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お寺の怪

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1部分:第一章


第一章

                    お寺の怪
 タイ王国。ここは言わずと知れた仏教の国だ。 
 国王は仏教徒でなければならずかつ全ての宗教を保護しなければならない、こうした法律まである。タイはまず仏教がある国家なのだ。
 そのバンコクで今話題になっていることがある。それは極めて奇怪な話であった。
「お寺からか」
「ああ、そうなんだ」
 バンコク市民達は集まれば顔を顰めさせてこう囁き合うようになっていた。何の話をしているかといえばこれが幽霊のことなのだ。
「見た奴がいるらしい」
「やっぱり出るのか」
「ああ、何でも髪を振り乱した女の霊らしい」
 幽霊では何処の国でもよく出る種類のものだと言えるだろうか。それはどうやらタイでも同じらしい。
「凄く奇麗だけれど蒼ざめた顔でな」
「寺の中にいるのか」
「何か探しているらしい」
 そういう話になっていた。
「心中した相手か何かをな」
「その女は心中したのか」
「そうらしいな」
 話は勝手にそうなる。こうした話というものは作り話が作り話を生み出していく。今回もそれは同じであった。
「それで相手の男を探してな」
「おっかない話だな、おい」
「だから怖いんだよ。姿を見たらそのまま寺まで引き擦り込まれて肝を食われるらしい」
 こんな話になっていた。またある噂では若い女ではなく高位の僧侶の話になっていた。
「昔バンコクにいた偉いお坊様がな」
「ああ」
「成仏されて御仏になられたんだ」
「それなのか?」
「そういう話だ」
 こういう話にもなっているのだった。
「それで毎日あの寺の中で念仏を唱えてタイの安泰を願っているらしい」
「我が国のか」
「陛下のことも王室のこともな」
 タイでは王室は絶対の存在だ。国王なくしてタイはないと言っても過言ではない。
「祈願しつつ念仏を唱えているらしい」
「そういえばあの寺は」
「どうしたのだ?」
「かつては名のある寺だったそうだな」
 こういう話にもなっているのだった。ある時は魔物がいてまたある時はこうした話になっている。実に正体のわからない寺になっている。
「そうなのか」
「そのお坊様がおられた寺らしい」
「それでか。今もここにいて」
「そうだ」
 話はさらに進む。
「だからあの寺に近付いてはいけない」
「祈願の念仏を邪魔しないようにだな」
「そういうことだ」
 こうして様々な話が出てそれぞれが全く矛盾していた。この話はやがて日本の商社マン達の間にも伝わりそこからすぐにネットでの話題となった。それをネットで見たある男が興味を持って早速このバンコクに来たのだった。おちょぼ口で色の白い坊ちゃん刈の男だった。紫の半袖にジーンズというラフだが悪趣味な格好だ。
「宜しくね」
「ええ」
 何とオカマ言葉を使う男だった。現地で雇ったガイドの案内を受けて今バンコクにに来ていた。
「バンコクに来たのは最初じゃないけれど相変わらずいい街ね」
「そうですか。そう言って頂けると」
「可愛い男の子は多いし」
 男は笑って言う。
「食べ物は美味しいし本当にいい場所だわ」
「そういえば勝矢さん」
「何かしら」
 ガイドは彼を勝矢と呼んできた。彼もそれに応える。
「今回ここに来た目的は何ですか?」
「当然仕事よ」
 にこにこと、だがはっきりとわかる好色そうな笑みを浮かべてガイドに答えてきた。
「ここに幽霊が出るお寺があるそうじゃない」
「ああ、あそこですか」
 ガイドはそれを聞いてすぐにわかったようだった。
「あのお寺ですね」
「わかってるのね。それだと話が早いわ」
「って行かれるんですか」
「それの取材で来たのよ」
 勝矢はこう彼に答える。
「だから行きたいのだけれど」
「お勧めはしませんよ」
 しかしガイドはここで暗い顔をして勝矢に言うのだった。
「あそこは」
「偉いお坊様のお祈りを邪魔するからかしら」
「いえ、鬼女が出るんで」
 彼はこう聞いていたのだった。
「姿を見たら三日で死ぬそうですよ」
「三日ね」
「犬も近寄りませんし」
 犬まで話に出す。
「当然猫も」
「可愛い男の子は?」
「近寄る筈ありませんよ」 
 今度は何を今更、といった調子で勝矢に言葉を返してきた。
「もう誰も近寄りませんよ」
「そうなの」
「大きな音がしてそれに戸惑っていたら棺桶に引き擦り込まれるって言われていますし」
「怖いわね」
 それを聞くと勝矢も少しだが顔を顰めさせる。
「それは」
「けれど仕事ですよね」
「ええ」
 あらためてガイドの言葉に頷く。
「そうよ。こっちだって編集長命令なんだから」
「日本の雑誌っていうのは随分と無茶な仕事をやらせるんですね」
「うちの編集長は特にそうね」
 少し考えた後でガイドに答える。
「それで有名な人だから」
「そうなんですか。それでそのお寺に、ですよね」
「案内して欲しいけれど駄目かしら」
「こっちも仕事ですから」
 こう前置きしなければならないというところに今回このガイドがどれだけ乗り気ではないということかがわかる。とにかく嫌なのだ。
「引き受けさせてもらいますよ」
「お金は弾むから」
「日本人はだからいいんですよ」
 とは言ってもタイ人特有のあの屈託のない笑みではなく苦笑いである。
「お金払いがいいから」
「若し悪かったらどうするの?」
「おさらばです」 
 左手でバイバイ、といった動作をしてみせる。
「お金の切れ目が縁の切れ目ですよ」
「シビアね」
「タイ人ですから」
 今気付いたが彼は随分と流暢な日本語を話している。勝矢はそれに気付いたのだ。
 
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