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鬼の野球

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7部分:第七章


第七章

「おら、野球やるだけだ」
 こう答えて黙々と走り素振りをして相手チームのことを勉強していく。その姿勢は相変わらずだった。そしてそのキャンプにおいて彼は評論家となっている村野と対談の時を持ったのだった。
 その場において村野は。まず彼に対して言った。
「相変わらず野球の虫やな」
「はい」
 真似得流は彼のその言葉に頷いて応えた。
「おら、やっぱり野球が好きだ」
「そうか」
「極楽で野球をやっていきたいだ。ずっと」
「メジャーとかは興味ないんやな」
「そんなもん全くないだ」
 こうも答えた。
「ただ。野球がしたいだけだから。アメリカじゃなくても野球はできるだ」
「だから虚陣には行かへんかったんか」
「あそこじゃいい野球はできないだ」
 はっきりと言い切ったのであった。
「だから。おら極楽でやりたいだ」
「野球ができるからやな」
「んだ」
 また答えた。
「その通りだ。おら野球がしたいだけだから」
「その意気や」
 そして村野は真似得流のその言葉を聞いて笑顔で頷くのだった。その言葉にこそ彼の心が何処にあるか見ての頷きであった。
「その意気やからこそ今の御前があるんや」
「今のおらがか」
「そや。御前は鬼や」
 彼は言った。
「野球の鬼や。見事やで」
「鬼でいいんだか?」
「ええんや」
 微笑んで彼に告げるのであった。
「御前も知ってるやろ。闘将って言われた」
「西本幸雄さんだべな」
「その方もまた野球の鬼やった」
 実は村野が尊敬する野球人である。この素直でない男が素直に褒める数少ない人物である。だがそうさせるものがこの西本という人間にはあるのだ。
「今もな。立派な方や」
「んだな。ああいう方になりたいだ」
「そう思うことこそがええんや」
 村野はまた真似得流に話した。
「その心こそがな。ええんや」
「野球の鬼だか」
「鬼になるのは悪いことやない」
 なお村野は彼が本当に鬼であることは知らない。彼は話を聞いていて内心鬼でもいいのかと思ってもいたがそれもいいというのだ。彼にとっては有り難いを通り越して信じられない言葉であった。
「むしろな。ええことなんや」
「ええことだか」
「鬼は強い」
 だから鬼である。昔はそう決められていたしそれは今も非常に根強く残っている。日本人特有の考えの一つでもあるのである。
「そしてそこに人の心が備わってれば」
「何になるだ?」
「それで本当の鬼になるんや」
 こう彼に話す村野であった。
「それでこそな。本物の鬼や」
「心を知ってこそだか」
「そうや」
 今の真似得流の言葉に対して頷く。
「その通りや。そうした意味で御前は本当の鬼になったんや」
「おらが。本当の鬼に」
「仇名通りになるのには結構な時間がかかったりするもんや」
 村野独特の話の流れになってきていた。
「御前が最初に入った年やったかな」
「あの時だか」
「言うたな。本物のキャッチャーになるのには十年かかるてな」
「確か」
 村野もその時のことを思い出して頷く。
「最初のキャンプだったべな。監督、いえ村野さんがおらに言ったのは」
「そや、その十年が経った」
 彼は言う。
「御前は本物のキャッチャーになった。けれどそれだけやあらへん」
「本物の鬼になっただか」
「そや。見事な」
 真似得流の顔を見て微笑んでの言葉だった。意外にもそういう顔もまた実によく似合うのがこの村野という男の特徴なのである。
「なっとるで。後はこのまま本物のキャッチャーの道と」
「本物の鬼の道をだな」
「進むんや。ええな」
「わかっただ」
 村野のその言葉に頷いた。
「おら、もっと本物の鬼になるだ。これから」
「そや。その意気や」
 こうして対談は円満のうちに終わった。そしてキャンプが終わってその因縁ある虚陣とのオープン戦。がらがらで誰もいない虚陣側の外野席にあの男がいた。
「けっ」
 米輔であった。すっかり干されてやさぐれ今日もビール片手に赤い顔をしていた。叩かれ干されたおかげですっかりやさぐれてしまい家族とも別居してしまっているのだ。まさに自業自得の無様な状況である。
 だがやはり反省する筈もなく。今もこうして無様な姿を公の場に晒している。そんな彼を見て良識ある者達は皆顔を顰めさせていた。
「お母さん、あの変なおじちゃん誰?」
「しっ、見ちゃいけません」
 ある母親がこう言って米輔を子供に見せまいとする。そしてその時にこの母親が言った言葉がこれまた絶品なのであった。
「あんな大人になってはいけませんよ」
「うん、僕わかったよ」
 子供も母親のその言葉に頷くのだった。確かにみすぼらしい格好で顔も洗わず髭も剃らず赤い顔をしているこの男は反面教師と呼ぶに相応しい有様だった。もっともその知性や品性や人格の元々の卑しさを考えれば外見がそれについてきたと言うべきであろうか。
 
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