貴方の背中に、I LOVE YOU(後編)
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貴方の背中に、I LOVE YOU(後編)
貴方の背中に、I LOVE YOU (後編)
{作品は、フィクションに付き、内容は架空で、事実とは、異なる処があります}
ハーモニーとリベルは、飛行機の乗るのは初めてで、シートベルトの着用方法も、解らなかった。平が、座席の横からテーブルを引き出し、客室乗務員に、何回もドリンクを頼んでいた。ハーモニーが「沢山飲むと、お金一杯払うよ」と、心配して言った。平が「何回飲んでも、無料サービスだよ」と、言った。無料の機内サービスを知ったハーモニーとリベルのドリンクは、幾度もドリンクをオーダーした。ハーモニーとリベルは、窓から、眼下に見えるマニラ市を、目を丸くして見ていた。二人は、全てが珍しく、興奮していた。雲海しか見えなくなるとハーモニーは、平の肩に凭れかかり、手を繋いで眠ってしまった。彼女の寝顔は、幸せで一杯だった。三人は、田村正義の遺骨と、御別れ会の写真と、ハーモニーとリベルの両親の遺骨を携え、日本に到着した。空港に、武井興業㈱の幹部社員が、出迎えた。「寒い!寒い!」と、ハーモニーがビックリして、言った。熱帯育ちの二人は、空港で、車に乗り込む際、冬の日本の余りの、寒さに驚いた。三人は、武井興業㈱の幹部社員が用意して来た、GIEMON(義衛門)の防寒着を、車の中で着用し、安造の屋敷に向かった。玄関に入ると、安造が、例の鋭い眼光で、出て来て「平、お帰り」と、言い、ハーモニーとリベルに「いらっしゃい、待っていた」と、言った。ハーモニーとリベルは、辿々しい日本語で「ハーモニーです」「リベルです」「お世話に成ります。親仁さん、宜しく、お願いします」と、言った。安造の衣服は、ヤクザ時代とはガラリと変わり、全てGIEMON(義衛門)ブランドだった。三人は座敷に上がった。家事係の、夕子とアキが、お茶と茶菓子を、座敷に持って来た。夕子は、元、武井興業の若い衆と所帯を持っていたが、丸ぽちゃのアキは、未婚だった。リベルを見て、二人は台所で「イケメンね」と、話していた。ハーモニーとリベルには、スペイン系の血も混じっていた。座敷で安造が、平に「嫁さんは別嬪だ。赤子は未だか?頑張っているか?」と、言い「弟は二枚目だな」と、言った。平は、日本語が解らないハーモニーとリベルに、照れながら、通訳した。平は、写真を見せ、安造に、遺骨の御別れ会や、フィリピン武井㈱や、フィリピンGIEMON(義衛門)ショップなど、現地の現状を、事細かく話した。ハーモニーとリベルは、日本語が余り解らないので、別部屋で夕子とアキと、辿々しい日本語で戯れていた。以前は、安造の屋敷には、若い衆が数多く居たが、結婚して所帯を持つ者や、会社の独身寮などに入る者で、人数が減り、今は、安造と夕子夫婦とアキの、四人だけに成っていた。夕子夫婦は、別居を考えたが、家族が少なると、寂しいからとの、安造の考えで、同居していた。安造は「俺も歳だ。いずれ、蛍の家に移り住みたい。でも、可愛い平には、日本に帰って来て欲しい」と、胸の内を明かした。平は驚いた。今まで、安造が、自分の事を「可愛い」と、言ったのを、今まで、一度も聞いた事が無かった。親仁は、自分を子供同様に、考えていたのだ。と、痛感し、親仁も、歳を取ったなと、思った。平は「フィリピンでの基盤が確立したら、必ず帰る」と、約束した。夕方、夕子の夫の辰之助が、武井興業㈱から帰宅し、「専務、お帰りなさい」と、言って食堂に入って来た。ハーモニーとリベルは、夕子とアキに、箸の使い方を教わっていた。久しぶりの大人数の食事に、安造は満面の笑みだった。食事が済んで、皆が、順に風呂に入り始めた。ハーモニーは、フィリピン同様に、平と一緒に風呂に入ると、考えていたが、平は、皆の目があるから、駄目だと諭した。暫くして、アキが居間に戻って来て「湯船の御湯が無い」と、言った。リベルの仕業だ。平は、リベルとハーモニーに「日本では、湯船は皆が温まる場所で、御湯流さない」と、教えた。暫くして、又、アキが戻って来て「湯船が石鹸で泡立っている」と、言った。今度は、ハーモニーの仕業だ。再度、平は、リベルとハーモニーに「日本では、体は洗い場で洗い、湯船では洗わない」と、教えた。「難しいね」と、ハーモニーとリベルが言った。その日、安造の家では、湯船に御湯を三回入れた。二人は、以前に、平が使用していた部屋に入った。ハーモニーは、探究する様な目で、部屋を見回した。平は押入れの中から、布団を取り出し、畳に敷いた。ハーモニーが「ベッドは無いの?」聞くと、平は「日本では、これがベッド」と、答えた。彼女が「面白いね。私のスモーキー・マウンテン時代に、小屋に敷いたマットレスと、同じだね」と、笑って言った。平が「日本は寒いから、風邪ひくよ。明日から、布団の中は、下着、付けて寝た方が良いよ」と、言った。ハーモニー「良いの?」と聞くと、平が「大丈夫」と答えた。ハーモニーが「安造親仁さん、怖い顔ね」と、言うと、平が「優しいよ。明日、親仁に、お父さんと言って、ご覧。喜ぶから」と、言った。二人は布団に入り、日本での最初の愛の交歓をした。交わり終えた平は、何時も通り、ハーモニーの乳房と腕に、キスマークを付けた。彼女が「良かった?」と、聞くと「良かった」と、平が答え「おやすみ」と、言った。ハーモニーも「おやすみ」と、言い、平に抱き付き、二人は眠りに入った。
翌日の朝、安造の家族と、平とハーモニーとリベルで、合祀の墓に向かった。全員、GIEMON(義衛門)ブランドの防寒具衣服だった。八人乗りのワンボックスカーを、辰之助が運転し、助手席に夕子、中央の席に安造と平、後部席にハーモニー・アキ・リベルが座った。ハーモニーが、安造に「お父さん、お早うございます」と、日本語で言った。安造は、突然のハーモニーの「お父さん?」の言葉に、面食らった。そして「お早う。若奥さん」と、笑顔で嬉しそうに返事した。ハーモニーも、安造の返事が、嬉しかった。後部席で、若いリベルとアキが意気投合して、イチャつき始めた。車窓から、北関東の、雪を被った山々が見えて来た。ハーモニーとリベルは、雪山を見るのは、初めてだった。ハーモニーが、うっとりして「白い山、素敵ね」と、言って、車窓を眺めていた。昼頃、合祀の墓に着いた。外は寒いので、車の中で昼食を摂った。昼食は、夕子とアキが作った、キャラ弁だった。ハーモニーとリベルは、日本版キャラ弁を、珍しそうに見詰めていた。昼食を終えて全員、車を降りた。境内には、雪が薄く積り、凄く寒かった。ハーモニー「寒い」と言って、平の背中に、しがみ付いた。父・正義の遺骨と、ハーモニーとリベルの両親の遺骨を、合祀の墓に納骨した。やっと、父・正義と母・静が会えた瞬間だった。平は「母さん、待たして御免ね。父さん来たよ。良かったね」と、心の中で呟いた。安造も、合祀の墓に入って居る故人や犬達を、心の中で顧みていた。ハーモニーは英語で「和ちゃん、私、一生、平を大事にする」と、言った。平と安造家族は合掌・礼拝をしたが、カトリックの信者であるハーモニーとリベルは、十字を切って指を組み合掌した。平は、寺の若住職に、父・正義の俗名と、姉弟の両親の俗名を、墓誌に彫る事を依頼して、一行は合祀の墓を後にした。車中で、平は、夏場の合祀の墓の蛍が、スモーキー・マウンテンの蛍の紙袋配布の原点で或る事を、全員に話した。そして、ハーモニーとリベルには、後日、夏場に合祀の墓に、来て、無数の蛍が舞う光景を見せると、約束した。17
一行は、北関東のスキー場の温泉ホテルに、到着した。玄関に、等身大の雪だるまが在り、welcomeと書かれていた。南国育ちのハーモニーとリベルは、面白そうに、雪だるま触って「冷たい」と、言った。ホテルの仲居が十数人、一行を出迎えた。フロントで、辰之助がチェックインを済ませ、ボーイが、各々の部屋に案内した。部屋は、男性組と女性組に別れた。仲居が来て、大浴場の時間や、夕食の時間や、その他ホテルの設備を、一通り説明した。ハーモニーが、心細そうな顔で、男性組の部屋に入って来て「平と一緒の部屋が良いの」と、言った。平は「部屋は、隣同士だから大丈夫」と、宥めた。ハーモニーを見ていた安造が「ハーモニーは、甘えん坊だな」と、言って、笑った。部屋に戻ったハーモニーを、夕子とアキが、大浴場に誘った。夕子が、ホテルの名入の半纏と、ゆかたを着た。ハーモニーが、見様見真似で半纏と、ゆかたを着て「面白い服ね」と、言った。部屋が、隣同士の一行は、半纏と、ゆかたに着替え、揃って大浴場に向かい、男湯と女湯に別れた。「水着の無いよ」と、言ったら、アキがハーモニーに「日本では、お風呂では、水着は着けないの。男湯と女湯は、別々だから平気よ」と、辿々しい英語にジェスチャー混じえながら、教えた。大浴場はパノラマ浴場で、眼下に町の灯りが見えた。大浴場の真ん中の垣根で、男湯と女湯が仕切られ、双方の声が、垣根を越えて聞こえていた。辰之助が、安造の背中を流した。暫くすると、リベルが、大きな湯船で泳ぎ始め、平が、他の客に迷惑になるからと、注意をした。女湯では、ハーモニーが、夜景に魅了されていた。アキがハーモニーの体を見て「それ、キスマーク?平が、付けたの?」と聞くと、ハーモニーは、微笑みながら頷いた。日本に着いてから、ハーモニーは寒さ対策で厚着をしていたので、キスマークは見えなかった。アキが「平、助平ね」と、言うと、「平の助平、大好き。ハーモニー、嬉しいの」と、ハーモニーが答え、アキは、目が丸くなり、開いた口が塞がらなかった。傍に居た夕子が、含み笑いをしていた。ハーモニーは、垣根に近寄り「平、聞こえている?アキが平は助平だって」と、英語で言い、大浴場の中に反響した。大浴場に入浴中の客の中で、英語の解る客から、笑いが噴き出した。平が慌てて「ここでは、話は駄目。後から」と、英語で返し、再び、大浴場は爆笑に包まれた。ハーモニーは、無邪気な側面も、持ち合わせていた。宴会場での、夕食が始まった。半纏にゆかた姿で、上座から安造、ハーモニー、平、夕子夫婦、リベル、アキの順で、席に付いた。夕食は、懐石料理だった。平が、刺身にワサビを付けて食べる様に、教え、ハーモニーが口にした。突然、彼女の顔が、しかめ面に、変わった。「辛い!」と、叫び「平、意地悪」と、言った。ハーモニーが、隣に座って居る、安造の席の御銚子で、安造のグラスが、満杯に成る位、日本酒を注いだ。安造と平が、ビックリした。慌てて平が、日本酒の御酌は、お猪口に注ぐのだと、教え、グラスから御銚子に、日本酒を移し替えた。安造と平が、苦笑いをした。改めて、ハーモニーが、安造のお猪口に、御酌を仕直した。今度は、安造がハーモニーの、お猪口に日本酒を注ぎ、返杯する様に求めた。ハーモニーが飲み干した。安造は、上機嫌で拍手した。ハーモニーは、懐石料理の伊勢海老の皮を取り除き、中味を、平の口に運んだ。一方、末席のアキは、茶碗蒸しをスプーンで、リベルの口に入れていた。両横の、仲睦まじいカップルに挟まれた、安造と夕子夫婦は、当てられぱなしだった。舞台で、手品の余興が始まった。手品師が、本日の一番イケメンと称して、リベルを舞台に上がる様に、指名した。手品師は、リベルにロープを渡し、ハサミで切る様に指示し、リベルがロープを切った。手品師が、リベルが切ったロープを、自分の手で掴んだ。手を開いた。切ったはずのロープが、繋がっていた。次に、手品師は、トランプを取り出し、中から一枚のトランプを、リベルに引かせた。手品師にはトランプの数字が見えない様に、客席だけはトランプのマークと数字が見える様に、リベルに指示した。リベルから、引いた一枚のトランプを、裏側の侭で返してもらい、残りのトランプと一緒にしてリベルに渡し、切る様に指示した。手品師は、リベルから、切ったトランプの束を、渡してもらい、リベルの引いた一枚のトランプを、当てた。次に、手品師は、リベルに「紙幣を一枚貸して下さい。三倍にします」と、言ったので、リベルは財布からフィリピン・ペソを一枚取り出した。手品師はフィリピン・ペソを見て「私、日本人。フィリピンのお金は、印刷出来ません」と、ジェスチャーを絡ませ言った。平が、財布から千円札を、一枚取り出し、舞台のリベルに渡した。手品師は、千円札を細かく折り曲げ、自分の手の平で握った。そして、自分の手の甲を、リベルの手で握らせた。それから静かに手品師は、自分の手の平を開いた。手の平には、千円札が切り刻んだ状態に、変わっていた。手品師は「御免なさい。失敗しました。お詫びに、今度は五倍にして返します」と、言って、再度、刻まれた千円札が残った侭、手の平を閉じた。1・2・3と言って、手品師が自分の手を開いた。そこには、細かく折り曲げられた五千円札が、有った。リベルは、キツネに騙された様に、首を傾げていた。宴会場から拍手が飛んだ。「お詫びの、印しです」と、手品師は言って、リベルに五千円札を渡した。リベルは、平に、五千円札を渡そうとしたが、平は受け取らず、リベルの財布に納める様に、言った。その後も、手品師の芸は続いた。その夜、平は、安造の鼾で、中々、寝付けなかった。深夜、ドアをノックする音が、聞こえた。ドアを開けると、ハーモニーが、ゆかた姿の泣き顔で立っていた。ハーモニーは「寂しいの」と、言って、平の布団に、潜り込んだ。平が布団に入り、周りに気付かれない様に、布団を被り、愛の交感をした。交わり終えると、ハーモニーは、平に抱き付いて、眠ってしまった。
翌朝、安造が目を覚ますと、ハーモニーが、平に抱き付いて寝ていた。安造は、ビックリした。一行はホテルの食堂で、バイキングの朝食を摂った。辰之助がフロントで、宿泊を一泊延長し、別に、平とハーモニーの部も、一部屋追加した。そして、ホテルの裏側に在る、スキー場のゲレンデに行った。ハーモニーとリベルは、銀世界の大きさに驚嘆した。一行は、手で握った雪を、相手構わず、投げ合いをした。安造も、童心に帰り、雪合戦に参加していた。平は、大学時代に運動サークルで、スキーを齧ったので、若干、スキーが出来たが、他の者は全員、スキーの素人だった。平がスキーを履いて、滑って見せた。皆が拍手した。ハーモニーが「上手いな。かっこ良い」と言い、平は自惚れ(うぬぼれ)、調子に乗り過ぎ、尻もちを付いた。全員、初心者用のリフトに乗り、ソリで何回も滑り降りた。昼食は、ホテルに戻り、レストランで摂った。リベルとアキが、一杯のジジュースを、二本のストローで、飲み合っていた。午後は、高齢の安造を残し、ゲレンデに戻った。安造は、午前中の雪遊びで疲れてしまい、一人、マッサージ師にマッサージしてもらってから、大浴場で湯に浸かった。他の者は、ゲレンデで雪滑りを満喫し、日暮れ前にホテルに戻った。ホテルに戻ると、その侭、大浴場で汗を流した。日暮れ前の大浴場のパノラマは、昨日の夜景とは、違う景色の、美しさが遇った。昨日と同様、半纏とゆかたに着替え、宴会場で夕食を摂ったが、新たに鍋料理が増えただけで、内容は昨晩と殆ど同じだった。今日の舞台は、陣太鼓と民謡歌手だった。ハーモニーとリベルは、民謡歌手の衣装の着物には、興味を示したが、陣太鼓の妙技とか民謡歌手の歌には、殆ど興味を示さなかった。二人の雰囲気を察した安造は、全員を連れて、ホテル内のライブスナックに移動した。そこは、昼に食事をしたレストランが、夜はライブスナックに変身している店だった。フィリピン人のボーカルグループが、唄っていた。店内に、二三組の客がいた。演歌党の安造と辰之助には、歌の内容が良く解らなかった。ウエイターがビールとツマミを持って来た。少し男性シンガーの歌を聴きながら、皆はビールを飲んだ。アキとリベルは、別の席に座り、イチャついて居た。平がハーモニーに、唄う様に言った。ハーモニーが、男性シンガーに近寄り、タガログ語で、唄っても良いか?聞いた。男性シンガーは笑顔で、タガログ語で了解した。ハーモニーが唄った。安造達は元より、ボーカルグループや他の客からも、拍手が鳴った。演歌党の安造と辰之助にも、ハーモニーの歌の才能は解った。男性シンガーの歌に乗り、他の客に混じり、リベル・アキと夕子夫婦が踊り始めた。ハーモニーが「お父さん、踊ろう」安造をフロアーに誘った。安造は、ダンスは経験が無かったが、ハーモニーのリードで踊り始めた。安造は、リードしているハーモニーの足を、何度も踏み付けた。踊っていて、安造は、ハーモニーの女の香りに、ビクとした。いい女だ。平も中々やるな。と、感じた。深夜まで飲んで、皆は、各々の部屋に戻ったが、相当、酔っていた。昼間のスキー場の疲れと、酔いとが重なって、皆、部屋に着くや否や、直ぐ眠ってしまった。平は、酔っぱらったハーモニーを背負い、部屋の戸を開けた。部屋には仲居が、既に、布団を敷いて有った。二人も、即、眠ってしまい、別に部屋を取った意味が、薄れてしまった。その夜は、全員が、白河夜船だった。18
翌日の朝食を摂った後、ゲレンデで数時間、滑り、昼前に、ホテルをチェックアウトした。玄関前の雪だるまが「welcomeまた来てね」と、喋ったので、全員、驚いた。それは、ホテル側の、遊び心の仕掛けだった。ハーモニーとリベルとアキは、雪だるまに「また来るね」と、手を振って[さよなら]を言った。一行は帰路の途中、ドライブインに寄って昼食をした。再び、車に乗り、一行は家路を急いだ。昨日からの雪遊びで、かなり疲れていて、運転手の辰之助以外は、全員、車中で眠ってしまった。今日は、助手席に夕子、中央席にリベルとアキ、後部席に安造とハーモニーと平で、乗り込んでいた。夕子は、窓に寄り掛かって眠り、アキは、リベルの肩に凭れ(もたれ)眠っていた。後部席の安造と平は、各自、左右の窓に寄り掛かって眠っていたが、後部席中央のハーモニーは、安造の膝枕で眠ってしまった。暫くして、安造は、ハーモニーが自分の膝枕で眠って居るのに、気が付いた。安造は、ハーモニーが自分の子供の様で、実に可憐に思え、その侭の姿態で、自分のジャンバーを、彼女に被せた。夕方、土蔵の或る町に到着した。町の、行き付けの寿司屋で、一杯やりながら鮨を食べた。ハーモニーとリベルは、山葵抜きにしてもらった。そして、屋敷に戻り各自の部屋に入ったが、リベルとアキは笑いながら、台所で雑談をしていた。安造が、平とハーモニーを座敷に呼んで、明日の予定を聞いた。「明日は、時間の許す限り、当社の事務所や工場や店を回りたい」と、答えた。安造が「結婚して何年だ?早く、孫の顔が見たい。子作りに励んでいるか?」と、聞いた。「日に一二回、していますよ」と、ハーモニーが答えた。安造が驚いて「日に一二回は、多すぎる」と、言い「夫婦は、余り仲が良過ぎると、子供が授からない。週一回位にしたら?」と、忠告した。平とハーモニーは、俯いて、忠告を聞いていた。二人はその夜、安造の忠告を受け入れないで、ハーモニーと愛の交歓をした。ハーモニー「気持ち、良かった?」聞くと、平が「良かった」と、答えた。ハーモニーは嬉しそうに、微笑んでいた。
あくる日、平は、ハーモニーとリベルとアキを連れて、安造の車を借り、この町に在る、武井興業㈱の製糸・織物・縫製の一貫工場に向かった。アキも、リベルと一緒に居たくて、同行した。安造は、中学しか卒業しておらず、増して、元、ヤクザで在るが為、経営のノウハウは全く無く、会社の経営は、平が教育した、幹部スタッフが仕切っていた。安造は、自宅で過していて、殆ど会社には出社せず、名目社長であった。この日も、安造は、平達との同行を、望まなかった。安造の車は、奇しくも、義衛門の車で父・武井六郎が運転手を務めたドイツ車、ベッツであった。安造には、ベッツに、幼き頃の愛着が有った。工場に到着して、その壮大さに、ハーモニーとリベルはビックリした。工場長が出迎えた。工場長は、元、武井興業の若い衆で、平自身が創業時に任命した。工場長の横に、初老の男性が「専務、お久しぶりです」と、挨拶した。見覚えの或る、顔だった。話して見ると、昔、何度か、平の処に遺骨を運んでくれた、役人だった。この町で、優良企業の当社に勤めたく、市役所を早期退職して、義衛門時代の武井六郎専務の息子、安造社長に採用して貰ったそうだ。今は、役所時代の経験を生かし、工場従業員の福利厚生を、任されているそうだ。工場長の案内で工場内に入り、ハーモニーとリベルは、工場従業員数の多さに、圧倒され唖然とした。工場従業員は、久しぶりの専務の訪問に、浮足立っていた。平達は、工場のGIEMON(義衛門)ブランドの生産ラインを見て回った。ハーモニーは、工場従業員から、美人で、可愛いお嫁さんだと大好評だった。一方アキは、イケメンのリベルを、羨望の眼差しで見る女子従業員に、心穏やかでは無かった。昼休みに、大食堂の仮ステージで、三人は挨拶した。平の次に、ハーモニーの処に、マイクが回った。ハーモニーは辿々しい日本語で「私はハーモニー・F・田村(Harmony F Tamura )です。田村平(Taira Tamura)の妻です。宜しくお願いします」と、言った。大食堂から拍手の渦が沸いた。ハーモニーは日本語で続けた。「GIEMON(義衛門)は助平です。田村平(Taira Tamura)も助平です」と、彼女が言った。一瞬、大食堂が静まり変った。ハーモニーの背後にいた平が、慌ててマイクの電源を切り、ステージでハーモニーと話し合った。どうも、スキー場のホテルの大浴場に入った際、アキとの会話で「平の助平、大好き」と、言ったが、原因らしかった。ハーモニーは、日本語の助平と大好きを、同じ意味に解釈していた。ハーモニーがマイクに電源を入れ、日本語で「私は、日本語の助平と大好きを、間違いました。御免なさい。GIEMON(義衛門)は大好きです。田村平(Taira Tamura)も大好きです」と、苦笑いしながら言い直し、頭を下げて誤った。大食堂が大爆笑だった。リベルに、マイクが渡った途端、女子従業員から「キャー、リベル素敵」の、歓喜の声が、大食堂に響いた。ハーモニーの弟のリベル (Level)です。宜しく」と、自己紹介をした。アキは、女子従業員の歓喜の声を、気持ちばかり焦って聞いていた。
昼食を、工場従業員と一緒に大食堂で摂った後、この町に在る、武井興業㈱の中枢機関の土蔵に向かった。数名の、GIEMON(義衛門)ブランドを着た幹部社員が、土蔵から出て来て「専務、お久しぶりです。お元気ですか?」と、言った。「元気だ!」と、平が答えた。幹部社員の中には、外国人も混じっていた。ハーモニーとリベルにも「初めまして」と、言い、握手を求めた。幹部社員の身振りは、ハーモニーと、初対面では無い様に思えた。ハーモニーの工場での、頓珍漢なNGスピーチの噂は、既に、工場だけでは収まらず、本社や支店までも波及し、沈静化に時間を要した。結果、ハーモニーのNGスピーチは、専務夫人と社員との距離感を、縮めていた。女性の幹部社員がリベルに「イケメンね」と、言い、アキが俯いていた。平は、手記に書かれている土蔵が、この土蔵で或る事を説明し、昔の思い出を語った。ハーモニーとリベルは感慨深げに、土蔵の中を見ていた。外国人の幹部社員が、隣の留学生の寄宿舎に案内した。彼は、バングラディシュ人だった。彼は英語で、ハーモニーとリベルに「私も元、留学生です。専務に憬れて武井興業㈱に入社しました。今も、この寄宿舎に住んでいます。バングラディシュでは縫製産業が盛んです。将来は、専務に頼んで、バングラディシュに縫製工場を、造りたいと思っています」と、話した。ハーモニーとリベルは、このバングラディシュ人を何処かで見た様な気がした。暫く考えて、二人は思い出した。フィリピンのテレビで、GIEMON(義衛門)のコマーシャルに、出演している人物だ。リベルが「フィリピンで、テレビのコマーシャルに、出演していますね?」と、聞いた。バングラディシュ人は「はい、コマーシャルに出演しています。専務の方針で、当社ではコマーシャルに、ポップスターは使いません。日本のテレビのコマーシャルでも、全て、当社の社員が出演しています。但し、専務は、目立つのが嫌いで、自分自身ではテレビのコマーシャルには一切、出ません」と、笑って答えた。寄宿舎より十数人の留学生が出て来た。「専務、久しぶり。会いたかったよ」と、言い、各々、平に抱き付いて来て、中には、涙ぐむ留学生もいた。寄宿舎の食堂で、細やかな歓迎パーティーが開かれ、大学から下校して来た留学生も加わった。夕方、平達は安造の屋敷に戻った。辰之助も、既に帰宅していた。夕子が、すき焼きを作って待っていた。アキの姿が、見えない。心配して、夕子がアキの部屋に行った。部屋の鍵が、中から掛かっていて、夕子がノックしても、アキは返事をするだけで、出てこなかった。ハーモニーがノックしても、同様だった。仕方なく、皆は、アキ抜きで夕食を食べた。食べ始めて、リベルが「この料理、ナンバーワン美味しい。料理の名前は、何ですか?」と、聞いた。「日本料理の、すき焼きよ」と、夕子が答えた。リベルは「ブラボー」と、言い、夢中で食べていた。翌朝、バツが悪そうな顔で、アキが食堂に入ってきた。アキは、行く先々でリベルの人気が高いので、焼き餅を妬いて居たのだ。19
一時間後、平とハーモニーとリベルは、都内に在る、武井興業㈱の本社に向かったが、アキは、ご機嫌斜めで同行しなかった。都内に向かうには、道路は、恒久的に渋滞するので、平は常時、私鉄を使っていた。本社は、高層ビルの18・19・20階に跨って(またがって)いた。ハーモニーとリベルは、フロアーの広さと、社員の人数に又しても驚いた。社員の中には、様々な国の人がいて、全員GIEMON(義衛門)ブランドを着用していた。社長室と応接室と会議室は在ったが、専務室は無かった。平は、社員とガラス張りの関係を保つ為、敢えて、専務室は設けない方針だった。ハーモニーとリベルが窓際に立つと、東京都内が一望でき、東京湾や、遠くは雪を被った富士山までも見えた。本社でも、ハーモニーの工場でのNGスピーチの噂は、既に広がっていて、社員の、ハーモニーを見る目には、親近感があった。久しぶりの平の出社に、取引先から「専務に会いたい」と、言う、依頼が殺到し、平は、本日の予定を、変更せざるを得なかった。止む無く、幹部社員に、ハーモニーとリベルのGIEMON(義衛門)ショップの案内役を任せた。まず、ステーションビルのGIEMON(義衛門)ショップに行き、店内に入った。男子店員が三人、忙しそうに動いていた。幹部社員を見ると、店員達が一斉に挨拶した。幹部社員が、ハーモニーとリベルを紹介した。男子店員の一人が、ハーモニーの美しさに、茫然として見とれていた。ハーモニーとリベルは、男子店員と握手を、交わした。ステーションビルから、グリーン色の内回りの電車に、乗った。二つ目の駅で降り、大きな神社の鳥居を見た。壮大な神社に、二人は感銘を受けていたが、正月前で、神社内の人影は疎らだった。駅に戻り、先程とは逆の方向に、三人は歩いた。歩道は、若者で一杯だった。程なく歩くと、GIEMON(義衛門)ショップが在った。店は、若者の人集り(ひとだかり)が、出来ていた。三人は、店には入らず、表で店を眺めていた。店を後にして、元の駅に戻った。改札口を通り、ホームに降りた。ホームも、若者で溢れていた。幹部社員が「電車で、次の店に行きます」と、言った。日本に来て以来、英字の雑誌を見てないハーモニーに、キヨスクの英字の雑誌が、目に入った。彼女は、キヨスクで英字の雑誌を買った。ハーモニーが振り返ると、幹部社員とリベルの姿が、見えなかった。ホームに、グリーン色の、内回りの電車が停まっていた。発車のブザーが鳴り響いた。彼女は、慌てて電車に、飛び乗った。車内を見渡した。幹部社員とリベルの姿は、何処にも無かった。ハーモニーは不安に陥った。二三の駅を通り過ぎた。一方、ホームでは、幹部社員とリベルが、溢れた(あふれた)若者を掻き(かき)分けて、ハーモニーを探し回っていた。ハーモニーのバックの中の携帯電話が鳴った。電話の声は、同行している幹部社員だった。幹部社員が英語で「今、何処ですか?」と、言った。ハーモニーが「グリーンの電車に乗っています」と、英語で答えた。幹部社員が英語で「私達、未だ、ホームに居ます。その電車は、反対回りです」と、言った。この駅は、ホームが一つで、両側を、内回りと、外回りの電車とが、使用していた。彼女が英語で「如何すれば良いのですか?」と、訊ねた。幹部社員には、ハーモニーが内回りの電車で、何処まで進んでいるのか、把握出来なかった。少し考えて、幹部社員は英語で「その侭、乗り続けて下さい。一周して、元の駅に戻って来ますから。一周の所要時間は、私には判りません。元の駅で、リベルさんと一緒に待っています。元の駅名を、アルファベットで言いますから、書き留めるなり、覚えるなり、して下さい。駅名は、電車のドアの上に、明記してあります。分からなかったら、電車の乗客に聞いて下さい。駅名はHarajukuです」と、アルファベットの駅名を添えて話した。ハーモニーは、自分が迷子になった事を、悟った。電話をした後、幹部社員は、駅員に一周の所要時間を訊いた(きいた)。再度、幹部社員はハーモニーの携帯電話に「一周の所要時間は一時間位です。大丈夫、安心して下さい。元の駅で待っていますから」と、英語で言った。当時は、携帯電話が普及し始めた頃で、電車内での通話も、厳しく無かった。平は、万が一の事を想定して、ハーモニーとリベルの各自に携帯電話を、渡してあった。幹部社員は平に電話して「すいません。私の不注意です」と、誤り、経過を報告した。電車に乗って居るハーモニーに、平から電話が入り、幹部社員が指示した内容と同じ事を言い、落ち着く様に指示した。ハーモニーは不安な声で、聞き入っていた。彼女には、電車に乗っている一時間が、非常に長く感じた。途中で女子高生が、電車に乗り込んで来た。ハーモニーは女子高生に「Harajukuは何処ですか」と、心配気に英語で聞いた。女子高生は「後、五つ目の駅です」と、優しげな口調の英語で答えた。そして、女子高生は「No worries No worries (心配ない 心配ない)」と、微笑みながら言い残し、二つ前の駅で、Goodbyeと手を振って下車して行った。一時間程で、ハーモニーが、内回りの電車で元の駅に戻って来た。幹部社員を見て、彼女に安堵の笑みが毀れた(こぼれた)。幹部社員が、平に電話して、無事に戻った事を伝え、ハーモニーと電話を替わった。彼女は、しゃくり泣きで電話に出た。三人は、逆方向の外回りの電車に乗った。六つ目のターミナル駅で降り、隣接しているデパートの中のGIEMON(義衛門)ショップを視察した。時間は、既に午後になっていた。遅めの昼食を、三人は、デパートのレストランで摂った。その日は、ハーモニーの二度目のNGアクシデントで、予定が大幅にずれ、GIEMON(義衛門)ショップも、残り数件しか回る事が出来なく、本社に帰ったのは、夜になってしまった。既に、社員は全員帰宅して、平だけが、応接室で三人を待っていた。ハーモニーが平に涙ぐんで抱き付いた。平は、今日のハーモニーの件は、内密にする様に、幹部社員に指示し、彼の、労を労って帰宅させた。ハーモニーとリベルにも口止めし、平は、帰宅しても安造家族に、今日のハーモニーのNGは、話さなかった。三人の帰宅が遅かったので、安造家族は、既に夕食を済ましていた。夕子とアキが、三人と為に夕食を作り直した。三人は、急ぎ早に夕食を食べた。食事が終わり、三人が食堂で寛いで(くつろいで)いると、アキが来て、笑いながらリベルにタガログ語で「イカウ,カ パロパロ(貴方は浮気者)」と、言った。三人はビックリ仰天した。夕子の話に寄ると、アキは、午前中に町の書店に行き、英会話の本と、タガログ語の本と、英和・和英兼用の辞書を買い込んで来て、自分の部屋で勉強していた様だ。先程のタガログ語は、覚えたての、タガログ語だった。アキの機嫌が直っていた。アキの部屋で、何時もの様にリベルとアキが、イチャツイテいた。
翌日も、平とハーモニーとリベルは、本社に出社した。アキも、同行をせがんだが、今日は、名古屋と大阪のGIEMON(義衛門)ショップに行く予定で、日帰りは無理かも知れないので、平は、アキの同行を認めなかった。昨日の幹部社員が、前日の不手際を反省して、ガイド旗(ガイドが、旅行客の引率に使う旗)を、作って来た。彼の仕事は、GIEMON(義衛門)でのデザイナーだった。旗は、GIEMON(義衛門)のロゴマークが入った赤い布で出来ていて、Tシャツの布はしを使って、夜なべして作成したそうだ。平には、取引先からの面談の上に、久しぶりの平の出社を耳にした全国の地区責任者から「専務に会って、指示を仰ぎたい」と、言う要望が集まっていた。平は、社員の自主性を尊重したが、社員は、平の的確な判断力に、頼る癖が付いていた。GIEMON(義衛門)ショップは、今や、全国の主要都市に拡大し、店舗数は1000件に迫る勢いだった。平は、本日も予定を、変更せざるを得なかった。ゆえに、昨日の幹部社員に、ハーモニーとリベルの名古屋と大阪のGIEMON(義衛門)ショップへの視察の付添を、任せる事になった。新幹線のホームで幹部社員は、GIEMON(義衛門)ガイド旗を頭上に掲げ、ハーモニーとリベルの迷子防止に、役立った。フィリピンには、高速鉄道は無かったので、ハーモニーとリベルは、新幹線の美しさ・大きさ・速さに、魅せられていた。幹部社員は、昨夜のガイド旗作りで、眠っておらず、座席に座ると即、眠ってしまった。三人は、先ず、名古屋の栄や、名古屋駅前のGIEMON(義衛門)ショップに立寄り、名古屋城にも行った。その日の夕方、大阪に着き、道頓堀で食事を摂り、大阪市内の心斎橋のホテルに泊まった。翌日は、難波と梅田のGIEMON(義衛門)ショップを回り、大阪城にも行った。そして、新大阪駅から新幹線に乗り、夜には、東京の本社に戻って来た。リベルは平に、「GIEMON(義衛門)ショップの客数の多さに驚いた。城の外観は美しいが、城の中に入ると、コンクリートのビル造りで落胆した。新幹線から見た富士山は、壮大で美しかった」と、旅の土産話を上機嫌で語った。一方、ハーモニーは、沈んだ表情だった。彼女にとって、日本に来て以来、驚きの連続であった。ハーモニーは、平の、途轍もないスケールの大きさと偉大さに、驚嘆し、自分との、格の違いを痛感する様に、なっていた。帰宅し、深夜、二人は平の部屋にいた。旅行から帰って、彼女の様子が、普通でないのを、平は察していたが、旅の疲れだと思い、余り、気に停めていなかった。ハーモニーの優しさは、多忙な平の、唯一の癒しの対象になっていた。平は、時折、ハーモニーの小麦色の裸体を鑑賞するが、好きだった。自分の大切な美術品を、見る心境であった。画家でも写真家でも、美を探究するのは、人間の本能だと考えていた。平は、彼女を部屋の座卓の上に寝かした。「恥ずかしい」と、ハーモニーが小声で囁いた。平にとって、その言葉は、とても刺激的だった。美しさを堪能してから、愛の交歓をした。ハーモニーが何時もの「良かった?」の言葉を、言わなかった。平が「如何したの?」と、聞くと、彼女は、沈んだ声で「平は、お金持ちで、日本にも、フィリピンにも、会社を一杯持って居るでしょう。平は、ハーモニーに、何でも、一杯してくれる。でも、ハーモニーは肌も黒く、平にプレゼント出来るのは、何も無い。お金持ちで、学問の或る女性は一杯いるよ。私みたいな、貧乏で学問の無い女は、平と、釣り合いが取れないよ」と、言った。平は「別れようか?」と、言った。ハーモニーが、涙ぐんで、首を横に振った。平が「ハーモニーが大好きだ。優しい処、恥かしがる処、大好きだ。ハーモニーの小麦色の体も大好きだ。でも、俺は優しい心が無く、恥じらい精神が無い女性は、大嫌いだ。ハーモニーは、両方の心を、全て持って居る。だから大好きだ。ハーモニーの手の甲に、平の文字が有る。蛍のペンダントを、首に掛けて上げたよ。腕と乳房の同じ二か所に、キスマークを付けてある。ハーモニーは、俺の宝物だ。一生、俺の傍に居て欲しい」と、言った。ハーモニーは「ハーモニーで良いの?ハーモニーで良いの?ハーモニーで良いの?本当に?本当に?」と、念を押すかの様に聞いた。平が大きく頷くと、ハーモニーは「有難う。ハーモニー、最高に幸せ。平、大好き」と、涙ぐみながら言い、平に抱き付いて、眠ってしまった。暫くして、ハーモニーが目を開き「本当に良いの?本当に良いの?」と、確認した。平が、再度頷くと、彼女は、嬉しそうに「有難う。私、恥ずかしいけど、もう一度、ハーモニーの体、見る?」と、言い、「今夜は寒く、もう遅いから、今度」と、平が答えた。ハーモニー「話しても、良い?」と、言い、平が頷くと、彼女は「始めて、ハーモニーがコンドミニアムに行った日、平が、侵したでしょう。ハーモニーは、平が、とても怖かったよ。そして、平が、コンドミニアムに閉じ込めたでしょう。私、何度も逃げようと思った。でも、納戸の中のミスター蛍(Mr. Firefly)を見て、考えが変わったの。平が、私を奪わなければ、今、ここに居ないよね。今は、平に感謝しているの。神様が、監禁して私を奪う様に促して(うながして)くれて、感謝しているの」と、微笑みながら言った。平が「ごめん。ハーモニーの手の甲に、平の文字が有ったから、早く、ハーモニーを手に入れたくて、焦った。それに、他の男に先を越されるのも、嫌だった」と、言ったら。ハーモニーは「平、私を奪ってくれて、本当に有り難う」と涙声で言って、平らに抱き付いた。20
翌朝、ハーモニーの体調が、精彩を欠いていた。平が、心配してハーモニーの額に、手を当てると、熱かった。平の額を、ハーモニーの額に付けたら、熱が有った。南国育ちのハーモニーは、未だ、日本の冬の寒さに、順応してなかった。昨日、一昨日の旅行で、屋外にいる時間も多かったし、加えて、夜にハーモニーの体を鑑賞したのも、禍をしていた。平は、近くの開業医に、彼女を連れて行った。待合室で少し待ち、ハーモニーは診察室に入った。直後、ハーモニーが怒って、診察室から飛び出て来た。ハーモニーは、待合室の平に「ドクター、頭おかしいよ。聴診器を当てるから、下着を上げて下さい。と、言ったよ。男性で、ハーモニーの体を見る事が出来るのは、平、一人だけよ」と、怒って言った。仕方なく平は、NTTの電話案内で、女性の開業医を調べ、そちらに移って診察して貰った。幸い、風邪で二三日安静にすれば、直ぐ治るとの診察だった。安造の屋敷に戻り、平はハーモニーを布団に寝かし付けた。平は、多忙中にも関わらず、会社を欠勤して、ハーモニーの枕もの枕元で看病に当たった。リベルには、幹部社員のバングラディシュ人に送迎させ、土蔵で武井興業㈱の中枢業務を、勉強させた。平は昨晩、ハーモニーの裸体を鑑賞したのを誤り、寒い日本では見ないで、フィリピンに帰ってから見ると提唱した。彼女は「大丈夫。平は、ハーモニーの体を見るのが好きでしょう。平はハーモニーのハズバンドでしょう。少し恥ずかしいけど、平が満足すれば、ハーモニーは幸せ」と、微笑んで言った。一方、リベルは土蔵で、幹部社員より、平の経営理念を教わった。武井興業㈱の基本理念は
1. 当社は、株式を上場しない。
(ベッジファンドの企業乗っ取りに狙われ安いし、一般の投資家は、自らの利益追求だけに、会社の株式を購入に、会社の業績が悪ければ他の会社の株式に移ってしまう)
2. 従業員、持株姓を遂行し、家族主義に徹する。
(社員に、自分達の会社で或る事を、自覚させる)
3. 資金調達は金融機関から融資を受ける。(株の買い占めによる、会社の乗っ取りの危険性を、防ぐ)
4. 店舗数を増やし、販売拠点を拡充する。(店舗が増えれば、売上は増大する)
5. トップダウン方式は採らないで、現場の意見を尊重し、会社の経営に導入する。(トップ一人の考えより、多数の意見の方が、斬新な考えが生まれる)
6. 目標を決め、目標を実行し、目標の実行後に、反省会をし、常に諦めない。
(有言実行をした後、結果の悪い点を、話し合わなければ、何も進歩がない。反省点を改めるのが、企業の技術革新である。諦めたら、会社も終わりで、その人物も終りだ)
7. 広告は社員が行い、愛社誠心を高める。(ギャラの高いポップスターは、使わない。広告は頻度である。コマーシャルの、ポップスターの出演は、スターの人気度の向上に、貢献しているだけだ。出演者は、動物でも、アニメでも、当社の社員でも良い。会社の知名度を高めるには、広告の頻度が重要だ。流行や人気に、乗り遅れない様に思うのは、消費者の群集心理だ。広告に依って群集心理を掴み、ブランド品になる事だ)
8. 品質で勝負し、ディスカウントはしない。(品質の良い商品は、高くても売れる。粗悪品は、安くても売れないし、ディスカウントは原価に限りがある。消費者が、品質の良い、ブランド品を欲しがるのは良い事例だ。食品も、味が悪ければ、安くても売れない)
9. 公共団体の制服を、無料提供する。
(当社のGIEMON(義衛門)ロゴマークと、各々の公共団体のマークを、併せて入れた制服を、無料提供する。制服は定期的に、新しいデザインの物と、刷新する。公共団体の職員が着用すれば、GIEMON(義衛門)の知名度はあがる)
10. クレームには、迅速に対応する。
(客の苦情は責任者が即、客の所に出向き、詫びを入れる事はGIEMON(義衛門)の、信用失墜の防止にも繋がる)
11. 長く続く会社は、良い会社だ。
(従業員が定着すれば、会社全体が家族になる)
スケールが大きく、人望が有り、カリスマ性を、持ち合わせていた平に、リベルは、憧れる様になり、幾久しく、平と一緒に働きたいと、思っていた。
リベルは順応性が早く、単独で、本社や土蔵にも出勤出来る様になり、平と別行動を執った。リベルが土蔵に勤務した日、幹部社員のバングラディシュ人と一緒に、外国人登録の為、市役所に行った。市役所にはGIEMON(義衛門)のロゴマークと、市役所のマークを併せて入れたカラフルなTシャツ制服を、着用した職員が業務に当っていた。リベルは、成る程と思った。その日の帰りに、彼より、この町の居酒屋に誘われた。居酒屋には、女将と、厚化粧をした使用人の女がいた。女は、馴れ馴れしくバングラディシュ人に、話し掛けて来た。如何も、顔見知りらしい。リベルがバングラディシュ人に聞いてみると、以前に武井興業㈱の工場に勤めていた、従業員だった。「GIEMON(義衛門)のコマーシャルに出演したが、芸能プロダクションから誘い有り、武井興業㈱を辞めて、タレントに転業した。高額なギャラを芸能プロダクションから提示され、自分の人気も不動だと思って想定して様だ。専務は即、彼女をコマーシャルから降ろし、他の従業員に切り替えた。彼女の人気は、一年も保たず急降下した。収入も激減に相違ない。今は、この居酒屋で、安い時給で働いている。彼女は、工場長に再雇用を懇願したが、工場長は、専務の理念の家族主義に反すると、して却下した。要するに、専務の考えは、家族を見捨てる様な社員は、要らないと、云う事だ。他にも十数名、同じようなケースが有ったが、皆、再雇用は叶わなかった。中には、今だ、職に在り付けず、ホームレスしている者もいる」と、バングラディシュ人は話した。リベルは、会社経営に対して、改めて、平の厳しさに感服した。
風邪も治まったある日、ハーモニーは平に「平の会社に行っても詰まんない。平のオフィスは無いし、社員から丸見えだから、平と愛のキスも出来ないよ」と、言った。平の会社の仕事は分業化し、社員の仕事は固定化していた。日本語が出来ないハーモニーは、仕事が無く、一日中、椅子に座っているだけで退屈だった。平は思慮して、ハーモニーを安造の屋敷に、居る様にした。彼女は、平と離れるのを拘った(こだわった)が、マニラのコンドミニアムでの一人の時とは違って、安造と夕子とアキの三人も居るので、納得した。安造も、美人の嫁さんハーモニーが一緒で、嬉しそうだった。アキとハーモニーの、英語とタガログ語と日本語の勉強が、アキの部屋で始まった。ハーモニーが、勉強の合間に、手作りの財布を作り始めた。アキがハーモニーに聞くと「平のクリスマス・プレゼント」と、答えた。アキが「私も作るから、教えて」と、言った。ハーモニーの手解きで、アキも、財布を作り始めた。夕子が菓子を持ち、アキの部屋に入って来て、二人の財布作りを見た。「私も、作りたいわ」と、言って、仲間に加わった。刺繍で縫った、ハーモニーの名入財布と、アキの名入財布と、夕子の名入財布が、三つ出来上がった。三人は、財布が一つ足りない事に、気付いた。安造の分だ。三人は、共同でもう一つ財布を作り、ハーモニーとアキと夕子の、三人の名前を、その財布に刺繍で縫った。ハーモニーが財布に、僅かなフィリピン・ペソの硬貨を、財布の内側に縫い付けた。アキと夕子が、訝しげ(いぶかしげ)に理由を聞くと、ハーモニーは「フィリピンでは、財布が空だと、その人は、お金に困ると云う、云い伝えが有るの」と、言った。アキと夕子は、納得した様に頷き、「日本では五円玉が良いね。お金に御縁(五円)が有る様に」と、言って、各々の名入財布の内側に、五円玉を縫い付けた。安造用の財布には「お嫁さんのハーモニーが、縫い付けた方が、良い」と、二人に言われ、五円玉をハーモニーが縫い付けた。こうして、男衆のクリスマス・プレゼントが出来上がった。21
クリスマスの前々日、平とハーモニーと安造家族は、蛍の家の子供達全員と、テーマパークで合流した。澄子と桃子も、蛍の家の子供達を、引率して来た。平とハーモニーと安造家族は、辰之助の運転で、蛍の家の子供達は、チャーターしたマイクロバスでの、到着だった。クリスマス前のテーマパークは、クリスマス一色だった。ミッキーマウスやドナルドダックが、サンタクロースの衣装で出迎え、皆と記念撮影をしてくれた。テーマパークには、若いカップルも沢山いた。子供達の喜び方は、尋常ではなかった。ハーモニーとリベルは、テーマパークの煌びやかさに、圧倒されていた。アトラクションは、大人同伴の乗り物が多く、平とハーモニー・リベルとアキ・辰之助と夕子は、カップルで乗る事を諦め、子供達の同伴で乗った。高齢の安造だけが、アトラクションの乗り物に、タジタジだった。テーマパークのキャラクターに依るパレードが、ミッキーマーチのリズムに乗って遣って来た。ミッキーマウスやシンデレラ姫やピーターマンなど、テーマパークの人気者が、続々、仮装した車に乗り、隊列を組んでいた。コミカルで愉快なパレードに、皆は笑いこけた。夜になり、ナイトショーが始まった。やっと、各々のカップルになれた平とハーモニー・リベルとアキ・辰之助と夕子は、互いに、肩を寄せ合って観覧した。ナイトショーのイルミネーションは格別に美しく、全員が、酔いしれていた。その夜は全員で、テーマパーク周辺のホテルに宿泊したが、蛍の家の子供達は、中々、寝付かず、遅くまで騒がしかった。中には、平とハーモニーのベッドまで、潜り込んで来る子供も居た。テーマパークで、子供達と一緒にアトラクションに乗ってので、初対面のハーモニーとリベルは、完全に、子供達と打ち解けていた。あくる日の午後まで、テーマパークで遊び、夕方、全員で蛍の家に帰った。蛍の家には、子供達の手作りの、クリスマスツリーが飾って有った。澄子・桃子・夕子・アキの四人と、年長の子供が、共同で、テーマパークで買い揃えたクリスマスケーキを、食堂のテーブルに並べた。十数個のクリスマスケーキの上には、テーマパークの様々なキャラクターが飾ってあった。年少の子供が、キャラクターの奪い合いを始めた。蛍の家の卒業生の夕子と、年長の男子が、仲裁に入った。女の子が猫を抱いて走り回り、男の子が犬を追いかけ走り、さながら蛍の家は、子供達の戦場だった。傍ら(かたわら)で、卒業生のアキが、乳児のオムツを替えていた。育児経験が無いハーモニーが、感心しながら、アキを眺めていた。平が、清楚で物静かな三十歳前後の女性が、蛍の家に、一人増えている事に気が付いた。澄子の聞いてみたら、名前は真理子と云い、赤子の養育が出来ないので、赤子を蛍の家に残し置いて、立ち去った女性であった。彼女は、心変わりして蛍の家に戻り、今は澄子と桃子と一緒に働き、細断野菜の仕事にも従事いているそうだ。彼女は、自分の赤子と、蛍の家にもう一人の赤子が居るので、今回のテーマパークに行くのは断念し、育児と留守役に専念していたそうだ。平は、義衛門の手記に書かれた母・静の、正門に置き去りにされた光景が、脳裏に甦って(よみがえって)いた。ハーモニーとリベルは、テーマパークで子供達と合流してから、安造の怖い顔が一変して、マリヤ様の顔に変わっているのを、感じ取っていた。ハーモニーとリベルは、慈愛に満ちた安造の人物像に心打たれていた。そして、二人兄妹のハーモニーとリベルは、蛍の家の大家族が、羨ましかった。子供達が、唄い始めた。夜が更けると、雪が積もり始めた。サンタクロースが今夜来ると、言って、年少の子供は、中々寝付かなかった。ホワイト・クリスマスの神秘的なイブ夜だった。南国育ちのハーモニーとリベルは、ホワイト・クリスマスの経験が無く、感動に胸打たれ、十字を切っていた。その日の深夜、辰之助が運転して来た、ワンボックスカーから、大人達でクリスマス・プレゼントを蛍の家に運び込み、熟睡している子供達の枕元に配り置いた。
クリスマスの朝は、イブから降り続いた雪で、一面、銀世界だった。食堂で、年少の子供達が「サンタが来た、サンタが来た」と、言って、クリスマス・プレゼントを持って飛び回り、「大ママ(おおまま)、見て。小ママ(ちいまま)、見て」と、言って、得意げに、澄子と桃子にクリスマス・プレゼントを見せていた。年長の子供達が食堂に入ってきて、安造に「パパ、有難う」と、嬉しそうに言っていた。最後に、澄子と桃子は「安ちゃん、毎年、ありがと、さん」と、言い、真理子は「社長さん、有難う御座います」と、言った。子供達の喜ぶ姿を見て、安造と平は、遣り甲斐を感じ、自分達も幸せだと思った。大人達は各々、昔を思い起していた。平は、静が童話のマッチ売りの少女が好きだった事や、貧しい土蔵の生活で、静が工面してクリスマス・プレゼントを用意した事。武井兄妹は昔、義衛門から、父・六郎を還してクリスマス・プレゼントを貰っていた事。ハーモニーとリベルは、スモーキー・マウンテンで蛍の紙袋にクリスマス・プレゼントが入っていた事。夕子とアキは、蛍の家時代、クリスマス・プレゼントを、安造から貰った事。子供達が、各自の部屋に戻って行った。ハーモニーが、手作りの名入財布を、平と安造に渡した。夕子が辰之助に、アキがリベルに渡した。男達は、名入財布を手にしに喜んでいた。リベルはアキに、赤いチェックのマフラーを、プレゼントしたが、平と辰之助は、ハーモニーと夕子にプレゼントの用意が無かった。アキだけが大喜び、ハーモニーと夕子は御機嫌斜めだった。平と辰之助は、ハーモニーと夕子に両手を合わせ、詫びていた。
年の瀬を迎え、蛍の家の野菜畑も細断野菜工もフル操業、冬休み中の子供も、休みを返上して手伝い、猫の手も借りたい程の忙しさだった。臨時の、アルバイトも動員した。スーパーマーケットからの注文の電話も、鳴りっぱなしだった。リベルは、あまりの忙しさに圧倒され、子供達の仕事の手際よさに、逆に、子供達から尻を叩かれる始末だった。午前中、ハーモニーが、子供達の汚れた多量の衣類の洗濯をする為、風呂場に入ると、洗濯機の横の棚に、免許証が置き忘れてあった。ハーモニーが開いて見ると、安造の顔写真が載っていた。顔写真の反対面には、若い女性の、古惚けた白黒写真が入っていた。安造は、時々、朝風呂に入る習慣があった。ハーモニーが安造を探すと、子供達と一緒に野菜畑に行った後だった。台所で野菜の細断をしていた、平に免許証を渡した。平がハーモニーと一緒に免許証を開き、古惚けた白黒写真を見た。それは、母・静の中学性時代の写真だった。安造が、永きにわたり、母・静に愛情を持ち続けていたのを、平は始めて知った。生涯、独身を通して来た、安造の切ない悲しい恋に、平とハーモニーは、心を打たれていた。二人の目に光るものが有った。平は、安造のベッドの棚に免許証を戻した。日も暮れると、子供達が仕事場から戻って来て、汚れた衣服を脱ぎ、次々と、蛍の家の大き目の風呂に、飛び込んだ。入浴を済ませた子供達は、食堂で食事を終え、疲れて早々と眠ってしまった。安造は、親の無い子供達に、自分で稼ぐ重要性を、教えたかったのである。蛍の家の細断野菜は完全に軌道に乗り、売上も順調だった。蛍の家の運営費も、売上で充分、賄が付いた。余った利益は、細断野菜工場の拡充や子供達の将来の蓄積に回り、安造も平も、自分達の報酬は、一切求めなかった。安造も平も、慈善活動の蛍の家の運営は、自分達自身が運営するのが筋で、公共団体からの補助金は、一円足りとも受け取らなかった。正月休暇で、蛍の家の卒業生が、次々と帰省して来た。親の無い彼らに取って、蛍の家は実家であり、武井兄妹はパパ・大ママ・小ママであり、子供達は弟・妹であった。卒業生の中には、既に、市会議員や企業家になった者もいた。子供達は、久しぶりの兄ちゃん・姉ちゃんとの再会で、はしゃぎ回っていた。正月休暇は、蛍の家の人数は、数倍に膨れ、ゴロ寝の状態になったが、それは、大家族しか、味わえない良さであった。中に、武井興業㈱に勤めた者が、相当数いた。年末恒例の卒業生に依る餅つきが始まった。蛍の家の餅つきは、役割分担が決まっていて、卒業生が餅をつき、子供達が餅取り粉(上新粉)を塗し、小判型の餅に仕上げていた。杵を持つのは子供には重く、のし餅は、子供には容易に切れないので、子供達の役割は、小判型にする、と、云う、安造の配慮だった。ハーモニーとリベルは、餅つきを、興味深げに見入っていた。卒業生が、お年玉袋に小銭を詰め始めた。ハーモニーとリベルは、訳が分かないので卒業生に聞いた。卒業生は「毎年、自分達が、正月に蛍の家の子供達一人一人に、配る為に用意する。自分達も、蛍の家に居た頃は、先輩の卒業生から貰った」と、言った。ハーモニーとリベルは、仲間に加わりたいと思ったが、小銭の用意が無かった。平に話したら「丁度、年末で細断野菜の売上金が小銭で、沢山、有るので、両替して貰ったら?」と、言われ、売上金と両替して、子供の人数分お年玉が、用意出来た。安造は、毎年のお年玉の金額を均等にする為、お年玉袋の表に卒業生の名前を書かせていた。ハーモニーはHarmonyとリベルはLevelと、御年玉袋に英字で書いた。22
除夜の鐘が鳴っていた。安造は、義衛門と静が書いた手記を読んでから、毎年の暮れの鐘の音がすると、義衛門に倣って(ならって)鐘の意味を、蛍の家の子供達に、語る様になった。「人は、108の悪い事が有るのだ・・・今年の悪い行い事、飛んで行け!と、言って108回、鐘を打っているのだよ」と、言った。子供達が、互いの不心得な行為を詰って(なじって)、言い合いが始め、蛍の家が騒然となった。「A君は、僕の頭を打ったよ!」、「Bちゃんは、私の消しゴムを返してくれない!」、「C子は、僕のチョコレートを食べちゃった!」と、鼻を啜りながら(すすりながら)言った。澄子が大声で「うるさい。悪いことした人は謝りなさい」と、言って宥めたら、子供達が、各々の相手に「ごめんなさい」と、頭を下げていた。騒ぎが収まり子供達の「新年、おめでとう御座います」の言葉が、蛍の家で飛び交じった。卒業生が、蛍の家の子供達に、御年玉を渡し始めた。横一列に並んだ卒業生の前を、蛍の家の子供達が、御年玉を貰いながら歩いた。最後尾に、アキ・辰之助・夕子・平・真理子・桃子・澄子・安造が並んだので、ハーモニーとリベルも最後尾に並んだ。一人の女子がリベルに「これ(Harmony・ Level)、何て書いてあるの?」と、聞かれたので「ハーモニーとリベル」と、答えた。お年玉の中味は少ないが、卒業生と大人の人数を合すと、可なりの人数に達するので、子供各自の御年玉は程々の金額になった。子供達は、有頂天で飛び回っていた。蛍の家・全員で、毎年恒例の、元旦の日の出を見る為に、近くの海岸に歩いて行った。元旦の夜明けは快晴で、太平洋の御来光は、幻想的だった。子供達が寒さで、ハーモニーとリベルに抱き付いた。日の出を見終え、全員、蛍の家に戻ってきた。大人の女性が、台所で火を入れ、雑煮を作った。雑煮には、小判型の餅の他に、蛍の家の野菜畑で取れた野菜が、盛り沢山入っていた。卒業生と子供達は、食らえ付く様に、雑煮を食べた。食べ終ると、子供達は、昨夜からの徹夜の影響で、所、構わず眠ってしまい、大人達は毛布を掛けて回った。午後になり、安造と澄子と桃子が台所のテーブルで年賀状を見ていた。年賀状は殆どが、帰省出来ない蛍の家の卒業生の年賀状で、中には子供との集合写真も有り、安造・澄子・桃子を、爺ちゃん・大婆ちゃん・小婆ちゃんと称して、載せてあった。安造は「俺も孫が出来て、爺ちゃんか!」と、言って、嬉しそうに、子供の写っている年賀状を見ていた。ダウン症で口が不自由な桃子は、桁違いの喜び方で、写真を間近で見たり、離して見たりを繰り返した。桃子の足元に猫が、纏わり付いていた。桃子は、ダウン症特有の優しさを持ち合わせ、終始、笑顔を絶やさなかった。タマは子猫の時、蛍の家の野菜畑で、桃子が拾い、寝起きを共にして可愛がっていた。二日目、卒業生と子供達が、年賀状を見て、帰省出来ない蛍の家の卒業生に、会いたがっていた。安造は平に「最近の、蛍の家に入居する子供の中に、浮浪児は全くいない。入居する子供達は、育児放棄された子供や、家庭内暴力で虐待された子供が大半だった。世の中も、変わったものだ」と、洩らした。
正月休暇も終わり、卒業生も、各々の職場に帰って行き、蛍の家は、何時もの生活に戻った。平は、リベルと共に本社に出社した。久しぶりの、日本での正月出社だった。幹部社員が平に、年頭の挨拶を要請した。平は社員の前で、自論を述べた。「人間の最大の病気は、孤独です。孤独とは、自分が社会から、要らない人間になったと、感じる時です。愛の反対は無関心。無関心は、孤独の始まりです。無関心が続けば、誰も貴方を、当てにしなく成ります。関心を持って行動を起せば、貴方は当てにされ、貴方にやる気が生れ、充実感に繋がります。自己満足とは、自分のみが充実感を得られる事です。自分の行動で、他の者が喜べば、自己満足に値しない。寄付・慈善事業・ボランティア・スポーツ選手・芸能人なども、人に喜びを与えています。GIEMON(義衛門)も同じです。消費者が喜ぶ商品を提供して下さい。人間の感覚には五感が有ります。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚です。広告で直接、商品を伝える事が出来るのは、視覚・聴覚だけで、触覚・味覚・嗅覚はイメージ、憶測・推測で伝えているだけです。GIEMON(義衛門)の商品は視覚で直接、消費者に伝える事が出来ます。視覚による、有効的な広告を、遂行して下さい。触覚の感覚は、消費者が身に着けた後に、判断します。消費者に商品が渡った時、品質が悪かったら終わりです。品質管理は徹底して下さい。」と、締めくくった。社員から拍手喝采であった。
七草も明け、安造は、安造家族と平・ハーモニー・リベルと共に、安造の屋敷に帰ろうと思っていた。全員が食堂に居ると、何時も、朝一番で起きて朝食の支度に入る桃子が、朝食時になっても、現れなかった。不審に思った澄子が、桃子の部屋に入った。タマが、桃子と一緒に寝て居た。澄子は「桃子、起きなさい」と、言ったが、桃子の返事は無かった。タマも、桃子の顔を舐めて、起していた。桃子の息は、既に途絶えていた。「桃子、起きなさい!」「桃子、起きなさい!」澄子は、必死になって、桃子の体を揺すった。澄子の大声を聴き付けた皆が、部屋に入って来た。安造が「桃子、起きろ!」「桃子、起きろ!」と、怒鳴った。蛍の家の子供達が「小ママ(ちいまま)!」「小ママ(ちいまま)!」と、泣き崩れていた。子供達の目は、涙で真っ赤だった。大人達の目にも、涙が溢れていた。思えば、二三日前から、桃子の表情が冴えなかった。ダウン症の桃子は、口が不自由で、自分の体調が悪いのを、伝える事が出来なかったのだ。救急車が来て、救急隊員が瞳孔と脈を確かめ、合掌してから、病院へは搬送はしないで、戻って行った。暫くして、検死官の医師が来て、死亡を確認した。死因は、ダウン症の人間が多く発症する、合併症に依る先天性心臓疾患だった。桃子の死に顔は、安らかだった。安造と澄子は、以前から「ダウン症は、平均寿命より、三分の一位しか、生きられない」と、医者より告知されていた。桃子は倍以上、生きた。安造は「子供達の為に長い間、頑張ったな。ご苦労さん。有難う」と、言い、合掌した。全員、倣って(ならって)合掌した。タマが、布団の中から離れなかった。その日、蛍の家の子供は、泣き声が止まらなかった。桃子の訃報は、即座に、蛍の家の卒業生に知れ渡り、卒業生の弔問が、後を絶たなかった。面覆いを外し、卒業生は皆、「小ママ(ちいまま)!」と、叫び泣き崩れていた。二日後、無宗派の葬儀を、蛍の家で執り行った。蛍の家を、葬儀会場に指定したのは、桃子が一番頑張った処で、安造の心遣いだった。祭壇には、桃子が毎日料理した、野菜畑の野菜が、沢山並べられた。棺の蓋は、出棺まで閉めずにいた。タマは、桃子と一緒に、棺の中に入った侭で、出ようとはしなかった。卒業生や、蛍の家の子供達の弔辞が、葬儀の大半の時間を占めた。子供達に依る合唱は、葬儀の挽歌になった。その曲は、ダウン症の桃子が、常に口ずさんでいた、唯一の歌だった。桃子の蛍のペンダントは、リベルが引き継いだ。出棺の時間になったので、澄子がタマを棺から取り出した。棺を皆で霊柩車に運び、桃子は永久に旅立った。皆が合掌し、霊柩車のクラクションが、長く、長く、鳴り響いた。皆の、啜り泣きの声が、止まらなかった。火葬場から遺骨を持って、蛍の家に戻った。桃子の部屋に入ると、タマが、悲しそうにポツーンと座っていた。翌日、合祀の墓に桃子の遺骨を納めた。納骨には、大勢の卒業生や、蛍の家の子供達も、立ち会った。卒業生から「小ママ(ちいまま)、有り難う!」と、泣き声混じり叫び声が、上がった。全員が悲痛な思いで俯いていた。真冬の、寒い日の納骨だった。その日、納骨を終え、蛍の家の戻り、桃子の部屋に入った。タマが居た。タマの目は、桃子の帰りを、待ち侘びている目付きだった。
葬儀も一段落して、安造達は屋敷に戻って来た。ハーモニーとリベルには、フィリピンと日本との文化の違いの毎日だった。ハーモニーは、平の為にと、夕子とアキに教わって、日本料理の勉強を始めた。味噌汁に始まり、キンピラ・天ぷら・肉じゃが・・・など、大まかの料理を教わった。奥の深い日本料理を覚える事に、ハーモニーは悪戦苦闘の毎日だった。同時に、ハーモニーとアキの語学の勉強も再開した。
暫くした夜に、澄子から安造の元に電話が来た。猫のタマが、桃子の部屋で死んで居たそうだ。タマは、桃子の部屋に閉じこもった侭、桃子の帰りを待ち続け、澄子が、餌を与えても、殆ど口に、しなかったそうだ。蛍の家の子供数人と澄子で、合祀の墓に納骨しておく、との電話だった。電話を終えた澄子は、蛍の家の子供達と一緒に、野菜畑に出た。二匹の蛍が、皆の前を横切り、夜空の星に消えて行った。子供の一人が「あの蛍は、小ママ(ちいまま)とタマだ」と、言った。澄子が「小ママ(ちいまま)とタマは、空に上がって、お星さまに成ったの。お星さまが、二つ増えているよ」と、言った。子供達が、夜空に見入っていた。23
年末から、平の元に、ハーモニーとリベルをGIEMON(義衛門)のコマーシャルに出演させると良い、と云う意見が、幹部社員より数多く寄せられていた。来日からの二人の人気に着目し、ハーモニーの美貌とリベルのイケメンに、あやかりたいと、云う内容だった。平は、リベルは別として、その意見には乗り気では無かった。平に取って、ハーモニーは自分の宝物であり、人前に晒す(さらす)事など、言語道断であった。結局、平はリベルだけ出演させる事にした。リベルから話を聞いたアキ、は、気が気では無かった。平は、フィリピンのガルシア専務とロベルト・ペレス(Roberto Perez)に、リベルのコマーシャル出演が決まり、帰国が大幅に遅れる事を電話で伝えた。リベルのコマーシャル出演は、テレビのビデオ撮りや広告写真の撮影で、一ヶ月をオーバーした。土蔵に、来季の新入社員が、数名訪れていた。どん底から這い上がって来た平は、有名大学の受験勉強専門型の学生は好まず、二流・三流の大学で大器晩成型の学生や、奨学金で夜学に通っている学生を好んだ。平は新入社員に「有名大学の学生に、負けるな!」と、檄を飛ばした。
日本滞在中に、平の誕生日である、節分を迎えた。安造が、枡の大豆を「鬼は外、福は内」と、言って、庭と室内に播いた。ハーモニーとリベルにも播かせた。ハーモニーが面白がって「鬼は外」と、言って、平に向かって大豆を投げた。アキがハーモニーに「家内安全と云う日本の習慣で、傍に居て欲しい人には、投げては駄目」と、説明した。ハーモニーが「I'm so sorry、I'm so sorry」と、平に謝っていた。そして「ハッピーバースデイ」と言って、彼女は、誕生日プレゼントの手作りのパスポートカバーを、渡した。
コマーシャルに出演したら、イケメンのリベルの人気は凄かった。幹部社員の思惑は的中した。マスコミからの取材攻勢や、会社にファンが詰め寄せるなどで、リベルは大変だった。人気の勢いは、止まる事を知らずファンの波は、安造の屋敷まで及んだ。武井興業㈱は急遽、サイン会を開いてファンに対処した。当然、リベルの処へ、芸能関係からタレントへの転向の話は舞い込んだが、リベルは一切、聞く耳を持たなかった。リベルは、自分自身を、武井興業㈱の家族だと考えていた。
要約、リベルのコマーシャル出演も一段落付いて、三人はフィリピンに帰る事が出来る様になった。帰国の話を聞いて、アキは塞いでいた。前夜、安造は意味深な夢を見た。その夢は、平とハーモニーの真ん中に幼児が居て、三人は手を繋いで居た。真ん中の幼児は安造だった。三人とも、何処となく寂しそうだった。少し進むと、道は、二つに分かれていた。ハーモニーは一人、左の方向に進み、平は一人、右の方向に進み、幼児の安造だけが、その場に取り残された。安造は、涙を流していた。二人が各々、左右の道を進んで行くと、道は合流し、その場所には、合祀の墓が有った。二人の姿は二匹の蛍に変わった。良く見ると、道はハート形で、二人が合流した所は、ハートが、上部で交じる箇所だった。安造は、魘されて(うなされて)飛び起きた。同時に、嫌な胸騒ぎを感じた。平とハーモニーとリベルは、空港に向かった。安造は「平の後ろ姿を見るのは、辛い」と、言い、屋敷に一人で残った。平は、親仁も、歳を取って涙もろくなったな。と、思った。空港では、幹部社員は元より、蛍の家の全員が三人を見送り来た。アキが涙を流し、リベルの手を離さなかった。そして、三人は出発口に入っていった。搭乗ゲートに着くや否や、ヘビースモーカーの平は、リベルを誘い、喫煙ルームに行ってしまった。一人、搭乗ゲートの席に残されたハーモニーは、落ち着かない様子だった。然して、三人の乗ったマニラ行は、成田空港を離陸した。眼下に、幾つものゴルフ場が見えた。「専務は、ゴルフを遣りますか?」と、リベルが聞いた。「嫌いだから遣らない」と、平が答えた。「何故ですか?」と、リベルが訊ねた。平は「日本の平野は、国土の25%で、極めて少ない。日本の食糧自給率は40%だ。日本の首相も最、自給率を増すべきだ。と、言っている。この広大なゴルフ場を、食糧生産に当てたら、日本の食糧自給率は相当伸びる。全てのスポーツの内、ゴルフ場が、一番広い競技面積を必要としている。以前、ここには、狸や狐も住んでいた。熱帯雨林の森林伐採で、他国の生態系の崩壊を批判して、自国ではゴルフ場を造って、生態系を壊している。自給率を増すべきだ。と、主張している首相が、自ら、ゴルフ場でゴルフをしている。矛盾だらけだ。ゲートボールで充分だ。ゴルフを遣りたいなら、生態系を壊さない、サハラ砂漠やモンゴルの草原で遣ったら良い。ゴルフ場で食糧生産すれば、腹を空かしているスモーキー・マウンテンの子供達の食糧を、どれだけ作れるか?俺は、ゴルフ場には加担しない」と、言った。[だからGIEMON(義衛門)は、ゴルフウエア―を作らないのだ]と、リベルは悟った。
三人はマニラ空港に到着した。出し抜けの帰国であった。平は、GIEMON(義衛門)ショプやフィリピン武井㈱の業務に差支えると思い、現地スタッフの空港への出迎えは避けた。その日は、コンドミニアムに直行し翌日、オフィスに出勤した。前触れの無い出社で、スタッフは慌て房めいていた。平は、直ちに、オフィスに電話で、ガルシア専務とロベルト・ペレス(Roberto Perez)だけを呼び出した。二人は昼頃、オフィスに現れた。まず、ロベルトにミスター蛍(Mr. Firefly)の労を労らって、これからも一緒に、ミスター蛍(Mr. Firefly)を継続して欲しいと依頼した。ロベルトは快く承諾してくれた。平は、GIEMON(義衛門)幹部スタッフと、ガルシア専務とロベルトに、これからの会社の方針を話した。日本は、世界中で一番高い法人税の国である。多国籍企業は、本社の所在地のみを、カリブ海のケイマン諸島に移したり、世界の船主は、所有している船舶を、アフリカのリベリア船籍にして、税金を免れている。為替相場は円高である。日本の金利は、ゼロ金利が続いている。日本は、デフレで景気は低迷し、産業の空洞化が加速している。この国は、出稼ぎ大国で、人件費の安い労働力は豊富にある。安い人件費は、商品の製造原価を、押し下げる要因になり、デフレにも対処出来る。日本の武井興業㈱の利益を、パテント料もしくはロイヤルティーの名目で、法人税の安いフィリピンの子会社、フィリピン武井㈱に移動する。法人税とは別に、優遇措置が或るマニラ郊外の新工業団地に、GIEMON(義衛門)ブランドの工場を新設する。などが、方針の根拠になっていた。
半月後、東京の武井興業㈱本社より、多数の幹部社員が執行して来た。中には、土蔵のバングラディシュ人の幹部社員もいた。本社からの利益の移動は、工場創設に寄与した。元々、日本の金融機関と、太い繋がりの或る武井興業㈱は、更に日系金融機関との関係を密にした。金利の安い日系金融機関は、フィリピンでの資金調達に貢献した。平は、バングラディシュ人の幹部社員を、マニラの工場長に任命した。余剰労働力を抱えているこの国は、工場の求人には苦慮しなかったが、平は、なるべくスモーキー・マウンテンなどの貧困層を、雇用する様に指示いた。しかし、一ヶ月程過ぎると、工場従業員の、遅刻・無段欠勤や、転職など、従業員のモラルの低さが多発した。工場長は従業員に、GIEMON(義衛門)の基本理念を話し、就業規則を守らせる事から始まった。ガルシア専務とロベルトは、縫製工場を見るのは初めてで、興味深げに見学していたが、平には、二人をGIEMON(義衛門)ブランドに関与させる考えは無かった。この国は、雨季と乾季が在り、時おり干ばつに襲われていた。平は、乾季になっても、水が絶えない水源から灌漑パイプを引き、田畑に供給するインフラ事業を考えていた大陸を横断して原油のパイプラインを引けるなら、水源から長距離で結ぶ、水の灌漑パイプラインも可能だと、思い描いていた。地上に露出した灌漑パイプなら、パイプとパイプを結合するだけで済み、土木工事による灌漑用水路の工事費より、安く上がると考えた。灌漑用水路は、勾配が無いと、水を供給出来ないが、灌漑パイプは水圧を掛ければ、水を送ることが可能で、勾配は関係ないと推測した。工事が完成すれば水圧を掛けて水を流すのみ、工事後の人件費は、設備のセキュリティだけで殆ど要らないと考えた。灌漑パイプの水の使用量だけで、相当な利益が得られると目論んだ。平はガルシア専務に賛同を得、事業に着手した。正義の慰霊碑が在る町長達も、協力を惜しまなかった。灌漑用水路の土木工事に比べ、パイプを接続するだけの工事なので、工期は極端に短かった。それは、消防車が水圧を掛けてホースを延長し、消火活動するのと、似ていた。この灌漑事業は注目され、パイプ敷設の依頼が多数寄せられ、敷設工事は、海外への出稼ぎ労働者の、国内雇用の場所にもなった。平は[水を制す者は、国を制す]の、ことわざを思い浮かべ、自分も若干、齧ったかなと、ほくそ笑んでいた。
フィリピンでも、GIEMON(義衛門)のポップスターであるリベルは、現地でのコマーシャル撮影などで多忙を極め、就労時間も不規則になった。帰国して三か月過ぎた或る日、リベルが働いているGIEMON(義衛門)ショップ・マニラ一号店に、突然、丸ぽちゃのアキが現れた。その日は、リベルは偶々、コマーシャルの仕事が無かった。海外への渡航経験の無いアキは、独学で覚えた英語とタガログ語のみで、リベルが働いているマニラ一号店に、辿り着いた。リベルが「安造の了解を得て、来たの?」と、訊ねると、アキは、首を横に振り「独断で来た」と、答えた。急遽、リベルは平に電話して、アキがGIEMON(義衛門)ショップに来て居る事を、伝えた。平は安造に、緊急電話をした。その日、リベルは店を早退して、アキをコンドミニアムに連れて行った。夕方、平とハーモニーがコンドミニアムに帰宅し、平がオフィスから、日本の安造に電話した事を、アキとリベルに伝えた。安造は、無断で出て行った事に、相当、御機嫌斜めの様で、アキが、バツの悪い笑いをしていた。その夜、四人は談笑しながら、ハーモニーの作った天ぷら料理で、夕食を摂った。アキが、ハーモニーの日本料理の上達ぶりを、誉めていた。メイドの部屋が、空いていた。夜も更け、リベルとアキは、別々の部屋で睡眠を取った。翌朝、アキが、時間が経っても起きて来ないので、ハーモニーは、メイドの部屋を覗いた。部屋は空だった。不審に思い、リベルの部屋を開けたら、アキはリベルと一緒に眠っていた。暫くしてアキが「お早う御座います」と、言って起きて来た。アキはハーモニーに「昨夜、リベルに付けて貰ったの。ハーモニーと同じよ」と、得意げに、腕と胸元二か所のキスマークを見せた。平とハーモニーは、たまげて顔を見合わせた。リベルが、照れ臭そうに部屋から出て来た。アキの、押しかけ女房だった。数日後、リベルとアキは、マニラの小さな教会で、平とハーモニーが同席して結婚式を挙げた。24
翌日、ハーモニーがオフィスで平に、真剣な眼差しで話し掛けた。アキが一日中、コンドミニアムに居る限り、平に自分の体を見せる事が出来ない。平が大好きだから、体を見せて上げたい。の内容だった。平は時折、コンドミニアムの食堂のテーブルに恥じらうハーモニーを寝かせ、体を鑑賞するのが大好きだった。平は、改めて優しくて献身的なハーモニーに、感無量だった。
平は、フィリピンにも、蛍の家を造りたかった。ハーモニーとの間に中々、子供が授からないのも、私設学校を設ける考えの要因であった。ハーモニー・リベル・アキと、フィリピン武井㈱の幹部社員から、同意を取り、スモーキー・マウンテンの近くに、私設学校を創設し、名称をpeaceful school YASUZOU(平和の学校 安造)と、した。日本の安造にも電話して、了解して貰った。安造は、学校名に謙遜していた。学校の建設に着手した頃、アメリカのシアトルから一本の電話があった。それは、サト・ウイリアム(Sato Williams) の韓国人の養子、ダニエル(Daniel)からの電話だった。「平の活動に共鳴してpeaceful school YASUZOUに参加したい。自分は現在、シアトルでハイスクールの教師をしているが、退職してマニラに行くつもりだ。母のサト・ウイリアム(Sato Williams)が、義衛門さんや静さんに、随分世話になったと、母から聞いている。自分が恩返しを、したい」との、内容で「父のロバート・ウイリアム(Robert Williams)は、航空機関連の会社を退職して、母のサトと老後を自宅で過している。弟のジョン(John)が、夫婦で両親と同居して、息子も二人いる。ジョン(John)は、父が勤めていた、同じ航空機関連の会社に勤務している。妹のアンナ(Anna)は結婚しカリフォルニア州の南部の、サンジェエゴニ住んで居る。アンナの御亭主は軍人で、サンジェエゴの海軍基地に勤めていて、娘が一人いる。愛犬、ホタル(Fotal=Firefly)は老衰で死んでしまった。自分は未だ、独身で、シアトル郊外のマンションに、一人暮らしで住んで居る。両親も、平さんに会いたがっている」と、サトの家族の近況を、電話で話した。
一週間後、ダニエルがサト夫婦と一緒にマニラに来た。平とハーモニーが空港に出迎えた。初対面のダニエルは、ガッシリとした体格で、平より若干、年上だった。サトは土蔵で、ロバートは静に連れられ駐留軍の正門で会っただけで、いずれも赤子の時代なので、平には、二人の記憶は全く無かった。サトとロバートは、白髪の初老の老人で、温和な感じがした。三人は、平とハーモニーに「How do you do?」と、挨拶した。平とハーモニーも「How do you do?」と、答えた。オフィスに向かう車の中で、サトは、土蔵でオムツを替えている時に、赤子の平らに、小便を掛けられた話をした。ハーモニーが笑い、平が苦笑いをして居た。翌日から、主としてハーモニーが、サトとロバートを、一週間掛けてマニラやルソン島の観光名所に案内した。ロバートは、ジムニー(乗合自動車)に興味を示していた。ハーモニーは、正義の慰霊碑が在る町にも、足を運んだ。サトとロバートは、感無量で慰霊碑を眺めていた。サトは、目にハンカチを当て、正義と静の結婚式でのラストダンスを、想い浮かべていた。一方、平はオフィスで、ダニエルから、経歴や思想やハイスクールでの体験談など時間を、掛けて聞いた。彼をpeaceful school YASUZOUの建築現場にも、案内した。それは、密かに初対面のダニエルを、面接しているかの様だった。一週間程してハーモニーが、サトとロバートの観光案内から戻って来た。サトとロバートが、アメリカに帰国する前日、五人でマニラ湾に行った。暫くして、リベルとアキも合流した。夕方、マニラ湾は、いつもの通り茜色に輝いていた。毎々の、バイオリンを持った町のシンガーが、バイオリンを弾きながら、唄い始め、平とハーモニーが、マニラ湾の夕日をバックに踊り始めた。リベルとアキも、踊り始めた。釣られて、サトとロバートの老夫婦も一緒に踊った。ダニエルだけが、蚊帳の外だった。踊り終えた平は、シンガーに金を払い、近くのフィリピン大衆料理レストランに、皆を案内した。食前、平はダニエルに、peaceful school YASUZOUの校長に就く事を依頼した。「頑張ります」と、言って、ダニエルは了解した。同時に平は、自分自身が理事長に就任する事も発表した。サトとロバートが、平らに、息子・ダニエルの校長登用の礼を言った。翌日、サトとロバートはアメリカ・シアトルに帰国した。
三ヶ月程でpeaceful school YASUZOU(平和の学校 安造)は完成した。ダニエルは、四・五人のフィリピン人の教員を雇った。アキは、蛍の家の経験を生かし、子供達の食事を担当した。スモーキー・マウンテンの子供達も順調に集まり、無償の学校の運営もスムーズに行くかの様に見えた。しかし、二・三週間すると、子供達の不登校が続出した。学校のスタッフは、原因の究明に乗り出した。原因が判った。子供達は重要な稼ぎ手で、学校に行っていれば、自分達の生活が困窮に陥っていた。スタッフは苦慮した。ダニエルは、平に相談した。平は、子供達が学校に登校すれば、金品を配る様に提案した。費用は、フィリピン武井㈱が負担した。すると、子供達が学校に戻って来た。週に二日は町に出て、靴磨きや車の窓ガラス拭きなどで、子供達に自分自身で稼ぐ事も教えた。それは、日本での、蛍の家の細断野菜の教育方針と、全く同じだった。暫くして、新たな問題が生じた。孤児達の中で、授業が終わっても帰宅せず、学校の教室に、寝泊まりする者が現れた。平はドミトリー(寄宿舎)を造り、常時、リベルとアキが、居住する様にした。それは、コンドミニアムで気兼ねしないで、自分の体を平に見せられる事に繋がり、ハーモニーは嬉しかった。次第に、フィリピン武井㈱の業務は幹部社員に任せ、平とハーモニーは、朝、コンドミニアムを始動してpeaceful school YASUZOUに行き、夕方まで留まる時間が多くなった。時を同じくして、peaceful school YASUZOUに、野良犬や野良猫が住み着く様になり、平とダニエルは、殊の外、可愛がった。平は黄子と、ダニエルは愛犬、ホタル(Fotal=Firefly)と、苦楽を共にした、幼年時代の思い出が有った。二人の動物愛護の精神には寸分の違いも無く、「人間も動物も同じ命だ!」と云う、義衛門精神の継承だった。その愛護精神は、学校の子供達にも浸透し、ドミトリー(寄宿舎)の子供の中には夜、犬や猫と一緒に寝る者もいた。平は、子供達に日本語を教え、ハーモニーは、子供達の世話をする日々が続いた。子供が無い二人に取って、peaceful school YASUZOUの子供達は、我が子同然だった。
GIEMON(義衛門)ブランドも、フィリピン武井㈱も、peaceful school YASUZOUも、全てが順調に進んだ。それに目を付けた政治家や役人が、自分達の地位を餌に、賄賂を要求する様になったが、平は一切拒絶した。昔の黒川商店の没落の記憶が、平の脳裏には鮮明に残っていた。元、大統領夫人の、マラカニアン宮殿での贅沢三昧の生活にも、呆れていた。しかし、貧困層や小作農だけを優遇する平の行動は、富裕層・地主階級・特権階級には反感を買う形になった。富裕層の支配階級と、考え方に相違がある平は、次第に、革新勢力と友好を深める機会が多くなり、革新派の政治家に献金する様にもなった。25
三年が過ぎた。ある日、前触れも無しに四・五人の刑事が、平の逮捕状を持ってpeaceful school YASUZOUに現れた。容疑は、反政府武装勢力に、資金を供給している政治犯の罪だった。平には、全く身に覚えが無かった。刑事は、平と面識がある革新派の政治家の名前を出し「その政治家も、既に留置所に入っている」と、言い「彼は、ミンダナオ島の、イスラム反政府武装勢力の一員だ」と、述べた。平は、自分が献金している革新派の政治家が、反政府武装組織の人間である事など、全く知らなかった。peaceful school YASUZOU全員が、平の逮捕を妨害した。子供達は、あらゆる物を、刑事達に投げつけた。犬や猫は、刑事達を威嚇し噛み付いた。学校のスタッフは、刑事達と格闘になった。全員の抵抗も空しく、平は刑事達に手錠を掛けられ連行された。ハーモニーは、大声で地面に泣き崩れた。ダニエルは、額に深い傷を負った。子供達も、地面を叩いて泣いていた。傷を負った犬や、猫が、地面に横たわって居た。悲惨な光景であった。GIEMON(義衛門)の実質的なCEO、田村平の拘束のニュースは、瞬く間に日本中に知れ渡った。平、拘束を知った安造の落胆の程は、殊の外、格別だった。日本で平は、慈善家としても知名度が高かった。政府も世論に後押され、当事国に釈放要請を出した。現地でも、フィリピン武井㈱の社員や、正義の慰霊碑が在る町長が中心となり、署名活動で釈放を嘆願した。だが、富裕層・地主階級・特権階級に嫌われている平の釈放要求は、現地政府には通じなかった。ハーモニーは、一人、コンドミニアムに引き籠る様になった。生気も失い、彼女の嘆きは計り知れないものだった。ハーモニーは、二か月過ぎても、オフィスにも、peaceful school YASUZOUにも、現れ無かった。見かねたリベルとガルシア専務は、コンドミニアムを訪れた。呼び鈴を押しても応答が無く、ドアは鍵が閉まっていた。リベルは、合鍵でコンドミニアムに入った。部屋は散乱し、ハーモニーが部屋の片隅に蹲り(うづくまり)座って居た。彼女の視線は、床をじっと見詰めていた。頬はこけ痩せ細り、どうも食事は、摂っていない様子だった。リベルが台所に入り、食事を作ってハーモニーに与えた。リベルとガルシア専務はハーモニーを宥め(なだめ)、フィリピン武井㈱と、正義の慰霊碑が在る町長達とが一丸となり、平の釈放要求の運動を展開していくので、ハーモニーも頑張る様に諭した。釈放要求運動は、既に始まっていて、peaceful school YASUZOUや小作農や一般市民までもが、挙って(こぞって)参加していた。平のパイプ敷設の灌漑事業は、この国の一般市民からも賛同を得ていたのだ。ハーモニーは、平の釈放に、自分が一番、頑張らなければいけない立場にある事を悟った。数時間後、アキが食べ物を持って、コンドミニアムに駆け付けた。リベルとアキは、一人で落ち込んでいるハーモニーが心配で、コンドミニアムに戻り住む事にした。平の刑期は、五年に決まった。ハーモニーは先頭に立ち、皆と一緒に、朝から晩まで無休で、平の釈放運動の運動や署名活動に奔走した。次第に、ハーモニーの痩せ細った体も、元に戻っていった。丁度、その頃、リベルとアキの間に男子が誕生した。リベルはOur Benefactor Mr. Masayoshi Tamura (自分達の恩人・田村正義殿)に因んでMasayoshi(正義)と命名した。甥の誕生は、ハーモニーの体力の回復の要因にもなった。でも、釈放要求の活動は、一向に功を奏さなかった。
平が投獄されてから、三年が経過した。この国の政権も、保守派からハト派のリベラル政権に移っていた。新政権が発足して間も無く、ハーモニーの元に、新政権から恩赦の通達が届いた。二年、刑期が軽減された。平の灌漑事業の功績や、無償の学校・peaceful school YASUZOUや、父・正義の偉業も、新政権の耳には入っていた。捕えられた革新派の政治家の供述で、自分がイスラム反政府武装組織の人間である事実を、平に隠していた事も、新政権は入手していた。革新派の政治家が供述した時期は、平の拘束当初であって、平に反感を保持していた旧政権は、その供述を、握りつぶした事も判明した。
平は、やせ衰えた容姿で一人、刑務所の正門を出た。一台の乗用車が停まって居るだけで、人影は無かった。平は、自分が早期に出所出来る事を、皆は知らないのだ、と悟った。平は、刑務所の壁伝いに歩き始めた。停車していた乗用車が、平の後を追う様に、静かに動き出したが、平は気付かなかった。平は、壁の端を曲がった。乗用車は、曲がり角の手前で停まった。乗用車から一つの人影が降り、平の背後に付けた。片手で平の目を覆い、片手で背中に、I LOVE YOUと書き、背後から抱き締め「平、大好き!」と、囁いた(ささやいた)。何処からともなく、沢山の車が平の周りに集結した。ハーモニーは、平に抱き付き離れなかった。目には涙で一杯だった。車から、続々、リベル・アキ・ダニエル・ガルシア専務・ロベルトやフィリピン武井㈱の社員やpeaceful school YASUZOUの子供達までもが、降りて来て涙で平らに擦り(すり)寄った。全員が嬉し涙で泣いていた。平は、ハーモニーの携帯電話から日本の安造に電話した。安造は、声を詰まらせ泣いている様だった。電話を替わった夕子も、喜び泣いていた。夕子の電話の傍で、幼子の泣き声が聴こえた。平がフィリピンに戻って一年位して辰之助との間に女子が出来たそうだ。名前は安造が、義衛門の妻に因んで、朝子と名付けたそうだ。今、朝子は安造を「お爺ちゃん」と、呼んでいるそうだ。蛍の家の澄子にも電話した。澄子も、喜びと安堵の気持ちで泣いていた。蛍の家の子供達も、平の声を聴きたくて、次々に電話を替わった。オフィスに戻り、社員達の祝福を受けた。慰霊碑の在る町長達も、駆け付けた。国内外からの祝福の電話が続いた。平、解放のニュースは日本にも届き、革新派の政治家の供述の真相も伝わった。その日、フィリピン武井㈱は、祝福のお祭り騒ぎになった。その夜、平とハーモニーがコンドミニアムに帰ったのは、深夜になった。平とハーモニーを二人だけにして上げたい気遣い、リベルとアキはpeaceful school YASUZOUに戻った。部屋に入るや否や「大好き、平」と言って、ハーモニーは平に抱き付いた。ベッドルームに入り「今夜は一杯抱いて」と、言い、ベッドに裸体で寝た。ハーモニーの体は小麦色に輝き、以前と寸分の違いも無かった。胸に、蛍のペンダントが光っていた。ハーモニーは、平の帰りを心待ちし、絶えず自分の体を鏡に映し、体型に気を配っていた。その夜は、朝まで愛の交歓を繰り返し、その度、ハーモニーは「良かった?」を、繰り返し連発した。平は、消えたハーモニーの乳房と腕に、改めてキスマークを付けた。
昼頃、平が起きて食堂のテーブルを見ると料理が置いてあった。料理は、赤飯と七面鳥料理だった。赤飯にはマヨネーズで[たいら・おめでとう]と、平仮名で書かれていた。首を傾げると、和洋折衷の祝料理だった。ハーモニーは、ダウン症の桃子から教わった日本語の歌を、口遊んで上機嫌だった。平に気付くと「昨夜、一杯、愛の交感してくれて有り難う。平、大好き」と、言って抱き付き、大粒の涙を零していた。ハーモニーは平の帰還が、余程、嬉しかったのだ。翌日、平とハーモニーはpeaceful school YASUZOUに行った。教室には、千羽鶴が飾られていた。平の帰りを待ちわびる子供達が、アキの手解きで、折った物だった。「父さん、お帰り」の、子供達の連呼だった。以前から平は、子供達に日本語を教えていたので、自然に子供達が平を「父さん」、ハーモニーを「母さん」と、日本語で呼ぶ様になっていた。甥のMasayoshiが、犬に追われ泣いて来た。アキはMasayoshiを、他の子供達と分け隔てしない方針で、育てていた。それは、孤児のアキが、蛍の家での経験に基づき考えで、同じく孤児だった校長のダニエルの、指針でもあった。アキがハーモニーに「昨日、キスマーク付けて貰った?」と、聞き、ハーモニーが嬉しそうに頷いた。二人は、互いのキスマークを見せ合った。校長のダニエルが、訝しげ(いぶかしげ)に二人を、見ていた。平は、久方ぶりの子供達との遊びに、満喫していた。夕方、子供達が、車の窓ガラス拭きの仕事に出掛け始め、平も同行して窓ガラス拭きを手伝った。
一週間程して、この国の文部大臣がpeaceful school YASUZOUを訪れ、旧政権の失態を、平に陳謝した。文部大臣は、お詫びにpeaceful school YASUZOUへの協力を申し出たが、平は丁重に断り、他にも生活に困窮している人は、沢山居るので、そちらに回して欲しいと、要望した。平は、自ら開設した慈善施設は、他力本願はせず、自ら稼いだ力で、運営するのが責務だと思って、他所からの寄付も辞退していた。それは、日本の蛍の家の考えと、安造の考え同様だった。夜、コンドミニアムに戻ってハーモニーは、平と一緒にマニラ大聖堂に行く事を提案した。マニラ大聖堂は、この国のカトリックの総本山であり、世界遺産であった。平はpeaceful school YASUZOUに電話して、リベルとアキを誘った。26
翌日、四人はマニラ大聖堂に着き、平とアキは、大聖堂の大きさと壮麗さに、声を失った。カトリックの信徒であるハーモニーは、十字架に、何度も十字を切って合掌し、神に、平が無事帰還した事を感謝した。信徒・リベルも同様に、十字を切って合掌していた。無信教の平とアキも、十字を切って合掌した。常日頃、平は全ての宗教に対し矛盾を抱いていた。どの宗教も、贅沢を否定いるのに、イスラム教のモスクも、仏教の総本山も、キリスト教の大聖堂も、荘厳で華麗なのは何故だろう?建造には、困窮している信者からの寄付や寄進が、相当あるのでは?この大聖堂の建築費で、どれだけスモーキー・マウンテンの浮浪児を、食べさる事が出来るだろうか?平には、自らの糧やアクション(行動)で実行するのが、真の慈善活動で或る、と、云う信念があった。その信念は、義衛門からの継承で、日本の孤児院・蛍の家や、無償の学校・peaceful school YASUZOUにも、繋がっていた。
平は日本に帰り、老いた安造と一緒に暮らすのは、自分を育て上げてくれた、安造への感謝の気持ちだと思っていた。そして、武井興業㈱の社長には名目でも終身、安造に留まって貰い、自分が社長に就任する考えは、毛頭無かった。ハーモニーにも自分の意志を話した。ハーモニーは快く賛成してくれた。平は、ガルシア専務とロベルト・ペレス(Roberto Perez)をオフィスに呼び、日本旅行を企画した。今回の旅行は、ガルシア専務・ロベルト・リベル・アキと、peaceful school YASUZOUのスタッフ・子供達も含まれ、皆の健康に配慮し、南国フィリピンと温度差が少ない夏場にした。平は、自分とハーモニーが日本に住み付き、フィリピンには戻らない決意も話した。次に平は、フィリピン武井㈱の幹部社員も召集を掛け、人事構想を示した。自分は、フィリピン武井㈱の社長を退き、社長には、ガルシア専務を抜擢、専務には、日本の武井興業㈱から出向した日本人の幹部社員を、農業機械部門の重役には、フランチャイズのロベルト・ペレス(Roberto Perez)を登用、GIEMON(義衛門)ブランドの広告部長には、リベルを昇格させる内容で、peaceful school YASUZOUの理事長も、ガルシア専務が兼務するものだった。フランチャイズのロベルトに関しては、フランチャイズを辞めて、フィリピン武井㈱の常勤重役に転移する内容だったので、ロベルトの内諾を得る様にした。
全員、ジムニーに分散して、マニラ空港のロビーに集結した。斯くして、大人数での日本旅行が始まり、子供達のハシャギ方は、尋常では無かった。平は商用で、リベルはコマーシャル撮影で年に数回、渡航していたが、他の者の飛行機の経験は皆、無に等しく、浮足立っていた。一発の銃声が、ロビーに鳴り響いた。平がロビーに倒れた。銃弾は、平の腹部を貫通していた。ロビーの床は赤く、血で染まった。
「嘘、嫌、嫌、嫌」と、大声で叫び、ハーモニーは平を抱き締めた。空港警備員に、一人の現地青年が、身柄を取り押えられた。平は即、空港の医務室に担架で運ばれた。ハーモニーは、医務室のベッドに横たわった平らを抱き締めた侭、離れなかった。周りの者が近寄ると「駄目!近付かないで!」と、泣き叫び遠ざけた。平が、静かに目を開いた。「子供達を、日本に連れて行ってくれ」と、言い、周りが「分かりました」と、答えながら頷いた。平は「ハーモニー、大好きだよ。有難う」と、か細い声で言い残し、ゆっくり目を閉じた。ハーモニーは、平の手を握り締め「平、駄目、平、駄目、嫌、嫌、嫌」と、狂った様に泣き叫んだ。周りも全員、泣き叫んだ。空港内を巡回していた常駐の医師が、医務室に飛び込んで来た。ハーモニーを振り払い、聴診器を平の胸に当てた。医師は脈を取り、瞼を開き、瞳孔が開いているのを確認した。「御臨終です」と、言って、医師は、平らに向かって十字を切った。ハーモニーは平の胸に泣き崩れた。
ガルシア専務は、頭の中が、真っ白に成った。悲痛なガルシア専務は、子供達の日本旅行を、一時延期するしかないと、自らの判断で決めた。拘束された現地青年の証言で、平らに反感を持っている富裕階級から、15万ペソ(約40万円)で、殺害を請け負った事が判明し、依頼した富裕階級の人間が、芋づる的に逮捕された。
参考資料・民間の銃の保有
(人口100人当たりの、保有数)
1位アメリカ90丁
2位イエメン61丁
3位フィンランド56丁
28位フィリピン5丁
(国別、保有総数)
1位アメリカ270百万丁
2位インド46百万丁
3位中国40百万丁
20位フィリピン4百万丁
(人口10万人当たりの、殺人件数)
アメリカ3.2件 フィリピン8.9件
※フィリピンはアメリカの2.8倍
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GIEMON(義衛門)・武井興業㈱の専務、凶弾に倒れる。ニュースは瞬く間に、国内外に伝わり、日本では臨時ニュースとして速報された。悲しい訃報は、世界中のGIEMON(義衛門)社員に送付され、全社員が悲しみに沈み、マニラの方角に向かって、黙祷した。衝撃的な知らせを聞いた安造は一時、放心状態に陥った。そして、蛍の家の澄子も同様だった。安造は、胸が締め付けられる絶望感に襲われ、一人部屋に閉じ籠ってしまい、目は涙で溢れていた。それは、平が、マニラに戻る時に、安造が感じた嫌な胸騒ぎが、現実になった。
平の遺体は傷まない様に、現地で専門業者に頼み、エンバミング(剥製化)した。そして、棺に納め、マニラ空港より日本に搬送する事になった。マニラ空港では、フィリピンのGIEMON(義衛門)ショップや縫製工場の社員は元より、フィリピン武井㈱やpeaceful school YASUZOUの子供達も別れを惜しみ、その日は、全てが休みの、喪に服する状態だった。飛行機には、ハーモニー・リベル・アキの他にガルシア専務・ロベルト・ダニエル校長・バングラディシュ人の工場長・慰霊碑が在る町長など、大勢の人が棺と共に搭乗した。悲痛なハーモニーの姿は、見るのも辛かった。
飛行機は羽田に到着し、報道関係が待ち構えていた。平の棺は、武井興業㈱の原点の土蔵に搬送され三日間、安置された。土蔵は、平が静・和・敏郎・黄子と苦楽を共にした、遠い昔の思い出の場所であった。それは、リベルとガルシア専務の、手記に基づく平への心配りだった。ロベルトとダニエル校長は、グローバル企業の武井興業㈱の中核が、余りにも小さい建物なので、驚いていた。隣の寄宿舎の海外留学生が全員、大学を休んで棺を出迎え、合掌していた。ガルシア専務は、寄宿舎に案内し、平社長が海外の留学生に寄宿舎を無償で開放した、原点が此処に或ると、ロベルトとダニエル校長に話していた。肩を落とした安造が、土蔵に訪れ、棺に縋り付き「平は、大嘘つきだ!日本に帰って、俺と一緒に住むと約束した!」と、大声で泣いき、昔のヤクザの面影は、全く無かった。三日間、ハーモニーとリベルとアキは、土蔵の棺の横で床を取った。深夜、床に入ったハーモニーは、天井の梁を見詰め、土蔵で、一緒に平と過ごした和を、想い巡らしていた。
平の葬儀は、この町の武井興業㈱の縫製工場の体育館で、無宗派で執り行われた。武井興業㈱に取っては、この町は会社の聖地であった。各界から大勢の著名人が参列し、政府の担当大臣や、フィリピン政府の関係大臣も同席した。アメリカから、サトの家族も全員、駆け付けていた。途切れない弔問客の長蛇の列が出来、列は一般道にも及んだ。この町が始まって以来の、大きな葬儀になった。遺族親族に座ったハーモニーは、心とは反対に気丈に振る舞っていたが、安造はガックリ肩を落としていた。参列者の弔辞が続いた。蛍の家の子供達も、哀悼の意を述べた。弔電は、余りにも数が多いので、御尊名だけ拝読し、主文は割愛させて貰った。全員が、沈痛な思いで、祭壇に向かって献花した。花祭壇には、平の遺影写真と、義衛門の根本理念の[上を見てください。貴方より頑張っている人は、一杯います。下を見てください。貴方より貧乏な人は、一杯います。両方見る事が出来れば、貴方は人間です]と書かれた額と、義衛門・静・平の三代に渡って受け継がれた手記が飾られ、手記は後日、武井興業㈱の教典になった。ハーモニーとリベルが、始めて日本に来た際に、ガイド旗を考案した幹部社員の企画で、葬儀の引き出物には、コソ泥スタイルの、弁当届犬のキャラクターが限定復活した。それは、武井興業㈱の商品開発の原点であった。幹部社員は、弁当届犬の黒君・白ちゃんを載せた限定Tシャツを、急遽、縫製工場の従業員に徹夜で作らせた。従業員も快く協力し、葬儀に間に合わせた。限定Tシャツは、引き出物として弔問客全員に配られ、後日、黒君・白ちゃんを載せた限定Tシャツは、プレミアムが付いた。
最高幹部社員の手によって、棺が霊柩車に運ばれた。霊柩車の運転手が、後ろの扉を閉めようとした時、リベルが、扉を閉じるのを一時、待つ様に頼んだ。彼は、手に持っているカセットデッキに、スイッチを入れた。それは、二人が愛の交した時の流した曲で、平が一番好きな曲であった。「平!」今まで気丈でいたハーモニーが、突然、棺に泣き崩れた。哀れで痛々しい姿は、皆の涙を誘った。霊柩車は、助手席にハーモニーを乗せ、クラクションを鳴り響かせ、静かに出棺した。にがいた。皆が、無情の別れを、霊柩車に向かって泣いて合掌した。
翌日、遺族親族と、主だった関係者だけで、平の遺骨を合祀の墓に納骨した。サトが、自分の家族と最高幹部社員に、ガルシア専務が、ロベルトとダニエル校長に、合祀の墓の由来を説明した。その日、ハーモニーの願望で、遺族親族だけは、近隣のビジネスホテルに宿を取り、他の者は合祀の墓を後にした。境内が闇に包まれ、蛍たちに依る、夏の夜のショーが幕を開けた。ハーモニーもリベルも、蛍の墓のファンタジーに魅せられたが、ハーモニーの隣に平の姿は無かった。
翌朝、リベルは、ハーモニーの部屋をノックしたが応答が無く、鍵は閉められていた。不審に思い、リベルは安造に「ハーモニーの応答が無い」と、言った。安造は「ハーモニーは、昨日までの疲れが、溜まったのだ。色々、有ったからな。疲れを取る為に、暫く寝かした方が良いと思う」と、答えた。
昼を過ぎた。ハーモニーは、未だ起きて来なかった。再度、リベルとアキが、ハーモニーの部屋をノックしたが、やはり応答が無く、鍵は閉められた侭の状態だった。二人がホテルのフロントに行くと、フロント係が「ハーモニーさんは、朝早く、フロントに部屋の鍵を預け、出掛けました」と、言った。慌てて、リベルは、フロント係に、合鍵でハーモニーの部屋を開けて貰った。アキは、安造・澄子・夕子・辰之助を呼びに行った。部屋にハーモニーの姿は無く、ベッドの上に、蛍のペンダントが置いてあり、そばに置き手紙があった。部屋に、アキ・安造・澄子・夕子・辰之助が駆け込んで来た。リベルが、英字で書かれた手紙を、翻訳して読んだ。手紙には[平の処に、逝きます。蛍のペンダントは、私と一緒に、合祀の墓に入れて下さい。アキちゃんに、お願いがあります。合祀の墓に入っている和ちゃんには、蛍のペンダントが有りません。和ちゃんが可哀相です。桃ちゃんから貰った蛍のペンダントを、和ちゃんに上げて下さい。リベルからアキちゃんが、新しい蛍のペンダントを貰って下さい。アキちゃんは、リベルの最愛の奥さんです]と、書かれていた。皆は、一刻を争い、合祀の墓へ急いだ。時刻は、既に午後になっていた。
早朝から、合祀の墓に、抜け殻の様なハーモニーの姿が在った。ハーモニーは、合祀の墓を見詰めていた。「昨夜、蛍の墓を見たよ。凄く綺麗だったよ。平は、ハーモニーと、ずうっと一緒に見ると、言ったよね。平、会いたい、寂しいよ。ハーモニーは独りぼっち。キスマークも、消えている。平は、永遠に、ハーモニーと一緒にいると約束したよ。日本で、安造爺ちゃん・澄子婆ちゃんと、平・ハーモニーと一緒に暮らすと、約束したよ。平、お願い、帰って来てよ!」と、合祀の墓に泣き伏せた。暫くして彼女は立ち上がり、再度、合祀の墓を、じぃーと見詰めた。墓石の正面には 人間も動物も同じ命だ と彫られ、脇に小文字で田村義衛門が並べて彫られていた。ハーモニーは、墓石の背面に回った。バックから、カミソリを取り出し手首に当てた。血が迸った(ほとばしった)。彼女は、血を指に付け,墓石の背面にI LOVE YOUと、書いた。ハーモニーは,墓石の背面に凭れ掛かった。彼女は、平の大好きな歌を口遊んだ。平と過ごした記憶が、走馬燈の様に、ハーモニーの脳裏を過ぎった。マニラのキャバレーで、始めて会った日・コンドミニアムで過した日々・正義の慰霊碑に行った事・マニラ湾で、シンガーの歌に合わせて踊った事・スモーキー・マウンテンでの三匹のミスター蛍(Mr. Firefly)・peaceful school YASUZOUの子供達と戯れた日々・日本で、テーマパークに行った事・スキー場のホテルで、大浴場に入った事・GIEMON(義衛門)の、縫製工場の食堂で失言・・・・楽しい記憶だけが脳裏に浮かんだ。真夏の昼間の煌々たる光が、境内を満たしていた。ハーモニーは、意識が朦朧と、してきた。「暗くなって来たから、蛍が舞い始めるよ。平、一緒に見ようよ。平、平一、緒に見ようよ」・・・・・一途に平を愛した、ハーモニーの最後だった。
作者より
愛の反対は無関心!
人間は、小さな事でも、自らで行動して愛を与える事が大事です。自らの善意(愛)を秘密にする必要はありません。人の慈善行動を、パホーマンスなどと称する人間は、最低の人間です。貴方の善意(愛)をアピールして、善意(愛)の仲間を増やして下さい。
人生の最大の病は孤独です。孤独とは誰からも自分は必要とされていない、と感じることです。
貴方が、行動を起こしてして愛を与えれば、貴方は、人から頼られ、孤独には成りません。充実感が得られます。
① 仕事も、同じです。お客様は貴方が必要です。
② 家庭も、同じです。家族は貴方が必要です。
③ 恋愛も、同じです。恋人は貴方が必要です。
④ ペットも、同じです。ペットは貴方が必要です。
⑤ スポーツ選手も、同じです。観客はスポーツ選手が必要です。
人間は、当てにされる事が、大事です。
上を見てください。貴方より頑張っている人は、一杯います。下を見てください。貴方より貧乏な人は、一杯います。両方見る事が出来れば、貴方は人間です
どの世界にも、貴方より努力して頑張っている人は大勢います。人間は諦めた時が、終わりです。自己満足は、貴方だけ喜びで、人には喜びを与えません。貴方が喜びを得て、同時に人も喜びを得る事が出来れば、自己満足ではありません。貴方より恵まれない人は大勢います。
この小説の、登場人物や動物を、思い起こして下さい。愛を与えた人や動物、愛を貰い受けた人や動物が、沢山います。28
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