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豪傑の傷

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第三章

「わしはすぐに死ぬな」
「あの、しかし」
「殿は今も至ってです」
「お元気ですが」
 彼の家臣達は怪訝な顔で忠勝に言った。
「病なぞ何処にも」
「お顔の色も悪くありませぬ」
「それでどうして」
「死ぬなぞと」
「不吉なことを言われますか」
「傷を負った」
 その指に作ってしまった傷を見ての言葉だ。
 傷は小さなものだった、血が少し出ている位だ。だが彼はその傷をまじまじと見ながら言うのだった。
「わしも傷を負う様になっては終わりだ」
「戦の場ではありませぬが」
 家臣の一人が忠勝にこのことを言った。
「殿はよく戦の場で怪我をすればと言われていましたが」
「そうじゃな、しかし傷は傷じゃ」
 また言った忠勝だった。
「それを負ったからにはだ」
「殿は、ですか」
「間もなく」
「葬儀の用意をしておけ、そして大御所様にもな」
 家康にもというのだ、将軍になったがもう退いて今は駿府にいる。
「わしがいなくなることをお伝えせねばな」
「まさか」
「その様なことは」
「いや、間違いない」
 こう言った、この時は忠勝以外は有り得ないと思っていた。彼が戯言を言う様な者ではないこともわかっていたが。
 だがこの時からすぐにだった、実際に。 
 本多忠勝は世を去った、主の言うことなので葬儀の用意をしていた者達は唖然となって葬儀を行いその後で言い合った。
「この様なことになるとは」
「まさかあの様に傷付かれてな」
「それでお亡くなりになられるとは」
「信じられぬ」
 口々にこう言うのだった、そして。
 家康もだ、駿府で話の全てを知ってから言った。
「そういうことか、人は戦の場で死ぬばかりではないな」
「ですな、まさかと思いましたが」
「こうしたことになるとは」
「まことにです」
「わからぬものです」
 家康の側近達も忠勝の死に驚きを隠せない顔で話をした。
「木彫りをしていてそこで指を傷付ける」
「それも傷ですな」
「確かに」
「そうじゃな、戦ばかりが傷を負う場所ではなく」
 家康は瞑目する様にして言った。
「そして平八郎は実際に傷を負って死んだ」
「そのことも確かですな」
「間違いなく」
「まことに世の中は面妖でわからぬものじゃ」 
 忠勝の突然の死に深い悲しみを感じながらの言葉だった。家康は彼を篤く弔わせ深く思うのだった。忠勝の言葉と傷、そしてその死に。
 本多忠勝は戦の場では傷を負わなかった、しかしふとした時に傷を負いその時からすぐに世を去った、このことは今も伝えられていることだ。彼の突然の死と共に歴史に残っていることであるが人の生き死にはまことにわからない、それは彼についても言えることであろうか。


豪傑の傷   完


                       2015・7・13 
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