銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百二十一話 元帥杖授与
帝国暦 487年9月 14日 オーディン 宇宙艦隊司令部 オスカー・フォン・ロイエンタール
ミッターマイヤーとともに司令長官室に向かった。今回の戦いで思いのほかに損害を受けている、その補充の願いだ。司令長官室に入るとヴァレンシュタイン司令長官はある軍人と応接室に行こうとしている所だった。
急ぐ用ではない、どうやら貴族たちは時を待つつもりのようだ。今すぐ内乱が起きないのなら艦隊の再編には十分な時間が有る。出直しても良いだろう。
ミッターマイヤーと視線を合わせると彼は肩を竦めてきた。どうやら彼も同意見らしい。思わず苦笑いして踵を返した時、ヴァレンシュタイン司令長官の声が聞こえた。
「ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、帰らなくても良いですよ、こちらへ」
その声に振り返ると司令長官が穏やかに微笑んでいるのが見えた。
「は、しかし」
「構いません、一緒に。アントン、いいだろう?」
「ああ、構わんよ」
応接室に入りソファーに座る。アントンという男だが何処かで見たことがあるようだ。何処でだったか……。
「紹介しましょう。彼はブラウンシュバイク公の所にいるアントン・フェルナー大佐です」
思い出した。軍刑務所でブラウンシュバイク公とともに居た男だ。思わずミッターマイヤーを見たが、彼も表情が厳しくなっている、思い出したのだろう。
一方のフェルナー大佐は俺たちの様子を気にするようなことも無く落着いて座っている。肝が太いというか小面憎いというか……。
「フェルナー大佐にはフェザーンに行ってもらっていたのです」
「フェザーンですか」
司令長官の言葉にミッターマイヤーが反応する。
「ええ、反乱軍の弁務官事務所に接触してもらっていました。彼らを帝国に攻め込ませるために」
「!」
驚いた。司令長官が反乱軍を誘引するために様々な手を打っているだろうとは思っていた。しかし、その一手をブラウンシュバイク公の部下が担っていたとは……。
「アントン、有難う。卿のおかげで上手く反乱軍を誘引できた。感謝しているよ」
「俺だけの功じゃないさ。情報部や卿も大分動いていた、そうだろう?」
「それでも、卿の働きは大きかったと私は思っている。卿の事は軍務尚書にも伝えてある。おめでとう、アントン。来週には閣下と呼ばれる事になるよ」
嘆声を上げてフェルナー大佐は喜びを露にした。その気持ちは俺にも判る。初めて閣下と呼ばれた時の誇らしさはなんとも言い難いものだ。俺もミッターマイヤーも口々に祝いの言葉をかけた。
それがきっかけとなって会話が弾んだ。悪い男ではなかった。フェザーンでの食事や風物など面白く話してくれる。気が付けば俺もミッターマイヤーも声を上げて笑っていた……。
その出来事は彼が帰るときに起きた。席を立ち応接室を出ようとするフェルナー大佐に司令長官が声をかけた。
「アントン、ギルベルト・ファルマー氏は元気そうだね」
「!」
「?」
フェルナー大佐の後姿が目で分るほどに緊張した。彼はゆっくりと振り向くと
「知っているのか?」
と司令長官に問いかけた。
「知っている。ルパート・ケッセルリンクと会っていたことも」
「……参ったな。弁務官事務所には注意していたんだが」
苦笑とともにフェルナー大佐が答える。どういうことだ、二人とも何を話している?
「弁務官事務所じゃない。情報部だ」
「情報部……」
情報部! フェザーンでの任務には何か秘密が有るのだろうか? ミッターマイヤーも緊張している。
「済まないね、アントン。念のため用心させてもらった」
「いや、当然の用心だと思う。やはり卿だな、ヴィオラ大佐では俺の相手は無理だ」
フェルナー大佐は不敵といって良い笑みを見せると敬礼してきた。ヴァレンシュタイン司令長官も答礼する。俺たちも慌てて答礼した。
フェルナー大佐が部屋を出て行くとヴァレンシュタイン司令長官が少し寂しげな表情で話し始めた。
「ギルベルト・ファルマーというのは、フレーゲル男爵のことです」
「……」
フレーゲル男爵か。フェルナー大佐が会っていたということはブラウンシュバイク公の命令で会っていたということか。しかし、ルパート・ケッセルリンクとは?
「まあ、それは良いのですが……。もう一人のルパート・ケッセルリンクは、アドリアン・ルビンスキーの部下なのです」
「では、ブラウンシュバイク公は」
「フェザーンとの関係を強めようとした、そういうことでしょうね」
「貴族たちは時間を待つのではないのですか?」
「いつでも動けるようにしておく、そういうことでしょう」
どうやら俺は考え違いをしていたようだ。のんびりしている時間は無い。貴族たちは十年待つつもりはない、十年の間に動くという事だ。早急に艦隊を再編する必要があるだろう……。
帝国暦 487年9月 21日 オーディン 新無憂宮 ライナー・フォン・ゲルラッハ
広大な黒真珠の間に大勢の人間が集まっている。皇帝の玉座に近い位置には帝国の実力者と言われる大貴族、高級文官、武官がたたずんでいる。彼らは幅六メートルの赤を基調とした絨緞をはさんで文官と武官に分かれて列を作って並んでいる。
一方の列には文官が並ぶ。国務尚書リヒテンラーデ侯、フレーゲル内務尚書、ルンプ司法尚書、ウィルへルミ科学尚書、ノイケルン宮内尚書、キールマンゼク内閣書記官長、そして私、ライナー・フォン・ゲルラッハ財務尚書。
反対側の列には武官が並ぶ。エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、クラーゼン元帥、オフレッサー上級大将、ラムスドルフ上級大将、ローエングラム伯。
ブラウンシュバイク公は名目だけとは言え元帥位を得ている事から武官の側に並んでいる。そして今日、新しい帝国元帥が誕生する。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、二十二歳の若者だ。
帝国元帥は上級大将より一階級高いというだけではない。年額二百五十万帝国マルクにのぼる終身年金、大逆罪以外の犯罪については刑法を以って処罰される事は無く元帥府を開設して自由に幕僚を任免する事が出来る特権を持つ。
二十二歳の元帥……。帝国史上最も若い元帥だ。しかも初めて平民から誕生した元帥……。本来なら平民の元帥などありえない。しかし、帝国では彼が元帥になる事に異議を唱える人間はいない。
彼が元帥になったのが早いのか遅いのか私には分らない。早い時期から軍では、いや宮中でもエーリッヒ・ヴァレンシュタインの名前は聞こえていた。いずれ帝国の実力者になると……。
古風なラッパの音が黒真珠の間に響く。その音とともに参列者は皆姿勢を正した。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護
者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が耳朶を打つ。そして参列者は頭を深々と下げる。
ゆっくりと頭を上げると皇帝フリードリヒ四世が豪奢な椅子に座っていた。血色も良く生気に溢れている。半年前からは想像もつかないほど陛下は変わった。そして誰もが皆知っている。陛下を変えたのはヴァレンシュタインだと。
「宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
式部官の朗々たる声がヴァレンシュタインの名を呼んだ。その声とともに絨毯を踏んで一人の青年が陛下に近づいてくる。
黒の軍服に身を包み、元帥に昇進することから肩章、マント、サッシュを身に纏っている。マントの色は表も裏も黒だ。そして濃紺のサッシュと金の肩章。
まるで目立つ事を嫌うかのような装いだ。そして何よりも軍服がこれほど似合わない青年も居ないだろう。黒髪、黒目、優しげな表情。華奢で小柄な体を包む黒い軍服と黒いマント。
大勢の貴族が敵意の視線を向ける中、まるでマントで身を守るかのようにして歩いてくる。知らない人間が見れば笑い出すか、馬鹿にするだろう。帝国も落ちたものだと。だが、この場にはそのような愚か者は居ない。この若者の恐ろしさは外見では無く内面に有るのだ。
彼を軽んじた人間、敵対した人間がどうなったか、皆知っている。オッペンハイマー、フレーゲル、カストロプ、ブルクハウゼン……。彼の持つ果断さ、苛烈さの前に皆、死ぬか、没落した。
彼が黒を選ぶのも或いは死者を弔うための喪服なのかもしれない。そして内乱が起きれば彼が弔うべき死者は更に増えるだろう。この式典に参加している人間も大勢死ぬに違いない。
ヴァレンシュタインが玉座の前に立った。そして片膝をつく。
「ヴァレンシュタイン、このたびの武勲、まことに見事であった」
「恐れ入ります、臣一人の功ではありません。帝国の総力を挙げた結果にございます」
「そうじゃの、予もいささか手伝ったの」
「はっ」
陛下は上機嫌だ。陛下にとってヴァレンシュタインは戦友なのかもしれない。共に反乱軍を謀り、フェザーンに通じた裏切り者を倒した……。
「そちを貴族にしてはどうかと言うものが有る」
「……」
「これまで平民が帝国元帥になった前例は無い。貴族に列するべきだとな」
ヴァレンシュタインは顔を伏せたまま答えない。周囲がざわめく。陛下の問いに答えない、本来なら不敬といって良いだろう。答えないことで不快感を表しているのか……。陛下も怒ることなく話し続ける。
「どうじゃな、ヴァレンシュタイン」
「その儀は御無用に願います」
「ほう、いらぬか」
「臣は平民として最初の元帥かもしれません。しかし最後の元帥ではありません。御無用に願います」
周囲がまたざわめいた。最後の元帥ではない。その言葉の意味する所は貴族の否定……。
「良かろう、好きにするが良い」
陛下は上機嫌で笑うと、式部官から渡された辞令書を読み始めた。
「シャンタウ星域における反乱軍討伐の功績により、汝、エーリッヒ・ヴァレンシュタインを帝国元帥に任ず。帝国暦四百八十七年九月二十一日、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世」
ヴァレンシュタインは立ち上がって階を上り、最敬礼とともに辞令書を受け取った。ついで元帥杖を受け取るとそのままの姿勢で、後ろ向きに階を降り陛下に最敬礼をする。
数歩後ずさるとヴァレンシュタインは華奢な体を翻した。身に纏うマントが微かにはためき、濃紺のサッシュが現れる。そのまま、ほんの数秒の間、ヴァレンシュタインは黒真珠の間を見渡した。
皇帝フリードリヒ四世を背後に黒真珠の間の廷臣を見渡す。音楽が流れ始めた。勲功ある武官を讃える歌、ワルキューレは汝の勇気を愛せり。その音楽とともにヴァレンシュタインは歩み始めた……。
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