執務室の新人提督
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「うむ、実に壮観だ」
そう言って、腕を組んでグラウンドに確りと立つ長門は眼前の光景に見入っていた。
彼女が二本の足で立っているグラウンドでは、暁姉妹、綾波型の下四姉妹、朝潮姉妹、陽炎型の十六駆逐隊組と十七駆逐隊組達が、今日の指導艦である矢矧の下訓練に励んでいた。
「うむ、これでこそ提督の盾。提督の矛だ。駆逐艦と侮れないぞ」
「そうですね」
長門の声に同意を返すのは、彼女の隣に立つ大和である。その大和の目には、霞と一緒にストレッチを行うスポーツウェアを着た龍驤の姿が映っていた。
「うむ、特にあの二人など、駆逐艦とは思えぬ見事な対空訓練だ」
長門が視線で促す先には、他の皆と同じスポーツウェア姿の瑞鳳と大鳳が戦闘を空に飛ばして動作確認を行っている。
「宙返り、雪風宙返りが見たいです!」
「うーん……矢矧ー、いいのかなぁ?」
「別に構わないわ。雪風に見せてあげて」
雪風にせがまれて、戦闘機を苦笑いで宙返りさせている瑞鳳の姿に、長門は目元に微笑を湛えた。
「大鳳大鳳! 谷風さんぁ着氷してピトー管にレバノン料理が詰まった整備不足の副操縦士が見たいねぇ!」
「……矢矧?」
「ごめんなさい、ちょっと首の後ろ辺り叩いてくれる? いつもそれで直るから」
谷風にせがまれて、なんとも言えない顔で矢矧に助けを求める大鳳の姿に、大和は目元に悲哀を湛えた。
二人の戦艦娘が見つめるのは、駆逐艦娘の待機組の訓練である。
歩のない将棋はなんとやら、と言うが駆逐艦は艦では歩に当たる。であれば、その歩を強化する事に異を唱えるものは少ないだろう。上は訓練を推奨し、下はそれを当然と応えた。
今矢矧の指導で訓練を行っている駆逐艦娘達の相に、不満の色は無い。いや、逆に皆積極的ですらあった。皆瞳に強い輝きを宿し、口元に決意を湛えている。
暁達はその駆逐艦娘達の中でも特に小さな体を動かして走り回り、朝潮達はきびきびと無駄なく動いている。朧達も、少々ふざけていた雪風や谷風達もだ。
皆、小さな体に大きな何かを内包していた。
かつての海を取り戻さんが為、仲間の為、鎮守府の為、そして提督の為、汗を流す表情は苦しくとも、彼女達の少女の相に不満など欠片も宿ってはいなかった。
「駆逐艦達がここまでやってくれるのだ……私達もうかうかしていられないな」
「そうですね」
鎮守府の艦娘達のまとめ役としての長門の言葉に、大和はいい加減それはボケているのか天然なのかと突っ込みたいと思いつつも、結局そこには黙って流しておく事にした。
長門は、こうしてグラウンドで艦娘達の訓練姿を眺める事が良くある。水雷戦隊であれ、重巡洋艦であれ、戦艦であれ空母であれ、様々な艦種の訓練を、だ。
まとめ役として、古参の一人として、今の鎮守府とその優秀な歩である彼女達の訓練姿を見る長門の相は満足げだ。そしてそんな長門を見る大和の相は、少々困り顔であった。
大和にとって、長門は姉の様な存在だ。
いや、正確な意味での姉となれば、大和型の塔型艦橋等をテストした比叡になるのだろうが、大和の隣で訓練を眺める長門と彼女の関係は、まさに姉妹のそれであった。
長門は、提督にとって二番目の戦艦であった。建造時期が早すぎた為に過剰戦力の扱いとなり、当初出撃もなく偶に演習に出る程度であった。が、通常海域攻略にも火力が必要な時期になって来ると、長門を常時動かすだけの資源に困る事も無く、それまでの日々が嘘の様に長門は活躍した。様々な海域を開放し、あらゆる敵を見事に粉砕したのだ。
一方、大和は提督にとって中期の艦娘である。彼女は何の縁であるか、かつて隣で戦った初霜の助けによってこの鎮守府で建造された。彼女も当初の扱いは長門と同じ過剰戦力の扱いで、演習以外出番がなかったのである。このまま自分は演習だけで終えるのか、艦時代と同じように殆ど海に出ず沈むのか、と気落ちする大和を支えたのは、長門である。
長門は武蔵――大和の妹も居ないこの鎮守府では寂しかろうと、大和に気を配った。自身も妹である陸奥が居ないというのに、だ。
通常提督がいた世界では、戦艦をつくってあの時間が出れば陸奥になる、などと言われているが、長門だけが出たのがこの鎮守府の恐ろしいところである。
自身の事を置いて、大和に慰めを悟られまいと慰める長門の姿に、大和が何を思ったか等言うまでも無い事だろう。大和もまた素直にそれに甘え、二人は互いの縁を深めたのだ。
そして、大和は見事に実戦での活躍を果たした。特別海域という難関を突破してだ。提督の計らいで組み込まれた演習によって鍛えられた錬度が、長門達によって支えられた日々が、大和の中で確りと実を結んだのだ。
そんな事があったからだろう。長門の実の妹、陸奥が来た頃にはもう実の姉妹の様になっていた程に大和は長門に懐いた。ちなみに、その陸奥との仲も良好であるので、この鎮守府では長門型は事実上三隻扱いである。一部では決戦火力三姉妹とさえ呼ばれている。
武蔵が着任したら、そのまま改長門型扱いでいくのではないか、というのが凡その見解だ。実にオーバーキルな四姉妹の完成である。しかも長女と四女が似通っているというおまけつきだ。
兎にも角にも、そんな事情もあって大和は長門に強く出られないところがあった。艦娘達のトップであり、時に大和と共に特別海域で雄雄しく戦う姿を知るからこそ、大和は尊敬もしていた。
しているのだが。
「おう、長門。暇してるんやったらうちと演習でもするか?」
「うむ、しかし龍驤……お前たちは今日は駆逐艦の日だろう?」
「なんやねん、その駆逐艦の日って」
「天津風から聞いた。一部軽空母と装甲空母は、艤装の取替えによって駆逐艦になれると。流石だな龍驤」
「なれへんわ!」
ぴし、と手の甲で何も無い場所を叩く龍驤を長門は暫し眺めて――そして驚いた。
「なに、嘘か!?」
「いや、いやいや分かってたやん? 絶対分かってたやん?」
「しかし、翔鶴も艤装の交換で艦種が変わるぞ?」
「いや、それ同じ空母やん。どうやったら空母が駆逐艦になれるんや」
ふむ、と考え込み始めた長門に、大和は小さく溜息を零した。長門という艦娘は、少しばかり天然というか、純粋だ。作戦行動、戦力考察等に関わらない話の場合、こうして簡単に騙される。そんなところもまた皆に愛されているのだから、悪い事ではない。
完璧な存在が周囲に居れば、排除したがるものだ。満ち足りている存在に劣等感を植え付けられ、肥大化するそれを抑えられず、存在そのものが疎ましくなるのである。人も艦娘も、心がある以上良い事ばかりではない。
時に、そんな物にも目を向ける羽目になるのが生の路だ。
完璧ではない、という事は長門とこの鎮守府にとって歓迎すべき事ではあるのだが、しかし妹分の大和としては、日常のそういった面をどうにか、と思ってしまうものである。
そんな思い悩む大和を放って、長門と龍驤はまだ言葉を交わしていた。
「そうか……しかし演習か。よし、今度山城と神通も呼んで盛大にやるか?」
「いや、長門それはあかん。あかんやつや」
艦時代、龍驤と長門が演習で交戦したように、山城と神通も交戦している。そしてその場で神通はやらかしたのだ。山城からしたらトラウマ確定の行為を。
「にしたかて、長門。天津風なんか他に言うてへんかった?」
「……そうだな。他にも確か、手ぬるい、もっと頑張りなさい、と」
「いや、何をや」
「……会話の流れで言うなら、お前の駆逐艦としての能力だろうな」
「なんでやねん」
「そうでち。龍驤は軽空母だから駆逐艦じゃないでち」
「なぁ、せやん――」
長門と龍驤は同時に、鋭く背後に振り返った。あまりの鋭さに大和がワンテンポ遅れたほどである。だが、彼女達の視界には常のグラウンドがあるだけだ。他には何も無い。
そう、何も無い。
「……今日も駄目か」
「うちの索敵から逃げ切る、やと……やるやんか……」
長門と龍驤は瞳に鋭利な輝きを映して呟いた。大和は、あれが、と呟くだけだ。
彼女達が前に――駆逐艦たちの視線を戻すと、先ほどまで同様の訓練姿があった。何一つ変わっては居ない。
勝手に走り回る雪風と谷風に、切れた霞と満潮が妙高直伝腕挫十字固をきっちりかけている、いつもの光景だ。そしてそんな霞と満潮に、ハラショーと拍手を送る響と朧もいつも通りだ。
「そ、それにしても、龍驤?」
「うん、なんや大和?」
少し顔を引きつらせつつも問う大和に、龍驤は長門に向けていた顔とはまた違う顔で応じた。長門にとって大和が妹同然であるように、龍驤にとっても大和は――いや、この鎮守府にいる艦娘の殆どが妹分だ。自然、その顔は温和な物になる。
「その、どうして駆逐艦の訓練に混じっているのかしら?」
「あぁ、たまーにやけど、体がなまらへんように、って事やね」
「ほう、では瑞鳳と大鳳もか?」
「うん、大鳳は元々体動かすの好きで、よう二水戦の訓練とかにも混じってるし、瑞鳳も瑞鳳で、あれで人の面倒見るのすきやからねぇ。面倒見るにも、まぁ体力いるわなぁ、って」
龍驤の言葉に、長門と大和は頷いた。艦種は違えど体は同じだ。特に龍驤達は体つきが幼く、戦闘に向いた姿形ではない。
「それに、体動かすのに駆逐も空母もないやろ? 何事も体が資本やで、資本。まぁ、出来る事は限られてるんやけどね……」
しかし、それでも同じような駆逐艦達は前線で戦っているのである。龍驤からすれば、そこに学ぶべき事が在ったのだろう。
鳳翔と共に鎮守府を裏から纏めていると見られている龍驤であるから、そう考えれば行動も早かったという訳だ。完璧な存在を嫌うのが心を持つ人と艦娘の性であるなら、完璧に近づこうとする不完全な存在を尊いと思うのも性だ。
「赤城達も誘ったのか?」
「いんや。赤城達は航空理論とかその辺の勉強会や。それに、あいつらは体ができあがっとる」
駆逐艦や軽巡洋艦の様な少女の体を持った艦娘達は、未成熟な体に応じた伸び代を持つが、大人の体で生まれた艦娘達は、その身体能力の伸びも緩やかであり頭打ちも早い。完成された体ゆえに、彼女達は様々な理論を蓄えて効率よく艤装を使わなければならないのだ。
故に、彼女達の訓練は身体能力が鈍らない程度の運動、になるのである。
「それになぁ、長門」
「うん、なんだ?」
龍驤は、大和には向けた事が無い不遜な笑みで続けた。
親しい友人、謂わば同期故の上も下も無い近さが龍驤にその相を出させ、長門もまたそれを許したのだろう。
「赤城達にこんな訓練させてみい、あいつらただでさえ普段からよー食べるのに、もっと胃に放り込みよるで?」
「……まぁ、それに関しては、私もなんとも言えないところだが」
「あの、それだと大和はもっと凄い事になるんですがそれは」
大和の言葉に、長門と龍驤は大和に目を向けた。
そのまま、二人は納得と手を打って頷いた。納得いかぬのは大和である。
「確かに。大和は凄いからなぁ」
「赤城より食べるもんなぁー」
「やめてください、その朗らかに言うのはやめて下さい」
「でも、大和は本当によく食べると、はっちゃんも思うのねぇ」
「うむ、そうだろうそうだろう、お前もそう思うだ――」
三人が、一斉に背後に振り返った。しかし、そこにはやはり誰もいない。残り香すらありはしない。そこはただの空間だ。
誰かいたと言う気配すらなく、長門と大和は黙って龍驤を見た。二人の視線を受けた龍驤は、ただ黙って首を横に振るだけだ。
「あかん……さっぱりや」
「ふむ……流石だな」
龍驤と長門は互いに腕を組み頷き始めた。
「しかし、何の用事だろうな?」
「そらぁ、鎮守府の警邏みたいなもんちゃう? 今はもう暇してるって聞いた事あるし」
「ふむ……確かに今の資源は十分であるし、彼女達も本来の仕事に戻っているというわけか……」
何事かの話題で言葉を交わし始めた二人の隣で、大和は小さく零した。
「あれが、提督の潜水艦隊……隠密部隊、ですか」
大和は勝手に棒倒しを始めた谷風に妙高直伝ギロチンチョップを放つ初風を見つめながら、頬を伝う汗を手の甲で拭った。どこかで、ハラショーという声が響いた。
後書き
第○○駆逐隊艦娘
第十六駆逐隊
初風 雪風 天津風 時津風
第十七駆逐隊
浜風 浦風 谷風 磯風
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