暗殺者
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4部分:第四章
第四章
「ローズ卿は」
「あそこです」
夫人が手で指し示したのはその天幕もないベッドであった。見れば彼はそこに横たわっていた。
「ふむ」
太子は彼を見るとゆっくりと歩み寄った。そうして顔を見る。
見れば確かに真っ黒になっていて事切れている。その黒さはさながら黒死病のようであった。
「死因は確か流行り病になっていたか」
「そうです」
夫人も真相は知っていたが。それは決して公にされないものであった。
「そういうことにしました」
「わかった。しかし」
ここで彼はさらに屍を見る。見れば見る程恐ろしい有様であった。肌が黒くなっているだけでなく苦悶の跡がはっきりと見られる。目は大きく見開かれ歯を食いしばった形跡がはっきりしている。手は身体中を掻き毟りその血の跡でベッドまで紅く染まっている。それを見れば彼が苦しみ抜いて死んだのがわかる。
「酷い有様だ」
「何故ここまでなったのか」
夫人は顔を落としてそう述べた。
「やはりこれは」
「それを今から調べる」
太子はその夫人にこう述べた。そうしてまずはその屍をさらに見た。見れば屍は傷だらけだ。しかしその傷には別に暗殺を思わせるような刃の跡はなかった。だが太子はその屍の首筋にあるものを見つけたのだった。
「これは」
二つの穴だった。そこからも血が流れているがそれは僅かなものであった。
「ふむ」
「何かおわかりですか」
「いや」
夫人に対しては隠すことにした。ここは芝居をする。
「残念だが」
「そうですか」
「しかしこれだけは言っておく」
身体を起こし屍にシーツをかけてから夫人に顔を向けて声をかける。
「他言は無用だ。そして」
「そして?」
「事件は必ず解決する」
強い声で述べるのだった。
「ローズ卿の無念は必ず晴らす。わかったな」
「わかりました」
夫人としては相手が太子なので頷くしかなかった。しかしただ頷いたのではない。太子の言葉を信頼してもいた。何故なら彼女も太子を知っているからだ。その能力を。
「それでは。御願いします」
「見舞いは終わった」
太子は夫人からの言葉を受けた後でそう述べた。
「ではな。邪魔をした」
「これで。帰られるのですか」
「見舞いに来ただけだ」
そういうことになっている。彼はそう言うだけだった。
「だからだ。それではな」
「わかりました。それでは」
こうして彼は宮殿に帰った。そうしてすぐに父王と公爵のところに行きことの次第を報告した。そうしてこう二人に対して言うのであった。
「事件は解決しました」
不敵な笑みで二人に述べた。
「何を言うのか」
王はそれを聞いてまずは顔を顰めさせた。
「あまりわかってもいないではないか」
「いえ、もうこれで充分でございます」
太子はその不敵な笑みで王に言葉を返すのだった。
「これで」
「考えがあるのか」
「その通りです。まずは」
彼はさらに言う。
「噂を流します」
「噂を!?」
「はい、私が枢機卿を除こうとしていると」
あくまで犯人を枢機卿と考えていた。これはもう確信していた。だからこそあえて彼を除こうとしているという噂を立てることにしたのである。
「その噂を流します」
「ですがそれでは」
それを聞いた公爵が怪訝な顔で彼に問う。
「殿下の御身に危険が」
「何、それが狙いだ」
しかし彼はその不敵な笑みで答えるだけであった。
「そうして刺客が来たところを」
「捕らえるというのだな」
「そうです」
はっきりと父王に述べてみせた。
「それで万事は解決します」
「そうであればいいのですが」
「既に何もかもわかっています」
太子の中ではそうであった。あくまで彼の中だけで。他の者がそれを知る由はない。それこそが彼の思う壺でもある。
「後は。話の幕を引くだけです」
「わかった。ではやってみよ」
王はここは彼に全てを任せることにしたのだった。
「思うようにな」
「はい、それでは」
こうして彼はこの事件の解決も全て任されることになった。まず彼は自身の腹心の者を集めてこう指示を出したのだ。すで彼等が枢機卿やそれに近い者達とは何の関わりもないことはわかっていた。
「噂を流せ」
「噂をですか」
「そうだ」
そう彼等に対して告げた。場所はこうした話に相応しい密室の中であった。
「私が枢機卿を暗殺しようとしている。こうな」
「ですがそれは」
早速一人が異議を呈してきた。
「あまりにも危険では」
「そうです。ただでさえ一連の事件は数奇慶賀黒幕と言われています」
別の者もこう言ってきた。
「それでそうした噂を流せば」
「自然と枢機卿が」
「だからだ」
しかし彼は腹心達の気遣いの言葉に対してこう返すのだった。余裕に満ちた笑みと共に。
「だから流すのだ」
「むざむざ狼を呼び込むのですか」
「やはり危険です」
この国では狼が最も恐れられている。だからこそ今狼という言葉が出たのである。
「危険はわかっている」
しかし彼は平然とこう返すだけだった。
「当然な」
「ならば余計に」
「危険過ぎます」
「私が何の考えもなしにするとでも?」
ここでであった。彼は言った。
「思うのか?」
「いえ、それは」
「ありませんが」
それは彼等も思ってはいなかった。太子の鋭利さは彼等もわかっている。そうしたところに湧き起こっている魅力によって彼等も彼の腹心になっているからだ。それについては彼等は否定出来なかった。
「それでは。いいな」
「はい」
「殿下に何か御考えがあれば」
「ではまずはだ」
ここまで話したうえで彼等に言うのであった。
「備えをはじめる」
「備えをですか」
「そうだ。まずは氷室から氷を出せ」
この時氷は冬の間に自然に出来た氷や雪を入れておくものであった。氷室は大抵地下の寒い場所に置かれている。そこに保存しているのである。
「氷をですか」
「そう、そして」
彼はさらに言う。
「皮を用意しておいてくれ」
「皮をですか」
「そうだ、しかもかなり厚い皮をだ」
こうも注文をつける。
「いいな、厚い皮をだ」
「一体何に」
「氷と皮とは」
「その時になればわかる」
彼はここでは全てを述べなかった。あえて隠してそのうえで含み笑いを浮かべるだけであった。
「その時にな」
「そうですか」
「それでは」
彼等も今はそれで納得することにした。こうして準備は整えられていったのであった。
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