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異界の王女と人狼の騎士

作者:のべら
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第四十九話

 —————————

 しかし体力の限界が直ぐにやってくる。次第に打ち込む音が小さくなる。
 俺の呼吸が乱れているのを感じる。
 腕の力が急激に落ちていくのを感じる。

 俺は最後の力を振り絞り、とどめとばかりに左手で奴の口を掴んだまま、その蛇面の左頬部分に思い切りパンチを見舞った。
 3メートルはあろうかという巨体になっている蛭町は衝撃で吹っ飛び、転がりながら壁に激突した。

「はあはあ……」
 呼吸の乱れを感じるとともに激しく咳き込んでしまう。何百メートルも全力疾走をしたような急激な疲労感が襲ってきて、思わず蹌踉けてしまう。
 一体何発のパンチを奴に打ち込んだだろう。感情的になり自分を見失ってしまった。リミットを外して俺は奴に攻撃を続けた。一撃一撃は全てが必殺の破壊力だ。拳がジリジリと痛み熱くなっているのを感じている。もしかすると骨が折れてしまっているかもしれない、な。手を開こうとしても、俺の手はまるで自分の手じゃないみたいに動かすことができない。ずっと拳を握りしめたままだ。おまけに左手を見たら親指と中指の爪がはがれていた。血がダラダラと流れ出している。そして、人差し指はどうも折れてしまったみたいで、変な方向に曲がっている。
 必死になって転倒を回避し、片膝をついて壁に転んだ蛭町を凝視する。

 たった一言で俺から冷静さを奪いやがった。
 偶然とはいえ、奴は俺の中で唯一触れてはいけないものに触れてしまったんだ。
 あの攻撃を受けたんだから、奴はもはや生きてはいないはず。
 俺がここまで消耗するほどのエネルギーを使い、全力で攻撃をかけたんだから。

 生きていられるはずがない……。
 俺はニヤリと笑った。

 壁際に倒れ込んだどす黒いナマコにムカデのような脚が生えた奇妙な物体。
 それがかすかに震えたと思うと、ゆっくりと動き出した。
 頭をゆっくりと持ち上げてこちらを見てくる。
 蛇の頭。
 口が裂けるほど大きく開き、唸る。
 そしてその蛇の顔のついた喉元にある本来の蛭町の顔がニタリニタリと嗤った。

 全身から血の気が引いていくのを感じる。
 あれほどの攻撃が全く効いていないなんて……。
 化け物だ。
 いや、もともと化け物なんだけど、想像以上に化け物だ。
 奴はそれどころか体力を回復させているようにさえ見える。
 切り裂いたはずの顔面の亀裂が綺麗に塞がってしまっている。

 そこで俺は気づいてしまった。
 俺はまんまと奴の策略に引っかかってしまったんだ。
 俺が激高するキーワードを使うことで俺の平静を乱し、力任せの攻撃を繰り出すように誘導したんだ。
 死の線、消滅の瘤を狙った攻撃を封じるために。その攻撃は唯一奴を破滅させる攻撃だったというのに。
 渾身の攻撃は奴にとってはノーダメージ。むしろ傷を癒し体力を回復させる余裕さえ与えてしまったんだ。

 まったく馬鹿だ。せっかくのアドバンテージを感情的になったことであっさりと放棄してしまったんだ。なんて愚かなんだ。

【確かに馬鹿だな、お前は。でも安心しろ。何事も遊び心は大切だぜ。それにあのミミズ野郎は、俺の亜須葉に手を出すつもりらしいからな。まったく、虫けらの分際でそんなことを考えていやがったとはな。……万死に値する大罪だ。あんな糞野郎は簡単には殺 さない。自分の言った言葉がどれほど罪なことかを思い知らさないと、許せない。へへへ、じっくりといたぶり殺してやるから安心しろ】

 また頭の奥で何かが喋り出す。これは俺の思考なのか? なんだか頭が痛い。
 しかし、その事を深く考える余裕がないんだ。今は眼前の敵を倒さなければならない。

「く、くそっ」
 俺は再び攻撃するために奴との距離を詰めようとする。
 しかし、気持ちだけが前に行き、脚がついてこない。
 蹌踉けて転びそうになる。
 あざ笑うように蛭町は壁伝いにに移動し、俺の突進の進路から消える。

「うっぎゃー」
 悲鳴が響く。
 蛭町の進路上に倒れたままの奴の仲間の一人が転がっていたのだ。
 重傷の為、逃げることさえできない彼は、それでもはって逃げようとする。
 しかしそれはかなわなかった。
 蛭町のナマコ体がのしかかる。
「うげえげげげ」
 恐怖に引きつらせた
 黒光りする蛭町の胴体は仲間の体に触れるとすさまじい勢いでその仲間の体を取り込み始めたんだ。
 どろどろと溶けるように黒い皮膚が人の体を取り込んでいく。
 必死に逃げようとするが、怪我のために逃げられない。
「うおうじ。助けて、たすげてえ」
 叫ぶ彼の顔をコールタールのようなものが覆い尽くしていく。
 ぴくぴくと体を震わせるが、やがて全てが蛭町のナマコ体に取り込まれてしまった。
 そして、一人を飲み込んだ分だけ奴の体は少し大きくなった。奴のお腹あたりで皮膚が波打つ。まるで何かに押されるように。ぶよぶよと突起が現れる。その先端は人間の手の形をしていた。

 蛇の頭が周辺を見回す。
 「ヒッ」とか「ヒャッ」という間抜けな悲鳴が起こる。
 それは蛭町の蛇の頭部と眼が合ってしまった連中の出す悲鳴だった。

 悲鳴が止むより早く、蛭町が動く。
 一番近くにいた、ハンマー男の側で停止したと思うと、いきなり巨大な口を開き飛び上がった。数メートル飛び上がったと思うとそのまま落下し、がぶりと男を脳天から飲み込んだ。顎が外れてるのではないかと思われるほど開いたその口は軽々と男の肩口まで飲み込んだ。そこで一旦停止。逆立ちしたようにピンとのばしたムカデ様の蛭町はおもむろにその尾部を回転する。ゆっくりゆっくりと男の体は飲み込まれていく。体を回すことで逆ドリルのように男を体内に取り込んでいったのだ。
 ついに男は悲鳴を上げることもできないまま丸呑みにされた。
 蛭町だったその化け物は倒立状態だった体を地面へと倒し、こちらを見る。
 奴の口の中でスニーカーがばたばたと暴れたが、直ぐにその喉の奥底へと飲み込まれていった。
 我に返って動こうとすると、すぐさま数十本の脚を駆使して次の獲物へと突進した。


 2人の人間を飲み込んだことで、蛭町の体は大きくふくらんでいた。どうやら二人ともナマコみたいにぼってりした体の胴体部にいるようで、下腹と左脇腹部分が人型にさらに膨らんででいた。
 そのためか動きも鈍くなり、バランスも悪いせいかふらふらしている。

 皮膚はもともとそれほど厚くないのか、その人型に膨らんだ部分にはハッキリと飲み込まれた連中の手や靴、顔が透けて見えていた。まるで風船のようだ。
 彼らは叫んでもいるように、何かゴボゴボという音に混じって「たすけて」といった声も聞こえるように思える。
 恐ろしいことに体内に取り込まれた連中の服や靴はどろどろと溶けていってるのも見える。消化でもされるのか?

 残りの連中はもうパニックだった。
 大けがでまともに動けないはずだが、生への執着が痛みを超越したんだろう。残された連中は折れた脚を引きずり、血まみれの腕を動かし、悲鳴も上げずにはうように出口の扉へと向かっていく。
 しかし、怪我をした人間が動ける速度などたかがしれている。あっという間に彼らは蛭町に追いつかれ、取り込まれていく。
 助けてやろうなんて気は全くないけど、仮にあったところで今の俺では追いつくことも、まして彼らを助けることも出来ない状態だったんだ。

 無駄に体力を消耗させられるどころか、奴に回復の時間を与えてしまった。
 右拳は握ったままで元に戻らない。左手は指が3本折れたままだ。
 意識を集中してその両手の回復を図る。
 どうやれば回復させられるのかはよく分かってないが、ただ動くことは賢明でないってことだけは分かった。たとえ人間が奴らに喰われる? 状況だったとしても助けにはいけない。行ったところで助けられない。

 目の前で次々と蛭町の仲間だった男達が取り込まれていく。
 そのたびに蛭町のナマコみたいな巨大な体が膨らみ、そして伸びていく。人を取り込んで膨らんだせいで体の中が透けて見える。
 そこには眼と口をこれ以上ないくらいに開いて必死に暴れているかつての蛭町の仲間がいた。必死に藻掻いて何かを叫んでいるようだが、泡がぶくぶくと発生するだけで、その言わんとする言葉は届かなかった。
 やがて、ウネウネとどこからか現れた神経節のような細長いものが彼らの体に絡みつき、一体化していくのが見える。
 体液の中でも彼らは呼吸はできるようだ。出口を求めて移動するが、狭い体内に対して取り込まれた人間の数が多すぎる。やがて彼らはぶつかり合い絡み合う。

 眼前で繰り広げられる光景。これは蛭町がわざと見せているのか?

 取り込まれた人間達が絡み合い必死に出口を求める。そして恐ろしい事が起こる。絡んだ腕や脚がその接触した部分で結合を始めたんだ。
 くっついた手や足を奴らはふりほどこうとするが、逆に腕と腕、脚と脚、いろんな箇所がくっついて離れないようだ。そして体は融合を始める。もともと一つのものだったように組織が溶け合いくっついてしまった。
 古い本で見たシャムの双生児の多人数版だ。複雑に結合しまっていて、もはや分離は不可能だろう。
 おまけに蛭町のミミズ体の組織も彼らの体と融合している。
 もう複数の人間による一つの生命体になったとしか思えない。 

 本当なら助けるべきなんだろうけど、無理だ。
 今は自分自身の回復を図らなければならない。俺は正義の味方なんかじゃない。

 悲鳴、うめき声、唸り声がしばらく続いている。
「助けて! 助けて! 」
「痛いよう、苦しいよう」
「熱いよう」
「俺の腕、どうなってるの」
 情けない声が伝わってくる。彼らは必死に助けを求めている。理不尽な現実から逃れようとわらをも掴む思いなんだろう。
 俺は耳を塞ぎたくなる。

 ぷるぷるとその蛇ミミズは震える。

「シュウ! 何をやっている? そいつを早く殺すのよ。でないと……」
 唐突に王女の声が響き、俺は我に返った。
 何か目の前で繰り広げられる不気味なショーに魅入られて何も出来ずにいたんだ。
 明らかに戦闘力が上がっている……。戦闘力を数値化する機械でもあれば、蛭町は仲間を喰う前と今では倍近い戦闘力の差がでているんだろう。感覚でそれは俺にも分かる。
 今叩かなければ、完全化すれば俺に勝つチャンスはあるんだろうか?
 まだ折れたり潰れたりした手は治っていない。しかし待ってられない。
 
 殺せ。
 拳が潰れていたって攻撃は出来る。今を逃せば今度は俺がやられる。
 俺がやられるということは、王女も漆多も守れないってことだ。亜須葉も、紫音も、誰も彼もみんな殺されてしまうんだ。
 絶対にそんなことはさせない。
 体力の回復は完全じゃない。でもそれを待つ時間がないんだ。
 
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