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SAO─戦士達の物語

作者:鳩麦
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MR編
  百四十二話 向き合う覚悟、失う覚悟

 
前書き
はい、どうもです!

今回は前回の続きから、ようやくMR編が一つの区切りに差し掛かろうとしています。

こんなペースではMR編を終えるだけでいつになるやら……更新速度を上げねばならないと思いつつ、なかなかかけない自分に嫌気がさす日々です(苦笑)

では、どうぞ!! 

 
「それで、母さんにはちゃんと連絡入れたのか?」
「えーっと、家のサーバーあてにメールで……」
「おいおい、それじゃ電話来ただろう?」
「いろいろあって、携帯をネットにつなぎっぱなしにしてたから」
「……なるほど」
なかなかやるな、などと小さく笑って車を運転するのは、明日奈の兄、結城浩一郎である。二人の父である彰三と同じ総合電機企業、レクトに務める浩一郎は、会社では技術開発部に所属し、社内での実績も着実に上げ始めている若手ホープ、まさしく母である京子が描く理想の我が子だということは、正月の親戚内の話合いで嫌と言うほど知っている。
そういう兄だから、なのだろうか……もちろん、それらの実績は兄自身の努力と研鑽のせいかなのであって、彼に何か非があるわけではないのだが……母の理想の権化のように思える彼を、明日奈は少しだけ苦手としていた。
理不尽だとわかってはいるのだが……

「最近、色々母さんとぶつかってるみたいだな」
「え?どうして……」
「母さん何も言わないけど、ちょっとご機嫌斜めなのは分かったしな……お前もここのとこ母さんと顔合わせたくないみたいだったから。まぁ、見てると自然と分かるよ」
「ぅ……ごめんなさい」
若干しりすぼみに、アスナは答えた。ユウキと話してから、今日の内に京子と話しておかなければと決意してはいる、いるが、兄の言葉に自分が家族に迷惑をかけているような気がして、言葉に詰まった。

「まぁ、俺は母さんとあまりぶつからないからあれだけど、話すなら上手くやるんだぞ。あの人、頑なになると聞いてくれないから」
「えっ?」
苦笑しながら言った兄の言葉をアスナは意外そうに聞き返した。

「…………」
「?どうした?」
「ううん、ただ、兄さんは母さんの味方だと思ってたから……」
彼の言う通り、母、京子と浩一郎が衝突しているところを明日奈はあまり見たことが無い。それ故、浩一郎の意見は京子と同じところを行くと思っていたのだが……

「味方も何もないだろう、そもそも、母さんとぶつからないのはあんまりあの人と論戦するのが疲れるからだしなぁ、ウチは女性陣が強いから」
「そうなん……ちょっとそれ私のことも入ってるの?」
「いやぁ、明日奈も相当だとおもうんだが……」
「私、母さんほど頑なじゃないし、厳しくありません!」
失礼な、と言った様子で拗ねたように言う明日奈に、朗らかに笑った浩一郎を見て、明日奈は自然と、穏やかな微笑を浮かべた。

「……なんか、兄さんとこんな風に話すの、久しぶり」
「……そうだな……」
彼女の言葉にどこか感慨深そうに返した浩一郎もまた、運転しながら遠くを見るような顔をする。最近ではあまり家に居つかなくなってしまった彼のこんな表情を見るのも、随分と久しいような気がした。
不意に。見つめていた横顔が少し悩むように目を細め、ややうつむきがちになる。どうしたのかと尋ねるより前に、浩一郎が口を開く。

「ほんとは、ずっと前から、こうしてお前と話したいとは思ってたんだけどな……」
「え……そうだったの?」
「うん」
うなづきながら車のハンドルを切る彼の顔には、自嘲に近い笑みが浮かんでいる。

「色々あったからな……家族としても、兄妹としてもちゃんと一から、お前に向き合うべきだとは、この一年何時も思ってた……それに……」
「……?」
そこで、詰まるように言葉を止めた浩一郎に、彼は少しだけ震え待機で深呼吸をする。

「やっぱり、改めて謝るべきだと思ってたからな……」
「え……?」
「……お前があの事件に巻き込まれたこと……」
「あっ」
そこまで言われて、明日奈はようやく浩一郎が何を言わんとしているのかを察した。明日奈がSAOにとらわれることになった最初のきっかけは、出張によって最初のログイン日にSAOをプレイできなくなった浩一郎のナーヴギアを、興味本位でつけて起動したことがきっかけだった。その結果、ログインしたSAOから脱出できなくなり、二年以上も野時を、明日奈はVRワールドで過ごすことになったのだ。

「……お前がSAOにいる間、ずっと、毎日が怖かったよ……自分の所為で妹が死んだらどうしようって思ってな……毎日、毎日病院でお前が冷たくなってたらどうしようって考えて、それを忘れるために病院に行きもしないで仕事に没頭して……薄情な兄貴だと思ってるだろう?」
「兄さん……」
誰よりも自分を責めるように言った浩一郎の言葉に、明日奈は首を横に振った。それは本心からの言葉だ。

「そんなことない。目が覚めた日、お父さんたちより早く病院にきてくれたのは兄さんだったじゃない……あの時の兄さんの顔、まだ覚えてるよ……凄く心配そうにしてくれて、嬉しそうに泣いてくれて、抱き締めてくれて……私、凄く嬉しかったんだから……」
「……すまない」
浩一郎自身、この謝罪が今更意味のない事であることは理解していた。
そもそも、言い出す必要すらほとんどないこの謝罪を出したのは、自分の中の罪悪感を少しでも和らげたいが故なのかもしれない。明日奈から赦しを得ることで、その感情を少しでも紛らわせるための打算的な謝罪……そんな風に自分を責め続けていたせいか、明日奈の次の一言を、彼は思わず聞き返していた。

「それに……感謝もしてるよ」
「えっ?」
「SAO(あの世界)で過ごした時間……私は、無駄だったとか、意味がなかったとか、自分の人生を狂わせたなんて、全然思ってないもの。むしろ……兄さんはきっかけをくれたの。私に自分で選ぶ、自分の人生を歩くってことの意味に気が付くきっかけをくれて、大好きな人に合わせてくれた世界への切符をくれた……」
「明日奈……」
「あの世界の時間があったから、私、今私として生き方を選ほうとしてる。結城京子の娘としてじゃなくて、結城明日奈としての、私の生き方を……やっと、ちゃんと選べそうなの……だから、ありがとう、兄さん……私に、切符をくれて」
あの世界で《閃光》と呼ばれた、その彼女と同じ、強い意志を持つ瞳で、明日奈は浩一郎を見ていた。いつの間にか家の前につき、ゆっくりとスピードを落として止まった車の中で、明日奈は浩一郎と目を合わせる。
やがて彼はくしゃっと笑みを浮かべると、困ったように言った。

「……お前は昔から強い強いと思ってたけど……いつの間にか、ホントに強くなったな」
「そう……かな?」
「うん……今なら、母さんにもきっとお前の言葉が届く、そう思わせてくれるよ……俺は、少ししてから家に帰ろう……その間に、一対一で話してくると良い」
「あ……うんっ」
あえて家の中を二人だけにすることで話し合う場を作ってくれる。その行動に背を押されていることを感じて、明日奈は強くうなづいた。

「後悔しないように……伝えたいことは、全部ぶつけてくるんだ……言い方は悪いけど、明日母さんと話せなくなっても、後悔しないくらいの覚悟で、な」
「明日……」
兄にしては珍しい物言いに、明日奈はその言葉を心の中で反芻する。

「俺の最近の持論なんだ。今目の前にいる人が、明日いなくなるかもしれない、だからそれぐらいの失う覚悟で持って、人と後悔しないように接する……まあ、まだまだなんだけどな」
「失う……覚悟」
「お前との会話もおそくなったし」といって苦笑する兄に、けれど真剣にもう一つうなづいて、明日菜は車を降りる。

「……頑張れよ、明日奈」
「うん、ありがとう兄さ……」
と、そこで少しだけ言葉が止まる。久しぶりに親しく、いや、今後はもっと親しく話せるだろう兄に、ちょっとしたサプライズを思いついた。

「?どうした?」
「ううん、なんでも。ありがと、“お兄ちゃん”っ」
「!?か、からかうな!!」
普段全く呼ばれ慣れない呼称を使われて、真っ赤になった浩一郎が怒鳴り返す。そんな姿にどこか自分に近いものを感じて、明日奈は自分でやっておいて感じた気恥ずかしさに頬を染めつつも微笑みながら、母の居る家へと歩き出した。

────

「お前、刺し身切るのなんでそう絶妙に下手なんだ?」
「う、うるさいなぁ……」
呆れたように言った涼人に、拗ねたように直葉が返した。今夜の夕飯はサーモンの刺し身がメインなのだが、すぐははこういった魚介類や肉に対する刃物の入れ方がいまいち上手くない。今日も練習と称して切ってもらっているが、切り口は綺麗なのに、なぜか大きさが不ぞろいになる。

「お前は何つーか、こう、一定間隔で切るだけなんだがなぁ……」
「あーもう、気が散るから!お兄ちゃん呼んできて!」
「はいはい、手だけは切るなよ~」
「切らないもん!」
癇癪を起したように喚く従妹に苦笑しながら、涼人はリビングの方へと向かう。リビングでは和人がパソコンを相手にウンウンと唸っていた。

「うーん……」
「何してんだよ、カズさん」
「ん?あぁ、飯出来た?」
「うんにゃ、まだスグが刺し身に苦戦中」
「そこは相変わらずか」
苦笑してパソコンに視線を戻す和人は、隣に座る涼人にパソコンの画面を見せる。

「こいつは……」
「今日の、ユウキさんに渡したプロープから得られたデータ。最適化の具合が見たくて、その辺りのデータだけ明日奈達にも了解取って収集させてもらったんだ」
「……なるほど」
頤を一つ掻いて、涼人はデータを見回していく。手を顎に当てて親指で下頬お掻くと、涼人は片をすくめた。

「今日一日にしちゃ、稼働時間が長いな」
「放課後も動きまわってたんだろうな、けどお陰で学習性能の具合も良いデータが取れたよ、今日1日はラグる心配もしてたんだけどそれも殆ど無かったし……正直、兄貴には完敗だ、このプログラムは、俺じゃ組めない」
「あたぼうよ」
気を良くしたようにニヤリと笑って、涼人はデータを閉じた。

「元々、ユイ坊のためにって組んだんだからな、これぐらいはやるさな」
「叔父バカかよ」
「親バカのお前に言われたくねえよ」
カラカラと笑いあってそんな話をする二人は、共同で作った作品が役立つ事を純粋に喜んでいた。ただ……

「まあ、なんだな」
そう思いつつも、涼人の表情にどこか陰がある事も、和人は敏感に感じ取っていたが。

「んな叔父バカ親バカで作ったもんが、こういう役立ち方すんだから……全く、わかんねえもんだ」
「だな……」、
イイながら、和人はカタカタとキーボードを操作し始める。その姿を眺めながら、和人はふと涼人に聞いた。

「なぁ、兄貴」
「んー?」
「……明日奈となにかあったか?やっぱり」
「……俺、そんな顔に出る達じゃなかったと思うんだがな……」
若干自信を無くしたといわんばかりに、涼人がこめかみを抑えて軽く頭を垂れた。これを言われるのは今日だけですでに二度目だ、昨日の今日でこれである。どれだけわかりやすく情けない顔をしているというのか、後で鏡を見てみたくなる、いや、あるいは見たくないのかも。

「っはは……まぁ、俺も今まで兄貴の事が顔見てわかったこととか、そんなに無いけどさ……けど、今のはな、明日奈も機能兄貴と出かけてたはずなのに、兄貴の話題避けてるみたいだったし、な」
「あー、……腑抜けたのかねぇ」
SAOに居た頃の自分は、心情を表に出すようなことはしなかったはずだ。誰が敵で誰が味方かわからない、場合によっては命すら係わるあの世界では、表情を無暗に表に出して、良いことなど無かったからだ。一年間ともう半年近い現実世界での生活の中で、気が緩み始めているのか……あるいは単に、感情の制御がへたくそになっただけか……どちらかはわからなかったが、涼人個人としてはあまり感情を他人に読み取られて気持ちの良いものではない、余計なことまで察されてしまうのは、勘弁願いたかった。

「……こういうこと言うのはあれだけどさ……いいんじゃないか別に、腑抜けたって」
「あん?」
「少なくともこういうことではさ、一緒に暮らしてて様子がおかしいって気が付くとか、そんな当たり前のことにまで気を張ることないと思うんだよな……」
「それくらい……わかっちゃ居るつもりなんだがな……」
ここはSAOではない、世界的にも治安が良いことで有名な国家、日本だ。明日、明後日命を落とすかもしれなかった、あの世界とは何もかもが違う。
だが、涼人や和人はあの二年間をずっとそう言う環境で生きてきたのだ、そして同時に、現実世界(こちら)に帰ってきてすら、時折顔をのぞかせるそういう環境と戦ってきた。つい最近にすら、死銃事件(あんなこと)があったし、今回だって、人の命がかかわっている。

「そういう基準で、物事の危うさとか、怖さとか、そういうことを考える兄貴が間違ってるって言うつもりはないさ……いや、言えないんだ。兄貴がアスナと何を話したのかは、俺にもなんとなくわかるし、それは俺が、どこかで、“そういう基準”で物事を考えてるからだから」
「…………」
「だから、申し訳ないとも思ってる、ホントなら、兄貴の言葉は俺がアスナに伝えるべきだったんだろうと思うからさ……」
少しくらい声音でそんなことを言う和人に、涼人は肩をすくめる

「嫁さん想いのお前じゃ無理だと思うがな、それに俺は俺が思ったこと言っただけだ、少なくとも、そこに後悔してるわけじゃねぇ……」
「なら、兄貴が悩んでるのはどこなんだ?」
少し面白がるようなその言葉に、涼人は苦虫をかみつぶしたような、微妙な表情をした。きっと和人には、答えが分かっているのだ。

「……言い方とか、タイミングとか、色々間が悪かったっつーか……つまり、なんだ……」
「明日奈の気持ちに無頓着過ぎた」
「……ちっ、分かってんなら一々言わせんじゃねぇよ」
めんどくせぇ奴だな、などと言って、頭を掻く彼を見て、和人は苦笑した。

「嫁さん想いの、なんていうけど……兄貴だって大概だと思うぞ、この義妹想い……「うるっせぇ」いてっ」
ごすっ、と頭を小突かれて、言葉を強制的に切らされた和人は不服そうにしたが、すぐに思いついたようにその顔をニヤッとした笑顔に変えた。

「照れてるのか?」
「はっはっは、減らねぇ口だなぁオイ」
顔をひきつらせながらにじみ出る不満と笑顔を和人にぶつけて、涼人は憮然とした態度に戻る。

「けど、それなら、すぐに仲直りできるんじゃないか……?」
「……どうだろうな」
すぐに難しい顔になった涼人が、抑揚のない言葉で答える。

「言ったろ、俺は自分が間違ってると思っちゃ居ねぇんだ……主張は変わらん。“その覚悟”がねぇなら……彼奴は、あの嬢ちゃんと付き合うべきじゃねぇんだよ……けどそこだけは何時言った所で、どうあがいても彼奴の気持ちとぶつかっちまう……まして、彼奴の気持ちに同調してやれねぇ俺が正論ぶって言った所で、彼奴には響かねぇだろうさ……」
「兄貴……」
「結局んとこ、最後まで何もできんかもしれねぇ、な……身から出た錆って奴だ」
自嘲するように笑ってそう言った涼人はしかし、瞳に強い意志を感じさせる光を宿している。どうしても、そこだけは曲げるつもりがないのだろう。その表情に、和人は困ったように、頬を掻いた。


────


「……奇妙な物ね」
普段の自分と比べても、明らかにハリのある肌にどこか複雑な感情を抱きながら結城京子は掌を握り開きを繰り返す。論文をまとめている中、メール一つで門限をないがしろにした娘が帰ってきて早々言い出したことは、端的に言えば「話を聞いてほしい」という内容の言葉であった。ただし、京子自身が現代社会の技術に置いて最も忌むべきものとして嫌う、VRワールドの中でだ。
なにも京子とて頭ごなしにVR技術を否定しようというわけではない。そうであるなら、とうの昔に娘に自分の命を奪おうとした機械の類を再度使わせることなど辞めさせている。夫の会社にもこの技術は莫大な利益を上げているし、この技術によって、世界には新たな一つの市場が出来上がり、その経済効果、伸びしろは計り知れない。そう、これは間違いなく、人類の技術の段階を一歩進めた技術だ、問答無用に否定などできようはずもない。
だがそれと、京子の個人的な感情は話が別だ……彼女は今でも時折、「あの日」のことを夢に見ることがある。
職場で見たニュースに自分の息子が買っていたものと同じ機会が移り、ゲームがどうの脱出がどうのと騒ぎ、そのゲームの名前を息子の口からきいたような気がして、彼が出張で安全だと分かっているにもかかわらず、猛烈に嫌な予感を感じて舞い戻った息子の部屋で自分の娘が件の機会を頭につけたまま眠るように座りこんでいた姿を見たときの衝撃と、何をしても目を覚まさない彼女に感じた足元に穴が開くような絶望感。そして無理矢理機会を外そうと伸ばした手が寸でのところで夫に止められたとき聞いた、久しく聞いていなかった自分の泣き声も。
その時の絶望が、胸の奥底にこびりついて剥がれない。

「(……寄りにもよって)」
こんな場所で、彼女の将来について、彼女の話を聞かねばならないとは……そんな嫌な感慨にふけりながら、彼女は背筋を伸ばして首を振った。

「……?」
その拍子に、なんだか、妙に身体が軽いなと感じた、その時である。不意に後方から、シュンッと高い音がして振り向く、するとそこには、髪を水色に染め、青を基調とする服を身にまとった娘が立っていた。普段ならその髪の色を真っ先に詰問するところだが、なるほど、つまるところこれがこの世界における「明日奈」なのだろう。
目の前に立つ自分をどこか感慨深そうな目で見る彼女に(仮想空間なのに感情まで読み取れてしまうあたりが、なんとも違和感をぬぐえないところだったが)彼女は眉をひそめていった。

「なんだか、おかしな物ね、知らない顔が自分の思い通りに動くなんて……それに、なんだか変に身体が軽いわ」
つま先を使って体を上下させながら素直な印象を口にする。こういうあたりはやはり、仮想故の誤差というものか、などと考えていると。

「それはそうよ、そのアバターの体感重量は40キロそこそこだもの、現実とはずいぶん違うはずよ?」
娘がこんなことを言うので、若干カチンと来た。

「失礼ね、私はそんなに重くありませんよ」
確かに最近体重計に乗っていないのは認めなければならないだろうが、それでも40キロトは言わずまでもそこまで逸脱するほどの体重はない。……はずだ。

「──そう言えば、貴女は現実と同じ顔なのね」
「うん……まあね」
自分の返しに意外そうに答える娘を真顔で見つめながら、しかし京子はささやかな反撃に転じる。

「でも、少し本物の方が輪郭がふっくらしてるわね」
「なっ、母さんこそ失礼だわ!本物と全くいっしょです!」
自分と同じくムッとしたように言い返してくる……自分でも、こんな風に娘と軽口をたたくのが珍しいことは自覚していた。現実で彼女に甘い顔を見せたことや、必要と感じない会話を交わしたことなどほとんどないからだ。……ただ、これはこれで悪くない、以外にもそんな風に思っている自分がいることに気が付いて、しかし彼女は慌てて気を引き締めた。自分はここに、他愛の無いおしゃべりをしに来たのではない。

「……さ、もう時間がないわよ、見せたい物って、何なの」
この世界に来るのにも、五分だけ、という制約をつけたうえで来ているのだ、娘にしても、これ以上雑談に興じている時間はないはずだ。

「……こっちにきて」
歩き出した娘が京子を案内した先にあったのは、建物の奥まったところにある、小さな小部屋だった。彼女狭い部屋のさらに奥にある小窓を指すと、その向こうを見てほしいというかのように窓を開けた。

「…………?」
仮想の冷気が身を切るように肌を撫でるのを感じながら、娘の意図が分からないまま京子はその小窓の向こうを覗き込む。窓の向こうに見えたのは草の長い裏庭と、小さな小川、そして縞模様のように立ち並ぶ針葉樹の森が見えた。降り続く雪の中、寒々しいというのがまさしくふさわしい光景に、京子はますます疑問を募らせる。

「……どう?似てると思わない?」
何かを期待するような娘の声、しかし相変わらず何を意図しているのかさっぱりわからない京子は、顔をしかめていよいよ首を振った。

「はぁ……何が似てるいうの?ただのつまらない杉林じゃな──……」
唐突に、気付いた。確かに、目の前に広がっているのは、ただ雪が降り積もるだけの針葉樹林、杉林だ。だが……どういうわけか、確信があった、そう、ちょうど娘が言う通り、似ている──……私は、この光景を知っている。

「ね?思い出すでしょう……お爺ちゃんと、おばあちゃんの家を」
京子の実家、つまり、明日奈の祖父母の家は、宮城県のとある山間の集落のなかにあった。
峡谷部分を切り抜いて作ったような小さな集落の中、機会化もできないような段々畑に一家が一年で食べ終えてしまうような少ない量の米を細々と作って暮らすようなその村の中で育った京子は、自らの実家が本来、子を大学まで進学させるような余裕のある家庭では無い事は重々分かっていた。進学出来たのは、運良く実家の所有する土地に、先祖由来の杉林中心とする山林があったからで、それをしても、入学したのが国立で無ければ進学は諦めざるを得なかっただろう。
だから、というわけでは無い、いや、あるいそれ故なのかも知れなかったが、京子は自らの実家に、一定以上の感謝と敬意を持っていた。そう、自分では思っている。
ただ、それと同時に京子の実家に対する感情の中には、一抹、複雑な所があったのも事実だ。……一体何時からだっただろうか?夫の実家に行くたびに、自らの家柄を気にするようになっている自分自身に気がついたのは。
夫はそのような事柄を気にするような人物では無かったし、結城本家の義母も家柄よりも京子の能力を評価してくれる人物であったため、入籍の時は気にはならなかったが……少なからず、結城家の親戚たちの視線の中には、彼女の実家に対する侮蔑と、彼女の能力に対するやっかみの感情があった。その空気に当てられた、とは思いたくない、しかしおそらくはそうだったのだろう。徐々に京子は、自らの実家を恥と、そして自らの人生の汚点のように感じ始めるようになってしまっていた。

そう言えば、明日奈は昔から、京都の結城本家よりもあの家に行く方が好きだったな、と、京子はぼんやりとそんなことを思い出す。自分も両親もいつもいつも杉林をじっと見つめていた娘を見ながら、何が面白くてそんなにも熱心に単なる林を見つめるのかと首を傾げていたものだったが、そう言いながらも、京子は心のどこかで明日奈の気持ちをどことなく理解できるような気がしている自分がいることを自覚していた。別段、なんということがあるわけではない、ただ、雪の降り積もる家の前の杉林を見ていると、なんとなく、不思議な感慨と、湖面のように落ち着いた気持ちが胸を満たすのだ。京子自身、気持ちが書き乱されたとき、あの景色を見つめてゆっくりと冷静になっていく、そんな経験が何度となくあった。幼い明日奈が感じていたのがそれと同質のものだったのかはともかくとして、そんな不思議な魅力のようなものが、あの杉林にはあった。
勿論、京子にとっての光景ははるか過去のものだ。自分は少なくともあの光景と日々に戻りたいと思ったことはない、自分自身の今の姿をそれなりに気に行っているし、あの村での日々は今の彼女からすれば、停滞と退屈以外の何物でもないからだ。ただ、それでも、この景色は自分の……

「私が、中一の時のお盆の事、覚えてる?父さんと母さん、それに、兄さんは京都に行っちゃったけど、私はどうしても宮城に行きたいって言って、ホントに一人で行っちゃったときの事……」
「……覚えてるわ」
まだ六年もたっていない話だ、あれだけの衝撃であれば、当然よく覚えている。
迎えに行った仙台駅で、満面の笑みを浮かべる両親と共にのんきに駅弁を選ぶ明日奈を見て毒気を抜かれてしまい、用意しておいた叱り文句が霧散してしまったことまで、覚えているのだから、自分の中でもかなり印象の強い記憶だといえるだろう。

「あの時ね、私、お爺ちゃんとおばあちゃんに謝ったの、お母さんがお墓参りに来れなくてごめんなさい。って……」
「あの時は、結城の本家でどうしても出なきゃいけない法事があったから……」
「ううん、責めてるわけじゃないの」
反射的に言い訳をするようにそんなことを口走った京子に、慌てたように明日奈は言った。

「だって、お爺ちゃんたち、私が謝ったら茶箪笥の中から分厚いアルバムを持ってきてね?中見て、びっくりしちゃった。……お母さんの最初の論文から始まって、いろんな雑誌に寄稿した文章とか、インタビュー記事、パソコンなんて二人とも分からなかったはずなのに、ネットの記事までプリントして、全部ファイリングされてたの……」
「…………」
「お爺ちゃん言ってたわ、母さんは、自分達の大切な宝物なんだ、って。村から大学に進んで学者になって、雑誌に沢山寄稿して、どんどん立派になるのが凄く嬉しいんだ、って。論文や学会で忙しいんだから、お盆に帰れなくても当たり前だし、それを不満に思ったことは、……一度もない、って……」
頭の中に、ふと、少し以前の記憶がのぞいていたような気がした。いつからか帰ることを遠のけたい気持ちが生まれ始めていた実家にそれでも帰ったとき、両親はそんな京子の気持ちを知ってか知らずか、いつも同じように、まるで何の不満もないといわんばかりに「おかえり」を言ってくれた記憶……

「その後お爺ちゃん、こういってた。──でも、母さんもいつかは疲れて、立ち止まりたくなる時が来るかもしれない。後ろを振り返って、自分の歩いてきた道を確かめたくなる、そんな日が来るかもしれない。その時、支えが欲しくなった母さんに、還ってこれる場所があるんだよ、っていうために、自分達はこの家と、山を守り続けて行くんだよ。って……」
目の前の杉林が、何も知らずにの山を駆け回っていた時、人のほとんどいない通学路を歩いていき帰りをしていた時、この村の外へ、外へと思いを募らせていた時、そして、何度となくあの縁側に座りこんでは何も考えずに、眺め続けていた時の杉林と、ぶれるように重なっていた。

「──私、あの時お爺ちゃんの言ってたこと、意味が全部はわからなかった。でもね、最近になってやっと、分かってきた気がするんだ。自分の為に走り続けるだけじゃなくて……誰かの幸せを、自分の幸せだって思える、そんな生き方もあるんだって……」
自分の意志がどこか遠くにあるような、そんな感覚を感じながら、京子は明日奈の言葉を聞いていた。心の堅い殻が少しずつ剥がれているように、彼女の言葉の本質を聞いている。

「私……周りの人たちみんなを笑顔に出来るような……そんな生き方をしたい。疲れた大切な人のことを、癒して、支えてあげられるような、そんな生き方がしたい──だから、そのために今は、大好きなあの学校で、勉強やいろいろな事を頑張りたいの」
……表情を変えることなく、京子は目の前の森を見つめ続けていた。そのままで、どのくらいの時が過ぎたのだろう。
不意に、森の中を白い影が二つ走り抜けた。ウサギのようなその生き物は、じゃれるように転げながら跳ねて数瞬の後、視界から消える。ほんの刹那のその光景が、京子の胸の深い部分に焼き付いた。

もう何年も前の冬の日、初めて自分が村を出て、大学に進みたいといったあの日。きっと強く反対するだろうと思っていた京子が用意していた反論は、小さく笑った父の首肯一つによって、全て霧散してしまった。
驚いたように聞き返した自分に、父は、窓の外の雪に包まれた杉林に走りまわる二匹の野兎を見ながら、こういったのだ。

『お前が本気なら、私達は止めはしないよ……自分の可能性を、試してきなさい』
『絶対……、反対すると思ってた』
『はは……でもな、京子』
『?』
『もし、どうしようもなく辛くなったら、心が折れそうになったら、その時は、何時でも帰ってきなさい、私達は、ここで待っているから』
『……ありえないわよ、私が自分で選ぶんだから、後悔なんてしないわ』
『ははっ、そうだな。お前は強い子だ』
『ちょ、やめてよ子供じゃあるまいし……!』
そう言って頭を撫でてくれたのが、父が自分の頭を撫でた最後だった。四年前に息を引き取るときに至るまで、そんな機会はなかったし、自分も子供ではなくなっていたから。
けれどそんな記憶にある父の手の大きさと硬さ、暖かさが、今の京子の脳裏に強く響くのを自覚した。感じた暖かさが、胸へと届き、それが苦しいほどの何かとなって体の中で大きくなっていく。

それでも、結城京子はそれを抑える術を知っていた。これまでの人生を歩む中で、何度そんな風に嗚咽を漏らしたくなっても、それを押し殺し、耐え抜き、自分を強くしてきたのだ。だから……

「────」
「……っ」
そう、そうしていつものようにその気持ちを抑えようとしたから……明日奈が息を漏らすその瞬間まで、自分が涙を流していることに気が付くことが出来なかった。

「ちょっと、なによ、これ……私は別に、泣いてなんか……」
慌てて頬をぬぐうが、涙は止まる気配を見せない、今まで自分の意思でいくらでも抑え込めていたはずの(よわさ)が、寄りにもよって娘の前で、いくつもの滴となって零れ落ちて行く。

「……母さん、この世界では、涙は隠せないのよ、泣きたくなったら……誰も我慢できないの」
「不便なところね……っ」
明日奈の言葉に吐き捨てるように言って、そうして数秒の後、耐え切れずに、目をこするのをやめて顔を覆い、嗚咽が漏れ始めた。

────

翌朝。兄である浩一郎と珍しく一緒に食卓に着いた明日奈はいつもより覇気のある声であいさつをしてきた。浩一郎の声にもいつもよりハリがあり、どうやらこの二人の間にあったわだかまりが解けたようだった。

食事が終わり、京子は先に浩一郎が席を立つのを待って明日奈を見た。一瞬だけ浩一郎は二人に向けて振り返ったが、何も言うことなくただ明日奈に微笑みかけて食堂を後にする。どこか恐れるような、けれど強い意志の気配を感じさせるその瞳を真っすぐに見つめながら、京子は一言問うた。

「貴女には、誰かを一生支えて行くだけの覚悟があるのね?」
一瞬呆けたように固まった明日菜は、その後慌てたようにうなづいた。

「う、うん」
「そう……でも、誰かを支えるためには、まず自分が強くなければ駄目なのよ。だから、大学にはきちんと行きなさい。そのためにも、三学期は今まで以上の成績を取ることね
「えっ……?……母さん、じゃあ……転校は……」
「言ったでしょう。成績次第よ」
それだけ言って立ち上がり、京子は食堂を出ていく。最後に一言。

「頑張るのね」
とだけ、一言を残して。少し足早になってしまったのは、急いでいるからだ。

「…………」
廊下にでて、直後に少しだけ嘆息する。自分の書斎に戻り資料を取り出し終えると、ふと机の上に目が行った。昨日あの後、何となしに出した自分の経った一冊だけのこったアルバムに挟んであった両親との写真。それを写真立てに居れたものが、そこにはある。こういう物は正直あまり趣味ではなかったのだが……それでも今は、ちゃんと置いておこうと思えた。
結城京子という人間の、原点を覚えておくためにも、そして……自分とは違う生き方を見つけ出した、娘の明日を、見守っていてもらうためにも。

「……ありがとう、父さん、母さん」
殆ど他人に見せない笑顔を浮かべて、京子は部屋を出た。

────

「そっか、よかったな」
「うん、あの、兄さん」
「ん?」
「ありがとう……」
浩一郎に向けて礼をした彼女を見て、玄関から出た浩一郎は少し困ったように頬を掻いた。

「礼を言われるようなことは何もないさ。明日奈は明日奈の手に入れたもので、母さんに気持ちを伝えたんだ。俺は何もしてない」
「……でも……」
「それよりも、学校の友達にちゃんと事のいきさつを伝えてやるといい、ほら、早くいかないと、電車が出るだろ?」
笑って言った浩一郎の言葉に、明日奈の頭の中にキリトやユウキ、リズやシリカ、サチの顔が次々に思い浮かぶ。そして最後に……

「……ねぇ、兄さん」
「ん?」
車に乗ろうとしていた兄を呼び止めて、明日奈は少しだけ神妙な面持ちで胸の前に手を握った。

「昨日言ってた……失う覚悟、って話だけど」
「……?あぁ」
「……あれって、もし本当に目の前に明日死ぬかもしれない人がいるなら、どうしたらいいと思う……?」
唐突な問いだったと思う、朝の出がけにするような話ではないとも、思った。けれど、問わずにいられなかった。何故なら昨日聞いた兄の言う覚悟はきっと、“涼人が言っていたもの”と近いような気がしたから。
幸いにも、というべきか、浩一郎は明日奈の言葉を聞き流すでもなく跳ねのけるでもなく、至極真剣に受け止めてくれた。

「……そう言う人に、心あたりが?」
「それは…………」
そうだと、いうことはできなかった。けれどその答えに沈黙を選んだ時点で、それは肯定しているのと同じことだ。

「……勿論、絶対に持つべきだ、とは言わないよ。そういう人の前なら特に、そんな事を考えたくも無い物だろうからな。……けど……」
「……けど?」
「……もし明日奈の知り合いに“そういう人”がいるんだとしたら、俺はその覚悟を、持っていてほしいと思うだろうな……」
「……それは、どうして?」
「それは……」
首を傾げた明日奈に、浩一郎は自嘲するような、あるいは言いにくいような表情で頬を掻いた。

「大事な妹に、傷付いてほしくないからさ」

────

表門を出て、振り返る。
昨日まであんなにも嫌だった自宅の外見を、今はそれほど嫌悪感なく見ることができるようになっていた。
自分の中にあった障害の一つは、大切な友人と、兄や祖母、祖父のおかげで乗り越えることが出来た。だが、まだ明日奈の中にある問題が全て解決したわけではない。次は、すっかり苦手心が出始めてしまった、あの青年と、そして、自らの親友と向き合わねばならないのだ。

「……行ってきますっ」
決意を新たにするように、一つ自宅に言って、明日奈は小走りに駆けだした。



First story 《旅路の始まり》 完
 
 

 
後書き
はい!いかがだったでしょうか。

これにて、MR編の第一編目が終了となります。
いくつかの問題は二編に持ち越しですね。

今回はMR編終盤の明日奈と京子のシーンを、京子の視点で語らせていただきました。
何故京子の視点かといえば、正直なところこのシーンで出す明日奈の結論にはあまり原作と変かはないため、少し文章としての差別化を図りたいと感じたからです。
そのため、原作では読み取りにくかった京子の視点を織り込んで、親子で続いていく視点の違いを原作と合わせて共有していただければなと思いました。

さて、次回からは第二編、個人的には「バーベキュー編」と題しております所に入っていきます。
アスナとリョウ、サチを取り巻く問題はまだ解決したとは言えませんし、そこも含めて、ご期待いただきたく存じます。

ではっ! 
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