| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二十一話 新人事(その1)

宇宙暦796年 2月28日  ハイネセン  統合作戦本部  ヤン・ウェンリー



「ご苦労だったな、ヤン准将」
「いえ、私は何の役にも立ちませんでした。本部長の期待に添えず、申し訳ありません」
「そんな事は無い。貴官は最善を尽くしてくれた。貴官の案が受け入れられなかったのは貴官の責任ではない」

シトレ本部長の執務室は総旗艦ラクシュミの艦橋とは違って居心地が良かった。だがその事が今の私には辛い。結局私は何の役にも立てなかった、本部長の期待には応えられなかったのだ。ソファーに相対して座りながら私は正面に座る本部長の顔を正視できずに俯いている。情けない限りだ。

「グリーンヒル参謀長も貴官を高く評価しているよ。貴官の意見が受け入れられなかったのは本当に残念だと言っていた」
「私はドーソン司令長官から信用されていませんでした。それが全てだと思っています。人間ですから好き嫌いは有ります。しかし指揮官と参謀の間には最低限の信頼関係が要る、そう思いました」

「それも貴官の所為では無い。今回は巡り合わせが悪かったのだ。自分を責めるのは止めたまえ」
「……」
本当にそうだろうか、私は比較的上の人間から好意を持たれない事が多い。それは参謀としては不適格という事では無いのだろうか。参謀は指揮官のスタッフなのだ……。

本部長が指揮官なら私の意見は受け入れて貰えただろう。同盟軍は勝利を得る事は難しかったかもしれないが敗北はせずに済んだはずだ。本部長が私を見ている。労わる様な視線だ。いや実際に労わられているのだろう、その事が辛い……。

今回の敗戦に対して軍に対する非難の声は非常に強い。本部長が指揮を執ったわけではない、だが軍のトップである以上責められるのは本部長だ。労わりが必要なのは本部長だろう、にも関わらず私の事を気遣ってくれる……。

同盟軍は全く良い所が無いままに敗れた。半数にも満たない敵に翻弄され最終的には遠征軍とイゼルローン要塞駐留艦隊を誤認するというとんでもないミスを冒している。結局それが原因で帝国軍に挟撃され敗退した。

味方は一万五千隻以上の艦艇を失ったが帝国軍はその十分の一も損害を受けていないだろう。そしてドーソン司令長官は戦闘開始早々に人事不詳におちいっている……。

今回の敗北で忸怩たる思いを抱いているのは本部長も同じだろう。おそらく私と同じ事を考えているはずだ。自分が指揮官で有れば敗北はせずに済んだ、百五十万もの将兵を死なせずに済んだと……。上手くいかない、同盟の人事は何処かちぐはぐだ。国家としての統治能力が低下しているとしか思えない……。

つらつらと考えていると本部長が話しかけてきた。
「ブラウンシュバイク公か、厄介な相手だ。いや恐るべき相手というべきだろうな。このところ統合作戦本部内でも彼を危険視する声が増えている。いささか遅いがな」
「痛い目に有ってようやく分かったという事ですか、これまでにも痛い目に遭っているのに」

私の言葉には皮肉が含まれていただろう、シトレ本部長が苦笑した。
「認めたくないのだよ、敵の有能さを。一度や二度ではたまたまだと思いたいのだ。今度の敗北でようやくブラウンシュバイク公の実力を認めた、そんなところだろう」

「やれやれですね」
「そうだ、やれやれだ」
本部長の苦笑が更に強くなった。私も笑うしかない。なんとも情けない話だ。人間とは何と愚かなのか……。

ややあって本部長が笑いを収めた。
「容易ならざる事態だな。ミュッケンベルガー元帥、ブラウンシュバイク公、そしてミューゼル大将か……。今一番危険なのはミューゼル大将だろう、ブラウンシュバイク公の陰に隠れているような形になっている、その所為で実力を正しく評価されていない……」
溜息交じりの口調だ。

「同感です、一つ間違うと今回の様な事になりかねません」
「全くだ、頭が痛いよ」
本部長が顔を顰めた。帝国は次から次へと人材が出てくる。勢いが有る証拠だろう。

「ドーソン司令長官が辞表を出したよ」
「そうですか……」
驚きはしなかった、予測された事でもある。止むを得ない事だろう、今回の敗戦には政府、軍部、そして市民からも厳しい批判が出ている。誰かが責任を取らなければならない。

「本人はもう一度チャンスをと国防委員長に訴えたらしい。しかし受け入れられなかった。この重大事に宇宙艦隊司令長官が入院しているというのでは国防に支障が生じる、そう言われたらしい」

シトレ本部長が首を横に振っている。往生際が悪いと思ったのか、それとも取って付けた様な理由だと思ったのか。
「なるほど、引導を渡されたという事ですか」
「うむ」

もう一度チャンスを、か……。気持は分かるが認める事は出来ない。人の命がかかっているのだ、その任に相応しい能力の無い人間を就ける事がどれだけ危険か……。今回の敗北がそれを証明している。

「国防委員長はドーソン大将を更迭したがっていたようだな」
「そうなのですか」
「うむ。帝国が攻勢をかけてくる事は無い、そう判断したから彼を司令長官にしたのだ。しかし帝国は国内の対立を解消した……。となれば攻勢をかけてくるのは自明の理だ。トリューニヒト氏はドーソン大将に不安を感じていたらしい」

口調に皮肉が有る。身勝手だと思っているのだろう。自分も同感だ。ドーソン大将を弁護するわけではないが彼も政治家達に翻弄された被害者だと言えるだろう。今は辞表だが退院すれば退役になるのは間違いない。宇宙艦隊司令長官まで務めたのだ。勝ったのならともかく負けたのでは次の職は無い……。

「次の司令長官はどなたに」
「まだ決まってはいない。国防委員長にはもう一度私の事も候補者として検討して欲しいと頼むつもりだ」
「……」
今度こそ正しい選択を行って欲しいものだ。シトレ本部長を、とは言わないがドーソン大将の様な人物は困る。さて、政府は誰を選ぶのか……。



宇宙暦796年 3月 5日  ハイネセン  ホテルシャングリラ ジョアン・レベロ



人目を避けるようにホテルに入り、階段で五階に向かった。エレベータでは誰に会うか分らない、階段の方が安全だ。ダイエットにもなる、肥満は良くない。有権者達からも動きが鈍いのではないかと思われる事は避けなければならない。誠実で行動力が有る、そんなイメージを保つのも決して楽ではない。

周囲を確認しつつ五百十三号室の前に立ち軽くドアをノックする。
「誰だ?」
「レベロ」
互いに押し殺した小さな声で確認し合う。ドアが開き、私は部屋に急いで入った。

部屋の主が先に立って歩く。
「いつもこの部屋だな。どうなっているんだ」
「このホテルのオーナーが私の友人でね、この部屋は余程の事がなければ使われる事は無い」

部屋の中央に有る椅子に腰を下ろした。
「つまり君専用の部屋というわけか、トリューニヒト」
「そう言う事になるな」
嬉しそうに自慢するな、不愉快だろう。

「この部屋は美人と密会用に使うとオーナーには伝えてある。あくまでプライベートで使うとね」
「大丈夫か」
「大丈夫だ、ここに来る美人は君だけだからな」

そういう意味じゃない、オーナーが信じられるかという意味で訊いたんだ。溜息を吐くとトリューニヒトが笑い出した。
「安心して良い、オーナーは信頼できる人物だ」
この野郎、私をからかったか……。このロクデナシめ。

「それで、用件はなんだ。司令長官の人事か」
トリューニヒトは一つ頷くと話し始めた。
「国防委員会で三人の名前が挙がった。統合作戦本部長シトレ元帥、第一艦隊司令官クブルスリー中将、第五艦隊司令官ビュコック中将だ」

なるほど、大体予想された名前が挙がっている。考える事は皆同じか。
「それで」
「ビュコック中将を押す人間は少なかった。彼は士官学校を出ていない。彼では宇宙艦隊の参謀達を使いこなせないのではと不安視する声が多い」
「エリートだからな、兵卒上がりに使われる事は嫌がるか……」
トリューニヒトが私の皮肉に頷いた。

「クブルスリー中将に決まった」
「ちょっと待て、シトレじゃないのか」
「だから君にここへ来て貰った」
「……」

少しの沈黙の後、トリューニヒトが溜息を吐いた。
「君の言いたい事は分かる。軍に対する国民の不満は酷い。そして帝国は国内の不安定要因を解消した。となればここは力量の有るシトレを配して国防の充実を図るべきだというのだろう。これ以上国内事情を優先する事は危険だと」
「そうだ、君も賛成したはずだぞ、トリューニヒト」

トリューニヒトがまた溜息を吐いた。
「分かっている。私はシトレを押したんだ。皆もそれに賛成した。決まったと思ったんだが国防委員の一人が反対した……」
「一人? それで変わったというのか」
トリューニヒトが頷いた。一人? 一体誰だ? 国防委員会におけるトリューニヒトの影響力は強い、それをたった一人が覆した?

「彼は艦隊の再編等に主として関わっているんだが、シトレ本部長を動かしては困ると言うんだ」
「どういう事だ?」
嫌な予感がした、何か得体の知れないものを踏みつけた様な感じだ。足を上げて確かめるのを躊躇う様な感触に似ている。

「ここ近年、同盟軍は敗北続きだ。艦隊の損失も大きい。その再編にシトレが大きく関わっているらしい」
「……」
トリューニヒトは遣る瀬無さそうな表情をしている。嫌な予感がますます強まった。

「新編成の艦隊を編入するのか、それとも辺境警備の艦隊を編入するのか、或いは新兵が多いから辺境で経験を積ませ二、三年後に正規艦隊に組み込むのか……。それを押さえているのが」
「シトレだという事か……」
トリューニヒトが苦い表情で頷く。

「帝国が国内の不安要因を解消したのは分かった、ブラウンシュバイク公が恐るべき相手である事も分かった。今後軍内部には帝国を、公を軽視する人間は居ないだろう。ならば宇宙艦隊司令長官にはクブルスリー中将を当てるべきだ。そしてシトレ元帥にはこれまで通り統合作戦本部長として大局を見て貰った方が良い、軍の再編もスムーズに進む……」
「……」

「それで流れが変わった。確かに正論ではある。正規艦隊の再編は急務だ。今のままではまともに使える艦隊は半数も無い。首都警備にあたる第一、ようやく艦隊の再編が終了した第五、第十、第十一、第十二の五個艦隊だ。これからまた第二、第三、第四、第七、第八、第九の各艦隊を整えなければならん。皆が彼を支持したよ、私も反対は出来なかった」
言葉が無かった。まさかそんな事が起きたとは……。

「どうにもならんか」
「どうにもならん。次の宇宙艦隊司令長官はクブルスリーだ。来週には正式に発表されるだろう……」
悪い人事ではない、最善ではないが悪い人事ではない。いや、艦隊の再編の事を考えればこれが最善なのだ、そう自分に言い聞かせた……。



帝国暦487年  4月 4日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「本当は昨日伺おうかと思ったのですが……」
「どうやらお気遣い頂いたようですね」
「いえ、そういうわけでは……」
「確かに昨日は色々と有りました。今日来て頂いて良かったと思います」
公の言葉に皆が顔を見合わせた。ホッとした様な顔をしている。公も笑顔を浮かべている。

昨日、遠征軍がオーディンに戻ってきた。ケスラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、シュタインメッツ、そしてキルヒアイスと祝いに行こうという話になったが良く考えれば相手はブラウンシュバイク公だ。門閥貴族達が大勢屋敷には押しかけているに違いない。一日置いて訪ねようという事になった。

大勢で押しかけたにもかかわらず、公は少しも嫌がらず我々を応接室に案内してもてなしてくれている。皆にコーヒーが用意された。少し歓談した時だった、応接室の扉があいてブラウンシュバイク大公が入ってきた。皆慌てて立ち上がった。

「いやいや、それには及ばん、皆座ってくれ」
「……」
大公は闊達に声をかけてくるがとても座ることは出来ない。大体ブラウンシュバイク公も立っているのだ。その有様に大公が苦笑した。

「皆、よく来てくれたな。うむ、そこにいるのはミッターマイヤー少将か、息災かな」
「はっ。無事暮らしております」
ミッターマイヤーがガチガチになりながら答えると大公が笑みを浮かべながら頷いた。

「皆、これからも遠慮せず訪ねてくれ」
「はっ、有難うございます」
「うむ。ではわしはこれで失礼する。皆の邪魔をするつもりは無いのでな。ゆるりとしてゆくがよい」
「義父上、有難うございます」
公の感謝の言葉に大公は柔らかい笑みを浮かべ、応接室を出て行った。

大公が出て行くと皆が席について顔を見合わせた。
「驚いたな、まさか大公が俺達にわざわざ顔を見せるとは」
「特に卿は驚いたろう、ミッターマイヤー」
「ああ」
ミッターマイヤー、ロイエンタール、二人の会話に皆が頷いた。

「私に気を遣ってくれているのですよ」
「意外でした、こう言っては失礼ですがもっと傲慢な方かと思っていたのですが……」
「ケスラー少将、私も最初はそう思っていました。でもそう見えただけのようです」
公の言葉に皆が感心した様な、驚いた様な顔をした。

「ブラウンシュバイク公爵家の当主というのはごく普通に振舞っても傲慢に見えるときが有るのでしょうね」
「ですが、公はそうは見えませんが」
俺の言葉に公は苦笑を浮かべた。

「貴族達の中には私を酷く恐れている人もいます。彼らにとって私は傲慢極まりない存在に見えるのかもしれません」
「……」
言葉が無かった。

「昨日、貴族達が大勢来て勝利を祝ってくれました。ですが軍の事を知らない人達に祝って貰っても……。素直に喜べない私は確かに傲慢に見えるのかもしれません。好き嫌いは別として素直に喜ぶだけの余裕があれば……、情けない話です」
公が首を振っている。寂しそうな言葉と仕草だ。

胸を衝かれる様な思いになった。俺は公を傲慢だとは思わない。しかし公の言うように他の人間にとっては公は傲慢に見えるのかもしれない。一面だけ見ては人は分からないという事か……。話題を変えた方が良いかな、沈んだ表情をしている公を見てそう思った……。



 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧