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藤娘

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第三章

 深く深く入った、そうして。
 その稽古の中でだ、今度はだった。
 はっきりと見えた、そして。
 その見えたものをだ、彼は師に話した。
「今度はです」
「はっきり見えたか」
「はい」
 その通りという返事だった。
「今しがた」
「そうか、では何が見えた」
「藤が」
 その花自体がというのだ。
「はっきり見えました」
「そうか、藤が見えたか」
「藤娘ではなく」
「藤の花自体がな」
「見えました」
 まさにというのだ。
「蔦や傍の木も」
「そうか、そうしたこともか」
「見えました」
「それでいい」
 坂東は美津ノ助に確かな声で答えた。
「藤が見えるのならな」
「藤娘だからですね」
「そうだ、藤娘は何だ」
「藤の精です」
「まさに藤だな」
 藤そのものだというのだ、藤娘は。
「それだな」
「だから藤が見えたことは」
「いいことだ、しかしそれは一瞬だったな」
「はっきりと見えましたが」
 それでもとだ、彼も答えた。
「それだけしか見えませんでした」
「そうだな、ではだ」
「それならですか」
「今度はいつもだ」
「藤が見える様にですね」
「なれ、そしてだ」
 坂東はさらに言った。
「わしはそこまでまだ至っていないが」
「まだ先がありますか」
「藤になれ」
「藤そのものに」
「そうなれと言われた、先生にな」
 坂東の師にというのだ。
「だからな」
「藤そのものになれと」
「そうだ、なれ」
「藤そのものに」
「常に見られる様になったらな」
「そうなるべきですね」
「そうだ」
 坂東はこう美津ノ助に言った、そして美津ノ助も頷いてだった。
 実際に彼はさらに稽古を続けた、すると。
 次第にだった、藤が常に見られる様になった。しかし彼はさらに稽古を続けた。するとその見えてきた藤がだった。
 彼の脳裏から出て来てだ、藤娘の稽古をしていると常に隣に見える様になった。その藤達の中にだった。
 彼は稽古をしていってだ、少しずつ。
 その藤の中に入った、完全に。
 そして気付くとだ、その中にいてだった。
 舞を舞い続けた、そして稽古が終わって。
 彼は師にだ、こう言った。
「藤を傍に見て」
「そしてか」
「その中に入りました」
「そうか、それがだ」
「まさにですね」
「藤娘だ」
「藤になったのですね」
「完全にな」
 そうなったというのだ。
「御前はなった」
「そうですか」
「そしてだ」
「そして?」
「わしも越えたな」
 微笑んでだ、坂東は弟子にこうも言った。
「わしはそこまで至っていないからな」
「藤の中に入ることは」
「ないからな、だからな」
「私はですか」
「わしを越えた、弟子はだ」
 弟子の姿もだ、彼は話した。 
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