ヘオロットの花嫁
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ヘオロットの花嫁
前書き
レマー中将、原作では名前だけでしたので老人として設定しました。ヴィーゼンヒッター少将とは同期という設定です。
「こうして卿と飲むのも久しぶりだな」
それは、新領土軍の新領土進駐の前週の『海鷲』での出来事。
クナップシュタイン艦隊の参謀長ヴィーゼンヒッター少将は士官学校の同期であるレマー中将と一年ぶりに酒を酌み交わす機会を得た。
「お互い、忙しくなったからな。良い上官を持って」
任官以来一貫して参謀畑を歩んだヴィーゼンヒッター少将は前線指揮官として経歴を重ねたレマー中将に昇進では常に一歩後れを取っていたが、容貌は同期の友に一歩先んじていた。一足先に老境に入った皺深い顔に敬意を表したわけでもあるまいが、半ば色が抜けた鉄色の髪の提督は白髪の同僚のグラスに410年物のワインを注いだ。
「良い上官というより優等生の孫、だな。助言するよりついつい諫言して、言い聞かせたくなる。卿こそ、バイエルライン提督は教えがいがあろう」
すまんな、と言って注ぎ返したヴィーゼンヒッターに返ってきたのは、かつてと変わらぬレマーの笑声だった。
「違いない。提督は張り切り過ぎてはらはらさせるし、きかん気が強くて手を焼かせてくれるが、二十年後が楽しみだ。孫娘の婿になってくれないか、とはなかなか言い出せんがね」
「言えばよいのだ。堂々と、尻を叩けるようになろう。なんなら、俺が仲介人を務めてもいいぞ」
士官学校時代の悪童に戻ってかつての部下である上官を自慢する同期の友の失言に、ヴィーゼンヒッターは老巧の参謀長の仮面の奥から少年時代の意地悪秀才ぶりを蘇らせるとすでに酔いが回っている様子のレマーに指を突きつけた。
素面なら非礼とされる行為だが、お互い酔いが回っている今とあっては許されもしよう。杯が進みほろ酔いが本格的な酔いに移り変わるのをを自覚しつつ、ヴィーゼンヒッターは単純な性格の部類に属する友に久方ぶりのからかいを投げつけた。ヤン・ウェンリーの存命していた当時には明日の知れない緊張感から酒の力を借りてもなしえなかった軽口も、今なら叩くことができる。軽口を契機として未来の扉を開けることも、宇宙が統一された今なら可能だ。
「それは道理だが、無粋な俺でも初孫はかわいいものでな」
「曾孫はもっとかわいいだろう。その前に、孫息子ができるのは楽しいぞ」
「そういう卿の家族はどうなのだ。卿にも孫はいただろう」
「生憎と、酒の肴になるような旬のキャベツはなくてな。飛んでくる蝶もいない」
「無粋の家の強みか。本の虫め」
「そういうことだ。休暇となれば昼寝ばかりしているほうが悪い」
軽口の応酬がやがて少年時代の登下校時に返ったたわいもない口喧嘩に変わり、本気の勧めと謝絶の応酬に変わるのに時間はかからなかった。
そして秀才が悪童に舌戦の勝利を収めるのにも。
「我がクナップシュタイン閣下もそうだが、バイエルライン閣下もかくれなき勇者だ。だからこそ、死なせたくない。帰るべき故郷に救われる命は多いのだぞ」
「うむう」
夜が更け数本のワインの瓶が空になるころ、レマーは本気で孫娘と年下の上官であるバイエルライン大将との婚約を取り結ぶ気になっていた。元々目をかけていた部下である。皇帝ラインハルトの台頭がなければ、気鋭の大尉に上官が娘をおしつけるという形で実現していたかもしれない話だった。考えないはずはない。年を取って引っ込み思案になっていたか。
次の休暇に会う孫娘と血気盛んな若い大尉、今は副司令官として仕える上官の顔を思い浮かべながら、レマーは言った。
「帰るべき故郷か。赴く土地を真の故郷とできる者は幸せだ。願わくば、孫にもそうなってほしいものだな」
「卿の孫娘と婿殿なら、案ずることはあるまいよ」
言いつつレマーは老人の感傷だなと自らの言葉を内心自嘲したが、ヴィーゼンヒッターがそれを指摘することはなかった。予知能力者であれば、高次の自分が未来の死を予言したのだと言ったかもしれなかったが、二人は便利そうで不便な能力の持ち合わせもなく、そのようなものを必要とする性分でもなかった。老巧の彼らも皇帝ラインハルトに従った若い部下の多くと同じく、定まった未来など信じはしなかった。
彼らにとって、未来とは自分の手で築くものであった。
例えそのためにいかなる犠牲を払っても。
「この婚約に異を唱える者あらばたった今申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」
レマー中将の孫娘がカール・エドワルド・バイエルライン大将と婚約──軍務省も快諾した婚約の祝いはほとんど結婚の宴の体であった──したのは、ささやかな送別の宴から数週間後のことだった。焚きつけたヴィーゼンヒッターはすでに一万光年の旅路にあったが、ミッターマイヤー元帥やバイエルラインの後輩でもあるグーデ、ヨッフム、ホッターら若き提督たち、アダム大尉といったバイエルライン艦隊の司令部の面々が出席しての祝宴は話の決まった経緯を語る者がなくとも十分賑やかなものとなった。
そして彼らの多くが剣に斃れたその後も、残された者と去った者とに慰めと安心とをもたらすことともなった。
「堅実で真摯な軍人。曾祖父のよき後継者」と評されたバイエルライン家の次男がレマー大将となり第三代皇帝の名将列伝にその名を記したのは、この婚約から約半世紀の後のことである。
後書き
短すぎたかな…。
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