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俺の四畳半が最近安らげない件

作者:たにゃお
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人馬の男~小さいおじさんシリーズ8

―――灯りが要らないくらい、月の大きな夜だった。


スーパームーンとか云うらしい。布団を敷いて灯りを落として暫くすると目が慣れてきた。青白い光が部屋の隅々まで満ちているのが分かるほど、明るい。俺は布団に潜り込んで、ちらりと炬燵の上を見上げる。

小さいおじさん達は偶に、月が明るい夜、灯りを落として高台で酒宴を開くのだ。

 ひょっと出てきて菓子を食いながら軽口を叩く普段とは違い、言葉少なに酒を呑む。遠い昔に滅びた、彼らの国の記憶に思いを馳せているのだろうか。俺に分かるのは、この時間は彼らにとって大事な時間だということだけだ。
 そんな感じなので大抵、俺は酒宴が始まったらすぐに眠くなって寝てしまう。

最初は『中国人らしいから…』と老酒を置いてみたが、少し舐めると顔をしかめて、手をつけようとしなかった。どうも彼らの時代は老酒のようなアルコール度数の高い酒は飲まれていなかったらしい。色々置いてみた結果、デザートワインとか甘めの日本酒が一番しっくりくるようだ。
 で、3人ともそこそこ酒に強いらしく、小さめの黒じょかに半分ほど入れておいた酒は、朝にはあらかた消えている。俺は普段黒じょかなんて使わないんだが、徳利はどうも扱いにくいらしいので、ネットで手に入れた。これなら少し傾けるだけで安全に注げる。


ふいに、月が翳った。


槍を構えた人馬のような形の雲が、月を呑む。大きいが薄い雲らしく、月明かりは透けている。
「――邪魔な雲だ」
端正が舌打ちする。
「しかも何処となく誰か、厄介な人物を連想させる形ですなぁ」
羽扇を口元に置きつつ、唸るように白頭巾が呟く。そういえば以前、月は嫌いじゃないとか言っていた気がするが、本当のところ、月はかなり好きらしい。邪魔が入ると天候相手に大人げなくイラつく。
「……そういや、最近出てこないな、あの人馬は」
襖に遺された槍の跡を眺めて豪勢が呟く。
「あれを呼び出すような非常事態が訪れていない、ということだろ。平和で結構なことだ」
既に番犬扱いか。どうなんだこいつら。
「なんであいつ、いつも赤兎馬に乗ってんだろう」
端正が、ふと思いついたように呟いて酒を呷った。白頭巾が蕪の浅漬けをもそもそ噛みつつ、口元を羽扇で隠した。
「………あれですよ……ああいうケンタウルスなんじゃないですか?」
なんだこれ、ふいに始まったぞ、あのノリが。月が隠れるとこうなるのか?
「だはははは、ケンタウルス界期待の新星だな!!」
「人馬着脱可能とかもうな…ぶふ、ごほっごほっ」
端正が噎せて盛大に酒を吹いた。豪勢はだはだは笑いながら器用に酒を呑む。
「…っき、汚いぞ卿!!」
「汚いのは貴方でしょう。酒をまき散らさないで下さい」
「呑んだ瞬間を狙っただろう!!これ酒でやられると洒落にならん位痛いんだぞ!!」
「あれ、私のせいですか。なんと恐ろしき責任転嫁」
「おのれ、小学生のような嫌がらせを…!」


―――ああ煩い。早く月出てくれ。


「うははは…そうなると頭が困るな、二つある!」
「悩ましい、ところですね…どちらが本体に相応しいか」
「悩むなよ流石に」
「だって赤兎馬だぞ!?確実に呂布より頭いいだろ」
おっさん達は口々に呂布をコケにしながらゲラゲラ笑い始めた。なんかこいつら、人の悪口言うときだけは仲いいよな……。


襖が、からり……と開く音がした。まず最初に振り返った白頭巾が、羽扇をとり落とした。


「呂……」
「呂布!?」
豪勢がびくりと肩を震わせて、猪口を落とした。底の方に残っていた酒がとろりと零れた。正直、俺も驚いている。

もしかして俺、赤兎馬に乗ってない呂布、初めて見た…?

「なー、昔みたいに奉ちゃんて呼んでくれよー」
間延びした口調の気さくな男は、軽々と炬燵の高台によじ登ると大股な足取りで豪勢に近づき、どっかりと腰を下した。もう完全にびびっている豪勢の肩に腕を回して、男は豪快に笑う。どちらかというと小柄な豪勢と並ぶと、巨躯が際立つ。


ていうかこいつ、なんか…普通だ!極めて普通の気さくなおっさんだ!!


「なー、孟ちゃん!!…お、なになに、旨そうなもの食ってるな」
ポカンとしている3人を横目に、彼は当然のように酒宴に入り込み、つまみに出しておいた枝豆の皮を剥いて配り出した。端正が、辛うじて上ずった声を出す。
「卿…この男を奉ちゃんとか呼ぶ仲だったのか…?」
「え…いや…呼んだことない…」
指先の震えが止まっていない。当然だろう。俺が覚えている限り、豪勢と呂布は……。
「ごめんな~、あの時は。でも俺も立場的にさぁ。だからほれ、呑め。杯持てよ」
呂布は慣れた手つきで黒じょかを傾けると豪勢の杯を満たした。さっきからすごい気さくなんだが、フレンドリーにされればされるほど、豪勢の表情が強張っていく。
「そっちの綺麗な顔の兄ちゃんは…うーん、なんか見たことあるぞ、あれだな、呉の貴族のボンボンだろ」
「………俺は」
「オッケー知ってる知ってる。俺は頭悪いが名前覚えるのは得意なんだ。公ちゃんでいいな!呑んでるか?この…肉みたいなやつ旨いな、何ていうんだこれ」
ハムを食べやすいように切り分けて、またもや取り分ける。
「いつもの馬は、どうしたのですか」
唯一びびっていない白頭巾が、興味深げに呂布をまじまじと見つめる。さすが白頭巾、俺たちが聞きたくて聞きたくて気が狂いそうなのに聞けなかった事を、空気読まずにズバッと聞いてくれる!
「今日は留守番だ。飲酒運転はいかんだろ?」
そう云って悪戯っぽく笑う。なにこの好男子。
「ほう、そんな事が可能なのですか。てっきり私はこの人馬は同」「わー黙れ!!」「貴様!ほんと貴様は!!」
豪勢と端正二人がかりで白頭巾を抑え込む。呂布は豪快に笑った。
「もうそんなビビるなよー。お前面白い奴だな、こないだ一緒にいたあの豪傑も呼べよ」「妻です」「妻!?」
すげぇ喋るし、喋りながらも周囲への目配り気配りを忘れないし…この男、奴らより余程出来た男じゃないか。
「…いい酒だな、これ」
「応、余も常々それは思っていた」
恐る恐るだが、豪勢が打ち解け始めた。いつも各々が好き勝手に呑むので端正の居た辺り以外は散らかっているのだが、今日は呂布がちょいちょい片付けてくれている。
「これでいい女が酌をしてくれたらなぁ。おい公ちゃん、二喬呼んでよ」
「何故貴様らはまとめるのだ!そして何故酒の席に呼びたがるのだ!!」
「お得感があるんだよな、二人だし」
そう云って呂布は豪快に笑う。
「ならば卿のところの貂蝉を呼ん」
端正は言いかけた言葉を呑み込んで、ぐっと唇を噛んだ。豪勢はハラハラしながら、白頭巾は興味深げに呂布の表情を伺う。呂布はふと、月を仰いで呟いた。
「―――気の毒、したなぁ。あの子には」


―――え?


「特に身分の高い娘ではなかった。乱世にあらねば、幸せな人生を送れただろうに」
「………ほう」
白頭巾が考え込むように俯いた。羽扇の裏側で、なぜか渋い顔をしている。
「娘が嫁ぐ年になって思い知らされた」
さっきまで盛んに汲んでいた杯を置いて、深くため息をついた。
「俺たちは…俺や董卓、王允が…美しかった故に、皆が寄ってたかってあの子の人生を蝕んだのだなぁ。俺亡きあと、あの子はどんな悲惨な生を送っただろうか…何人の男達に、組み敷かれただろうなぁ…」
え?貂蝉て呂布が董卓を討ったあと、自害したんじゃないの?
「貂蝉が自害するのは、吉川英二の小説のみです」
俺の方は一切見ず、なのに俺の心を読んだかのように、白頭巾がよく通る声で呟いた。
「ん?何だ?」
「………日本の小説では、貂蝉は董卓死後、すぐに自害したことになっている、そうですよ」
「へぇ、そうなのか。ははは……」


……月を覆っていた雲は、いつしか晴れていた。呂布は静かに膝を立てた。
「さて、と。久々の酒宴の気配に呼ばれて、つい長居してしまったようだ…じゃあ、な」
「え、ちょっと待ってくれ、俺はもう少し卿と…」
分かる!端正の気持ちよく分かる!こいつ、あの二人よりずっとまともな良い奴だもの!!
「お、そうか?じゃもう少し……」



その時だ。『奴』が信じられない暴挙に及んだのは。



腰を浮かした姿勢のまま、呂布が固まった。だかっ、だかっ、だかっ……遠くからでも分かる荒々しい馬蹄の響き。端正が、ばっと白頭巾を振り返った。
「き…貴様……!!」
燃えるような鬣の巨大な馬が、黒じょかを、杯を弾いて酒宴の中央に躍り込んできた。白頭巾が口に咥えているのは、あの馬笛……。
「何故、赤兎馬を呼んだ!?」
端正が白頭巾の襟首を掴みあげた。白頭巾はさして意に介さず、ただ興味深げに呂布を眺め続ける。
「―――どうしても、見たかったのですよ」
呂布は、ふらりと立ち上がって赤兎馬の前に立ちはだかった。馬の視線と、呂布の視線が妖しく絡み合う。そしてその首筋に、呂布の腕が掛けられた。


「うおおぉぉぉおおおお!!!!」


雷鳴のような咆哮が、深夜の四畳半に響き渡った。明日大家に叱られることは必至だ。そんなことより、しかし。何ということだ、この恐ろしい人馬は。怒髪天を衝き、熱を帯びた陽炎が立ち昇り、流木のような剛腕が巨大な朱槍をかざす。さっきまでの好男子はどこへやら、怪馬に跨る魔人の様相だ。彼が激しく拍車を掛けると、赤兎馬は天を衝くような雄叫びと共に炬燵から飛び降りた。やべぇ、こんなとこに転がってたら踏まれる!俺は慌てて飛び起き、人馬に道を開けた。奴らは俺の枕を引き裂いて押入れの隙間に飛び込んで消えた。
「…………」
豪勢が呆然と、荒らされた酒宴の席に座り込む。
「彼の人格が赤兎馬に引っ張られて変貌する瞬間、見せて頂きました」
白頭巾が満足げに微笑んで羽扇で口元を隠した。端正は白頭巾の襟首を放して突き飛ばした。
「…度し難いわ卿は。まかり間違えば人死にが出るところだ!」
白頭巾はくるりと居住まいを正し、誰のものか分からぬ杯を持ち上げて、くいっと呑んだ。
「もともと死人みたいなものでしょうが、私たちは」
「―――肝を冷やしたな」
さっきから押し黙っていた豪勢が、大きく息をついた。
「助かったわい。貴様の気まぐれに感謝するのも筋が違うかも知れんが…」
「どうやら彼は赤兎馬に跨った瞬間、知能が赤兎馬側に引っ張られるようですな。どういった仕組みなのでしょう」
豪勢の感謝などにはさっぱり興味はないらしい。先ほど呂布が切り分けたハムを淡々と噛みしめながら、なおも考え込む白頭巾。端正は舌打ちと共にその辺の座布団を引き寄せて乱暴に座った。
「くそが、また卿らと3人きりか!…ようやく話の分かる漢が加わったと思ったのに」
半ばやけくそ気味に杯を呷ると、端正は豪勢を睨んだ。
「大体、何なのだ卿は。普段の傲岸不遜さはどうした、何故それほどに彼を恐れる。良い奴ではないか」
「ぐぬぬ…」



「――む、ちょっと待て」



かつり、と冷たい音を立てて、杯が置かれた。
「卿。聞きたいことがある」
「………」
「貂蝉は、どうしたのだ」
豪勢は押し黙ったまま、月を見上げた。答える気はないらしい。
「呂布を処刑したあと、赤兎馬は接収され、関羽に下賜されたと聞く。貂蝉はどうした?名にし聞こえる好色漢の卿があれほどの美女をただ解放したとは考えにくい。まさか…」
「………」
「その沈黙が答えか。…卿は呂布の報復を恐れていたのだな?」
「いえ。…それは違います」
ふいに白頭巾が杯から顔を上げた。
「なに、知っているのか?」
「知りません」
「なら口を挟むな!」
「何があったのかは知りませんが、貂蝉のその後ならば」
「は!?」
「見たのですよ。偶然、ほんの一瞬ですが。彼女を」


―――関羽殿の、傍らでね。


「なっ……」
「彼が関羽殿に下賜したのは、赤兎馬だけではなかった。…でしょう?」
羽扇の影で、白頭巾が口の端を吊り上げた。
「彼がこっそりと囲っていた美女が、貂蝉だったとは…我が主すら、存じ上げますまい。関羽殿も…なぁ…」
くっくっく…と、白頭巾の陰湿な忍び笑いが四畳半を満たした。…うわぁ、嫌な月見酒になったもんだなぁ…。
「はぁ…堅物と名高いあの御仁が。分からんものだなぁ」
「分からんものです。…ましてや、たった一度の酒宴などでは」
「嫌味を言うか。もう沢山だ」
端正が膝を立て、くるりと踵を返した。
「今日は徹底的に興が削がれた」
帰るらしい。何処に帰るのかは知らないが。豪勢もいつしか姿を消していた。



「―――静かになりましたね」
白頭巾が、誰にともなく呟いた。独り言だろうか。…俺に、話しかけているのだろうか。奴は誰かの猪口に酒を注ぎ、傍らに置いた。…呑め、ということだろうか。猪口に手を伸ばしても、白頭巾は俺の方を見なかった。ただぼんやりと、月を眺めていた。
「あんな面白い状況で、なぜ皆…赤兎馬呼ぶの我慢できるのでしょうね…」
逆に何故、あの状況で赤兎馬を我慢出来ないんだお前は。子供か。面倒くさい連中だな、あの時代を生き抜いてきた奴らは。どいつもこいつも。
 言いたい事は山ほどあったが、何となく俺からは話してはいけない気がする。せめて先ほど手にした猪口を空にすると、俺も月を眺めてみた。彼らが生きた彼の地でも今頃、同じような月が見えるのだろうか。白頭巾が何も話さないので、俺は再び布団に潜り込んだ。


白頭巾がいつまで月を見ていたのかは知らない。
 
 

 
後書き
次回更新は来週の予定です 
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