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10部分:第十章


第十章

「飲まずにいられるか」
「それでどれだけ飲んだの」
「覚えていられるか」
 これが返事だった。
「とことんまで飲んださ。気が着いたら家の布団の中だ」
「家には帰れたんだ」
「何処をどうやって帰ったかも覚えていないがな」
 そこまで飲んでいたということだ。
「何が何だかな。とにかく飲んだ」
「あの負けは凄かったからね」
「終わった」
 流石の彼もこう言うしかなかった。
「あの負けは終わりだ」
「けれど記事ではそんなこと言ってないじゃない」
「冷静になった。少しはな」
 だからわかったというのだ。つまり普段は冷静ではないということだ。考えようによってではなく少し考えただけでとんでもないということがわかる。
「洒落にならない」
「今日で決まるけれどね。どちらにしろ」
「山田も山口も駄目だ」
 自分のディスクに蹲りながら呟く。
「もう誰もいない。それでどうやって勝つんだ」
「巨人の優勝なんだ」
「いつもこうだった」
 呟きは呪詛になっていた。
「いつもいつも巨人に負ける。最初の時からな」
「覚えてるんだ、あの時のこと」
「忘れてたまるか」
 忘れられないのだった。ずっと。
「足立が打たれて・・・・・・いや」
 ここでふと。彼の頭の中のデータが救いを教えていた。彼が今まで、少なくともこのシリーズは考えることもなかった救いが。今脳裏を支配したのだ。
「何とかなるかも知れないぞ」
「?どうしたの、急に」
「やっぱり阪急は勝つ」
 顔を上げて言うのだった。
「絶対にな。勝てる」
「勝てるんだ」
「今日の先発でそれが決まる」
 これはもう断言だった。顔こそ不機嫌だがそこは普段の本田に戻っていた。極限まで破天荒で無意味なまでに自信に満ち溢れている本田に。戻っていたのだ。
「覚悟しておけよ、小坂」
「僕なんだ」
「御前と御前を含んでいる巨人ファンとジャイアンツ自体に言っておく」
 宣言だった。やはりいつもの本田になっている。
「今日阪急は勝つ。後楽園では上田さんの胴上げだ」
「どうなのかな」
「俺の予言は当たる」
 何時の間にか予言者にまでなっていた。『預言』ではなく『予言』なのが重要だった。そこが彼の重要な部分だった。彼は予言者だったのだ。
「だからだ。行くぞ」
「後楽園にだね」
「ああ、俺の分は書いた」
 二日酔いでもいつも通り書くことができるのだ。そこが彼の凄いところなのだ。
「行くぞ」
「悪いけれど僕はもうちょっと後から行くよ」
「何だ、また書いていないのか」
「悪いね」
 本田に対して謝罪するのだった。
「もうちょっとかかるから」
「じゃあ待つことにするか」
 彼のその言葉を聞いて一旦あげかけた腰を元に戻すのだった。
「その間コーヒーでも飲んでおくか」
「悪いね」
「いや、いい」
 これもいつも通りだった。元の本田だった。
「これで二日酔いを消せるからな」
「ああ、コーヒーだね」
「二日酔いにはこれが一番だ」
 実は彼はいつもこうして二日酔いを凌いでいるのだ。その破天荒な生き方を支える重要な要素の一つとも言える存在になっている。
「これを一杯やればそれで充分だ」
「じゃあその間に僕は」
「書き終えればいいさ」
 声が優しいものになっていた。こうした気配りもできるのだ。
「じっくりとな」
「じゃあそれから。後楽園にだね」
「行くか」
「うん、今年最後の試合に」
 こう言葉を交えさせながらそれぞれコーヒーを飲み仕事を終わらせる。それから後楽園に行くと。もう観客席は満員でいたるところに本田が嫌い抜いている旗が見えた。
「何処のナチスかソ連だ」
 彼は共産主義が嫌いである。当然全体主義も。当時は別のものと思われていたが彼は同じものとして考えていたのである。
「それか北朝鮮か」
「北朝鮮か。あそこは胡散臭そうだね」
「御前もそれはわかるか?」
「まあうちの会社は北朝鮮嫌いだしね」
 当時は親北派が大手を振って歩いていた時代だ。しかし二人のいる新聞社はそうではなかった。だから北朝鮮に対しても素直に語っていたのだ。
「それを抜きにしても」
「特撮ものの悪役だ」
 本田は忌々しげにこう言い捨てた。
「あの国はな。そんな連中だ」
「巨人ファンは幾ら何でも」
「ああ、流石にそこまでじゃない。さっきのは言葉のあやだ」
「そうだったんだ」
「それでも。これは」
 また周囲を見回す。やはり見渡す限り黒とオレンジだ。言うまでもなく巨人の色だ。とりわけ黒い帽子にオレンジのあの巨人のマークが目立つ。それを見て本田はさらに不機嫌になるのだった。
「カルトみたいだな」
「確かにね。ファンの僕から見ても。阪急ファンは僅かだよ」
「元々ファンは少ないさ」
 阪急はあまり人気があるチームではない。これは本田もわかっていた。
「人口の割合でも巨人は圧倒的さ。驚くことじゃないさ」
「そうなんだ」
「ああ。それでもだ」
 しかし言うのだった。
「これはな。また随分と」
「凄いことになってるね」
「面白いさ」
 本田はニヤリと笑った。
「多い方がな」
「多い方が面白い?」
「ああ。あいつに敵の声が聞くものか」
 あいつと言った。
「あいつにはな」
「何か知らないけれどかなり凄い人が阪急にはいるんだね」
「御前もよく知ってる人間だぞ」
「僕も!?」
「ああ、よくな」
 それをまた言う。
「知ってる筈だ。気付かないか」
「阪急の選手だよね」
「他に誰かいるか?」
 とぼけてしまった小坂に対して思わず苦笑いになった。
「阪急が試合するのに。違うか?」
「上田さんかな」
「残念だが違うな」
 本田は上田という名前には首を横に振った。
「見ろよ、ウエさん」
「んっ!?」
 本田が指差した先を見る。そこは三塁側ベンチで今は阪急ナインがいる。その彼等の中に立つ穏やかな、スーツを着ればそのまま何処かのサラリーマンといった風采の中年男を指差していた。
「あちこちをキョロキョロしてるよな」
「不安なんだね」
「流石にそうなるさ」
 本田は言った。
「昨日あれだけ負けてタイに持ち込まれたんだ。それでああならない方が凄いさ」
「巨人のベンチはリラックスしてるね」
「それも当然だな」
 これについても言及した。
「昨日の勝ちはそれだけ大きいってことさ。七点差をひっくり返したからな」
「阪急ナインは皆固まってるけれどね」
「だからよく見ろって」
 しかし本田はまた小坂に言ってきた。
「よくな。わからないのか」
「!?だから誰が」
 しかしまだよくわからない小坂だった。
「そうなのかな。見たところ誰も」
「そうか。じゃあもうそれでいいさ」
 ここで一旦話を終えるのだった。
「それでな」
「いいんだ」
「よく考えたら試合がはじまればそれでわかるからな」 
 だからそれでいいというのだ。彼の発想の転換だった。
「それでな。見ていろ、巨人信者共」
 満面に不敵な笑みを浮かべての言葉だった。
「騒げ騒げ。幾ら騒いでも無駄だからな」
「そろそろはじまるよ」
 その本田に小坂が声をかける。
「最後の試合がね」
「ああ」
 こうして遂に最後の試合がはじまった。その先発メンバーだがマウンドに立つべき阪急のピッチャーには誰もが失笑していた。
「幾ら何でもな」
「これはないだろ」
 後楽園の巨人ファン達はこう言って巨人の勝ちを確信していた。だからこそ安心もしていたのだ。
「上田さんか?向こうの監督」
「確か抜群の知将らしいよな」
 彼等の多くは巨人以外を知らない。突き詰めて言えば野球もよく知らない。実際のところは。野球を知っていれば巨人は応援できない。
「案外大したことないよな」
「全くだよ。幾ら山口が打たれたからって」
 そう言い合いながらマウンドを見るのだった。そこにいるのは足立だった。黙々とアンダースローから投球練習を行っていた。
「足立か。十年前ならともかくな」
「今の足立はな」
 既にベテランでロートル扱いだった。エース山田やその山口と比べると遥かに見劣りする存在になっていた。それは紛れもない事実だった。
 
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