインだな」
「そう、パウル・フォン・オーベルシュタインとジークフリード・キルヒアイスだ」
「……」
「私は彼らを信じていない。オーベルシュタインは目的のためなら手段を選ばない所がある。ローエングラム伯が頂点に立ちたがっていると知れば伯に内緒で動く事は有りえる。それはキルヒアイスも同様だろう」
「ローエングラム伯を頂点に立たせるために動くか……、そのために危険を冒すと?」
俺もあの二人は危険を冒すと思う、しかし念のためエーリッヒの考えを聞いておこう。
「オーベルシュタインにとって私は邪魔なんだ。彼には才能がある、主に政略、謀略面でね。ローエングラム伯が頂点に立たない限り、彼も力を発揮する事が出来ない。あの二人はお互いを必要としているんだ」
そしてエーリッヒはオーベルシュタインを必要としない……。エーリッヒは宇宙艦隊副司令長官になって以来、多くの人間を艦隊の幕僚に引っ張ってきている。その人選は見事としか言いようが無い。
しかし、その中にオーベルシュタインは居なかった。能力を評価しているにもかかわらず、彼を呼ばなかった。エーリッヒから見て危険だと思わせる何かがあったのだろう。そして実際に危険な動きをしている……。
「卿はローエングラム伯が頂点に立ちたがっていると言ったが、それは軍の頂点に立つという事か?」
「いや、帝国の頂点に立つ、そういう事だよ、ギュンター」
帝国の頂点か、それは政、軍のトップという事か、それとも文字通り頂点という事か……。
「エーリッヒ、オーベルシュタインについて気になることがある」
「それは?」
「卿が出征している間だが、密かに社会秩序維持局に接触している」
しばらく沈黙が落ちた。エーリッヒの表情は厳しいものになっている。
「社会秩序維持局は、いや、内務省は例のサイオキシン麻薬の一件以来、卿と憲兵隊には良い感情を持っていない」
エーリッヒが頷く。
「憲兵隊と情報局に情報の確認をすれば、卿に知られることになる。彼は卿に知られること無く情報を得ようとしたんだ」
「何を知ろうとした?」
「……陛下の健康問題だ」
「……厭な奴だ」
吐き捨てるような口調だった。余程嫌いなのだろう。
「エーリッヒ、身辺の注意が必要だな」
俺の言葉にエーリッヒはほんの少し小首をかしげ考え込んだ。
「……オーベルシュタインが動くのは内乱が起きるのが確定してからだろう……起きる寸前かな。あるいは伯には別働隊を指揮してもらうから、本隊との合流寸前か合流してからか……」
「何故そう思う?」
「暗殺だけじゃ駄目なのさ。軍の実権も握らないとね。わかるだろう?」
「なるほど、内乱を目の前に犯人探しはやっていられないか」
俺の言葉にエーリッヒは頷いた。
「しかし、いずれ犯人は捜すことになる。どうするつもりだ?」
「別な犯人を用意するさ」
「?」
「リヒテンラーデ侯だ。彼を暗殺の真犯人にしたて、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥もそれに同調したとして処断する。それで帝国の実権を握る」
「馬鹿な! 卿をリヒテンラーデ侯が暗殺するなど有りえない。誰も信じないぞ、そんなことは」
「そうでもない。先日ももうちょっとで決裂する所だった。決裂すれば容赦なく私はリヒテンラーデ侯を始末したよ、躊躇わずにね」
「……」
「オーベルシュタインはローエングラム伯から聞いているはずだ。必ずそれを暗殺の理由にするだろう。そして帝国の実権をローエングラム伯に持たせる。賭けても良い、必ずそうするよ。それしか手が無いからね」
そう言うとエーリッヒは微かに微笑んだ。痛々しいような微笑だ。イゼルローン要塞陥落以降ずっと戦い続けている。そして勝ち続けている。にもかかわらず敵は減らない、かえって厄介さが増しつつある。
ローエングラム伯ラインハルト、美しい野心的な目をした男だ。覇気も能力も有るだろう。そしてエーリッヒは野心など欠片も持たない穏やかな男だ。平和な時ならば無名の一平民として一生を終えただろう、何の不満も待たずに……。
ローエングラム伯、貴方には分からないのだろうな。野心を持つ男を制御できるのは野心を持たない男だけだということに。
貴方が上に立っても組織は安定しないだろう。能力や覇気で上に立っても下のものの野心を制御することは出来ない。かえって野心を刺激し反発させるだけだ。
エーリッヒが野心家だったら必ず貴方を潰しただろう。今のエーリッヒだから貴方を使えるのだ。そして貴方にはエーリッヒは使えない、持て余すだけだ。使えるのであればあのような失敗はしていない。
どちらが不運だったのだろう。この時代に生まれたエーリッヒか、それともエーリッヒと出会ったローエングラム伯か……。多くの人間がローエングラム伯を不運だと言うだろう。
だが俺にはエーリッヒこそが不運だとしか思えない。彼の痛々しいような微笑を見る度に心で問いかける。どうしてこの時代に生まれてきた、どうして此処に居る、何故そんな辛そうに微笑むのだと……。
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