| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ヘタリア学園

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第五千六百九十三話  映画にもなっている

第五千六百九十三話  映画にもなっている
 アメリカ文学はある人からはじまったと言われていますがアメリカは日本に対してあえてこのさくひんの名前を出しました。
「モヒカン族の最後という作品があるぞ」
「映画にもなっていますね」
「この作品が最初かも知れないぞ」
 アメリカ文学の、というのです。
「これは面白いぞ」
「西部劇のはじまりかも知れないですね」
「舞台は違うけれどな」
 西部ではないです。
「この作品が書かれたのはかなり早い頃なんだ」
「アメリカさんがまだ東部だけだった頃ですか」
「そこから僕は大いに発展したんだ」 
 イギリスが気付かない間に大きくなっていてです。
「その頃の作品だな」
「そしてモヒカン族の人達は」
「今もちゃんといるぞ」
「タイトルはタイトルですね」
「そこは気にしていたらいけないぞ」
 きっちり今もいる人達にしてもです、最後となっています。けれどこの辺りは本当に気にしてはいけないことです。


第五千六百九十三話   完


                         2016・7・2
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧