野獣
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5部分:第五章
第五章
暗闇の中なのでよくは見えない。だがその姿は巨大であった。
豹、いやライオンよりも遥かに大きい。虎でもあれ程の大きさのものはそうはいないであろう。熊に似た印象も受けた。
しかし明らかに熊ではなかった。それにしては身体つきが違いすぎた。しなやかで鞭の様だった。ネコ科の身体であった。
「はい、あれがムングワです」
ガイドは小声で僕に言った。
「気をつけて下さいよ、あいつはかなり勘がいいですから」
何故そんなことを知っているのだろう、と思ったが彼は友人を今目の前にいる怪物に惨殺されている。感情的にもそう思うのだろう。
それにしても何を食べているのだろう。ここからではどうもわかりづらい。
「見たところかなり大きな獲物のようだが」
しかしこの街中で大きな獲物をいえば。どうも考えが及ばない。一体何であろうか。
ムングワが顔を上げた。そして口に何かをくわえていた。
「鳥かな」
見たところそのようである。一瞬人間かとも思ったが違うようである。
「この辺りは鳥が多いですからね。餌には困らないのでしょう」
「そうですか」
ではやはり人間を襲うのは食べる為ではないのか。聞いたところによるとネコ科の動物は大抵人間を御馳走とは思わないらしい。彼等にとってはまずいものであるようだ。
「やはり何かしらの宗教組織がいるのだろうか」
僕は考えた。そこでムングワはこちらに顔を向けた。
「おっと」
僕等は慌てて身を隠した。そして物陰から野獣を覗き見た。
幸い気付かれなかったようだ。ムングワは僕達に気付かず食事に戻った。
食事が終わると野獣はその場をあとにした。そして何処かへと消えていった。
「まさか本当にいるとは・・・・・・」
この目で見てもまだ信じられなかった。
「ええ、私も見たのははじめてですよ」
ガイドはまだ身体が震えていた。
「えらく大きかったですね。ライオンでもあれだけ大きくはありません」
「はい、一体何なんでしょう」
「それは・・・・・・」
正直わかりかねた。だが僕の知っている動物でないことだけは確かだった。
「今日は帰りましょう。そして朝になったら警察に行くことにしましょう」
「そうですね」
茂みの中に入る気にはなれなかった。蛇や蠍もであるが何よりもムングワが潜んでいそうで恐ろしかったのだ。
僕達は周りを用心しながらその場を去った。そしてそれぞれの場所へ戻った。
翌日僕達は連れ立って警察に行った。するとあの医者がいた。
「どうしました」
彼は僕の顔を見て尋ねてきた。
「実は昨日・・・・・・」
僕達は昨日の夜の話をした。彼はそれを聞いて顔を顰めた。
「そうなのですか。実は昨日も犠牲者が現われたのですよ」
「えっ・・・・・・」
僕達はそれを聞いて慄然とした。
「貴方達がムングワを見たのは何時頃でしたか」
「確か・・・・・・一時頃だったと思います」
「そうですか」
彼はそれを聞いて頷いた。
「ちょっと来てくれませんか」
そして彼は僕達に対して言った。
「何処へですか?」
僕達は尋ねた。
「事件が起こった現場です」
彼はそのまま飾らずに言った。有無を言わせぬ強い口調であった。僕達はそれに従うことになった。
僕達は医者に連れられ事件現場に来た。見れば僕達が昨日の夜ムングワを見た公園だ。
「ここか」
朝の日差しはもう強くなってきている。半袖でも汗が滲んでくる。
その中に虫の声が聞こえる。そして木々が左右に生い茂っている。
「夜に見るのと雰囲気が全然違うな」
僕はふとそう思った。あの時はこの木々が化け物のように思えたが。
現場は僕達がムングワを見た場所と殆ど離れてはいなかった。すぐ側の木の下であった。
「これは・・・・・・」
僕はそれを見て絶句した。それは若い男の無残な死体であった。
全身がズタズタに切り裂かれている。喉は食い破られそこから血が噴き出したあとがある。そして手も足も爪か何かしら鋭いもので切られていた。
だが何処も千切られてはいない。そして全身をくまなく切られている。それを見て何か人間めいた犯行であるように思われた。
「これについてどう思われます」
「どうと言われましても」
正直に言わせてもらうと死体を見るのは今まであまり機会がなかった。ましてや殺害された人間の死体なぞ。見ていてあまり気分のいいものではない。
しかし気を失うようなことはなかった。僕はどうもこうしたものを見ても平気な体質のようだ。
「何者がやったように見えますか」
本当に率直に聞いてくる人だと思った。
「ネコ科でないとは思いますが。少なくとも野生の」
「やはり」
どうも僕がそう言うのを予想していたようだ。僕でもネコ科の習性はある程度知っている。これはネコ科のやり方とは到底思えなかった。
「人間がやったものに近いような気がします」
殺すのを楽しんでいるふしがある。これは全身をくまなく切り刻んでいるところからそう思ったのだ。
「ですね。前から思っていたことと同じです」
彼は言った。
「我々もこれは人間、もしくは人間の指示で起こった事件だと考えています。この殺し方は将に人間のそれです」
「ではやはり」
「ですね」
彼は僕の言葉に対し頷いた。
「おそらくこの国の何処かに潜んでいるのでしょう。それも地下に」
「地下ですか」
昨日の話だとそこにいたらおそらく見つけ出すのは絶望的だ。
「こうなったら我々にも意地があります」
その言葉は意外であった。
「地下にでも何でも行って見つけ出してやりますよ。そしてムングワを必ず仕留めます」
言葉には怒気が含まれていた。
「本気ですか!?」
僕も昨日とは様子が全然違うので正直驚いた。
「このままでは何人死ぬかわかりませんからね。上の方からも言われたんです」
(どうやらこの事件はこの国の上層部とは無関係みたいだな)
僕は咄嗟にそう思ったが口には出さなかった。
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