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八神家の養父切嗣

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三話:契約


 ふと気づくと目の前に誰かが居た。
 不思議なことに近くにいるはずなのにその人物の顔は見えない。
 どこかで見たような気がするがどうにも分からない。
 ボンヤリとして形がない。そんな人物の様子に切嗣は、これは夢なのだと理解する。
 先程まで何があったのかも詳しくは思い出せない。
 頭が正確に動いてくれない。しかし、それでもいいかと思えてしまう夢の中。

『助けて』

 不意に小さな声が響いてくる。
 振り返ってみるとそこには二つに分かれた線路に縛られた状態で横たわる一人の子供がいた。
 もう片方の道には二人の子供が同じように横たわっていた。
 そこへ列車が走ってくる。もう、止まれる距離ではない。
 どちらかの道へ必ず曲がらなければならない。
 切嗣はその様子を見て、死ぬべきは当然1人の方だと思った。
 だが、そうはならなかった。目の前の誰かが動いたのだ。
 
 謎の人物は信じられない速さで一人の子供の元へと駆け出していき間一髪のところで救い出して見せた。
 
 ―――なんだ、この茶番は。普通は間に合うわけがないだろう。
 
 常人の四倍の速さで動けるならば可能だが人間がそんなにも早く動けるはずがない。
 そう思い、謎の人物を見てみると案の定、血反吐を吐いて蹲っていた。
 それも当然だろうと他人事のように見ていると助けられた子が声を出した。

『ありがとう』

 切嗣は信じられないとばかりに目を見開く。
 ありがとうという言葉にではない。
 謎の人物が死にかけの体であるにも関わらずに笑ったからである。
 それも、本当に嬉しそうに、まるで救われたのは自分だとでも言うように。
 羨ましかった。ただ、その笑顔が羨ましかった。

『助けて』

 また、声が聞こえてきた。今度は5人が乗る船と10人が乗る船に同時に穴が開いていた。
 そして、どうやらそれを直す技術を持っているのは謎の人物だけらしい。
 自分ならば迷うことなく10人の乗る船を優先する。
 だというのに、謎の人物は5人の船を優先した。愚かだと思った。
 だが、謎の人物は10人の乗客に的確に指示を出して何とか船が沈むのを止めていた。
 そして、5人の船が直り次第にすぐに10人の船を修復して両方を救ってみせた。

 ―――なんだ、このご都合主義の塊は。

 出来の悪い映画を見せつけられている気分であった。
 こんなこと、常識的に考えればあり得ない。どちらの船も沈むバッドエンドが普通だ。
 しかし、目の前の光景は完璧なまでのハッピーエンド。
 乗客は口々に謎の人物に感謝の言葉を口にする。

『ありがとう』

 そして、謎の人物は顔が分からない状態であるにも関わらず本当に嬉しそうな笑顔を見せる。
 その笑顔が羨ましくて心がどうしようもなくささくれ立つ。
 全てが救われるという最高の結末だというのにこの苛立ちはなんであろうか。
 その後も、謎の人物は『助けて』という言葉があれば飛んでいき、助け続けていった。

『ありがとう』
『ありがとう』
『ありがとう』

 助ける度に言われる心からの感謝の言葉。
 衛宮切嗣が一度たりとも聞くことができなかった尊い言葉。
 こんな結末など不可能だろうと思いながらも心のどこかでは羨ましいと感じる。
 ご都合主義でも良かった。目の前の人物のように誰かを救えればよかった。
 でも、自分にはそんなことなどできない。目の前の彼のように奇跡を起こすことはできない。
 そう、思っていた。

『助けて』

 その声を聞いた瞬間に全身が凍り付いたかのような感覚に襲われる。
 何故なら、その声はかつて助けようとして救えなかった少女の声なのだから。
 夢だというのに全身の皮膚から冷たい汗が噴き出て止まらない。
 恐る恐る振り返ると、少女は確かにいた―――全身を血で染め上げた状態で。

『君はさ、どうして私を助けてくれなかったの?』
「ぼ、僕には……そんなことはできなかったんだ」
『うそ。だって―――君は人を救えているじゃない』

 少女の指が示す方を壊れたブリキ人形のようにゆっくりと向く。
 そこには先程と同じように人を救い続ける謎の人物が―――衛宮切嗣(・・・・)が居た。
 頭が真っ白になりその場に崩れ落ちる。そして思い出す。
 自分は目の前で奇跡を目撃したことを。全ての行いを否定されたことを。
 何よりも―――彼女が救えたことを。

『どうして、僕は殺されたの?』
『どうして、私は死なないといけなかったの?』
『あんなにも素敵な未来が待っていたかもしれないのに、どうして?』

 少女とは別の声が聞こえてくる。
 顔を上げてみるとそこには衛宮切嗣が殺してきた者達が居た。
 誰一人として忘れてなどいない。必ず価値のある死にして見せると誓った者達。
 だが、現実はどうであろうか。

『俺が死んだ意味はなかった』
『娘が殺される理由なんてどこにもなかった』
『僕達は一体何のために殺されたんだい?』
「あ…ああ……っ」

 気づけば目の前には死体と十字架だけが立ち並ぶ大地が広がっていた。
 全員が自分につけられた傷が元で死んでいる。刻まれた名前は己が殺した者達の名前。
 彼が創り出してきた死の大地。
 数え切れない人間の骸があれど、一つたりとも意味のあるものはない。
 謝罪の言葉すら出てくることはなく、掠れた音が喉から出てくる。

『お前は私達を助けることができたんだ』
『なのに俺達を殺し続けた』
『世界の為だなんて大嘘をついて』

 糾弾の声が途切れることなく響いてくる。責められることは良かった。
 だが、自分達の死は無意味だったと本人達に言われるのは耐えられるものではなかった。
 蹲り、夢だというのに胃の中の物を全て吐き出してしまう。

『君は全てを救えるんだよ』
「僕は…僕は…ッ!」
『だからさ―――助けてよ』


 ―――私達を助けてよ。


 大勢の声が直接、切嗣の脳を揺らす。
 助けてくれと、救われるべき人間が自分に懇願する。
 何度も命乞いをされてきた。何度もそれを拒んできた。
 しかし、これはそのどれとも違った。殺してしまった人間からの願い。
 無意味な死に追いやった者達の言葉。糾弾ではない心からの願望。
 生きたいのだと、死にたくないのだと、助かりたいのだと叫ぶ。

「僕には……僕には! 助けられない…ッ」
『だからそれは嘘だよね。ほら、あっちの君はまた人を救っているよ』

 ただの人殺しである自分には君達は助けられないのだと叫ぶ。
 だが、彼らは彼が現実から目を逸らすことを決して許さない。
 無理矢理に頭を掴まれ目を向けさせられる。
 
 あちらの自分はまた人を救おうとしていた。
 生存者など誰一人として居ないような火事の中を走り回っていた。
 自分だったらそんな無駄なことする時間があるのなら誰かを殺す計画を立てている。
 しかしながら、彼は目の前の誰かを救う為に走り続けていた。
 そして、小さな命を、手を握ることに成功していた。
 決して諦めずに走り続け、小さな救いを得ることができたのだ。

『ほら、君は誰かを救うことができたんだよ? だから―――助けてよ』

 無意味な犠牲となった者達が切嗣の周りを取り囲む。
 決して傷つけることなく、けれども、決して許すことなどなく。
 ただ、ただ、無価値な死に救いを求める。

『助けて』
『助けてくれ』
『助けてください』
『タスケテ』

 必死に自分を保とうと蹲り、耳を塞いで逃げようとする。
 だが、しかし。そんな甘いことは許されない。耳を塞ごうとも亡者の声は心を蝕む。
 ちっぽけな自我などでは彼らの声を拒むことも受け止めることもできはしない。
 たった一人の人間が背負うには余りにも重すぎる業。
 それを衛宮切嗣は知らぬうちに、望まぬうちに背負ってしまっていたのだ。


 ―――ねえ、私を助けてよ、ケリィ。


「――――――っ!?」

 少女の声が心抉り、修復不可能なまでの傷を彼の心に与える。
 まるで断末魔のような悲鳴を上げながら切嗣は目を覚ますのだった。





 気づけばどこかの研究所らしき場所にいた。
 激しい動悸が止まらず、体中から気持ちの悪い汗が噴きだしている。
 だが、そのことに気づかない程に切嗣の心は弱っていた。
 ただ、己の罪深さを憎悪し、無価値にしてしまった命に詫び続けるだけだった。
 そこへ、異形の笑みを浮かべた男が入ってくる。

「やあ、目覚めた気分はどうだい? 衛宮切嗣」
「……殺してくれ」

 スカリエッティの声に切嗣は静かに、深く、絶望した声で懇願する。
 こんな罪深い自分に生きる権利などない。
 せめて惨たらしく殺されてほんの少しでも償いたかった。
 しかし、そんな切嗣の懇願をスカリエッティは笑い飛ばす。

「くくく! 君ともあろうものが随分と甘い考えを抱いているものだね」
「……なにを」
「確かに今の君ならば私でも簡単に殺せる。だが、それでいいのかね? 君が無意味な死を迎えれば、それこそ君が殺してきた者達の全てが無意味になるのではないのかね?」

 真実であった。既に奇跡は起こるのだと証明された。彼らは死に必要はなかった
 しかし、まだ衛宮切嗣という男に価値があれば少しでも死んだ意味が出るというものだ。
 だが、ここで衛宮切嗣がゴミのように死を迎えてしまえば真の意味で彼らは無価値となる。
 どれだけ絶望した今でも、否、絶望した今だからこそそれだけは許せなかった。

「それは……できない…ッ。これ以上…彼らの死を愚弄することはできない…」
「その通り。衛宮切嗣は彼らに報いるために価値あることをなさねばならないのだよ、くくく」
「でも……僕には誰も―――救えない…っ」

 衛宮切嗣には本物の正義の味方として生きることができる道があった。
 しかしながら、別の道を選んでしまった彼にはもはや誰かを救うことなどできない。
 それは、力が足りないということではない。心が折れてしまったからだ。
 他ならぬ彼自身が誰かを救えるという希望を欠片も抱くことができないのだ。
 そんな人間ではどれだけ力があろうと何も救えない。
 否、何を救うべきかも分からない。

「僕にできることは殺すことだけだ。救う術なんて知らない…! いや、そもそも本当の意味で誰かを救うということに目を向けもしなかった。その結果がこの人殺しの完成だ!」

 掠れた声ながら腹の底から叫ぶ。
 この世の全ての人間が衛宮切嗣を許そうとも、彼だけは決して自身を許せない。
 奇跡があったのに、救う術があったのにも関わらず、見捨てた自分自身を。
 彼はただひたすらに呪い続ける。

「くっ、そこまで後悔するかね? 私としてはエゴを貫く人間は好きなのだがね」
「そんな理由で……人を死に追いやっていいわけがない。それは正義の味方なんかじゃない」

 自分の自己満足で人を殺していいはずがない。
 そう思うが故に切嗣は否定の言葉を返す。
 しかし、スカリエッティはさらに笑みを深めて両手を広げて語り始める。

「何を言っているんだい? 人間はみな己のエゴを満たすためだけに生きている生き物だよ」
「馬鹿な…。人間は……ッ」
「例え話をしよう。子供が幸せになってほしいという尊い願い。それは誰の欲望かね? 誰の心が元になっているかね?」

 ゆっくりと、大股で切嗣の周りを回るように闊歩しながらスカリエッティは語る。
 まるで、教師が子どもに物事を教えるかのような物言いに普段ならば不愉快になるのだが今回ばかりはそんな余裕もない。

「それは親の心だろう? 断じて子供の心ではない。見方を変えれば親は子供に自らの理想を、エゴを押し付けているとも受け取れないかね?」
「それは……そうだが……」
「君の願いも、あの少女達の願いも全てはエゴだ。自己を外した願いなど願いではない。故に全ての願いは、欲望は個人が抱くエゴに過ぎないのだよ」

 誰か一人を愛したいという願いも、大勢の異性を愛したいという願いも。
 世界を滅ぼしたいと願うことも、世界を救いたいと願うことも。
 それは総じてエゴだ。そこに貴賤はなく、平等に個人の欲望だけが存在する。
 どんな願いも個人が祈る以上は全てエゴとなり得る存在なのだと彼は語る。
 つまり、衛宮切嗣がかつて目指した正義の味方もまた。

「所詮は正義の味方も己の正義という名の欲望を満たすエゴイストに過ぎないのだよ」

 その言葉に切嗣はあることに気づく。
 誰かを救いたいという願いは、誰かが傷つくことを前提に成り立っているものだと。
 誰かが傷つくことを望み、自らの欲望を満たすためだけに人を救う。
 まさしく、エゴイストだ。

「故に私は肯定しよう。君の欲望を。誰かを救いたいというとんでもないエゴをね」
「僕は…ッ」
「ちょうど、救いを待つ者がいると言ったら君はどうするかね?」

 悪魔が囁きかける。その甘言に一度でも乗ってしまえば二度と戻ることはできないだろう。
 だが、それでも。誰かを救えるというのなら手を伸ばしたくなってしまう。
 こんな愚かな自分でも欲望を満たしていいのなら。

「私なら救う術を知っている。今までの犠牲全てに報いる方法を君に与えることができる」
「…………」
「何も心配することはない。君は今まで通りの行い(殺し)を続けていけばいい。私がそれを価値あるものにしてみせよう、正義にしてみせよう―――奇跡(・・)をもってね」

 悪魔が手を差し伸べる。切嗣はその手と自身の手を交互に見つめ考える。
 この手を取れば、自分は今までのように誰かを殺し続けていくことになるだろう。
 都合のいい手駒として一生を使い潰されるだけだろう。
 望まぬ道をかつてのような苛烈な意思もなく、()きだしの心のまま彷徨い続けるだろう。

「……本当に誰かを救えるのか?」
「ああ、前払いというのも失礼かもしれないが、私の研究も兼ねて君に救ってもらいたいものもいるしね」

 だが、それがどうしたというのだ。
 誰か一人でも救えるというのならば地獄への片道切符を喜んで受け取ろう。
 彼らの死が意味のあるものとなるというのならば自分の人生など安いものだ。
 例え、死後の魂までも縛られ、地獄を歩き続けさせられるのだとしても構いはしない。
 切嗣は手を伸ばす。そして―――


「誰でもいい……誰かを―――救わせてくれ…ッ」
「くくく、では、契約は成立だね」


 ―――ついに悪魔との契約を交わしてしまった。
 衛宮切嗣は人ならざる者に縋ってでも己の欲望を満たすことに決めたのだ。
 ゾッとするような笑みを浮かべ、スカリエッティは満足そうに頷く。
 そして、改めてを呪いの言葉をかける。


「これからの君は強いて言うならば―――世界の守護者というところかね。くくく!」


 スカリエッティはそうして、切嗣がこれから辿るであろう地獄を想像して、実に楽しそうに笑うのだった。





 空から降り注いでくる雪により町全体が白く染まった海鳴市。
 そんな一種の幻想的な景観を一人眺めている女性が居た。
 美しく輝く白銀の髪に、雪中でもなお映える白い肌。
 それを際立たせるかのように輝くルビーのように紅い瞳。
 敬愛すべき主から新たな名前を賜ったリインフォースがそこにいた。

「本当に世界は……美しいな」

 今から消えるからだろうか、全ての物が美しく感じられる。
 できれば、もっと生きてこの素晴らしいものを愛でていきたいがそれは叶わない。
 自分が消えなければ主の命が再び脅かされる。
 それだけは防がなければならない。故に今日、自分は消える。
 守護騎士達と小さな勇者達に頼んだ時間からは大分早いがそれでも自分が消えることに少しばかりの虚しさが残る。

「消えてしまいたいと思っていた私がそう感じるのも……優しい主はやてのおかげだろうな」

 自分を家族として受け入れてくれたはやてにはどれだけ感謝してもしきれない。
 その行く末を見守れないのは些か不安ではあるが、周りの者がいるのでそれは杞憂だろう。
 そんなことを考えていたところで後ろから足音が聞こえてくる。
 随分と早いなと思いながら振り向くとそこには予想だにしていなかった人物がいた為に目を見開く。


「驚いたな……お前まで見送りに来てくれるとはな―――切嗣」


 どこか優し気な笑みを向けるリインフォースに対して切嗣は無表情を貫く。
 だが、その顔には隠し切れない絶望感と悲しみが宿っていた。
 まるでかつての自分のようだと感じたリインフォースが声を掛けようとしたところで切嗣が口を開く。


「最後に一つ聞いておきたい。お前は機械か? それとも人間か?」


 どこまでも空虚な瞳で切嗣はリインフォースの瞳を見つめるのだった。
 
 

 
後書き
ブラック企業への永久就職おめでとう(白目)
本編がヤガミルートならこっちはエミヤルートかな。 
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