本心を隠し
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第一章
本心を隠し
ヴィルヘルム=フルトヴェングラーはドイツを代表する指揮者だ。もっと言えば欧州のクラシック界においてアルトゥーロ=トスカニーニと二分する偉大な音楽家だ。
しかしだ、当時の世相は音楽にとってもいいものではなかった。
アドルフ=ヒトラーがドイツの政権を手に入れてからだ、そうなっていた。
「ユダヤ人迫害!?冗談じゃないぞ」
「音楽界にどれだけユダヤ系がいると思っているんだ」
「ヒトラーはワーグナーが好きだが」
「ワーグナーは反ユダヤ主義だった」
このことは当時から評判が悪かった。
「そのせいもあるな」
「それに元々ナチスは人種主義だ」
「アーリア人至上主義を謳っている」
このことからもドイツ国民の支持を得たのだ、敗戦と恐慌にうちひしがれた彼等に。
「そのこともあってか」
「音楽家でもユダヤ系を迫害するか」
「ではマエストロ=ワルターはどうなる」
「ドクトル=クレンペラーは」
ブルーノ=ワルター、オットー=クレンペラーだ。どちらもクラシック界の重鎮である。特にワルターは人格から非常に人望も篤い。
「音楽界は壊滅だ」
「どうなることか」
「ユダヤ系は逃げないと大変だぞ」
「ドイツから去らねば」
「さもないとどうなるかわからない」
「ユダヤ系と親しいだけでもな」
ナチスに睨まれ大変なことになるというのだ、そして。
実際にだ、トスカニーニはイタリアでナチスを激しく批判していた。
「マエストロはナチスがお嫌いですね」
「当然だ!」
トスカニーニはナチスへの感情を尋ねた知人に即座に答えた。
「あんな連中何故好きになれるのだ!」
「あの人種主義がですか」
「支持出来るものか、人種の違いなぞだ」
それこそというのだ。
「何でもない、ナチスはそれがわかっていない」
「だからユダヤ人迫害もですね」
「私は全力で反対する」
こうも言い切ったのだった。
「そしてだ」
「迫害されているユダヤ系の人達をですね」
「守る、私一人の力では限りがあるがだ」
それでもというのだ。
「全力で助ける」
「マエストロ=ワルターも」
「当然だ、私は生きている限りナチスに反対する」
祖国イタリアはそのナチス=ドイツと同盟を結んでいてもだ。
「そうする」
「ですか」
「そうだ、だからだ」
「だからだとは」
「あいつは何をしているのだ」
「あいつ、まさか」
「そうだ、あえて名前を出そう」
トスカニーニは嫌々といった様子で言った。
「フルトヴェングラーだ、あいつだ」
「ドクトル=フルトヴェングラーですか」
「あいつは何故ナチスに尻尾を振っているのだ」
こう言ってイタリアにいつつドイツにいるフルトヴェングラーを批判するのだった。
「何を考えている」
「ドクトルにはドクトルのお考えがあるのでは」
「一体どういう考えだ」
「それは」
そう問われるとだ、彼は返答に窮した。自分に答えがないからではなくトスカニーニの怒りに押されたからだ。
「やはりナチスにです」
「屈服したからか」
「そうではないかと思いますが」
「では何故ヒトラーの前でワーグナーやベートーベンを振るう」
「そのことですか」
「ゲッペルスとも和解したそうだな」
「ヒンデミット事件がありましたが」
ナチスがヒンデミットの作品の上演を妨害しフルトヴェングラーがそれに反対したのだ。それで彼は多くの役職を辞任することになった。
「しかしです」
「元の地位に戻ってだな」
「確かに今はです」
「ナチスに尻尾を振っているな」
「ですからそうではないのでは」
彼は口ごもり戸惑いながらも何とか自分の考えを述べた。
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