乱世の確率事象改変
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確率の惑うは誰が為
やはりというべきか、街の活気は以前に比べて増している。
強力な王が治める土地というのは安定しているのは言うまでも無い。人々が安心して暮らしていける証拠だ。
貧困に喘ぐ難民にも耕す土地を与え、賊徒が出ると聞けば即座に対処に回る。街から外れた所にある村であっても救済の手は届き、人が増えることで問題も増えるが、それを上回る有益が齎されている。
急速な発展はあまりよろしくないが、所属時から華琳様が苦心し、桂花さんが整えていた政治機構の体制の恩恵によって、今はまだ大きな問題は出ていない。
何よりも安全が第一。命が保障されるというだけで人は希望を持てる。民にとってはそれこそが求めているモノなのだ。
許昌は今や洛陽と比べても劣らない程になっていた。
今日はそんな街中にて、三人でお買いものをする為に歩いている。
普通は春蘭さんや秋蘭さんがついて来る。けど今日だけはと、華琳様は私達だけを連れて歩いていた。
「視察も兼ねて久しぶりに街に出てきたけれど……目に見えて効果が分かるというのは嬉しいものね」
髑髏の髪留めが小さく揺れた。嬉しそうに弾んだ声は柔らかく、机に向かって詰めてきたモノを確認出来て満足気。
綺麗に舗装された町並みも、通りを走る子供達や人々の笑顔も、全て自分達で作り上げてきた平穏の結果。彼と歩く時とは違った感覚で物事が見れて嬉しく思う。
「城下町の舗装は八割方終わってます。後は北区の裏路地の整備さえすれば“都市計画”の第一段階は完成ですね」
「ええ、許昌はこのまま進めていいわ。あいつが言ってた“市街化区域内”というのは問題ない。じゃあ、“非線引きの区域”はどうなってる?」
「村々を繋ぐ交通路の再整備や新装も滞り有りません。許昌と他の都市を繋ぐ“道の駅”の役割を持たせたことで商人達も足繁く通ってくれていますから」
「そう……端まで手が届いているのなら結構。この調子で行きましょう」
不思議な言葉を幾つか彼に教えて貰った。
私達の街を市街化区域、城壁の外を非線引きの区域と彼はそう呼ぶ。区域内では建築する家屋に条件を設け、街並みの景観にも気を配り、住めたらいいという家から趣味を盛り込んだ屋敷まで幅広く建物を扱うことにしたのだ。
細かい案だが、許昌という街を他には無いたった一つの存在に仕立て上げることには華琳様も賛成しており、これから五年か十年の後にはもっともっと人の集まる街となるだろう。
ちなみに非線引きの区域と呼ぶ村々は、後々に都市を支える重要な場所になるとのことで、それについても皆で頭を悩ませている所。
彼の異質な思考は受け入れがたい……が、私達にとっては新鮮で面白い。
単純に城壁を立てて街を作ることを考えている私達とは違い、彼は城壁に捉われずに“街”を作ろうとしているのだ。
箱庭のようだと彼は言った。壁に守られているのは安心に繋がるかもしれないけれど、管理されている意識は抜けないだろうとも。
難しい……本当に難しいことを彼は考えている。華琳様もそれを読み取っているからか、彼の思考の全てを引き出そうとはしない。
あまりにかけ離れすぎている価値観は猛毒にもなる。彼の思い描いている平穏は、やはり作るのが容易ではない。
――でも、出来ないわけじゃない。
それでも作ってみたいと思わせられて今がある。
許昌を中心とした都市計画化は、十年や二十年……いや、それ以上先を見て行っている大きな事業。
自分の人生だけでは見れないかもしれない。見れないと思う。でも……少しだけ、新芽だけでも見る事が叶うのなら、どれだけ素晴らしいことだろうか。
「……? 雛里?」
「ひゃ、ひゃいっ」
以降に潜ったままだったから、突然声を掛けられて飛び上がってしまった。月ちゃんも華琳様もクスクスと可笑しそうに笑っている。恥ずかしい。
「考えごと?」
「は、はい……彼が思い描く未来に、想いを馳せていました」
「……」
言うと、華琳様の雰囲気が僅かに険しくなった。笑顔は変わってないけど……少し怖い。
「そう、あいつのこと考えてたの」
「い、いえ……都市計画のことを」
「……誤算だったわ」
何を、と華琳様は言わない。
分からずに首を捻っていると、月ちゃんはまた小さく笑った。
「お仕事のお話をしてしまうとどうしても彼が絡んで来てしまいますよ? 華琳姉さま」
「そうね。少しばかり深く入り込ませ過ぎたかもしれない」
「取り込むことを決めた時点でそれは諦めるしかないと思います」
「……癪だけど、有用なのは認めるわ」
「でもやっぱり、華琳姉さまが人を集め、才を重んじていなければ此処までは出来ません」
「下手な慰めは止めなさい、月」
「ふふ……はい、申し訳ありません」
やりとりを聞いていて分かった。華琳様は……少し拗ねていたんだ。
自分と居る時くらいは、という子供のような……言ったら怒られそうだけど。
でも、怒っているのに怒っていない。そんな華琳様を見るのは初めてのこと。
まだ教えてくれない名前が決まってから、やっぱり月ちゃんは変わったと思う。
動じずに意見し、高きから物事を見て、華琳様の心も読みとる……まるで本当の姉妹みたい。
「前まではもう少し可愛げがあったのに……やっぱりあいつのせいかしら」
「はい。あの人のおかげです」
微笑んだ月ちゃんは何処か誇らしげだった。ちょっとだけ、ジクリと胸が痛んだ。
私も隣に並んで来た。でも、月ちゃんみたいにはなれない。それでいいことは分かってる。私だって、と思ってしまうだけだ。
「……なまいき」
「ひゃぅっ」
唇を尖らせた華琳様は、むにっと月ちゃんの頬を摘まむ。往来でのそんなやり取りに、道行く人達は苦笑を零しながらすれ違っていく。
「いい? 今日は私との“でぇと”なの。だからあなた達二人はあいつの話をするの禁止」
「ひぇも――」
「き、ん、しっ」
鼻先が触れ合うくらいの距離で言われて、月ちゃんはコクコくと首を振る。ジトリと私にも視線が向いた。こんな華琳様を見るのは初めてだけど……なんか可愛い、と思ってしまった。
「……雛里もこうされたいかしら?」
「い、いえ、わかりましゅた、あわわ……」
鋭く私の視線に気付いた華琳様はに睨まれる。噛んじゃった。恥ずかしい。
やっと月ちゃんの頬から指を離して、落とされたのは盛大にため息を吐いた。
「さ、行くわよ」
少し涙目になっている月ちゃんと、若干ちくちくする空気を纏った華琳様に並んで歩く。
彼の話をするなとは言ったけれど……それなら仕事の話は出来ない。それほど深く入りこんでしまってる。
何を話そう、と思っても直ぐには思いつかなかった。
土台を作り上げたのは華琳様達で、私達はそれに乗っかっただけ。でもやっぱり彼の思い描いている世界は私達のようなモノにとっては魅力的過ぎて、どうしても思考の外には追い出せない。
街を見ても、人を見ても、此処に来た時よりも良くなった。
足りなかったわけじゃない。上乗せされてしまったから、元々在ったより良い世界が霞んでしまったということ。
ううん、言い換えよう。
――華琳様達が作るはずだった街が、華琳様達と彼と私達で作る街になったということ。
自分達のおかげ、なんて浅ましいことは思わない。ただ単純に、彼と私達で僅かに世界を変えられたことが、やっぱり嬉しい。
実感出来る世の中の改変に立ち会えているこの瞬間に胸が弾む。
「雛里、またあいつのこと考えてるでしょう?」
「あわっ」
「分かり易過ぎ。あいつのことで思いに耽ってますって顔に出てるわ」
「そ、そんなに分かり易いですかっ?」
「ええ、春蘭や桂花くらいにね」
「あぅ……」
どうしてだろう。そんなに顔に出てるなんて。
稟ちゃんみたいに表情に出ないようにしたいのに、戦の時以外ではこんなにもダメダメだ。
呆れたようにまたため息を吐いた華琳様の隣で、月ちゃんは手を口に当てて上品に微笑んだ。
「雛里ちゃんは秋斗さんのこと大好きだもんね」
「ゆ、月ちゃんっ」
顔が熱くなっていく。誰かに自分の気持ちを言われるとこんなにも恥ずかしいのか。
「はぁ……もういいわ。またあいつの話になってるじゃない」
「華琳姉さまもそんな頑なにならなくても」
「いやよ。こんなに可愛い雛里と月にとって、私が一番じゃないのが許せない」
拗ねたような口ぶりで、華琳様は突拍子もないことを言った。
そういえばと思い出したのは、彼女が同性を好きな人だったこと。忌避もなく大胆な発言をする彼女にこっちが恥ずかしくなってしまう。
でも、月ちゃんは全く動じずに微笑んでいた。
「華琳姉さまも一番ですよ?」
「誰もが一番で優劣なんてない、とか言うつもり?」
「いいえ、私の一番の姉さまという意味で」
「他にも姉が居るとでも?」
「順番によっては……そうなるかもしれませんね」
「順番……? ああ、そういうこと」
そうなるかもしれない、の意味が分からずに首を傾げた。華琳様は直ぐに気付いたようで、何故か私の方をチラと見て直ぐに視線を月ちゃんに戻す。そのまま……凄みのある笑みを浮かべた。
「月? あなた……ろくでもないこと考えてるみたいね」
「そうでもしないと欲しいモノは手に入りません」
「否定はしない。けれど私はこう返す……その程度で満足?」
「いいえ、“その程度”じゃありません。“それくらい大きなモノ”が欲しいんです。だって私が欲しいのは華琳姉さまとは違うモノなので」
「へぇ、言うじゃない」
どんどんと話が進んで行く。話の流れの途中で華琳様の空気が柔らかくなった。どうしてかは分からない。
「そ、その、何のお話をなさっているんでしょうか?」
教えて欲しくて聞いてみた。月ちゃんの欲しいモノも、華琳様の欲しいモノも聞いてみたい。
「悪いわね雛里、月が欲しいモノの事だけれど……何が欲しいのかはいつか月に聞きなさい。今は言えないでしょうしね」
「そうなの? 月ちゃん」
「うん、ごめんね。いつか絶対話すから」
いつか話してくれるのなら。きっと大切な話なんだろう。出来れば協力したい。一緒に彼を支えてくれる友達に、私も何か返したい。
(繋ぎ止める鎖は強くて多い方がいい……例え矜持を無視しても、か)
「え……?」
「なんでもないわ、さあ、気を取り直して本屋にでも行くわよ。もうあいつの話を止めないわ、あなた達二人には無駄みたいだしね」
ぽつりと何か華琳様が言ったけどよく聞き取れず、ふっと笑った後に歩き初めてしまった。
急ぎで着いて行く。歩きはじめる前に私に向けた華琳様の視線が暖かかったから、きっと悪いモノでは無いはず。
「雛里ちゃん、行こう?」
「うんっ」
銀月のような彼女の微笑みも、何処か華琳様と同じようなモノで。
深く聞かなくてもいい。月ちゃんが話してくれるその時に、私も一つの願いを話してみよう。
――いつか戻ってくる“あの人”を、皆で幸せにしてあげたいから。
わがままかもしれない。わがままなのだろう。
きっとあの人はそれを望まない。でも私は望んでみたい。
傲慢かもしれない。傲慢に違いない。
この唇に、優しく想いを刻んで貰えたから。こんなことを願えるのだろう。
欲しいモノは私にもある。
彼女達の誰の泣き顔も見たくないなんて、浅ましい願いが。
彼の事を皆が想って、彼を救ってほしいという愚かな願いが。
フルフルと首を振った。
醜さに嫌になる。でもやっぱり、一人でも多く幸せになって欲しいから。
そうして差し出された手を握って、楽しげに揺れる二つの螺旋を追い駆けた。
†
本屋さんで新作の本を見て、店長さんのお店でおやつを食べて、服屋さんで真新しい服を見て回って、気付けばもう夕暮れ時。
少しだけ肌寒い風が頬を撫でる頃、通りを行く人の数も一人二人と減っていく。
楽しい時間は直ぐに過ぎてしまうモノで、彼と共に街を歩いている時や、忙しく仕事に集中している時と同じように時間が流れてしまった。
華琳様もどうやらこの時間が楽しかったようで、時を置く毎に上機嫌になっていた。
服屋さんに入った時なんか、私や月ちゃんの着せ替えに熱中していた程だ。
曰く、美しい華をより美しく見せなければ許せない、らしい。
私に一つ、月ちゃんに一つ、服を買ってくれた。
よく似合ってる、と褒めてくれたその表情は、一仕事を終えたような満足さが浮かんでいて、じわりと胸が暖かくなった。
その後で、下着を選んでいた時の獲物を狙うような感じは少し怖かったけど。
今日は普段見られないような華琳様の姿を沢山見た。
笑った顔も、怒った顔も、拗ねた顔も、意地悪をする時の顔も、悪戯を思い付いた時の顔も……覇王と呼ばれる彼女には似ても似つかないモノ。
そんな華琳様の表情を眺めながら、月ちゃんは優しく微笑んでいた。金と銀の二人が並んでいたその姿は、まるで仲の良い姉妹のよう。
途中で気付いた。華琳様がこんな風に息抜きすることは無かったのではないか、と。
春蘭さんや秋蘭さんは旧知の仲で従姉妹で姉妹のようだと言っても、やはり王と臣下という線引きが為されている。桂花さんにしてもそう。風ちゃんや稟ちゃんにしても、華琳様は王足らんとするだろう。
休憩にお茶を飲みながら浮かべていた表情は、焦れているような、もどかしいような、そんな顔。
どうしても仕事のことが頭から離れない性分だと分かっているから、私達は敢えて何も言わずに会話だけを紡いでいた。
華琳様が、少しでも気を休められるように。
だから、こんな質問を投げてみた。
『華琳様は行ってみたい場所とかありますか』
唐突に思い浮かんだその質問。月ちゃんと詠さんに聞いた時は、彼が大好きだったあの街に行ってみたいと言っていた。私は……誰にも言えないから内緒にしている。
華琳様はじっと私の目を見返して呆れたように笑った。
返された答えは……予想だにしないモノだった。否、私と“同じ”だった。
『そうね……あのバカが参考にしている国に行ってみたい。そんな機会はきっと、永久に来ないでしょうけど』
寂しそうに消えた声は、お茶と共に飲み下されるだけ。
もしかしたら華琳様は、彼の正体に気付き始めているのかもしれない。
私がずっと考えないでいたあの答えに。
――まるで彼が、別の世界から来た人間であるかのように。
華琳様の答えを聞いて、私は身が凍る思いだった。
気付いてしまうと華琳様は彼を受け入れられない。彼を受け入れることは、華琳様の矜持に反してしまう。
天に与えられた役割を持つ操り人形に、この世界を牛耳らせる訳にはいかないから。
自分達が作った世界が、マガイモノに感じてしまうから。
人が人の手で作る平穏こそを望む覇王は、天の介入を許せない。
やっぱり華琳様と彼は似ている。だからこそ、彼は壊れてしまうほどの自責に縛られた。
ただ幸福ならいいじゃないか、と言えない。
与えられた箱庭で満足すればいい、と思えない。
道筋の決まった幸せよりも自分達で切り拓いた未来を、と願ってしまう。
二人なら、同じ事を言うだろう。
“其処にどんな不幸が待っていようと、進んだ道筋こそが自分の生きた人生。
その生きた証を誇らずして、胸を張って生きたと言えるだろうか”
先に繋ぎたいから、二人はそうやって誇りを示す。
一人は自分に正直に生きていて、一人は自分に大嘘をついて生きている。
他者にそうあれかしと願うのはどちらも同じで、許せないモノも同じで、欲しい世界もまた同じ。
だからやっぱり……私は口を噤まなければならない。
気付いてしまった彼の真実に蓋をして、二人が袂を分かつことの無いように、と。
閑話休題。
幾分歩いた。城への帰り道はもうすっかり夜に近く、人の通りはほとんど無い。安全が何処よりも充実しているとは言っても、やはり路地の暗さは少し恐ろしい。
月ちゃんは慣れているらしく、華琳様は動じないのは知っている。だから……
「……もし」
「あわっ」
突然声を掛けられて驚いたのは私だけだった。
飛び跳ねた拍子にぎゅうと華琳様に抱きつく。影に隠れながらその方を見ると……帽子付きの外套を来た人が一人居た。
顔は見えない。掛けられた声から女の人だとは思うけど、その風貌からか怖く思った。
「何かしら?」
「……」
僅かに威圧を含んだ華琳様の声が場に響く。透き通った声音に対して、その女の人は何も答えず沈黙していた……が、すっと腕を上げて掌を返し、華琳様の方に向ける。
「管輅と申す。一つ、占いを聞いてくれまいか」
顔も出さずに名乗った女の人の名前は、何処かで聞いたことがあった。
記憶を探って思い出したのは、凄腕の占い師が街に居るという噂話。その人の名前と一緒だった。
華琳様も知っていたようで、片目を細めて管輅と名乗った女の人を見つめた。
「へぇ、あなたが噂の管輅?」
「いかにも……希代の覇王、曹孟徳」
「そう、私を覇王と呼ぶの。覇王と知りながら占いを持ちかけるなんて、中々の度胸じゃない」
「そなたがその類を信じぬことは知っている……が、聞いておく程度なら損はない、乱世の奸雄よ」
息を呑んだ。
乱世の奸雄なんて、侮辱に等しい言葉をこんな真っ直ぐ華琳様に向けるとは思わなかったから。
そう呼ばれていることは知っている。あの袁家の終末が噂と広まっている今では、華琳様は他の街でそう呼ばれたりもしていると報告されている。
無礼は責めてもいい。面と向かって侮辱されたモノが王なら、頸を落とされても文句は言えない。王の立場は、軽くは無いのだから。
目を厳しく細めた華琳様は、僅かに吊り上げた口元で言の葉を流した。
「……面白いじゃない。乱世の奸雄とまで呼ぶの。それなら、続きを聞いてあげてもいい」
楽しそうに返す華琳様は何も気にせずに不敵に笑った。春蘭さんが居れば怒っているだろう呼び名を、気にも留めずに。
驚きに何も言えずに居ると、返答を受け取った管輅さんは、じっと動かないでいること幾瞬、静かに祝詞のように占いを紡いでいった。
「人の道を照らす日輪の覇王、人の和を信ずる王と相対せし。
相容れぬ想念は交わることなく刃を持たせ、儚き華が咲いて散りゆく。
止まること呑み込まぬ限り、安息が来るのは死でしか叶わず。
努々忘れることなかれ、平穏は敗北の先にもあると」
それは、占いというよりも未来の予知。
来るべき仁徳の君との戦の結末を諭しているかのように……まるで、華琳様が敗北するかと言っているかのように。
じくり、と胸が疼いた。湧いた感情は怒り。決めつけられるなんて、心外だ。
でも華琳様は……小さく鼻を鳴らした。
「ふふ……夢半ばで死んでしまうのならば私はその程度だということ。でも、私の平穏は私が決める。あなたの言う通りに、私が切り拓いてみせましょう。
雛里、この者に礼を」
「え……でも」
「いいのよ。私が征く道は私が切り拓くという約束の為なのだから」
揺るがない。怒りも持っていない。華琳様はやはり楽しそうに管輅さんを見るだけ。
しぶしぶ、私が代金を渡そうと懐を探り始めると……驚くことに管輅さんは月ちゃんにも同じように語りだした。
「宵闇に明かりを落とす銀月の王。夜天の中、二つの確率に苦悩せし。
一つは幸福の後の絶望。一つは絶望の後の平穏。どちらかと解すは終末のみ。
どちらに救いがあるとも思えぬ道の果て、片や冷たき王の頂に、片や魔に堕ちし者に辿り着く。
努々忘れることなかれ、二つ以外の平穏を望むのならば夜天を抱かぬよう」
今度は少し詳しい予知が流された。
月ちゃんは不思議そうに首を傾げた後……いつものように柔らかく微笑んだ。
「人の生には選択肢はつきもの。私は選んだ結果に後悔を挟むことなく受け入れ、進むだけ。どのような世になろうと、私は日輪と共に輝く銀月となり、夜天を抱いて世を照らします」
確たる芯を以って語られる言葉は力強く、昔の月ちゃんのように覇気を纏って放たれた。
一寸、管輅さんから悲哀が零れた気がした。きっと気のせいだ。失礼なことばかり言うこの人が、私達にナニカを感じているとは思えない。
私がじっと見つめていると……管輅さんは首を振った。私の方を向いてから、大きく息を呑んだ音が聴こえた。
「そ、そなたは……」
「な、なんでしゅかっ」
二人とは違った反応が返ってきた事に驚く。
震える吐息を吐き出して、彼女はゆっくりと言の葉を流していった。
「……鳳凰、空に羽ばたく、故に空に届かず。藍橙の空は泡沫の幻なり。
大局に抗いし黒き麒麟を止めること叶えば、願いの一つは与えられん。
しかれども……焦がれる想いはやはり空に届かず、泡沫の夢と共に散りぬ」
二人とは違う占いの途中、管輅さんがぎゅうと胸を押さえた。まるで彼のように、ナニカが壊れる前の彼のように。
「……大局に抗いし黒き麒麟を止めずに居れば、願いの一つが叶えられん。
終わらぬ再演に終末が来たり、世に平穏が現れる……黒き麒麟の崩壊を以ってして」
絶句した。頭が真っ白になった。
この人は何を言っている?
この人は何を決めつけている?
大局? 何のこと? 大きな流れ? わけが分からない。
あの人が抗うのなんていつも通りだ。いつでも、いつだってあの人はナニカに抗っているのだから。
しかし何故か、胸に不安が湧き立った。
――あの人が抗う大局。違う……黒麒麟が抗う大局はいつだって――
最大の矛盾を大局と呼ぶのなら、彼が抗っているのは間違いなく……
隣を見ると、華琳様が不快気に眉を寄せていた。
「……黒き麒麟が抗う大局とは、私のことかしら?」
「……」
「沈黙は是と取る。では質問を変えましょう。あなたは何モノ?」
「……管輅、ただの占い師」
「私はね、不可思議な言動で内部混乱を狙っている他国の細作か何か、かと思っているのだけれど?」
「そう思うのならばそう思うといい。ただ……鳳凰に対しての占いはまだ終わってはおらんぞ」
華琳様の予測が一番しっくりくる。
訳がわからない発言で私達の思考を縛りに来た何者かとしか思えない。
でも彼女の言葉の続きを、私は聞くしかなくなった。
「へぇ……続けてみなさい」
冷たい声で言う華琳様は、時間の無駄だと言わんばかり。気にするなと目で伝えてくれる。
そんな優しさを受けても、私はどうしても、胸に湧いた嫌な感覚が拭えないでいた。
「……大局に抗いし者の末路は身の破滅。確率事象は収束する。
黒き麒麟を失いたくないのならば、決して大局には抗わせるな。その役目を担えるは鳳凰のみ。
努々忘れることなかれ、歪められし世界は黒き麒麟の……異端の存在を決して許さぬ」
そんな事、分かっている。
華琳様に抗ったその時は、狂ってしまっているその時は、私達が全力で止めるのだから。
ずっと準備を進めている。優しい人達ばかりだから……皆、彼を大切だと思っているから、抗わせたりなんかしない。
何より、世界なんかに許して貰わなくても……あの人は自分で世界を変えていく。許しなんて必要ない。思うが儘に世界を変える黒麒麟は、私達と一緒に平穏を手に入れるんだから。
世界の全てが敵になろうとも、彼は抗うことを止めない。そんなこと……私が一番知っている。
この人は敵だ。
予言なんて、天が決める道筋と同じ。
そんなモノに従って幸せになっても、なんら価値なんてない。
私達の生きる道は、私達だけのモノだ。運命は自分で切り開くモノだ。
天などに従うわけにはいかない。其処に幸せがあるとしても、私達はそんな下らないモノに縋りついて幸せになんてなりたくない。
「……帰って、ください」
「雛里……?」
「雛里ちゃん?」
小さく零した拒絶。華琳様と月ちゃんが心配してくれてる。
分からない。きっと分からない。
二人はあの人の真実に気付いていないのだから。
気付かせるわけにはいかない。あの人は、私が守る。あの人の帰る場所は、私が守る。
睨みつけた。顔が見えないのがもどかしい。
どんな顔をしているのか。私達の人生を弄ぼうとするこの人は。
天に遣わされてきたというのなら、私の敵だ。
天に従わせようとしているのなら、私達の敵だ。
抗われたくない世界の意思だというのなら……愛しいあの人の敵だ。
拒絶し、否定し、排除しよう。
私達には、天の手助けなど必要ない。
「帰ってっ」
「……」
強く言うと、首を振って管輅さんは路地の闇に向かった。ぴたりと脚を止めて振り向くことなく、空を仰いで紡いだのはこんな言葉だった。
「……虚数は世界に認められない。主人公の居ない物語に救いは無い。人々が望むのは“天の御使い”ただ一人。正史の想念には、外史の想念は抗えぬ。
しかし正史が捻じ曲げたのもまた事実……正史によって紡がれずに居た二人の内一人よ。終端にて、ハザマに住む雉を待つがいい。さすれば願いの一つは叶うだろう」
謎ばかりの言葉を残して闇に溶ける寸前、瞳が見えた気がした。
誰かに似ていた。誰かは分からなかった。
胸がもやもやする。
ずっとずっと、彼女が消えても私は路地の闇を睨みつけたまま。
何度も何度も、最後に残した言の葉の列が頭に反芻される。
――人々が望むのは“天の御使い”ただ一人
私には……世界に望まれる“天の御使い”が、彼だとは思えなかった。
昏い路地の奥で、一人の女が空を見上げていた。
カチカチと鳴らした歯は恐怖を表す。震える身体をぎゅうと抱きしめて、それでも空から目を離さない。
「此処は、この外史は、イカレている。
崩壊に巻き込まれるわけにはいかない。別の私が構築されるとしても、今の私は消えたくない」
さっと指を合わせて、幾つかの印を結び繋ぐ。
「羽を得た鳳雛が慕う男の名、黒麒麟、と言ったか。アレの後ろに居るのは……間違いない。九頭雉鶏精、胡喜媚。
世界の外の理がたかだか一つの外史に干渉とは……消え行く運命にある虚数を救うつもりか。
中立の予定調和は此こまで。私の今回の役目、虚数外史でありながら認識された天の御使いへの助言は終わった」
空間が歪む。亀裂の入った宙は、何処か別の街を映し出す。
「管理者の干渉はご法度。あくまで我らは、主人公に肩入れしてはならぬ。それが役割でない以外は。
これだけのイレギュラーが外史を掻き乱して居るのに貂蝉が出て来ないのは、そういうことか。私は今回、世界側の役割と」
白き衣服を纏った少年が少女達と笑い合うその世界は、此処よりもずっと幸せに満ちていた。
ずぶり、と手を入れ、彼女は少しずつ世界から切り離されていった。
ふと、蒼髪の少女を思い出して、彼女はまた独り言を零した。
「……見えた未来と助言のほとんどは世界に選ばされた選択肢。しかし最後の一つは、世界の思惑を超えた有り得ない終端のカタチ。其処に辿り着けるのならば、恋姫外史の確率事象は改変されるであろう」
願わくば、と彼女は目を閉じる。
役割を果たすだけの自分は、イレギュラーには為れないと知っているから。
「絶望の果て、再演を望むのならばゼロ外史でまた会おう。御使いを否定せし異端な恋姫よ」
亀裂が閉じれば其処には何も残らない。
静寂の闇が、絶対者として居座るだけであった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
魏√で出てきた占い師さん。
この物語では本人以外に語るカタチ。
またフラグが乱立してしまったようです。
何故、御使いが消えたのか。そんなテーマも私の物語には含まれております。
私はその疑問に対する考察をこの物語で示すつもりでございます。
皆さんはどのように考察をしておられるのか、それもまた楽しみです。
なので私の考察に対する謎解きも楽しんで頂けたら幸いかと。
今年はこのお話でおしまいです。
よろしければ、完結までお付き合いいただければ嬉しい限り。
今年はありがとうございました。これからも楽しんで読んで頂けたら幸いです。
よいお年を。
ではまた
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