彼に似た星空
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16.提督はどこですか
「今、伊勢たちに瑞雲を飛ばしてもらって周囲を探ってるクマ。もしまだ周囲にいたら…ろくに他所に助けを求めることも出来ないクマ……」
出迎えてくれた球磨は、私にそう報告してくれると、悔しそうに歯ぎしりをしながら海を睨んだ。
球磨の話によると、敵の襲撃は突然だったらしい。一発の砲撃と三式弾による豪雨のような砲撃で、鎮守府は瞬く間に崩壊した。加賀や赤城などの空母勢も応戦しようと艦載機を飛ばしたが、すべてが敵の三式弾の前に撃墜させられた。
残った艦娘たちも水雷戦隊を組み応戦しようとしたが、港に入ることすら許されなかったようだ。鎮守府が誇る港湾施設もすべて崩壊。工廠も完膚なきまで破壊されていた。
私達は、瓦礫の山となった鎮守府を前に呆然となった。私たちが守るべき鎮守府…私たちが帰るべきホームは、こんな崩壊した瓦礫と鉄くずの山ではなかったはずだ。もっと荘厳だったはずだ。それなのに、今私の前に広がるこの光景はなんだ? 私たちが守るべき鎮守府はもっと美しかったはずだ。帰るべきホームは、もっと温かい場所だったはずだ。こんな崩壊した瓦礫の山では断じてないはずだ。
そういえば、提督はどこに行ったのだろう? 艦娘たちはなんとか全員無事だという情報は先ほど球磨から聞いた。しかし、彼女は提督の話をしてない。私にとって、一番大切な彼のことを全く聞いてない。
私は、提督の執務室があった場所まで走った。体中が痛みに悲鳴を上げた。足はきしみ、思うように走ることが出来ない。先ほどの激しい戦闘のせいで、体中に力も入らず、足を持ち上げることも難しい。周囲は瓦礫が散乱しており、自分が今走っているこの場所がどこだったのかもわかりづらい。それでも私は、執務室まで走った。途中瓦礫に何度も足をとられその場に転んだ。その度に、全身に刺激物でも塗布されたかのような痛みが走った。それでも私は立ち上がり、執務室に走った。
もはや損壊が激しく元の機能を失った壁をまたぎ、積み重なった瓦礫の中に、執務室のドアを見つけた。執務室はすぐ近くだ。
「テートク…テートク…!! 無事でいますよね……!!」
執務室の前には、ボロボロの姿で眼帯が取れた木曾がいた。そして、ここから見える執務室の室内には五月雨がいた。五月雨はこちらに背を向け、中腰で足元をキョロキョロと見回していた。
「木曾…テートクは…テートクは無事デスカ?! テートクに会わせて…会わせて!!」
私の目には涙がたまっていた。目の前は執務室……いつも提督がいた執務室。あのパーティーの夜、私に鎮守府の大切さを教えてくれた場所。そして、私と彼が結ばれた場所。きっと提督は今も執務室にいる。そして私を待っている。
木曾は、自身が持っているサーベルを抜き、私に向けた。
「来るな」
はじめ、私は木曾が何を言っているのか意味が分からなかった。来るな? 来てはいけない? 彼には会わせてくれない? なぜ? 私は彼に選ばれているのに? あの晩、木曾は私に彼を頼むと言ったのに……?
「……木曾、会わせて下サイ…テートクに会わせて下サイ!!」
「ダメだ。お前には見せられない」
「いやデス…通して下さい木曾」
「絶対に通さない」
「通してくれないなら力づくで通りマス!」
「それで気が済むなら、俺のことをいくらでも殴ってくれ。だがここは通さない」
「……木曾ッ!!!」
私は右拳を思い切り握りしめた。木曾が彼に会わせてくれないというのなら、木曾を力で排除してでも私は彼に会う。私は木曾を殴り飛ばす覚悟で、右手に力を込めた。
「……金剛さん?」
不意に、執務室の中から声が聞こえた。五月雨の声だ。壁が壊れドアが吹き飛び、執務室は私と木曾がいるこの廊下からよく見えるが、彼は恐らく私から死角になっているところにいるのだ。私がいる場所から彼の姿は見えない。
代わりに、五月雨の姿はよく見える。彼女は中腰で、床をジッと見つめている。
「五月雨?!! テートクはいますか?! テートクに会わせてくだサイ!!」
木曾が歯を食いしばった。サーベルは私に向けたままだが、視線を私から外した。彼女の歯ぎしりが、私にまで聞こえてきた。
「金剛さん…それが……」
「どうしたの?! 五月雨?! テートクはどうしたんデスカ?!!」
「それが…私、ドジっちゃったみたいで……提督、この辺に散らばっちゃったんです…探さなきゃって思って、探してるんですけど……」
「え……?」
木曾はサーベルを力なく下げた。目には涙が溜まっている。
「足元を見てみろ」
木曾にそう言われ、私は足元を見た。たくさんの瓦礫が真っ赤に染まり、小さな肉片が飛び散っているのが見て取れた。
「……球磨姉ぇから敵の砲撃のことは聞いたか?」
「き…聞きましたけど…それより…テートクは……?」
「最初の砲撃、執務室に直撃したんだ」
木曾は声を震わせ、怒りと、それ以上の悲しみを押し殺すように、潰れた喉から力づくで絞り出した声で、そうつぶやいた。
「金剛さん、その辺にありませんか? 手は見つけたんですけど…早く提督を元に戻さなきゃ……」
執務室で五月雨が大切なものをなくして困っている子供のような涙声でそう言っている。
「五月雨は……提督と一緒に執務室にいた」
嘘だ。
「五月雨は……あいつが砕ける瞬間、その場にいたんだ。あの様子だと、ひょっとしたらその瞬間を見ていたのかもしれない……」
嘘だ。
「お前には…お前にだけは見せるわけにはいかない」
「嘘デス!!」
私は木曾を突き飛ばし、執務室の中に入ろうとした。だが突き飛ばされた木曾は倒れず、逆に私の背後に回りこみ、私を腕ごと抱きしめ、制止した。
「金剛……察してくれ……お前は……見ちゃダメだ……!!」
「いやデス!! 会わせて下サイ!! テートク…テートク……!!」
「すまない金剛……あいつを守れなくて……!!」
「謝らなくていいからテートクに会わせてくだサイ!! テートク!!」
顔を見なくても、木曾が泣いているのが分かった。歯ぎしりも聞こえた。悔しそうに何度も何度もしゃくりあげていた。
「金剛さん、やっぱりこっちはもう提督が見当たりません……このままじゃ提督、元に戻せません」
「テートク…テートク……!!」
「どうしよう……もっと遠くに飛んでっちゃったのかな……困ったな……」
五月雨の困ったような涙声が聞こえる。いつもの、ドジをして困った事態が発生したときのような、本人にとっては重大な事態でも周囲にしてみれば微笑ましいケースの時のような…今一事の重大さが伝わらない、五月雨独特のいつもと変わらないトーンで、五月雨は提督を探し続けている。
嫌だ。認めたくない。彼は死んでない。この二人は嘘をついている。彼はこの壁の向こうで生きている。きっと私を待っている。私には分かる。私が彼を愛していて、彼は私を愛しているのだから。昨日、この執務室で、彼は私にそう言ってくれたのだから。
五月雨が振り返った。彼女の服の前面は血まみれになっていた。血まみれの原因は、彼女が大事そうに抱えていたものにあった。それを見た時、私はすべてを察した。この二人は嘘をついていないことと、提督はもう生きてはいないこと。彼は理不尽に殺されてしまったこと。彼に触れることはもう出来ないこと。彼の声を聞くことはもう出来ないこと。彼と愛を確かめることはもう出来ないこと…すべて察した。私は立つ力をなくし、膝からその場に崩れ落ち、木曾に体を委ねた。
「嘘……嘘デス……テートク……」
「金剛……あいつを守ってやれなくて……すまない……」
私は声を上げて哭いた。喉に痛みが走り、枯れ、潰れても哭いた。木曾は私を、力を込めて抱きしめてくれた。『すまない』と何度も謝りながら、私が崩れ落ちてしまわないよう、あの日の彼のように、ずっと私を支えてくれた。
五月雨が両手に大事そうに抱えていたものは、あの時私の左手の薬指に指輪をはめてくれた、彼の右腕だった。
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