彼に似た星空
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19.プロローグがはじまる
チェックアウトの時間と同時に私達は旅館を出た。二日酔いの鈴谷の準備が遅れたせいだった。
「ぅぁああぁぁぁ……鈴谷……マジで頭痛いんですけど……」
「鈴谷は酒好きだけど弱いタイプみたいですねお姉様……」
「まったくデース……分かってれば飲ませなかったネー……」
頭を抱えて布団の上でのたうち回る鈴谷を急き立て、私たちは準備を急ぎ、旅館を出た。鈴谷は旅館のご好意でスポーツ飲料を飲ませてもらい、それで症状が改善したらしく幾分元気だ。
私達は旅館からバスセンターまで、旅館が呼んでくれたタクシーで移動した。後部座席に私と鈴谷。助手席に霧島が乗った。途中、昨日鈴谷がその頭を撫でてジョリジョリを堪能した、丸坊主の少年の姿が見えた。
「あ、あの子だ!!」
「ん? 昨日鈴谷がセクハラを働いた子デスカ?」
「失礼なッ! ただ頭をじょりじょりしただけだよッ!!」
「んーじゃあせっかくだから挨拶するネー!!」
「ぇえ?! お姉様なにもそこまでは……!!」
「面白そう!! あの子びっくりさせよう!!」
窓を開け、あの丸坊主の少年に向かって、私と鈴谷は声を張り上げた。
「こんにちはー!!!」
「こんにちはデース!!!」
少年はこっちに気付いた。最初はびっくりしたようにビクッとしたあと、こっちに満面の笑みを向けた。
「こんちわー!!!」
「また来年、お姉さんにじょりじょりさせてね〜!!」
「わかったー!!!」
「次はワタシにもじょりじょりさせて下サーイ!!!」
「よかよ〜!!!」
鈴谷は窓から身を乗り出して、少年に手を振った。少年もそんな鈴谷と私に向かって、両手を大きくぶんぶんと振りながら答えてくれた。
「……お姉様、あのー……」
何やら申し訳無さそうに霧島が口を開いた。何事かと思っていたら、運転席にいる運転手のおっちゃんが憮然としている。
「お客さん……車から身を乗り出したら危なかよ?」
「うう……ごめんなさいデース……」
「す、すみません……」
「ホント、こげなこつされちゃかなわんが……」
「め、面目ございません…二人にはよく言って聞かせますので……」
霧島が必死に運転手に申し開きをしている。なにやら霧島に悪いことをしてしまったと反省していたら……
「金剛さん……この人口うるさいよね〜……まったく……」
と鈴谷がとんでもないことを言い出し、さらに運転手の怒りを買った。その途端、霧島の殺気のこもった鋭い視線が鈴谷に刺さった。今晩、霧島から鈴谷への熱い折檻がありそうだ。
「鈴谷、今晩多分眠れないデスヨ?」
「え?! また今晩も飲んじゃう? キリシマ・ブラックいっちゃう?」
「いや、主にケツ的な意味で……」
「?」
「……いい天気デース」
バスセンターに到着した。タクシーのおっちゃんは最終的には許してくれたが、鈴谷に向ける眼差しは明らかに不快がこもっていた。来年も鈴谷はここに来るつもりでいるようだが、はたして来年鈴谷は無事にここから戻ることは出来るのだろうか?
相変わらずバスセンターは人が少ない。鈴谷と仲良くなったおばあちゃんと、霧島を手助けしてくれたサラリーマンがいた。
「あ、あの時の!」
「? ぉおお、あの時の。霧島さんでしたよね」
「そうです! 覚えていていただけて光栄です!」
霧島はサラリーマンの元にかけていった。その一方で、鈴谷のもとにはおばあちゃんが来た。その手には、お弁当箱が握られている。
「鈴谷ちゃーん! 今日帰るとね〜?」
「おばあちゃん! そうだよー! 鈴谷達、今日帰るんだー」
「寂しくなるが〜……ぐすっ」
「おばあちゃん、泣かないで……なんか鈴谷まで泣けてくる……ぐすっ」
おばあちゃんと鈴谷はお互いに手を握りしめて泣いていた。一昨日会ったばかりの人とここまで仲良くなれたのも、鈴谷の人懐っこさの成せる技だ。
そういえば、お漬物のお礼を言ってなかったことを私は思い出した。
「昨日は美味しいお漬物をありがとうございマシタ! 昨晩焼酎と一緒に堪能しマシタ!」
「あらホントね! 金剛ちゃんにも気に入ってもらえておばあちゃんうれしかね〜」
「おばあちゃん!! あのお漬物、ホントに美味しかったよ!」
「今日も持ってきちょるよ? おみやげに持って帰らんね?」
「ホントに? やった!! おばあちゃんマジで大好き!!」
「おばあちゃんも鈴谷ちゃんみたいな孫娘が欲しかね〜……ぐすっ」
「ちょっ……おばあちゃんマジで泣かないで……ぐすっ」
鈴谷はおばあちゃんからお弁当箱を受け取った。昨日のお漬物のタッパーよりもさらに大きなものだ。あの絶品のお漬物がまた今晩堪能できることに喜んだが……
「おばあちゃーん……鈴谷のこと忘れちゃヤだよ? また来年来るからね?」
「なん言いよるとや。おばあちゃんが忘れることなんてなかが!」」
鈴谷はおばあちゃんからもらったお漬物を胸に抱き、おばあちゃんから頭を撫でられながらポロポロと泣いていた。鈴谷の頭をなでるおばあちゃんの目にも涙がたまっていた。どうやら鈴谷は、この旅でいい友人が出来たようだ。
「お姉様!」
一方の霧島はサラリーマンとずっと話をしていたようだ。
「この前私を助けてくださった方なんですけど、どうやら東京の方のようです」
「oh……そうなんデスカ?」
「ええ。ちょっと出向でここに来てまして」
「てことは、ワタシたちとまた会う機会があるかもしれませんネー!」
「へぇえ? んじゃみなさんも関東?」
「そうですよ。東京のすぐそばです」
「なるほどぉ。じゃあ名刺渡しとこうかな…」
そういうとサラリーマンはスーツの胸ポケットに自身の手を突っ込み、中をゴソゴソとまさぐっていた。気がつくとおばあちゃんと鈴谷もこっちに来ていた。
「あ! この前霧島さんといい感じだった人だ! ちーっす!!」
「こ、こら鈴谷……あ、気、気になさらないで下さいね? ホホホ……」
「あ、あはははは……こ、これおれの連絡先です。よかったら」
サラリーマンは苦笑いを浮かべながら、胸ポケットから出した名刺入れから一枚の名刺を取り出し、それを霧島に渡した。具体的な会社名は、私からはよく見えない。
「よろしいんですか?」
「よろしいも何も、こん兄ちゃん、昨日の昼もここにおったっちゃが」
「ブッ」
「え……」
「多分、霧島ちゃんに名刺を渡したかったっちゃろ」
「あ、いやあの…そういうことを言うのは……」
「なーん言っちょるかいまさら…昨日私に“あの子たち今日は来ませんかねぇ?”とか聞いちょったがね」
突然のおばあちゃんの暴露である。この衝撃の事実を聞いた時、私と鈴谷はブフッと吹き出し、霧島とサラリーマンは赤面していた。
「おやおやぁあ? 霧島さんその反応は? デュフフフ……」
「霧島もまんざらでもなさそうデース。グヒヒヒヒヒ……」
「な、何を言ってるんですかお姉様! 鈴谷も私をからかわないでッ!!」
霧島からの痛恨の張り手が鈴谷のケツに炸裂した。鈴谷にとって現在ウィークポイントといえるケツへの強烈な一撃は、鈴谷を悶絶させるには充分すぎる威力だ。鈴谷は自身のケツを抑えてその場にうずくまった。
「霧島さん……マジ痛い……」
「鈴谷ちゃん、余計なことは言わんとよ?」
私は、鈴谷の頭を撫でているおばあちゃんに対して『それはあなたの方デス』と言うセリフが喉まで出かかった。この衝動を耐えきったことを、世界はもう少し賞賛してもよいと私は思う。
「え、えーと…霧島さん」
「は、はいッ?! なんでしょうかッ?!」
「ま、まぁよかったらあっちでも連絡くれるとうれしいんだけど…」
「は、はいッ…喜んで……」
どうやら、霧島もいい出会いが出来たようだ。今後二人がどうなるかはわからないが、鈴谷と同じく、いい友人を得たことは確かなようだ。
バスの中で、鈴谷はお漬物が入ったお弁当箱の包を開いた。中にはお漬物が入ったお弁当箱と、一通の封筒が入っていた。封筒の中には、おばあちゃんの住所が書かれた紙が一枚出てきた。
「それ、おばあちゃんの住所デスカ?」
「そうだよ〜。鈴谷ね、おばあちゃんと文通するって約束してたんだ。おばあちゃん携
帯は持ってるけどスマホじゃなくてLineもやってないし、これが一番確実っしょ!」
鈴谷は満面の笑みでそう答えた。鈴谷とおばあちゃんの、孫ほど年の離れた友情は今後も続くようでなによりだ。
一方の霧島も、サラリーマンから渡された名刺を眺めている。表情はなにやら神妙だ。
「霧島はどうしマシタ?」
「いやぁ……お姉様、私達、元艦娘じゃないですか」
「いえーす」
「あの人、普通の人じゃないですか」
「いえーす」
「いいのかなーって。普通に友人になっても大丈夫かなーって思いまして」
「んー…霧島が何を心配してるのか分からないデスケド、心配なら鈴谷を見てみるデス」
私と霧島は、鈴谷を見た。鈴谷はおばあちゃんからもらったお漬物の蓋を開け、周囲にお漬物の匂いをまき散らしながら、ほくほく顔でそれをつまみつつ、おばあちゃんの住所を眺めている。私たちの視線に気付いた鈴谷は、しばらく私たちと顔を見合わせた後、申し訳無さそうな表情でお漬物を私たちの方に差し出しつつ……
「……独り占めしてごめんなさい。食べる?」
私と霧島は顔を見合わせ、吹き出した。鈴谷は意味がわからないといった顔をしている。
「ぇええ〜ちょっと何なの鈴谷意味わかんないんですけど!!」
「ブフッ……なんでもないデース……」
「いやいやいや何でもなくないでしょ金剛さん!」
「ホント、なんでもないから安心していいわよ鈴谷……オフゥッ」
「ぇえ〜なんなのちょっとぉお〜!!」
「ね。心配はいらないネ! 鈴谷みたいに簡単に考えるデース」
「ですね。お姉様」
「ちょっとマジで意味わかんないんですけどぉお!!!」
おばあちゃんのお漬物の匂いを充満させたバスは、盛り上がる私達3人を乗せながら、のんびりと駅までの道のりを走っていた。
私は、やっと前に進む準備が出来たと思う。あの日から私は、自分で自分に重い咎を背負わせていた。最愛の男性を守ることも出来ず、最愛の妹を自身の不始末から死なせてしまったことで、完全に前に進む力を失っていた。
私はあの日から昨日まで、自分のことを罪深い愚かな女だと思っていた。この自分への罰の念は、赤黒く濁りきったヘドロのようなものとなって、私の心と体を侵しきっていた。今なら分かる。私は、自身が前に進むために必要な力を、自分自身で拘束していた。赤黒いヘドロ状の罰の意識は私の心と体を固め、前に進ませまいとしていた。前に進むことを自ら拒否していたのだ。
それを昨晩、比叡と榛名が洗い流してくれた。私に対し、『あなたが生きていればいい』と許してくれた。そうして私の心と体を縛っていた罰のヘドロは、私から剥がれ落ちた。
そして、提督。
彼は、私を愛してくれた。そして、『前に進め』と私に叱咤してくれた。
―おれは金剛を永遠に愛している。
でも続きは、金剛がおばあちゃんになってからにしよう
彼は確かにそう言った。恐らくは、『おれのことは忘れて、好きなように生きろ』と言いたかったのだろう。それならそうとストレートに言ってくれればよかったのに。おばあちゃんになるまで生きたあとに続きをしようなどと、なんとも彼らしい、締まらない言い方だ。
ただ、私は約束を破るつもりはない。彼が私のことを永遠に愛するというのなら、私も彼を永遠に愛そう。『続きはおばあちゃんになってから』というのなら、おばあちゃんになってから会いに行ってやろう。そして、『約束を守った私を約束通り愛して』とわがままを言って困らせてやる。
その時に胸を張って会えるよう、私は先に進むことにした。少なくとも、今後の人生を楽しまないことには、胸を張って彼と会うことは出来ない。
私は、自身の左手を見た。左手には、彼からもらったケッコン指輪が未だ光り輝いている。昨日までの私は、彼のことを忘れられない悲しさから、この指輪をつけていた。彼の残滓を身につけ、少しでも彼の存在を感じたかったのだ。
だが今は違う。これは、永遠の愛の証だ。彼は私を永遠に愛すると言った。ならば私は永遠に彼のものだ。私は彼のものであるということを私自身が証明するために、私は今この指輪をつけている。
同様に、私もまた彼を永遠に愛する。私には、永遠に愛する男性がいるのだ。その決意を示すための指輪でもある。
鈴谷が美味しそうに食べているお漬物を見た。あんな素敵なおばあちゃんになって、彼に会いに行こう。そして彼が望んだことなのだから、思いっきりじらしてやる。あっちで『金剛…早く来てくれ……会えなくて悲しい』と散々思わせてから会おう。自分が言ったのだ。それぐらいはいいだろう。
バスは私達を乗せて進んでいく。私はやっと自分の、人間としての人生のプロローグが動き出したことを感じた。
「お姉様?」
「ハイ。どうしまシタ?」
「…いえ。昨日と違って、何か吹っ切れたように見えたものですから」
霧島が微笑みながら私を見た。さすが私の妹だ。私の変化に敏感に気付いている。
「帰ってからやることを考えてマシタ。まずは、青葉にテートクの故郷の話をシマース」
「青葉にですか? 青葉に会われたのですか?」
「いえーす! 青葉にはこの旅のプランを立ててもらったネ! そして、テートクの生まれ故郷の話をすると約束しまシタ!」
「そうだったんですね。ではお姉様、その時はこの霧島も、お伴させていただきます!」
「おーけー! 帰ったら一緒に青葉に会いに行くネ!」
「はいはーい! 鈴谷も行く!! このお漬物食べてもらう!!」
鈴谷が口の中をおばあちゃんの漬物でいっぱいにしながら、右手を勢い良く上げて、そう答えた。青葉への報告は賑やかなことになりそうだ。そして、恐らく今も苦しんでいるであろう青葉を、早く元気づけてあげなくては…という使命感にかられた。
「そのあとは何か予定はあるんですか?」
霧島のこの質問に対し、私は不敵な笑みを浮かべ、こう答えた。
「悪巧みデス! 今からダーリンをあっちで目一杯焦らすために、これから人生を楽しんでやるのデース。デュフフフフフゥ……」
「それはいいですがお姉様……笑い方が気持ち悪いです……」
「金剛さん、まじキモい……」
鈴谷からの腹立たしい一言で今晩の折檻を決意した私は、バスの進行方向を見た。バスに立ち塞がっているたくさんの交差点の信号はすべて青。どうやら私のプロローグは、幸先の良いスタートを切ったようだ。
終わり。
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