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草原の狼

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2部分:第二章


第二章

「それを届けるのか」
「わしが昔世話になった家だ。その家の婚礼にな」
「けれどよくそんなものを贈るな」
「贈り物は惜しむな」
 父は言った。
「我が家では、いやモンゴル人ならばだ」
「モンゴル人だからか」
「そうだ。我等モンゴル人は誇りによって生きている」
 これも父が昔から言っている言葉だった。
「わかったな。だからだ」
「とにかく。このクロテンの毛皮をその家にまで届けろってことだな」
「そうだ。わかったな」
「ああ、わかった」
 父のこの命令には素直に従うのだった。
「じゃあ今から行って来る」
「気をつけるのだ」
 立ち上がり今から行こうとする我が子に声をかけたのだった。
「いいな」
「狼にか?」
「馬鹿を言え」
 父はジャムカの狼にかという問いはすぐに否定した。
「狼は人を襲わない」
「まだそんなことを言うのか」
「まだわからないのか」
 父は彼の言葉をそっくりそのまま返した。あたかも彼が何一つわかっていないと言うかのように。
「狼にではない」
「じゃあ何だ?」
「嵐だ」
 父は言った。
「嵐に気をつけろ。いいな」
「馬鹿を言え」
 ジャムカは嵐と聞くとそれを一笑に伏したのだった。そんなものがどうしたと。まさにそうした口調であった。その考えを隠しもしない。
「嵐なぞ何を恐れることがあるんだ」
「怖くないというのか」
「モンゴル人はずっとこの平原で生きているんだ。嵐にはいつも逢っている」
 尊厳の気候は極めて厳しい。冬は恐ろしいまでに寒くそして荒れ狂ったものなのだ。それは他の国の人間ならば到底耐えられない程のものだ。
「そんなものの何が怖いというんだ」
「嵐程怖いものはない」
 しかし父はまだ言うのだった。
「それはよく覚えておけ」
「覚えておく必要もないさ」
 父の言葉を何一つ聞こうとしない。
「そんなものな。じゃあ行って来る」
 こう言い捨ててそのままゲオを出て馬に乗った。そうしてすぐに旅立ち父が告げたその家にクロテンの毛皮を渡しに向かった。行きではこれといって何も起こらず極めて平穏であった。彼は無事クロテンの毛皮をその家に届けることができた。そうして歓待の宴を設けられたあとで帰路についた。しかしここでそれまでずっと晴れやかなものだった天気が次第に曇ったものになってきたのであった。彼が帰ろうというその時になって。
「!?雨か」
 まだ雪が降る季節ではなかった。だから雨かと思った。しかしそれは違った。
 急激に寒くなり雨ではなく雹が降りだした。そして雪も。そこに風も起こり嵐になった。彼は忽ちのうちに吹雪に阻まれてしまったのだった。
「馬鹿な、嵐だと」
 ここで父の言葉を思い出さずにはいられなかった。
「嵐が起こっただと。馬鹿な」
 前に進めなくなった。馬を下りて共にそこで丸くなるしかなかった。とりあえず毛皮を着込んでそれを馬にも被せる。草原で馬がいなくてはどうしようもない。モンゴル人にとって馬とは身体の一部なのだ。モンゴル人は四つ足だという言葉がある程であるのだ。
 そのまま馬と共に嵐をやり過ごそうとする。しかしそれは適いそうもなかった。次第に寒さの中で眠くなっていく。そうして彼は遂に眠りに落ちてしまった。
 そして目覚めた。しかし目覚めた場所は死の世界ではなかった。そこではなく何処かというと。彼が元からいる草原であった。
「俺は・・・・・・生きているのか」
 目覚めて最初に目に入ったのは一面の銀世界だった。至るところ雪ばかりだった。
 次に目を背もたれがわりにもしていた馬にやる。彼も無事だった。弱ってはいるようだったがそれでも何とか生きていて座り込みながらも目は開けていた。
「御前も無事だったか」
「ヒヒーーーン」
 馬は彼の言葉に応えて嘶いた。声は弱くなっていたがそれでも確かなものだった。
「俺達は助かったのか」
 それがわかった時だった。今度は周りにも気付いた。周りにいたのはふさふさした毛の丸く大きなものだった。それは。
「狼か?」
 ここで顔や耳が目に入った。確かにそれは狼達だった。十匹、いや二十匹はいる。その狼達が彼の周りで丸くなっていたのだ。まるで彼を守るかのように。
「何でこんなところにいるんだ」
 彼はいぶかしながら述べた。
「狼がどうして」
 ここで狼達が一斉に顔をあげた。そうしてじっと彼を見てきたのだった。
 そのうちの一匹と目が合った。黒い毛皮のしっかりとした顔の狼だった。目は鋭く強い光を放っている。精悍な印象を与える狼だった。
「御前は」
 ジャムカは狼に対して問い掛けた。
「俺を助けたのか?」
 勿論言葉で答えることはない。しかしだった。その狼は無言である。しかしその首を縦に振った。頷いたということだった。
 
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