銀河日記
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双頭鷲勲章授与
帝国歴四八一年、宇宙歴七九〇年の始まりから折り返しに至るまでの間、銀河帝国中を粛清の嵐が吹き荒れ、遠征などしている場合ではなかった。
帝国軍としては今回の不祥事の後処理に追われる中、イゼルローン回廊の向こうにいる叛乱軍、自由惑星同盟との軍事衝突が無かったことは不幸中の幸いであっただろう。軍の再編が儘ならず、もし出兵があれば、全軍の指揮系統を緊急的に作らなくてはならなかったからである。その自由惑星同盟軍としても、第四次イゼルローン攻防戦の打撃の大きさは僻めなかったため、イゼルローンへ攻略部隊を派遣する事も出来なかった。
人事局や憲兵隊とほぼ同様の忙しさを誇っていたのは新たに宇宙艦隊司令長官に就任したグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥である。
宇宙艦隊にもサイオキシン麻薬の逮捕者が出てきた。それならまだ何とか出来た。だが、それ以上の問題は辺境警備にあたっていたカイザーリング中将麾下艦隊の首脳部がサイオキシン麻薬の密売に関与していた事が発覚した事である。甥の発言が当たってしまったことがミュッケンベルガーの仕事を加速度的に増加させていた。
艦隊の補給任務の責任者、クリストフ・フォン・バーゼル准将が補給物資に紛れ込ませたサイオキシン麻薬を寄港する基地に運搬させ、そこで下し、主に帝国軍内の補給ルートを経由して民間の組織に払い下げていたのである。それが辺境地域におけるサイオキシン麻薬の猛威の一因であったのだ。
その報告にミュッケンベルガーは無論、激怒した。カイザーリング艦隊の報告を聞いた時、ミュッケンベルガーは執務室の机を一度殴りつけ、宇宙艦隊総司令部中に響き渡るほどの怒声を上げたと伝えられる。
その後、ミュッケンベルガーは身内の宇宙艦隊にも一切容赦しなかった。一番の身内である正規艦隊の中で逮捕者が出ても、一切の弁護を行おうとはしなかったのだ。ミュッケンベルガーとしては自身の手駒であり権力基盤である正規宇宙艦隊がサイオキシン麻薬に侵されているなどとは考えるだけでも悍ましいものであり、容赦をする必要性を感じていなかったようである。だがその分、宇宙艦隊は再編の業務に追われていた。正規十八個艦隊に多少の逮捕者は出ただけで済んだことはミュッケンベルガーにとって何よりの知らせであっただろう。
宇宙艦隊の再建・再編が一通り終了したのは事態の収拾と同じく同年七月半ばの事であり、その後は訓練に明け暮れることになった。ミュッケンベルガーはこの半年の間に外征を断念することを決定していたのだった。この当時、帝国軍宇宙艦隊司令部では帝国辺境部での艦隊行動訓練をローテーションで行う、イゼルローン回廊の哨戒強化などの示威行動を行い、同盟を牽制する方針を採択していた。結果的にこれは自由惑星同盟首脳部に“帝国軍健在”をアピールし、日和見の判断を引き出すことに成功したのである。
帝国歴四八一年七月二十一日の〇八時三五分、大佐に昇進してから二十日が経ったアルブレヒトは出勤後デスクにつくとすぐに、軍務尚書室に出頭命令を受け出頭した。
この一連の不祥事において、事態の収拾までに帝国軍では大量の人事異動があったが、アルブレヒトの職務は第五分室から動いていなかった。ただ、今回の一連の綱紀粛正の発端がアルブレヒトとオーベルシュタインの属する分室というのが噂になるのにあまり時間を要さなかった。そのため、この二人の職場である第五分室は「魔の第五分室」と呼ばれ、当時の帝国軍はもちろん貴族や官界の人間の肝を冷やさせること甚だしく、二人は周囲の人間から畏怖されていたようである。
尚書室でアルブレヒトを出迎えたエーレンベルク軍務尚書は開口一番にこう告げた。
「デューラー大佐、卿にはこれより新無憂宮に行ってもらう」
「軍務尚書閣下、今何とおっしゃられたのですか?」
アルブレヒトは、鼓膜を揺らした単語の響きを一瞬で忘れてしまった。憎たらしい部下の呆然とした様子に気をよくしたのか、軍務尚書は少し口角を上げつつ二度目を告げた。
「本日一三〇〇に新無憂宮に参上せよとの国務尚書リヒテンラーデ侯爵からの急な通達だ。皇帝陛下の急な御発案だそうでな、卿には“双頭鷲勲章(ツアイト・ウイング・イーグル)”が授与されるそうだ」
「軍務尚書閣下もお人が悪い、冗談でありましょう?」
軍務尚書の言葉に、アルブレヒトが引きつった笑いを浮かべてそう言うが、軍務尚書は何も答えなかった。
「本当なのですね、閣下」
アルブレヒトのかすれた声にエーレンベルク元帥は口を真一文字に結んだまま頷いた。
「で、ですが軍務尚書閣下。閣下も御存知のように、小官が立てたのはこれまでの受勲者の方々のような輝かしい武勲ではありません。軍・官界・貴族これら三つの汚点を引き摺り出す様な事なのです。先日の大佐への昇進でさえおこがましいと思わずにはいられませんのに、ましてや名誉ある帝国軍人にとって最高級の栄誉と伝統を誇るあの“双頭鷲勲章”まで戴くなどとは、いささか論功行賞も度が過ぎると小官は愚考致しますが」
「仕方なかろう、昨日の三長官会議で皇帝陛下がそうおっしゃられたのだ。それと、卿はもう大佐ではない。“閣下”と呼ばれる身なのだ」
「閣下と、おっしゃいますと?」
「卿は“双頭鷲勲章”の授与と同時に准将に昇進だ。よいな、デューラー“准将”」
アルブレヒトは再び呆然とした。新無憂宮に参上し、皇帝フリードリヒ四世に謁見するのはまだよい。だが、勲章の授与と同時に准将に昇進とはどういう事であろうか!
アルブレヒトとしては、身内であるミュッケンベルガーに手数をかけているという自覚から昇進するのを躊躇ってすらいるのだった。そこにこの勲章の授与である。先日皇帝臨御の下定例の三長官会議が開催されていたと聞くが、その折に皇帝が口にでもしたのだろう。事の経緯は、アルブレヒトにとってはどうでもよかったのである。
アルブレヒトの内心では叙勲が決まるまでの経緯に関わった人間すべてに罵倒と呪詛を浴びせてやりたい気持であった。伯父が軍の要職についているとはいえ、宮廷とはまるきり縁のない時分では宮廷での作法など皆目見当もつかない。背中から冷や汗が落ちるのをアルブレヒトはこの時微かに感じ取った。
「卿の心配は分かるが、宮中の礼儀作法は私が教えてやる。だから、至急自宅に戻り、礼服の準備をしてきたまえ」
「承知いたしました」
アルブレヒトは呪詛と罵倒の言葉をずっと心の中で述べながら自分の抵抗が無意味である事を察し、エーレンベルク元帥に促されるままに退室した。一度分室に戻ると、オーベルシュタインはいつもと変わらず職務に精励していた。
「オーベルシュタイン分室長、デューラー大佐、只今戻りました」
「大佐、卿の新無憂宮への出頭の件は聞いている。先程尚書室からFAXが届いた。行ってきたまえ」
「はっ」
アルブレヒトは帰還報告をしたが、直ぐにいつもと同じの、何の感慨もない様な声ですぐさま送り出された。
同日の新無憂宮の黒真珠の間にて、昼からささやかな、だが大きな意味を持つ式典が急遽行われた。今回の帝国内の綱紀粛正の功労者アルブレヒト・ヴェンツェル・フォン・デューラー大佐への“双頭鷲勲章”授与式である。突発的な授与式であったため、貴族や軍高官の出席者はそれほど多くなく、簡素であったことはアルブレヒトを少しだけ安堵させた。
皇帝フリードリヒ四世を介して国務尚書リヒテンラーデ候により、“双頭鷲勲章”がアルブレヒトに手渡された。式典は宮殿に到着するまでの地上車の中とその控室の中で行われたエーレンベルク元帥による“宮廷作法講義”により落ち度なくその幕を閉じた。だが、彼に職場への帰還は直ぐには許されなかったのである。
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