八神家の養父切嗣
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六十一話:神
乾いた世界に嗤い声が響き渡る。長年の研究の末にようやく至った極地に、余りにもみすぼらしい自身の心に、スカリエッティは嗤い続ける。
「はははは! さあ、どこからでもかかってきたまえ。神を殺せるのならね」
「何が神だ…! あなたはただの人間だ!!」
自身を神と名乗るスカリエッティ。そんな態度に憤りを抑えられなくなったフェイトは再度彼に斬りかかる。だが、結果は先程と何一つ変わらなかった。斬った感触は手に残っても彼自体は何事もなかったようにその場に立ち続けている。
「無駄! 無為! 無価値ッ! 世界の時を支配した私の前では全てが意味をなさない!」
「そんなことはない! 無価値なものなんてこの世にはないよ!」
「くふふふ、そう思うのならば何度でも試してみたまえ。そして理解し、絶望するがいい」
今度はスバルがスカリエッティに襲い掛かる。拳の連打、息の根を刈り取る鋭い上段蹴り、鍛え上げられた魔法。そのどれもが直撃する。
「援護します、スバルさん!」
「なけなしの魔力だけど、ないよりはマシでしょ!」
キャロやティアナからの援護射撃も入る。例え相手がなのはクラスの防御力と根性を持っていたとしても無傷であることなどあり得ない。そもそも防御もせずに攻撃を食らっているのだ。オリハルコンの体でもなければ無事では済まない―――そんな常識は彼には通用しなかった。
「―――もう終わりかね? ご覧の通り、私は元通りさ」
掠り傷の一つもない体でスカリエッティは邪悪な笑みを浮かべる。固有結界内の時間流は全てスカリエッティの制御下にある。彼はほんの少し念じてやればいいだけだ。自分に流れる時間を攻撃を受ける前に戻せと。
「さて、どうするかね。私は時を巻き戻しているだけだ。疲労のしようがない。だが君達は時間が経てば経つほどに力を失っていく。当然だ、それが“自然の摂理”だからね」
そう言ってただ一人その自然の摂理から逃れた男は嗤う。
「くはははは! この全能感、まさしく神ではないか! だというのに私の心は未だに満ち足りることはない!」
脳内を駆け巡る快感は超越者となったが故の喜び。普通の人間であればそれで満たされるだろう。しかし、男の欲望がその程度で満たされるはずもない。相も変わらず心象風景は乾いている。例え海の水をそのまま流し込んだとしても一瞬で蒸発させてしまうだろう。
「抗え、抗いたまえ。神に抗う人間を罰すればさらに神として満たされるやもしれない!!」
発狂したように叫ぶ。もはや取り繕うことなどない。スカリエッティはただ貪欲に自身の渇きを癒すために動き始めた。欲望を抑えるものなどこの世界には何一つ存在しない。ならば、後は奪い貪るまでだ。そんな暴君のような口ぶりに何を思ったのかエリオが反論する。
「神様なら人を救うべきだ! 人を傷つける神様なんておかしいよ」
「いいや、何もおかしいことはないよ、エリオ・モンディアル」
子供らしい神様という存在は人を救うべきだという考え。スカリエッティは実に楽しそうにその考えを馬鹿にすることも、笑うこともなく、諭すように語りだす。
「いいかね。文字を持たぬ民族があっても神を持たぬ民族はいない。それは人という存在が本質的に弱いからだ。人はその弱さ故に神に縋り日々の安寧を願う。だが、神という存在は何も安らぎを与えるだけではない」
まるで教師が子供達に授業を行うかのようにゆっくりと丁寧に語っていくスカリエッティ。その様子からは彼が人間と神という存在に並々ならぬ想いを抱いていることを感じさせた。
「神々は自然や動物がモチーフとされることがほとんどだ。今でこそ人間は自然を破壊し、動物を支配下に置くことができるようになった。しかし、太古の昔はそれらは恵みの象徴と同時に災厄の象徴でもあった」
人々に水を与える川は時として氾濫し人を飲み込む。今では飼育されているが豚は森にいれば猪となり狩人の命を奪うこともある。世界に名高い英雄ですらそれらに叶わず命を落とした伝承など幾らでもある。人はその恐怖を遺伝子に刻み込んできた。
「メリット、デメリットは表裏一体。故に神は恵みと共に罰を人に与えねばならない。他ならぬ人間が神にそう望んだのだからね」
罪を犯した人間は自らが罰せられることを願う。それが真っ当な道徳性を持ち合わせている人であればあるほどにその傾向が表れる。自らを戒めの鎖で縛り孤独な牢に入る。それだけで償っていると錯覚し本当の償いを忘れ己を最悩む苦悩から逃げられる。そんな弱さを併せ持つ人間だからこそ、神に望むのだ。
「私は人間を愛している。だからこそ神となり―――人に災厄を施さねばならないのだよ」
―――私に罰を与えてくださいと。
「そんな…そんなこと……誰も望んでいない!」
信じたくなどない言葉にエリオは叫び返す。だが、スカリエッティにとってはそんな叫びさえも愉悦となる。人が苦悩する様は美しい。それだけ生きることに真剣なのだから、当然だ。
「本当にそうかね? 君は今まで傷つけてしまった人に謝りたいと思ったことはないのかね?」
「そ、それは……」
「人の優しさを知るたびに暴走して傷つけた者への罪悪感で心が痛まないかね。例えば、母とも呼べる女性に対してなど」
反射的にフェイトの方に目を向けてしまうエリオ。親に見捨てられ絶望していた自分は感情に任せ彼女を傷つけてしまった。そのことは既に謝ったことがある。母は優しいから笑って気にしていないと言ってくれた。だが、その時に自分は―――罰してくれることを望まなかったのか。
「……ッ!」
「エリオ! スカリエッティの言葉になんて耳を貸しちゃダメだよ!」
「おやおや、人聞きが悪いね。私は彼を救ってあげたいだけだよ」
原因不明の吐き気に襲われて思わず口を塞ぐエリオにフェイトが叫びかける。そんな様子をスカリエッティはニヤニヤと嗤いながら見つめる。人の心の傷口を切開しその様を見物する。どこまでも趣味の悪い行為であるが彼はそこに楽しみを見出している。
「弱さとは悪かもしれない。しかし、私達は生命を弄ぶ悪行により産み落とされた者達だ。弱さや悪を認めなければ我々の存在そのものが否定されるとは思わないかね?」
なおも、スカリエッティは傷口を広げていく。実に楽しそうに、無邪気な子どもが虫の手足をもいでいくように。
「悪という存在は人になくてはならない存在だ。何も恥じ入ることはない。私達は悪として人に救いを与えることができるのだ。このまま勝ち目のない戦いなどしても君達に益はない。それでもまだ抗うかね? ―――悪をもって人を救う神に」
在り方はこの上なく邪悪だ。しかし、悪でなければ救われない人々は少なからずこの世に存在する。そうした者達からすればスカリエッティは紛れもない救世主だろう。果たして倒してもいいのだろうか、誰かにとって希望となり得る存在を。弱気な考えがフェイト達の頭をよぎる。だが、そんな考えを―――一発の銃弾が吹き飛ばした。
「……抗うかね、八神はやて」
コンテンダーの銃弾が掠り、破れた袖を見ながら静かな声で話しかけるスカリエッティ。
「あたりまえや。あんたになんか救ってもらう必要はないわ」
「人間の弱さを、悪性を否定するのかね?」
どこか失望したような声ではやてに問いかけるスカリエッティ。それに対してはやては静かに首を振りながら父の形見のコンテンダーをしまう。
「否定するつもりなんてないわ。あんたには一言だけで十分―――人間舐めんなや」
―――人は弱い。
何かを支えにしなければ、拠り所がなければ生きていけないほどに。
悪に逸れる人間もいるだろう。
だが、人は弱さを強さに、優しさに変えることができる。
悪性と善性両方を兼ね備えながら善性を取ることができる。
弱さも悪も心に秘めながらでも、人はきっと強く生きられる。
そう、彼女は人を信じ続けている。
「く! ふははははっ! 父は人間に絶望し、娘は人間を信じ続けているか。くはははは! これは面白い。いいだろう、君には敬意を表し―――本物の絶望を見せてあげよう」
「そっちこそ、後で泣いて謝っても知らんで」
冷たい眼光がお互いを睨み付ける。もはやここより引くことはどちらにもできない。それははやての啖呵に勇気づけられたフェイト達も同じである。この世界から出ることができるのは勝者と死体のみ。
乾いた風が死を誘うように吹き抜けていく。それが合図だった。
「フッ」
「黒鍵! なんて速さや…ッ!」
スカリエッティが一本の黒鍵を投擲する。一見すればただの投擲であったが時間を操れる彼の手にかかればそれは豹変する。黒鍵が到達するまでにかかる時間を加速するだけで殺傷力は跳ね上がる。間一髪で躱すはやてであるが爆弾でも落ちたような着弾点に冷や汗を流す。
「一つで終わると思わないことだ」
「させない!」
さらにもう一つ飛ばそうとするスカリエッティであったがそれはフェイトによって止められる。スピードであれば誰にでも負けることはないと自負するフェイト。しかし、この世界ではそうもいかない。
「ついてこれるかね。限界まで加速した私の動きに!」
タイムアルターと同じ要領で加速したスカリエッティが容赦なくフェイトの首を狙う。その動きを何とか視認するフェイトであったが体は反応してくれない。その柔らかい喉笛が喰いちぎられる。そう覚悟したが彼女は自分一人で戦っているのではないことを失念していた。
「フェイトさんは!」
「私達が守ります!」
首の皮一枚を斬ったところで、間一髪でストラーダが黒鍵を弾き飛ばしフェイトを救う。そしてスカリエッティの元にはフリードの火炎とキャロの魔力弾が襲い掛かる。
「くだらん」
それを事もなげに腕を振るうだけで消し飛ばすスカリエッティ。しかし攻撃はそれで止むことはない。ティアナの弾丸がスカリエッティの頭部めがけて襲い掛かる。
「スバル、頭を狙いなさい! 一撃で昏倒させれば回復もできないかもしれないわ!」
「分かった!」
さらにそこへティアナとの連携でスバルがナックルで殴り掛る。一撃で昏倒させると言っているがどちらかというと脳を直接破壊しに行っているように見える。しかし、相手は反則そのものともいっても過言ではない存在なので誰も気にしない。
「ほう、そこに気づいたかね。確かに私の意識が途切れればこの世界は崩壊する」
弱点を言い当てられたというのにスカリエッティは笑うだけである。しかし、それも当然のことであろう。気絶させれば勝ちではあるが、一体どうやって―――
「だが、私が君達の攻撃に当たるとでも?」
―――時間を操る男に攻撃を当てればいいのだろうか。
それはまるでトロイヤ最大の英雄アキレウスの弱点を狙うようなものだ。世界一有名といってもいいアキレス腱こそが彼の弱点だ。誰もが知っている。誰もがそこを狙えばいいと言うだろう。だが、しかし―――誰よりも速い男に攻撃を当てるなど誰にできるのか。
これはその手の無理難題だ。方法はあってもそれ自体が不可能に近い。針の穴を通すような正確さをもってしても無理だろう。
「ディバイン・バスター!」
「くははは! 止まって見えるよ。それでは私には当たることはない!」
地面を抉り直線方向にあるもの全てを吹き飛ばす砲撃が放たれる。だが、その程度では今のスカリエッティに当てることはできない。まるで蝶が舞うようにひらりと躱してしまう。常に高速で動く的に当てることはできない。しかしながら。
「ほんなら―――ここらへん一帯ごと消し飛ばそーか」
的が動く枠そのものを破壊してしまえば問題はない。
はやてが掲げた杖を中心として巨大な魔法陣が現れる。三角の頂点それぞれに魔力が収束されていき、効果の異なる砲撃が生み出される。かつてはやてが闇の書の闇を滅ぼす時に一度だけ見せた終焉の一撃。
「生きとるんなら、神様だって殺してみせる」
「その技は……神々の黄昏」
北欧神話により語り継がれる世界の終焉。栄華を誇った神々といえど世界の滅びからは逃れることはできない。全ての終わりは初めから定められた運命。争いの末に世界は巨人の持つ剣により焼き尽くされる。
「響け! 終焉の笛―――ラグナロクッ!!」
蒼天の書の魔力を全て絞り出した超特大の砲撃。着弾と同時に広域に拡散するその攻撃から逃れることはできない。何よりこの攻撃は逃げる場所など与えてはくれない。魔力攻撃では人は死なないという特性を生かして味方すら巻き込む威力で放っているのだ。
この攻撃から逃れられるのは使用者のはやてとツヴァイのみ。フェイト達も自爆は覚悟の上だ。自分達も気絶はするが相手も気絶をする。数の上で優位に立っているからこそ使える最終手段だ。これにはさしものスカリエッティも為す術がない。
「まさか…ここまで……完全に予想外だ」
まるで壁が迫ってくるような砲撃に愕然とした声を零すスカリエッティ。全くもって予想外であった。彼らの決して諦めることのない意志の強さも、時間を操る自分にここまで対抗するのも、予想外であった。
現状では彼にこれを防ぐ術はない。どれだけ加速して逃げようとも広域殲滅の攻撃からは逃れられない。自分の攻撃で押し返すのも不可能だ。SSランクのはやてに魔力勝負を挑むなど自殺行為だ。時間を減速しても、加速しても、逃れることはできない。ならば、もはや―――
「―――もっとも、想定の範囲内だがね」
―――時を止めるのを躊躇する必要などない。
世界が止まる。今まさに全てを滅ぼそうとしていた神々の黄昏も停止する。動いているのは生きている者達だけ。それ以外の全ては時を止めている。動くことはない。ただ、停止している。
「嘘…やろ…?」
「言わなかったかね? 私は世界の時を―――支配していると」
信じられないと誰もが零す。加速や巻き戻しまでであれば理解ができた。時間とは常に流れているものだという常識に当てはめることができた。しかしながら、時を止めるなど信じられなかった。
「残念ながら私には生体の時を止めることはできない。もっともオリジナルに近い力となればそれも可能になるだろうがね」
他者の生命を加速、巻き戻し、停止は現状ではできない。しかし、より切嗣の能力に近づけばそれすらも可能となる。さらに言えばそこにある聖杯の力を使えばすぐにでも行えるようになるだろう。だが、急いでそんなことをする必要はない。
「そうだ、その表情だ。その絶望が、恐怖が―――神だ」
絶望の表情を浮かべるはやて達に歪んだ笑みが向けられる。さらに絶望を煽るように停止した砲撃を巻き戻し胡散させる。それを見てはやて達は否応なく理解する。自分達は遊ばれていたのだと。彼は自分達の攻撃など避ける必要などなかったのだ。ただ、絶望する表情を見たいがために手を加えていたのだ。
「さて、ここまで楽しませてくれたお礼だ。一思いに殺してあげよう」
スカリエッティが指を鳴らすと無数の剣が宙に現れる。衛宮切嗣を殺したものと同じ魔法だ。それをはやてに向けながら彼は残虐な笑みを浮かべる。
「まずは八神はやて、君だ。喜ぶがいい。父親と同じ死に方ができるのだからね、くくくく」
無数の剣が襲い掛かってくる。全てがスローモーションに見えるが避けることはできない。否、避ける気力がなかった。どうしようもないことを悟ってしまった。自分にはもう何もできない。戦うことも、逃げることもできない。ただ一つ、できることがあるとすれば。
「……たすけて」
助けを乞うことぐらいだろう。
何の意味もない、誰も来てくれない、無意味な声。この世界に他の誰かが来るわけもなければ、仲間の誰もが絶望し動くことができない。こんな状況でもし助けに来てくれる人間がいるとすれば、それは―――
「ああ――勿論だよ」
―――正義の味方に他ならない。
突如現れた一人の男がはやての前に立ちスカリエッティの攻撃を全て叩き落す。
「馬鹿な…なぜ…なぜ…君がここにいるのだね……」
弾き飛ばされた剣軍に初めて笑みを無くすスカリエッティ。そんな相手を気にする素振りすら見せずに助けに入った男は優しくはやての頭を撫でる。
「頑張ったね、はやて。もう大丈夫だよ」
はやては顔を上げて男の姿を見る。血で赤く染まったコートを肩からマントのように掛け流し、髪は銀のような白に染まり、肌は不健康そうに黒ずんでいる。それでも瞳だけは記憶にあるものと同じで死んだ目でありながらも優しかった。
「おとん……なんで、生きて…ううん、なんでここにおるん?」
ひとりでに流れる涙にも気づかずにはやては子供のように問いかける。そんな娘からの問いかけに困ったように笑いながら切嗣はもう一度はやての頭を撫で、照れ隠しのように背を向ける。そして、娘を傷つける悪と向き合い小さいながらもハッキリとした声で宣言する。
「だって僕は、はやての―――正義の味方だからね」
後書き
ケリィはそう簡単には死なない。悪がある限り正義が消えないように。
もうちょいで完結します。因みにケリィの容姿はほぼアサエミですね。
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