まいどあり
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第五話 白銀の傭兵バシリッサ
途切れない光は幾筋もの軌跡となって煌き流れる。
既に初めの4体に関しては完全に浄化し、骸さえも残さず光の粒とかしていた。
故に、今銀髪の少女が相手にしているのは新たに現れた残り2体いた不死者の内、最後の一体だった。
「“聖光”の……魔石?」
目の前で5体もの不死者をあっけなく薙ぎ払ったその力の凄まじさを目にして尚信じきれず、変わりに脳裏に浮かんだのは己の目利きと満面の笑みを浮かべた魔石商人の顔だった。
初めて鉱脈であの魔石を発見した時、手にしたライドが判断したランクは『魔力量が多いだけの希少価値の低い』魔石だった。
その後、自らの判断の確認と、希少価値の高い魔石だったら売り払おうと思って魔石商人に鑑定を依頼した。結果は“聖水”の魔石。それ自体はあまり珍しくない魔石だった。
にも関わらず、ライドが売らずに手元に置いた理由は、その有り余る魔力量に他ならなかった。
魔石の売却の際に最も重要視されるのは魔石自体のランクである。魔力量も多いに越した事は無かったが、元々のランクの付加価値程度の上乗せに過ぎない為、ランクの低い魔石では大した値段の違いにならなかったのだ。
それならば、自分で魔道具を制作して売ったほうがまだ利益が出る……そう思い売らずに取っておいただけの魔石だっただけに、少女の言葉はライドに今日一番の衝撃を与えた。
それは、自分自身の鑑定眼の無さと、
「……あのクソ親父。ひょっとしなくても、今までも適当な鑑定で安く買い叩いてたな……」
記憶の中でこれ以上無い位満面の笑みを浮かべている魔石商人の男に心中で悪態をつくと、ライドは立ち上がる。
体の傷は消え失せ、蓄積された筈の疲労も感じない。
驚く程の治癒の力を見せた聖光の魔石は、今では不死者を葬る浄化の刃となっている。
それ程の力を持つ魔石の鑑定に失敗したのだ。それは、この大陸に渡る前は魔石は商人から買うものであって、売るものでは無かった……等という言い訳が出来ない程の失態だった。
しかし、今のライドの心配事は己の未熟さでもその身の安全等ではなく、
「……今更さっきの取引は無しで……なんて言えないよねえ……」
本来であれば一生遊んで暮らせる程の価値のある魔石を、出会ったばかりの一介の魔導剣士を雇い入れる事に使ってしまった事だった。
それも、契約内容は『この遺跡を出るまでライドの命を守る事』だ。
「どれだけ高いんだよ……僕の命……」
もはや確実に帰れる事が確定した事で余裕が生まれたにも関わらず頭を抱えるライドの視線のその先では、白銀の髪の少女が最後の不死者を一刀の元に切り伏せた所だった。
「私の名前はバシリッサ。世界を旅する流れの傭兵ですわ」
あの後安全を確認してから遺跡を出た後、闇に包まれた森を抜け、カンタールの町にたどり着いたのは大部分の民家の窓から明かりが消えてしまっている程遅い時間になっていた。
それでもライドはその足で大家であるネリイの家まで急いで向かい、寝ぼけ眼のネリイの右手に約束の家賃を握りこませた後、こうして銀髪の少女──バシリッサの元まで戻ってきた所だった。
ちなみに、支払った家賃はバシリッサに『立て替えて』もらったものだ。
バシリッサ本人からは契約の範囲内だと無償での提供を提案されたが、それは丁重に断った。
本音を言ってしまえばそれは飛び付きたくなるような話ではあったのだが、“これからの事”を考えた場合、それは決してライド本人にとって得にはならないと感じたからだ。
そうして戻ってきたライドに対して、ネリイの家の傍の街道沿いで待っていたバシリッサから開口一番笑顔で言われたのが冒頭の台詞だったというわけだ。
その言葉でライド自身今の今までお互いの事を殆ど知らずにここまで来た事に気がつき苦笑した。
「はは……そういえば、お互い自己紹介もまだだったね。なんだか今更な気もするけど……僕の名はライド。流れの魔導技師だ。今ではこの町に腰を落ち着けて修業中……かな」
ライドの自己紹介に、バシリッサただ一言「そうですか」と口にする。
元より契約の時にライドの事に関しては触り程度とはいえ聞いていたので、バシリッサにとっての新鮮な情報といえば“流れの”魔導技師である事位で、特に聞き返すような感想は抱かなかったのかもしれない。
だから、バシリッサが話すのはこれからの事。
「ではライド様。これからしばらくの間貴方の身を守らせて頂きますので、よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げるバシリッサに対して、ライドは困ったように頬を掻く。
そう。これこそがライドが家賃に関してバシリッサからの好意を素直に受けなかった理由だった。
「ああ……それなんだけど、本当にこれから僕の護衛をしてくれるの? 報酬も無く?」
あの時ライドが少女と交わした契約期間は『遺跡を抜けるまで』だ。にも関わらず、バシリッサは遺跡を抜けた後もこうしてライドの護衛を申し出てきた。
ライド自身が殆ど一文無しである事も、家賃を滞納している事を話したにも関わらず……だ。
「報酬は既に頂いています。最高ランクである“聖光”の魔石を譲ってもらった以上、中途半端な仕事は出来ません」
「いや、そもそもその報酬なんだけどね……」
「遠慮はいりません。こう見えて私はこの筋ではそれなりに有名なんですよ? 『白銀のバシリッサ』等と呼ばれる事があるくらいには」
ああ言えばこう言うとはこういう事を言うのだろう。
遺跡からの帰りにこの後も継続して護衛を続けると口にしたバシリッサに対してそれとなく拒否の姿勢を見せていたライドだったが、どうやらよほど頑固なのだろうバシリッサの言葉に、結局は押し込まれてしまっていた。
現在のバシリッサは脛までの長さはある外套を身に纏い、肩から旅の必需品が入っているであろう袋を背負っていた。
遺跡に入る前に必要最低限の物以外は入口に置いておいたらしい。そのおかげでボロボロになった衣服と晒された肌を見せなくて済んでいるという意味では良い判断だったのだろう。
そんな彼女にライドは深い溜息を吐くと、半ば諦めた様に右手を揺らす。
「そう。わかったよ。どの道君に借りたお金も返さなくちゃいけないし、この町に留まってくれるというのは歓迎だ」
「別に返さなくてもいいですよ?」
「返すよ。依頼と家賃は別物だから」
疲れ果てたようなライドの言葉に、バシリッサはクスリと笑うとそれ以上は何も言わない。
それは、この短い時間でもある程度の人となりを見極めたからなのかもしれなかった。
「それでは、私はこの町で宿を借りて、傭兵の仕事を請け負う事にします。もしも出掛ける事があったら一声掛けてくださいね。この町で最も優先順位が高いのは貴方の護衛なのですから」
「分かった。そうするよ」
「はい」
ライドの言葉に、バシリッサは今度こそライドに背を向けて夜の街道を歩き出す。
向かう先にあるのは宿屋だろうが、今の時間で営業しているかどうかは難しい所だ。最も、空いていなかった所でライドの家に来るだけだろう。
しばらく少女の背中と月明かりに反射するようにその存在感を主張している銀色の尻尾を見つめていたライドだったが、帰宅する為に地面に置いておいたザックを持ち上げて、直ぐに違和感に気がついた。
手にしたザックは遺跡からカンタールに帰ってきた時に比べて明らかに重くなっていたのだ。
出発する時はザックに入っていた『ライド式浄水器』は無残にも破壊され、その核であった魔石は報酬としてバシリッサに渡してしまったのだから、軽くなるならともかく重くなるのはありえない。
遺跡からの帰り道で多少疲れていたとは言え、いくらなんでも気のせいで済ませられる重さの変化では無かったのだ。
ライドは無言でザックを地面に置き直した後に中身を確認すると、そこにはザック一杯に保存食が詰まっていた。恐らく、ライドが家賃を払いに行っている間に誰かがこっそり中に入れたのだろう。
誰が?
考えるまでもない。
そんな事が出来る人間は現状では一人しかいないのだから。
ライドは身を屈めた姿勢のまま先ほどバシリッサが向かった先に目を向ける。
そこには距離が離れ小さくなってしまったけれど、月明かりに反射した小さな銀色が確かに見えた。
その姿はまるで、明かりを消した時に暗闇に浮かぶ魔石の光のようだとライドは思った。
明るい場所では周りに同化して決してその存在を主張せず、暗闇の中でのみその存在をおずおずと主張する小さな、それでいて強力な魔石達。
鉱脈に広がる小さな星空。
もしも、この町の暗闇が鉱脈のそれであったなら、彼女はさしずめ魔石だろうか。
ライドと変わらぬ年齢で、決して恵まれていると言えない体格で傭兵としてそれなりにでも名を売る事が出来るのは並大抵の事ではない。
そこまでの域に達するには、ライドと同じように決して譲れない理由がある筈で、本来であればこんな場所で足止めをするべきなのではないのではないかと感じてしまう。
それでも少女は律儀に己の矜持に則ってこの町に留まりライドを守ると口にした。
そして、少年も本来の目的を忘れたかのようにこの町に留まり続けている。
お互い留まる理由は違うだろう。
しかし、その真にあるものは案外近いものなのではないかとライドは何とはなしに思っていた。
ふと、そんな折に彼女に言っていない言葉がある事を思い出す。
それは、命を守ってもらう契約の証明としてはあまりにも矮小な言葉ではあったが、それでも、契約してからここまで、ライドはバシリッサに対して感じていたのはずっと「どうにかして契約の見直しができないか?」という事ばかりだった。
勿論、それ以上の言葉をバシリッサが求めていない事もわかっている。
わかっているが、ライドはあの時──名も知らぬ少女であったバシリッサに自らを物売りだと名乗ったのだ。
名乗った以上はそれなりの敬意は払うべきだ。
銀色の輝きはまだ見える。
それは今にも消えそうで、次の瞬間には見えなくなってしまう程の小さな光。
それでもライドは口にした。
届く事など期待していない、
「まいどあり」
自己満足でしかない謝礼の言葉を。
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