東方虚空伝
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第三章 [ 花 鳥 風 月 ]
五十九話 百鬼夜荒 弐
白銀の流星が地を駆け抜け、再び森に破壊の軌跡を刻みこむ。
其所より離れた場所でも、その流星の暴威に負けぬ戦場の傷跡が増えていた。
一時的に雲が月を隠し闇が濃くなっていた戦場に、雲の切れ間から差し込んだ月光が破壊を行っているそれの姿を露わにする。
月明かりに照らし出されるその身は、まるで岩の様な質感を――――否、“様な”ではなく本当に石や岩で形作られている。
突筆すべきはその身の丈の大きさだ。
灰色や赤茶けた岩石で出来た人型に見えるその身は優に十mを超え、両腕は異常に太く十mの巨体にも関わらず地上にまで垂れ下がっていた。
そして、その見ただけでも相当な重量を感じさせる豪腕を、岩の巨人は虫でも払うかの様に鋭く振り抜く。
すると腕を形作っていた岩石が散弾の様に飛散し、只の飛石だと思えない破壊を縦横無尽に大地に刻み付ける。
まるで爆撃の跡と錯覚するほどの惨状となった森に巨人の声が轟いた。
『ちょこまか逃げんなッ!この野郎ッ!』
その声は紛れもなく勇儀の弟である王儀のものであった。
王儀は言葉をそう吐き捨てると同時に、先程とは真逆方向に腕を振り散擊を放つ。
岩石が着弾し木々や大地を粉砕する中――――鋭い剣閃が王儀の背後から迫り、巨人の背に斬擊が刻まれる。
だがその一撃は岩肌に傷跡を残しただけで、王儀本人には微塵も傷を負わせてはいなかった。
そして周囲に放った岩石達が吸い寄せられる様に集まり、再び巨人の腕を形作ると再度散擊が巻き散らかされる。
何度目かも、もう分からないその応酬――――対峙者である犬走椛は『朧月』で身を隠しながら、静かに心の中で怒りの声を上げていた。
(あの鬼、さっきからッ!……野郎!野郎!って…………私は女ですよッ!!)
少々場違いな感じの激昂ではあるが椛も女性である、『野郎』等と連呼されれば憤って当たり前であろう。
その怒りを原動力にしている訳ではないだろうが、椛は滑る様に木々の間を駆け抜け巨人の背後を取ると、右手に持つ三日月の刀を袈裟に振るう。
だがどう見ても巨人との距離は十mはあり、刃が届くはずがない。
しかし椛が振るった刀の刃は、その剣擊の勢いに合わせるかの様に――――撓り伸びた。
まるで護謨の様に伸び、迅く鋭いその斬擊は風切り音すら立てず巨人の背を舐める様に剣閃を奔らせる。
妖怪や神の中には己の気を物質化出来る者がおり、その物質化した物は『妖鉄』『神鉄』と呼ばれる。
諏訪子の鉄輪や可奈子の御柱、ルーミアの大剣や幽香の日傘等がこれに当たる。
白狼天狗達の武具も妖鉄であり、破壊されてもまた造り出す事が出来る物だ。
だが椛は昔からその物質化が極度に苦手であり形を維持させる事が出来なかった。
しかしその失敗が、今彼女が振るっている“護謨の様に撓る鉄”を生み出す結果となり、彼女にのみ許された『遠距離物理斬撃』を完成させる事となる。
最大で五十mという射程を持ち、加えて夜の森で隠遁術を使う椛にとって此の戦場は独壇場と言っても過言ではないだろう。
しかし椛の斬撃の直撃を受けているにも関わらず、石の巨人は微動だにせず即座に反撃に転じてくる。
彼女の一撃が軽いのではない――――王儀の防御が強固なのだ。
『どれだけ』『何処を』攻撃しても防御を抜けない――――それが双方の一致した見解である。
王儀の攻撃が一撃でも入れば椛にとっては致命的であり、その逆で椛の一撃では傷は与えられない。
結果の見えた一方的な攻防――――――――王儀はそう思っていた。
今まで同じ事の繰り返しだった戦局が唐突に変化したのだ。
信じられない事に椛が巨人と正面切って対峙する――――という無謀極まりない行動をとって。
『逃げ回んのはお終いかッ!おいッ!』
「えぇッ!準備は整いましたッ!真っ向勝負ですッ!」
正面切って相対する椛と石の巨人は、どう見繕っても像と蟻の構図である。
無謀を通り越しもはや暴挙に近い行動。
何か企んでいる……王儀の頭にそんな思考が過ぎるが――――それ以上に彼はこの状況に昂ぶっていた。
鬼という種族全てに言える事だが、彼等は策謀や策略と言った妙手を嫌う。
卑怯云々も併せて正面から掛かってこない者を嫌悪するからだ。
故にどんな相手であれ、例え敵対する者であっても彼等は正面切って挑んでくる相手に無条件で好意を抱く。
それは理屈以上に本能的なものであり抑えようがない。
『ハハハハッ!良い度胸じゃねーかッ!なら――――遠慮無くいくぜぇぇぇぇッ!』
元々物事を難しく考えるのは苦手な王儀である、相手が受けて立つと言う以上それに全力で答えるだけだ。
逆に言えば策謀が有ろうが正面から叩き潰す、と言う彼の自信の表れなのかもしれない――――彼の目指す先は姉である勇儀や萃香と言った高みなのだから。
巨人は地面に垂れ下がるほど長い腕を勢い良く振り上げ、その拳が頂点に達した瞬間――――地上にいる椛目がけ振り下ろす。
振り下ろされる巨岩の拳は、まるで地上に落ちる流星の様であり、あらゆるモノに死を与える破滅の鉄槌の様でもある。
それを見れば誰であろうと『死』を覚悟するだろう――――しかし椛の瞳に絶望は宿っていなかった。
迫りくる暴虐に対し椛は左に持つ楯を構え微動だにしない。
そんな物などで身を護れるはずがない――――この光景を客観的に見る者がいればそう断じたであろう。そしてその意見は概ね正しいのだ。
――――此処以外の場所でなら。
破壊の鉄槌が椛を叩き潰す――――と思われた、その瞬間――――
椛が構えた楯に巨拳が触れた――――まさに、その瞬間――――
何かが砕ける音と共に――――巨人の拳が、否腕が天空目掛け空を切っていた。
王儀には何をされたのか、は理解できなかったが何が起こったのかは瞬時に把握した。
事は至極単純である――――弾き返されたのだ。
王儀でなくとも驚嘆するだろう、そんな事が可能なのか?と。
『楯』の主な用途は身を守る事。
相手の攻撃を正面から受け止める、受けずに往なす――――そして『弾く』である。
だが多くの者が勘違いするが『弾く』という行動は『受け止めた後押し返す』事ではない。
楯に相手の攻撃が触れた瞬間――――その刹那とも言える一瞬だけ自分と相手の攻防力が『拮抗』するのだ。
つまりその刹那の間だけ相手の攻撃がいかに重かろうと、圧倒的であろうと意味は無い。
その瞬間に受けた攻撃を任意の方向に叩くのである。
ある程度の差なら他の白狼天狗にも出来るが、王儀の巨人並みになると不可能だ。
椛の『眼』があって初めて可能となる荒技と言っていい。
だが攻撃を弾いた椛自身も流石に無傷ではいられず、砕けた楯の欠片が宙に舞う中全身に受けた衝撃に顔を歪めていた。
その様では追撃など不可能だろう――――そう椛には。
どんなに個体で力量を持とうと天狗は連携する。
単独で動く事の方が稀であり、最低でも二人一組で行動するのだ。
そして椛には専属の相棒がいる。
一陣の疾風が遥か彼方より翔け抜け、『神速』と言っても過言では無い速度で巨人の胸板へと蹴りを打ち込んでいた。
その蹴りは螺旋を描く暴風を纏っており、まるで風の螺旋槍と見間違うほどだ。
風を纏うのは鴉天狗の文――――この瞬間……王儀の周囲への警戒意識が逸れ懐が空く――――その好機を椛と王儀が戦闘を始めた時から伺っていたのだ。
難敵なのを見抜き確実な一手で仕留める、椛と文はそう無言のやり取り行い今の今迄待っていたのである。
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?』
王儀の雄叫びと螺旋槍の鑿岩音が二重奏の様に響き渡り、数瞬後――――石の巨人は粉微塵に粉砕される。
しかし文は違和感を感じていた。
何とも言えない手応えの無さがあるのだ。
警戒し周囲に視線を走らせた文の耳に椛からの警告と、それとは別の声が流れ込んで来たのはほぼ同時だった。
「文ッ!!上ですッ!!」
「やってくれたなッ!天狗ッ!!」
ほんの僅かに椛の警告が早かった事が幸いし、迫っていた王儀の一撃を文は何とか防御する事が出来たが、防ぎきれず地上目掛け叩き落とされる。
「ッ!?」
墜落寸前何とか体制を直した文は地面すれすれを滑るように疾駆し、再び空へと舞い戻ろうとした瞬間――――
「逃がさねぇぞッ!!」
すぐ背後に王儀が迫っていた。
文は襲い来る拳擊を寸前で躱し、持ちうる全力で空を翔る。
天狗本来の疾さに加え文が保有する『風を操る程度の能力』での補助により、『速度』の領域で彼女に対抗出来る者は居なかった――――居ないはずだった。
最高速度に達した文の速度に追随する形で王儀が迫って来る。
文は王儀を引き離す為に速度を落とす事無く戦場を縦横無尽に翔け回るが、彼との距離を開く事が出来ない。
引き離せないのなら、と文は振り向きざまに空を切る様に腕を一閃させる。
するとその動きに合わせ風が変則的な流れを生み、瞬時に三枚の風の刃と化した。
三様の軌道で王儀に向けて疾駆しする風刃――――だがその鋭利な兇刃は彼に触れる寸前紐解かれたかの様に霧散してしまう。
「なッ!?」
「くたばれぇェェェッ!!」
その状況に驚愕し動きが鈍った文に向け、疾風と化した王儀の拳が迫り、文は羽団扇を楯代わり構え更に風を前方に逆巻かせる事で防ごうとしたが――――
風の障壁はまるで綿毛の様に霧散し、文は王儀の放った一撃を直に受け止める形になった。
羽団扇で防げはしたが、その衝撃は重く文は打ち出された砲弾の如く吹き飛ばされる。
それでも何とか体制を直した文は、迫っていた王儀の第二擊を躱すと再び王儀との距離を取る為、最大速度で空を疾駆し王儀もそれを追う形で全力で飛ぶ。
神速の領域で行われている二人の勝負に他の者は手を出す事が出来ず…中には気付く事すら出来ない者も居た。
空中を翔けていた文が突如その高度を下げ、森林地帯へと飛び込んだ。
そして雑立する木々の間を正に縫うかの様に飛翔して行く。
確かに障害物が増えれば相手への撹乱になるだろう――――だが今回は相手が悪かった。
事もあろうに王儀は木々を避けもせず、粉砕しながら直進してくるのだ……速度を落とす事無く。
天狗と鬼の基本的身体能力の差が如実に現れる状況だろう。
文と王儀の距離は徐々に埋まり、王儀が腕を振りかぶり文に向け打ち下ろす――――
――――と、思われた瞬間、彼が弾かれたかの様に軌道を変え地面へと突っ込んでいた。
無理な軌道変更と強引な着地で全身に鈍い痛みが奔るが、それどころではなかった。
王儀が軌道を変える――――それとほぼ同時に彼が通過するはずだった空間の木々が、まるで鋭利な刃物で斬られたかの様に裁断されたのだ。
鬼としての本能的な直感が見えない奇襲から王儀を救っていた。
(何だッ!今何が飛んできたッ!)
近くあった巨木に背を預けながら、王儀は暗闇が広がる森へと視線を送り気配を探ろうとするが、何も見えず何も感じ取る事が出来ない。
そして再び王儀の直感に警鐘が鳴り響き、王儀は前方に身を投げ出す様に地面を転がる。
それとほぼ同時に王儀の首があった空間が巨木と共に斬り裂かれた。
止まっているのは危険だと、判断した王儀は暗い森を不規則に駆けて行くが、三擊目…四擊目…と、息つく暇も無く攻撃が放たれて来る。
逃げる王儀を混乱させているのは斬擊が見えない事以上に――――
(何でッ!何で俺の正確な位置が分かんだよッ!!)
そう……攻撃が的確過ぎるのだ。
妖怪は確かに夜目が利く、ある程度の暗闇ならば何の問題も無いだろう。
だが暗闇に加え障害物もある状況で見通せる訳がない。
そもそも王儀も夜目が利くのだが相手を視認出来ない――――つまり視認出来る距離には居ない、という事になる。
なら相手は気配で察知しているのか?
確かに気を探れば相手の大まかな位置は感知出来る――――だがそれはあくまで“大まかな場所”でしかない。
加えて王儀は既に妖気を抑え気配を絶っているのだ――――だというのに何故相手は彼の正確な位置を察知出来るのか?
『千里先まで見通す程度の能力』
椛が保有する能力。
千里眼とも呼ばれる力だが、これは複合能力の総称である。
・遠距離に視線を飛ばす「遠視」
・物体を見透かす「透視」
・空間の広さや距離を認識する「把握眼」
この三つを持って千里(約四千㎞)を見通せるのだ。加えてこの眼に暗闇は意味を持たず、幻覚等は効果が無い。
故に『視る』事において椛の右に出る者は居ない。
そして椛が文の専属の相棒の理由は、他の天狗では文の全速力に付いていけず連携が取れなかったが、椛だけは文の動きを眼で追い行動の把握が出来、尚且つ付き合いの長さから来る意思の疎通による連携行動が可能だったからだ。
文は無駄に王儀から逃げていた訳ではなく、椛が待ち構えていたこの場所に誘い込んだのだ。
そして千里眼を持つ椛にしてみれば、王儀から見て障害物だらけの暗闇等は見晴らしの良い平原と変わらなかった。
一方的な攻勢――――もはやこの状況の王儀は“まな板の上の鯉”と変わらない。
不利を悟った王儀は斬擊の脅威を承知で空中を目指し飛び上がる。
その行動を警戒していた椛の一撃が王儀に迫るが、その斬擊は彼の太股を掠めただけだった。
木々を抜け敵の脅威圏から脱した、と王儀が思った瞬時――――上空で待ち構えていた文が烈風の如き勢いで王儀に蹴りを打ち込み、再び地上へと叩き落とされる。
「ガァッ!……ッ!!」
墜落の衝撃に揺れる暗い森に盛大な爆煙が上がり、王儀の落下地点はまるで隕石でも降ってきたかの様な惨状となり、王儀は落下の衝撃での苦痛に顔を歪めた。
射落とされた獲物に猟犬が迫る様に――――地に這い蹲る王儀にも追撃が迫っていた。
椛の放った伸刃が彼の命を刈り取る為に暗闇の中を音も立てず疾駆し、闇色を血飛沫の赤で染める。
だが、その一撃は王儀の胸元を袈裟に斬り裂いていたが、身を固め防御を高めていた王儀の命を絶つまでには至らなかった。
命は繋いだが王儀の絶対的不利は変わっていない。
地上にいては椛の斬擊…空にあがれば文に叩き落とされる――――普通に考えれば詰んでおり、状況に絶望してもおかしくはない。
血が流れ落ちる傷口を手で押さえながら俯く王儀に椛はとどめの一撃を放つ。
獲物を射止めにかかる毒蛇の牙の如く暗闇を疾駆する白刃が迫る中、
「…………れねぇ……終われねぇ………こんな所でッ!!てめぇら相手に終わってられねぇぇんだよぉぉぉぉッ!?!?」
彼の雄叫びが轟き、森がざわつく。
それと同時に椛の刃は蠢く木々に阻まれ弾き返された。
「な、何ッ!?」
「!?!?」
突然の状況の変化した驚愕する椛と文の視線の先で、蛇群の様にざわめく木々は、まるで王儀に吸い寄せられるかの様に集まり巨大な人型へと変化した。
『ウォォォォォォォォォオッ!!』
天に向け雄叫びを上げる、十mを越える樹木の巨人。
王儀が持つのは『あらゆるものを纏う程度の能力』である。
岩や樹木等の物体であろうが火や風の様な現象であろうが、全てのものを鎧の如く纏う事が出来る。
岩石を纏えば強固に……風を纏えば迅速に……。
一度に一種しか纏う事が出来ないが、纏っている属性の他干渉を強制的に無力化する事が可能。
文の風刃や障壁が霧散した理由がそれである。
樹木の巨人は、先の岩の巨人と遜色ない巨体ではあるが岩の方に比べれば頑丈さは感じない。
ならばと、手数で畳み掛け一気に終わらせる――――文と椛は視線だけで意思の疎通を行い、行動に移すべく構えをとる。
そして二人が動き出そうとした、その時――――巨人の両肩が揺れた………文には揺れた様に見えた、否揺れた様にしか見えなかった。
次の瞬間――――文の全身を形容し難い衝撃が襲った。
「ッッ!ッぁがッ……」
突き抜ける様な衝撃は文の衣装の所々を引き裂き、体外体内共に大小様々傷を刻み、その傷の痛みで彼女の意識は急速に遠ざかり、地上に喚ばれるかの様に失墜して行く。
暗闇の森に墜落する寸前、自身にも放たれた王儀の攻撃を躱していた椛が、森を駆け抜けて文を抱き止めると木々の間を縫う様に走り去る。
「文ッ!確りしてください!…ッ!!」
文の意識を取り戻す為、声をかける椛だがその行為を途中で、止め抱えている文ごと受け身など考えず横方向に突っ込む様な勢いで飛び込んだ。
それとほぼ同時に先程まで彼女達が居た場所が、否居た場所から数m圏内が何かが爆発し破裂したかの様に吹き飛ばされる。
遅れてやってきた破裂音が森に染み込む様に響き渡る中、椛は再び走りだす。
文には……文にすら見えなかった王儀の攻撃だが椛には確りと見て取る事が出来たが、避けるだけで精一杯――――回避が間に合うだけでも幸運だった。
王儀が行っている攻撃は別に不可思議な動きをしている訳でもない、特殊な力で空間を操っている訳でもない――――速い、ただ純粋に……単純に速いだけ。
『鞭』と言う武器がある。
棒状の物に、先端に重りが付いた紐を取り付けた物。
元々は拷問用の道具であり、殺傷力という点では然程でもない。
ただ一つ他の武器に無い特徴をもっている。
それは、「人」が扱う武器で唯一“音速”を繰り出せるという点である。
紐が伸びきり、先端の重りを返す瞬間――――先端の速度は音速になり空気を弾き高い破裂音を響かせる。
人が扱ってそれなのである――――ならば「鬼」が同じ様な物を使えばどうなるか?
樹木の巨人は、自身の身の丈よりも長い腕を最小の動きだけで伸ばし攻撃を放っている。
護謨の様に撓る腕は、文字通り“目にも留まらぬ”速度に突入し対象の寸前で腕の先端を返す。
腕を対象にぶつけるよりも、攻撃の際に発生する衝撃波の方が破壊力を有するのだ。
物体が音速を超える際に最も脅威となるモノ、それは『空気』。
音速に突入する瞬間に空気が壁となって立ちはだかり、それを突き破った余波が衝撃波なのである。
だがその空気の壁の強度は鋼すら粉砕する程であり、大抵の物体や生物は粉微塵となるだろう。
文も音速の領域に突入する事が出来るが、それは能力により壁となる空気圧を最小限にしている為だ。
だが王儀の巨人にそんな真似は出来ない、故に樹木の巨人の腕は攻撃の度に粉砕され、原形を留めていなかった。
しかし、元々は周囲から掻き集めた物であり、粉砕した傍から瞬時に再構成されていく。
森全ての木々が無くならない限り王儀の攻撃は終わらないだろう。
だからこそ、それを理解した椛は無理に相対せず引いたのだ。
加えてあの巨体ならば射程外まで離れれば脅威にはならない、と判断した――――その判断は間違っていなかった。
椛の後方で突如、攻撃音とは別の衝撃音が轟いた。
何の音か確かめる為に後方に視線を送った椛の目に驚くべきモノが飛び込んでくる。
樹木の巨人が――――あの巨体が空を舞っていた。
先程の衝撃音は、恐らく跳躍の際に地面を蹴った音。
十mを越える巨体が勢い良く空を切り、獲物である椛達をその射程圏に捉える。
そして二本腕から破壊の鞭擊が放たれ、火山の噴火の如き音と衝撃を生み、木々も地面も吹き飛ばして巨大な大穴を穿っていた。
大穴の中心地に降り立った巨人の衝撃音が空間に響き渡る中、暗闇から月明かりを反射させながら白刃が伸び、巨人の胸元を斬り裂いた。
しかし威力が乗っていなかったのか、その一撃は中にいる王儀を傷付けるまでには至らない。
『……ホントにしぶてぇな、オイッ!!いい加減にくたばれッこの野郎ッ!!』
王儀の罵声が破壊地点の外、木々の間に立つ椛へと浴びせられる。
直撃は避けたものの、流石に無傷ではなく肌の彼方此方に裂傷が刻まれ、衣装の所々もボロボロになっていた。
だが椛の瞳の輝きは失われておらず、闘争心が見て取れる。
「……さっきからずっと言おうと思っていましたが―――私は女ですッ!野郎じゃありませんッ!!」
刀の切っ先を向けながら、そう叫ぶ椛に一瞬だけ王儀は毒気を抜かれかけたが――――
『…んな事知るかッ!この野郎ッ!!』
周囲から木々を集め腕を再構成させると、椛に向けて突撃しながら腕を振るう。
見えてはいても躱すのが精一杯の椛は、全神経を回避に回し逃げ続ける。
危機的状況に陥ると意識が研ぎ澄まされ感覚が鋭敏になる、と聞いた事があるだろう。
限界を超えた集中力が思考速度の上限を跳ね上げ、目に映る光景が時間を遅くしたかの様に見える現象だ。
王儀の傷も浅くは無く、加えて彼等にとって今行っている戦いは次の為の通過点に過ぎない。
故に「こんな所で終われない」と言う言葉の通り、目の前の相手に後れを取る訳にはいかず、その勝気が彼の感覚を鋭敏にし本人にも自覚できない程に力を充実させていた。
力も感覚も最高潮に達している王儀と相対するには傷を負った椛では分が悪すぎる――――そう“分が悪すぎる”のだ。
相対する事が最悪手――――ならば何故、彼女は態々王儀の前に立ったのか?
研ぎ澄まされた集中力は一点に対し驚異的な力を持つ――――だが“一点”に集中し過ぎる故に逆に周囲の事柄に意識を裂けない。
少しでも疑問に思うべきだった……椛が態々不利な状況で正面に立ったのか、を――――
王儀の一撃で発生した爆撃がついに椛を飲み込み、椛は地面を抉りながら十数m先まで吹き飛ばされる。
とどめを刺すつもりなのか、王儀は椛へと突撃しながら腕を振るおうとし――――
何の前触れも無く森を途轍もない衝撃が襲い、大地震とも思える程に大地を揺さぶった。
それと同時に巻き起こった百数十mにも及ぶ爆煙が月明かりの下で巻き起こり、一時的に月光を遮断して森の闇を濃くする。
そして煙が微風に流された後に姿を見せたのは――――大地に十字に走る巨大な……途轍もない力で抉り取られたかの様な巨大な亀裂であった。
破壊の爪跡を大地に刻んだモノの正体は、風の刃。
高空で紡ぎ上げられた暴風が、精錬されるかの如く鋭く…凶悪な程に鋭く研ぎ澄まされ、断頭台から落とされる刃の様に地上へと撃ち込まれたのだ。
大地にその破壊を穿った張本人である文は上空からその惨状に視線を落とす。
王儀の一撃が襲い掛かって来た、あの時――――文は意識を取り戻していた。
衝撃に晒される中で二人は互い取るべき行動と手段、役割を視線だけでやり取りし、行動に移していたのだ。
それはすでに“意思の疎通”等とは言えず、“伝心”の類だろう。
二人が取った行動は単純だ、椛が囮で文が仕留め役。
王儀の落ち度は、椛が抱えて逃げていた文を手放し自分の前に出てきた事を疑問に思わなかった事。
あの時に少しでも疑念を抱いていればこの事態は防げていたのかもしれない。
上空から見下ろす文の目が地上で動く影を捉える。
十字が刻まれた中央の亀裂の闇の中、全身に刻まれた傷から血を流し地に這い蹲っている王儀の姿が月明かりに照らし出される。
「嘘でしょッ!アレを喰らって生きてるの!」
文と時を同じくして王儀の姿を捉えた椛が驚愕の声を上げた。
流石に満身創痍で息も絶え絶えといった風体で、右腕は失われ大量の出血を起こしている。
しかし、それでも王儀は生を繋いでいるのだ。恐らく文が持ちうる最大火力の直撃を受けているというのに。
生きていたのは驚嘆だが、今なら楽にとどめを刺せるだろう、と文と椛はそれぞれ最後の一撃を放つ構えに入る。
そんな文の瞳に宿るのは憎悪の炎、王儀に対する恨みでは無い――――“鬼”という種族そのものに向けられた純然な殺意。
文にとって大切な者を奪ったのは鬼だ、“誰”か等は意味は無い、“鬼”と種族全てが敵なのだ。
個人によって『憎悪』という色は昏いものと捉えるだろう――――だが、もしかするとその色は何よりも深く美しい色なのかもしれない。
何故なら――――『憎悪』が強いと言う事は、逆を言えば『愛』が深いという意味なのだから。
ふと……文に視線を向けた椛は違和感を感じた。
手に風の螺旋を纏わせ、今まさに地上の王儀に断頭の刃を振り下ろそうとしている文の……足元の影に。
違和感の正体に気付いた椛は咄嗟に文に向け警告を発する――――おかしい筈である、空中に影が出来る訳が無いのだから。
「文ッ‼そこから離れてッ!早くっ!」
だが、椛の警告は僅かに遅かった。
文の足元の影が、溢れだす水の様に吹き上がり彼女に纏わり付いたのだ。
「ッ!くッ!このッ‼」
引き剥がそうとする文を嘲笑うかの様に影は彼女を絡め取り、その一部が人型へと変貌する。
「ケヒ!ケヒヒヒヒッ!オマエ、イイ色シテルナ~!ケヒヒ」
「…お前はッ!!」
文は自身の目と鼻の先に現れた、黒く昏い色をした鬼の少女、無有を見るなり目の色を変える。
当然だろう、彼女こそ文の大切な者を奪った張本人なのだから。
「ケヒヒ!オマエミタイナ奴ハ壊シガイガアル!アァオマエガ壊レル時ハドンナ色二ナルンダロウ?ケヒ、ケヒヒヒヒッ!」
無有はそんな言葉を吐くと同時に文と共に、時間を巻き戻すかの様に影へと消えていった。
後に残ったのは何も無い空間と、
「文ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
夜空に吸い込まれる様に響き渡る、椛の絶叫だけだった。
空中へと視線を向けていた椛に、突如何者かが襲い掛かるが、寸前で気付いた彼女は後方に大きく跳躍し襲撃者から距離を取る。
そして、その襲撃者に視線を向けた椛は驚愕した。そこに居たのは全身血だらけの王儀だったのだから。
「……ゴホッ、……何処見てやがるこの野郎…まだ、終わってねぇぞ…」
失われた右腕の傷を押さえ吐血した所を見ると、どうやら内臓にも相当な痛手を受けているのが分かる。
それでも王儀の瞳に宿る闘争心は衰えを見せていない。
そんな王儀の姿に、椛は多少畏敬の念を抱くがその思いはすぐに頭の片隅へと追いやられた。
「……文を何処にやったんですかッ!素直に答えれば楽に殺してあげますよッ!」
焦りからか苛立ち故か、語気が荒い椛の言葉に、
「知らねぇよッ!俺が知る訳ねぇだろうがッ!」
王儀も怒りを込めてそう返答する。
そもそも、王儀を始めとした鬼の衆は百鬼丸の事も、奴が連れて来た無有の事もよく知らないのだ。興味すら持っていなかったと言ってもいい。
椛は相手の真意を測る余裕は持っておらず、王儀もまた余裕がなかった。
「死ぬ前に文の居場所を喋ってもらいますッ!後、私は今非常に機嫌が悪いのでどうなっても知りませんからッ!!」
「あぁそうかよッ!奇遇だな、俺も今腹の虫の居所が悪ぃんだよッ!それにこれ以上、てめぇに構ってられねぇッ!いい加減にくたばれッ!」
互いが抱く怒りで、最早言葉は噛み合わず傷を負った獣達は己の目的の為に牙を剥け合った。
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