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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第五十一話 当主



帝国暦488年  6月 3日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸  ワルター・フォン・シェーンコップ



「フェルナー大佐、公爵閣下からフェザーンの動向を確認してくれと言われたそうだが?」
「その事で少し困っています。チームを作ろうと思っているのですが適当な人間が見つかりません」
アンスバッハ准将の問い掛けにアントンが顔を顰めながら答えた。それを見てアンスバッハ准将、シュトライト少将も顔を顰めた。

「屋敷の人間では駄目なのか?」
俺が訊くとアントンは首を横に振った。駄目か、この屋敷には二百人以上の使用人が居る。屋敷の維持運営のための使用人も居るがそれなりの訓練、教育を受け公爵家を支えるために存在する人間も居るのだが……。

「帝国で改革が始まった事によりフェザーンでは地殻変動が起きている。これまでの有力商人、有力企業の幾つかが地位を低下させ代わって独立商人、中小企業が力を延ばし始めた。改革が進めばその動きは更に大きくなるだろう。とんでもない変化がフェザーンで起きると公は見ている」
フェザーンか、公にとって決して心許せる存在ではない。その動向に注意を払うのは当然だが……。

「俺も同感だ、おそらくはルビンスキーの動向にも影響を与えるだろう。そして帝国にも影響が出る。その動き、流れを逸早く押さえるにはフェザーンの経済界、政界に精通した人間が必要だ。残念だがそれが出来る人間はこの屋敷には居ない」
アントンの答えにアンスバッハ准将、シュトライト少将の渋面がさらに酷くなった。

「となるとフェザーン人だな。当家に繋がりの有るフェザーン人を利用するほかあるまい」
「だが何処まで信用出来るかという問題が有るぞ、アンスバッハ准将。ルビンスキーの意を受け公爵家の中に入って攪乱されては堪らん」
シュトライト少将の言葉にアンスバッハ准将が“うーむ”と頷いた。相変らず渋面のままだ。いやさらに酷くなったな。

ブラウンシュバイク公爵邸に有るアントンの部屋に俺を含めて四人の男が集まった。それぞれに適当な場所に座っている。シュトライト少将、アンスバッハ准将、フェルナー大佐、この三人はブラウンシュバイク公爵家の中枢に居る男達だ。三人ともブラウンシュバイク大公、公の信頼が厚い。だが俺にも見えてきた事が有る。シュトライト少将は大公が公に付けた軍事面での補佐役だ。宇宙艦隊に席を置いている。アンスバッハ准将は大公の側近という色合いが強い。

そしてアントン・フェルナー、彼はブラウンシュバイク公の親友だ、大公と公のいずれかに偏る事無く誠実に補佐している。彼にとっての悪夢は大公と公の関係が決裂する事だろう。養子か、ブラウンシュバイク公も苦労するな。この家には一人で来た。つまり何かをしようとすれば公爵家の人間を使わねばならないという事だ。不自由を感じる事も多いだろう、ヴァレリーは公がブラウンシュバイク公爵をさりげなく務めていると言っていたが……。

「私もフェザーン人を利用する事を考えましたがやはり難しいと言わざるを得ません。ですがあの方なら如何でしょう?」
アントンの言葉に二人が訝しげな顔をした。あの方? 誰だ?
「あの方? ……まさか、卿」
アンスバッハ准将が顔色を変えた。シュトライト少将も愕然としている。
「ならんぞ! フェルナー大佐。大体あの方を帝国内に入れる事は危険だ」
「帝国内に入れる事は考えていません。ですが情報だけでも……」
「駄目だ!」
シュトライト少将が憤然と遮った。

「あの方とはどなたなのです?」
俺が口を挿むと三人が俺を見た。幾分バツの悪そうな表情を見せたが直ぐに視線を逸らした。
「教えては頂けぬのですかな」
また三人がこちらを見たが今度は迷惑そうな顔をした。面白くなってきた、どうやら地雷を踏んだか。

「死人だ」
さて次はどうしたものかと思っているとアンスバッハ准将がボソッと答えた。相変らず視線は逸らしたままだ。それにしても死人? アントンを見たが無言だ、シュトライト少将も無言だ。そして二人とも俺と視線を合わせようとしない。死人か、妙な話だ、どうやら帝国には死人を使う技が有るらしい。或いは暗号名か、だとしたら洒落ているが。

「シェーンコップ大佐、これ以上詮索はするな」
「小官は知る必要は無いという事ですか、アンスバッハ准将」
幾分皮肉が入ったかもしれない。しかし准将は視線を逸らしたまま何の反応も見せなかった。
「そうだ、知らぬ方が良い。或いはいつか卿も思い当たる事が有るかもしれない。しかし死者を甦らす様な事はするな。大公も公もそんな事は望まぬ筈だ」
大公も公も? 二人も知っているという事か。だとすると余程の事だな。

「分かりました。詮索はしません」
俺が答えると三人が明らかに緊張を解いた。ま、詮索せずともいずれは分かるだろう。
「済まんな、シェーンコップ大佐。だが口に出来る事ではないのだ。これが表に漏れればとんでもないことになるのでな」
アンスバッハ准将の言葉に他の二人は無反応だ。否定ではないな、これ以上は触れたくないという事か。少しの沈黙の後、シュトライト少将が口を開いた。

「財務省はどうか?」
「財務省? 役人をブラウンシュバイク公爵家に出向させるのですか?」
アントンが問うとシュトライト少将が首を横に振った。
「いや、それなら閣下が直接ゲルラッハ子爵に頼んだ筈だ。フェルナー大佐に命じたという事は内密にという事だろう」
「では?」
「退官した人間を利用出来ないかと言っている」
アントンが“なるほど”と頷いた。

「しかし適当な人物がいますかな?」
俺が問い掛けると三人が心許なさそうな顔をした。
「公の要求を満たすには税や予算を扱った人間では駄目でしょう。流通、金融、経済政策等の分野での見識が必要ですが……」
アントンが大きく息を吐いた。

「何とか捜すさ。……フェザーンに人を送ります。情報源が必要です、情報が無ければ分析出来ません」
前半は俺に、後半はシュトライト少将、アンスバッハ准将への言葉だった。死人が使えないから代わりの人をフェザーンに入れるという事だろう。二人も頷く事でアントンの提案を認めた。

「それと公の領内視察ですが……」
「捕虜交換後に行う、御家族で視察していただく、だったな」
シュトライト少将の言葉にアントンが困った様な表情を見せた。シュトライト少将、アンスバッハ准将が訝しそうな表情を見せた。そして少将が“何か有るのか”と窺うような表情でアントンに問い掛けた。

「最初にカストロプに行くそうです」
「カストロプ?」
皆で顔を見合わせた。カストロプは公爵領ではない、帝国の直轄領だ。だがブラウンシュバイク公が統治を任せられている。確か改革派、開明派といわれる人間達が統治にあたっている筈だ。公爵家の領地ではないが統治に責任は有るから視察はおかしな話しでは無いが……。

「改めて公に予定を伺ったのですがカストロプの状況を確認し、改革派の人間達を連れて領内視察に向かう事を考えておられます。カストロプ、ラパート、ブラウンシュバイク、ヴェスターラント、フォッケンハウゼン、ディーツェンバッハ……」

アントンが地名を並べると二人の顔が強張った。俺がカストロプの他に知っているのはフォッケンハウゼンだけだ。ラパート、ヴェスターラント、ディーツェンバッハは知らない。アントンに尋ねるとラパートはカストロプ星系にある有人惑星でこれもブラウンシュバイク公が統治を委任されているらしい。ヴェスターラント、ディーツェンバッハはフォッケンハウゼン同様ブラウンシュバイク公爵家が有する有人惑星との事だった。要するに公はブラウンシュバイク公爵家が責任を持つ有人惑星を全て視察しようしているらしい。

「領民達への単なる顔見せではないという事か。領地を自分の目で確かめたい、足りない部分を改革派と確認したいという事だな。一カ所につき五日滞在としても一カ月、移動も入れれば最低でも二カ月はかかる、滞在が延びれば事によっては三カ月はかかるな」
アンスバッハ准将が唸り声を挙げた。気持ちは分かる、帝国きっての重要人物が三カ月も帝都オーディンから居なくなる。

「捕虜交換が始まるのが七月頃、大体九月までかかるはずだ。となると視察は十月から年内一杯か……」
シュトライト少将が溜息を吐いた。
「年末には戻っていただかねばなりません。年明けには陛下への新年の御挨拶が有りますし貴族達からの挨拶も有ります」
「厳しいな、一つか二つ減らす事は出来んかな」

「無理です、公は来年は今以上に忙しくなると見ています。大規模な視察が出来るのは今しかないだろうと」
アントンが拒否すると二人が溜息を吐いた。
「確かにその通りだ。已むを得んな、アンスバッハ准将」
「ああ、確かに来年は今以上に忙しくなる筈だ。已むを得ん」
「視察を楽しむ暇など有りませんな。エリザベート様も落胆なさるでしょう、楽しみにしていましたから」
アントンの言葉にシュトライト少将が首を横に振った。

「我慢して貰わなければならん。今回だけではないぞ、これからもだ。そうでなければ公の妻は務まらん」
アンスバッハ准将とアントンが頷いた。
「不思議ですな、公爵家の姫君に我慢しろと言うのですか。エリザベート様は皇孫でもあられるのに」
ちょっと意地の悪い質問だったか? だが三人は怒らなかった。

「シェーンコップ大佐、勘違いするな。大公閣下は既に隠居され公爵家の当主ではない。ブラウンシュバイク公爵家の当主は公爵閣下だ。そして公は帝国の軍、政、宮中においてなくてはならない御方、エリザベート様もその点についてはわきまえて頂かなくては……」
俺に説明すると言うよりは自らに言い聞かせるような口調だった。

「シュトライト少将の言う通りだ。公は養子、なればこそ我らは公を盛り立てなければならん。いかなる意味でも公の立場を揺るがす様な事は許されんのだ。エリザベート様でさえ公には遠慮なされる、周囲にはそう思われなければならん」
「なるほど」
シュトライト少将、アンスバッハ准将の言葉を聞いてリューネブルクの言った事を思い出した。この国では人間関係が重視される、皇孫が遠慮する、その意味は大きい。

「まあ多少は公もエリザベート様を気遣ってくれればと思うが……」
「難しいと思いますよ、そっちの方は不得手ですから期待は出来ません」
シュトライト少将の希望をアントンが無慈悲に打ち砕いた。皆が切なさそうな顔をしている。どうやら俺の出番か。多少は公にアドバイス出来るだろう。楽しみが出来たな。



帝国暦488年  6月 8日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸  ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世



「如何思うかな、リッテンハイム侯」
「いや、言っている事は分かる。しかしなんと言うか……、実感が湧かん」
「そうだろうな、わしも初めて聞いた時は同じだった。言っている事は分かるのだが実感が湧かん。想像が出来んのだな」
ブラウンシュバイク大公が私と同じ言葉を発した。

大公夫人とエリザベートは頷きクリスティーネとサビーネは呆然としている。ブラウンシュバイク公爵家の応接室で大公夫妻、エリザベート、私とクリスティーネ、サビーネでお茶を飲んでいるのだが話の奇抜さにお茶の味がよく分からん。少し落ち着かねば……。コーヒーを一口飲んだ。

「確かに宇宙が統一されればオーディンでは統治に不便かもしれん。フェザーンに遷都という話も出るであろうな」
「そうなればわしも侯も地の利を失う」
「うむ」
その通りだ。我らが力を持っているのも妻が皇族という事、群を抜いた財力、武力の他に本拠地がオーディンに近いという事が有る。地の利を失えば徐々に衰退するだろう。帝都に近い方が繁栄はし易いのだ。影響力も発揮し易い。

「統一は何時頃と公は考えているのです?」
「内政に十年、その後五年で宇宙を統一すると言っていたな」
「では十五年後ですか……」
「先の事は分からんが、まあ一つの目安と思えば良かろう。早くなる可能性もある」
大公と話していた妻が溜息を吐いた。十五年か、となると遷都は遅くとも二十年以内には実現するだろう。但し、統一されればだ。

「ではブラウンシュバイク公爵家は辺境の開発に乗り出すのかな?」
「おそらくそういう事になるだろう。侯は如何する?」
皆の視線が私に集まった。妻と娘も私を見ている。
「……難しいな。惑星を一から開発するとなれば膨大な費用と年月がかかるだろう。上手く行くかという不安が有る。かといってこのままでは宇宙が統一された時、当家が徐々に衰退するのも確かだ。判断がつかん」
私が答えると大公はもっともだという様に何度か頷いた。

「今すぐ答えを出す必要は無いだろう、政府から正式に打診が来たわけでもないからな」
「うむ」
「一度エーリッヒと話してみては如何かな。あれはそれなりに成算が有るようだ」
「そうだな、話してみるか」
開発の事だけではなく内政の事、統一の事、この際突っ込んで話してみるのも悪くないだろう。

「ところで捕虜交換が済んだらブラウンシュバイク公爵家は皆で領地の視察に向かうつもりだ」
「ほう」
「カストロプ、ラパート、ブラウンシュバイク、ヴェスターラント、フォッケンハウゼン、ディーツェンバッハ、……十月に出発しオーディンに戻るのは年末になるだろう」
驚いた。大公は悪戯っぽい笑顔を見せている。大公だけではない、大公夫人、エリザベートも同じような笑みを浮かべていた。

「それは本当か?」
「本当だ」
思わず唸り声が出た。クリスティーネ、サビーネも目を丸くしている。
「エーリッヒは単なる顔見せで終わらせるつもりは無いらしい。自分なりに領地を把握したいようだ」
「なるほど」
身体が丈夫ではないと聞いたが随分と精力的だな。しかし三月もオーディンを留守にするのか。

「わしもカストロプ、ラパートがどうなったか興味が有る。改革派の目指す統治がどのようなものか……。当家にとっても参考になる部分が有るやもしれんからな」
そうか、改革派か、それが有ったな。確かに気になる。貴族も改革が始まってからは以前のように安閑としてはいられなくなった。領地の施政を改善し領民達を満足させねばならん。それはリッテンハイム侯爵家も同じだ。

「ブラウンシュバイク大公、我らもその視察に同行させてはもらえぬかな。私もカストロプ、ラパートの様子を知りたくなった。如何かな、クリスティーネ、サビーネ」
私が声をかけると妻と娘が自分達も行きたいと声を出した。遊びではないのだが分かっているのかな、そう思わせるほど明るい声だった。




 
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