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狩人が斬り裂く

作者:雑穀
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古狗

 男は夢の中で目覚めた。夢の中なのに目覚めたというのはおかしいが、とにかく目覚めた。
 そこには数えきれないほどの花に囲まれたいくつもの墓石が並び、中央には小屋と、巨大な木があった。

「おかえりなさいませ、狩人様」

 男の帰宅を迎え彼を狩人と呼んだのは、彼よりも背の高い女性であった。彼女は人形、彼の身の回りの世話をする、侍女のような存在だ。
 狩人は人形に軽く会釈して小屋の中に足を運ぶ。中には獣狩りに関する様々な知識を書き記した本棚、武器を整備する机、身体に焼き印をいれるための儀式台、そして女神の像があった。
 そこには一人の老人がいた。足が悪いのか、車椅子に乗った男性、血の薄れたような赤色の服と、黒い帽子が特徴的な人だ。
 老人の名はゲールマン、この場所に訪れる狩人たちの助言者だ。

 ゲールマンは狩人に気付くと、読んでいた本をテーブルの上に置いて彼に向き直った。

「あの地はどうだったかね?」

 ゲールマンの問いに対し、狩人は無言だった。だが右手に持ったノコギリを持ち上げて手首の動きで軽く振る。ゲールマンはそれを良い認識として捉えた。

「あの地はヤーナムとは異なる病が、何百年と根付いている。術師たちはそれ律する手段があり、家畜のように飼っている」

 ゲールマンは車椅子を動かし、ある本棚から一冊の本を取る。その本は紙束の両側面を色違いの紙ではさみ、ヒモで縫っただけという、ここにあるどの本とも似かよらない、かなり異色を放つ見た目をしていた。

「だが、飼うことができても、慣らすことはできていない、いや、していないようにも見える」

 ゲールマンは本を狩人に渡す。彼はそれのページをめくってみた。その本の内容は、彼の地の獣とその特性、そして現地の狩人についてが記されていた。

「君が手を出しても、かまわないだろう。狩人は禁則に縛られない存在故」

 狩人は倉庫を開き、新たに武器を取りだす。いくつかの道具も。そして作業台で武器を修理して、小屋を後にした。

―――狩りたまえ。そこに獣がいるのなら、一匹のこらず



 今宵の狩人は大旧杜より離れた山の中におもむいていた。今夜の獲物は大旧杜から逃げ出した、強い獣だ。
 大旧杜とはそもそも、獣による被害を出さないために狭い箇所に閉じ込めておく術結界のことを言うのだが、それは完璧ではなくところどころに綻びが生じる。知能が残っている、そして専門の知識が多少ある獣はその綻びから外に出て逃げてしまうのだ。
 知能や意思が残っている獣ということは、強力で、良質な獲物であるだろう。ましてや結界から逃げ出すほどのものならば、相当な力を有していることは間違いないはずだ。
 狩人は雲に隠れて顔を出さない月に代わり、松明を片手に山道の暗闇を切り裂きながら進んでいく。

―――ガアァッ!

 ある程度進んだ山道の途中、木の上から一匹の獣が狩人めがけて跳びかかってきた。だが狩人は何をする必要もなかった。すでに手に持った槍を頭上に掲げていたからだ。

―――ギャッ!

 獣は口から槍を飲み込み、顎から股にかけてを割りながら串刺しの状態になって絶命した。狩人は血を浴びながらその亡骸を放り捨てる。
 斥候の襲撃があったということは、根城も近い場所にあるのだろう。狩人は足早に先に進む。



 山の中腹にあたる崖、この下には洞穴があるのだが、これは天然のものではない。逃げ出した獣と数匹の下っ端が掘ったもので途中途中には崩れないように丸太で補強してある。
 その最奥部に、その獣はいた。

「ぐぅるるぅぅぅ……オノレ、憎キ犬上……」

 その獣は他のモノとは毛色が異なっている。大抵の下っ端獣が小汚い黒色なのに対し、この獣は砂色の毛並みであり、耳は大きくて垂れ下がっていた。
 この獣の名は『砂蜘蛛』。八十と数の年を生きた古い獣である。

「コノ俺ガ、コンナ穴倉ニ潜マナケレバナラナイナド、コノ屈辱……イズレ晴ラシテクレヨウゾ」

 砂蜘蛛はある一族への恨み言を吐きすてながら、肉を掴む。

「いや……いやぁ……」

 それは女性、生きた人間であった。衣類の一切をはぎ取られ、若い肢体を露わにさせられた彼女の顔は恐怖と絶望にゆがんでいた。
 砂蜘蛛は女性の手と足の両端を両手で掴み、トウモロコシでも食べるように彼女の腹に牙を突きさす。

「ひぐぅっ! ……が……ぎぃ……」

 苦しむ女性は血を吐くが、砂蜘蛛はお構いなしにと顎に力を込めて彼女の内臓と背骨をかみちぎった。

「げぇっ! ……」

 つぶれたカエルのような断末魔を一瞬だけ上げ、女性は絶命した。見るとそこら中で似たような行為が行われていた。ある女性は頭から食いちぎられ、ある女性は四肢を順番にゆっくり食われ、ある女性は尊厳を汚されながら食われていく。
 この地の獣は人肉、とりわけ女性の肉を好んで食らう傾向がある。理由は不明だが。更に付け加えると、この地の獣は食わずとも数十年、数百年と生きることができる。糧を得るためではなく、酒やタバコの趣向品のような目的で肉を食らうのだ。
 犠牲となっている女性たちは檻之宮の町から無理やり連れてこられたのだ。ただ一時の慰みのために、その命を奪われる。獣に捕まるとはそういうことだ。
 砂蜘蛛は食いカスと化した女性の死体を放り捨てる。獣にとって一番美味いと感じる部位を食べ、あとは捨てる。それに女を取り損ねた下っ端が群がる。

「今ハマダ、屈辱ニ耐エ忍ブ時……イツカ、イツカアノ一族ニ復讐ヲ果タスマデハ……」

 砂蜘蛛は牙と爪を研ぐ。あの一族の刃に対抗するために、密かに自分を磨く。そしていつか、『あの女』を我が物とするのだ。そう心に誓った。

「ン?」

 ふと、砂蜘蛛の鼻に匂いが漂ってきた。それは他の下っ端獣も感じ取ったようで、皆が洞穴の出口の方を見る。
 血の臭いだ。それも濃厚で、芳醇な、いままで嗅いだこともないようなうまそうな香りだった。
 砂蜘蛛は思わず飛び出しそうになるが自分を抑えた。この匂い、間違いなく超一級の女の匂いだ。例えるならば、吉原の娼館で乱れる花魁のような、男を酔わせる魔性の香りであった。
 だが、そんな上等な女の匂いが今になって突然現れたりするわけがない。そんなのがいるのなら真っ先に自分が下っ端から奪い取るからだ。あまりにも不自然すぎる。あまりにも唐突すぎる。

―――ハフッ、ハフッ、タ、タタ、タ、タマラネェ……

「マ、マテ!」

 自制効かぬ下っ端どもは先ほどまで貪っていた肉を放り出すと、皆が我先にと洞窟の出口までなだれ込む。頭である砂蜘蛛の命令も振り切って走る様は愚か者という他あるまい。

―――ギャアアアァァァ……!

 聞こえてきたのは女性の悲鳴ではなく、獣の断末魔であった。

―――ギャアアアァァァ……!

 それも一つや二つではない。三つ、四つ、五つと、どんどん上がっていく。そしてその悲鳴は次第に大きくなってくる。

―――ギャッ!

 砂蜘蛛は出口から自分に向けて飛び出してきたものを掴んだ。見ると、それは先ほどまで自分の下っ端であった獣の頭部の上半分であった。断面を見ると荒々しく摩れている。
 犬上の手のものではないかと考えがよぎったが、それはないだろう。奴らの得物は鋭利な刃を持つ刀であり、切り口はもっと綺麗になる。このような雑な傷は、恐らく斧やナタのようなものだろう。

―――ガシャン

 出口通路の暗闇からの悲鳴が途絶えたかと思えば、今度は金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。その後は、かつん、かつん、と、靴の音が洞穴に響き渡る。

 そして現れたのは、擦り切れた翼のような帽子にコートを羽織った男。右手にはノコギリが、左手には散弾を撃ちだす古式銃がにぎられていた。
 狩人だ。

「貴様カ……! コノ俺様ニ喧嘩ヲ売ッタ馬鹿ハ……!」

―――ウォォォオオオオ!

 砂蜘蛛は天井を仰ぎながらの遠吠えを発する。すると空気が揺れ、地面の砂が波紋のように広がった。臨戦態勢。

「ブッ殺シテヤロウ!」

 砂蜘蛛が駆ける。四つん這いになるその姿はまさに犬だ。
 狩人が地面を蹴る。ステップを重ねることにより瞬間的に加速をつけながら砂蜘蛛へと接敵する。

―――ガアァッ!

 砂蜘蛛の攻撃。丸太のような剛腕の爪から繰り出されるのは岩をも斬る斬撃だ。狩人は瞬間的に体勢低くしてそれを避ける。砂蜘蛛は逃さないと、さらに貫手の連続攻撃で狩人をとらえようとするもすべてが避けられる。

「フッ」

 隙を突いた狩人の攻撃。砂蜘蛛の脇をすり抜け、わき腹にめがけてノコギリを下段から振り上げる。その刃は砂蜘蛛の肉に食いこみ、治癒不可能な傷を負わせた。

―――ギャッ!

 砂蜘蛛はたまらず飛びのいて狩人から距離を置く。のっけから一撃を食らったことにより、砂蜘蛛の怒りは沸騰し始めていた。

「グルルァァァ! 犬上デモナイ俗物ガ、コノ俺様ニ傷ヲ負ワセルナド、片腹痛イワ」

 砂蜘蛛は地面を人差し指の爪でひっかく。すると奇妙なことがおきた。地面に散らばっていた砂が、まるで落ちる砂時計の砂を逆再生するように、上に昇っていくのだ。やがてその砂は砂蜘蛛の傷口に集まり、止血を行った。

「グルルァッ! コレコソガ『月の力』ヨ。強キ『古狗』ノ証、脆弱ナ貴様ラ人間トハ違ウ」

 砂蜘蛛は狩人をあざ笑う。

 人妖や魔物の類の強さは、大抵はその生きた年月が長ければ長いほど強力になる。この地の獣は長い年月を経て、『月の力』を我が物とし、奇妙な術を行使できるようになるのだ。
 砂蜘蛛の『月の力』は砂を操ること、変幻自在の能力だ。

「コノ俺様ヲ怒ラセタコト、後悔スルトイイワ!」

 砂蜘蛛が地面の砂を狩人に向けて巻き上げる。砂は走狗となり、狩人へと襲いかかる。
 狩人はステップでそれを回避。しかし続けざまに襲いかかってくる砂の走狗に対応ができなかった。砲弾のような圧力が狩人を襲う。

「ぐっ」

 転倒はしなかったものの、相応のダメージを負い後ろに後退る。砂蜘蛛はそれを好機と捉え、更にいくつもの砂の走狗を出現させたばかりか、自らもその中に混じって狩人へと襲いかかる。

―――ガアアアッ!

 狩人はステップで走狗を回避することはできたが、その肩に砂蜘蛛の爪を受けて肉がそぎ落とされてしまった。血が噴水のように噴出し、骨がむき出しになる。

「傷ヲ負ワセタ! ダガ貴様ヲ同族ニハセン! 細切レニシテコノ洞窟ノ地面ニブチマケテクレルワ!」

 砂蜘蛛は両手を鳥のように広げ、強烈な蹴をもってして狩人を壁に叩き付けた。狩人は壁にめり込み、全身から血を流す。
 これはヨーガにおける『荒ぶる鷹のポーズ』の応用、身体の重心を安定させて蹴の威力を一点に集中させる砂蜘蛛の妙技だ。過去に砂蜘蛛はこの技で同じく古狗であったライバルを何匹も葬ってきた。

「……」

 狩人がめり込んだ壁から出てくる。しかし全身の骨にヒビが入り、内臓もやられている。肉体的損傷は大きく、彼の得意とする素早い動きもこれでは行使することができない。

「ソノ負傷デハ満足ニ戦ウコトモデキマイ。悪アガキハセズ、オトナシク俺様ニ殺サレルガイイワ」

 砂蜘蛛はあざ笑うように言う。己の勝利を完全に確信しているのだ。
 しかし、狩人は無言の下にその言葉を切り捨て、懐からある物を取りだす。

「ン?」

 それは注射器だ。こぶし大の注射器、中には赤い液体が入っている。狩人はその注射器を、何の躊躇もなく自分の右足に突き刺し、液体を注入する。

「ぐぅっ」

 瞬間、狩人の全身に熱が走った。血液がすべて燃料にでもなったかのような熱さ、すぐさま身体の代謝が活発になり、夥しい発汗が始まった。そして狩人の回りに赤い光が見えたかと思うと、それは息を吐く間もなく狩人の傷口に吸収され、失った肉を完全に再生させた。

「ナンダト!?」

 折れた骨も、ボロボロの内臓も、一瞬で修復される。狩人は、ほんの一息つく間に完全に復活していた。

『輸血液』
 ヤーナムの医療の代表であり、血中に流し込むことで生きる力を呼び起こす薬品である。

「バカナ! 犬上デモナイタダノ人間ガ、我々狗神憑ノヨウニ傷ヲ治癒シタダト!?」

 砂蜘蛛は自身が怪物だということも忘れ、目の前の事態にただ困惑と驚愕するだけだった。
 狩人は地面を蹴る。砂蜘蛛に向けて走り出した。

「オノレ!」

 砂蜘蛛は地面を摩って砂の走狗を数匹走らせる。驚きはしたものの、戦意喪失するほどでもない。目の前の敵が回復したのは、恐らくあの注射器が原因。ならばこそ、あれを使う間も与えずに始末してしまえばいい、そう考えていた。
 このように走狗の弾幕を張れば安全な距離から攻撃ができ、更に付け入る隙はいくらでも作れる。

 その筈だった。

「ハッ!?」

 狩人は避けていた。砂の走狗を、一匹残らず、掠りもせず、全てを紙一重で避けていた。さらに避けながらも前進することを止めず、確実に、しかも素早く砂蜘蛛に近づいてきていた。

「マサカ! 先ホドノ一回デ俺ノ走狗ノ動キヲ見キッタト言ウノカ!?」

 そう、狩人はほんの短い攻防で砂蜘蛛の攻撃パターンを読んでいた。何体もの恐ろしい敵と戦い、時には殺されてきた狩人にとって、ほんの八十年生きた程度、更に大部分を大旧杜の中で腐っていたような獣など、子供と遊んでいる程度の感覚なのだ。
 そして入った、射程距離内。すかさずノコギリによる連続攻撃。

「グッ!」

 砂蜘蛛は一歩下がろうとする。極近接戦闘で体力が回復した狩人に勝てる見込みはない、ここはノコギリの射程距離内から離れ、射程は短くなるが強力で回避難度の高い砂の走狗で面攻撃を行う。勝算はそれしかなかった。

「離レタ! ブッ殺シテ―――」

 足が地面に着き、最大の走狗を発動するために後ろに手を引いた次の瞬間。狩人のノコギリが振るわれる。それはただむなしく空を切るだけかに思われた一撃だった。
 だがなんと、ノコギリの先端が、カマキリの腕のように大きく、真っ直ぐに開かれた。槍だ、それは粗雑な刃のノコギリは、一瞬にして射的距離の長い槍へと変身した。そして射程距離の伸びたその刃先は、砂蜘蛛の首を斬り裂いた。

「カハッ!?」

 完全致命の傷を負った砂蜘蛛は攻撃を強制的に中断せざるをえない。首から流れる血液を止めるため、慌てて砂を集めようとしたが、それも遅かった。
 狩人が一歩踏み入る。それはノコギリの射程距離内だ。

「フッ」

 狩人は槍を振りながら変形させてノコギリに戻し、砂蜘蛛の右手の肉を削ぐ。
 続けざまにノコギリを振るう。砂蜘蛛の左手の肉を削いだ。
 続けざまにノコギリを振るう。砂蜘蛛の露出した両手の骨を粉砕した。
 続けざまにノコギリを振るう。砂蜘蛛の顔の肉を削いだ。
 続けざまにノコギリを振るう。砂蜘蛛の頭蓋骨を粉砕した。
 続けざまにノコギリを振るう。砂蜘蛛の胴体の肉を削いだ。
 続けざまにノコギリを槍に変形させながら振るう。砂蜘蛛の上半身と下半身を二つに分断した。
 そして砂蜘蛛は絶命した。

「……」

 狩人は小さく肩を上下させ、地面に崩れ落ちた砂蜘蛛の亡骸を見下ろす。それは無残なもので、もはや砂蜘蛛の体毛は砂色が見えないほどに赤く染まっていた。狩人の全身も、血に濡れていない場所を探すほうが難しいほどに赤く染まっていた。

「……」

 狩人は砂蜘蛛の死体に背を向け、その場を去る。ここにもう獲物はいない。次の獣を探して歩み続ける。
 そして小さく、つぶやいたのだ。

―――次は、もっと強いヤツがいい




 檻之宮、犬上本家。古くからこの地の獣を荒ぶる神として狩り、鎮める役目をおった一族の屋敷。いわば、この地の狩人が集う工房のような場所だ。
 この屋敷の大広間に人が集められていた。緊急の会議だ。

「それでは、本日の議題に移る」

 会議を取り仕切るのは白髪妙齢の美女、犬上本家当主『犬上伊花』。その後ろには娘の『犬上サクヤ』、そして犬上家の従者一族長の『犬護重衛』が控えている。

「我々犬上家、及びその分家の犬尾、犬中が狗神憑を清める役割をおっていることは言うまでもない。この役目は我々が先祖から代々受け継いできたもの故、他に替えの利かないものであることだ」

 伊花はそこまで言うと合図を出した。すると重衛の娘である一衛と二衛が出席している面々に資料を渡していく。その資料にはいくつかの写真が添えられていた。そこにはバラバラになった狗神憑が写っている。

「だがここ数カ月、犬上筋の外の者が次々に狗神憑を狩っていることが判明した」

 出席している面々は眉をひそめた。伊花の娘のサクヤにいたっては信じられないといった表情を隠そうともしていない。この平成の世において、狗神を狩り鎮めることができるのは自分たちだけであるということは一片も疑った事がないからだ。

「一ついいかえ?」

 挙手をする者がいた。小柄な老婆、犬尾当主『犬尾トカケ』だ。後ろには孫の『犬尾ユズリ』が控えている。

「ホンマに儂ら以外に狗神憑を鎮めちょることができん輩がいるけ? 儂らが狗神憑を鎮めることができんのは、常人離れしった大狗神の力を使うことができちょるってのもあんが、一番は『鎮音』の技術をもっちょるからやけ。それないモンが狗神と渡り合えると?」

 トカケの疑問は最もだ。狗神憑は基本的に殺すことはできない。剣で切ろうが槍で刺そうが銃で蜂の巣にしようが、瞬く間に傷がふさがってしまうからだ。完全な死を与えるには、犬上筋の者が使う『鎮音』という技術をもって、その魂から清めなければならない。この技術を持っているのは、恐らく彼女らだけであろう。外部の者が使えるとは思えない。

「それに関しては私が」

 重衛が立ち上がる。

「狗神憑は基本的に『鎮音』を用いなければ鎮めることはできませんが、ただ殺すということなら、相応の武器があれば可能です。弐ノ木様が代々受け継いできた狗殺しの武器ならば可能でしょうし、犬尾様が作られた『狗貫』の小太刀は狗神憑の治癒能力を阻害することができます。外部にもその手の術や技術はありますので、おそらくその筋の者の仕業ではないかと思われます」

 重衛の説明が終わる。伊花は一言「ありがとう」と言って重衛を座らせた。

「そんなら、弐ノ木のとこのジジイの仕業って線はないのかい?」

 皺がれた、しかし威圧するような力をもった声でそう尋ねたのは目を目隠しのようなヴェールで隠した老婆、犬中当主『犬中タキ』だ。後ろには孫の『犬中マキ』が控えている。

「それはない。あの老人はもう狗神憑と長く戦える身体ではないし、彼の鍛えた武器は狩られた狗神憑の傷口と一致しなかった。念のため、重衛の娘たちに弐ノ木家を家宅捜索させたが、それらしい武器は出てこなかった」

 弐ノ木は刀鍛冶の家系、刀以外にも薙刀や矢尻を作ってはいるが、彼の家の武器はどれも洗練されている。今回の狗神憑の死体につけられた傷は、どれも荒々しくそぎ落とされたようなもの、粗雑な槍で突かれたようなもの、棒状の何かで撲殺されたようなものばかりだ。洗練されてはいない、ただ殺せればなんだって良いという意思すら伝わってきそうだ。

「そして何より、このような物は弐ノ木の鍛造技術をもってしても製造不可能だ」

 伊花は透明な袋を掲げる。それは資料の写真にもあった。弾丸だ。銀色の弾丸。狗神憑の死体を解剖したところ、体内から摘出されたものだ。

「ふーん、銀の弾丸っちゅーことは、下手人は西洋の……なんちゅったか、『えくそしすと』って連中の仕業け?」

 トカケの疑問に、伊花は首を振る。

「この弾丸が銀でできていたのなら、エクソシストの者だということが断定できたのだが、成分分析の結果、これは銀ではない。水銀だということが判明した」

 全員が首をかしげたくなった。少しでも化学に精通しているものならわかることだろうが、水銀は常温だと液体の性質を持ちながら金属の性質も持った物質だ。このような形に成形することはできない。水銀も固形化するのだが、それは零下38.8度の時だ。無論、どうにか弾丸の形に成形して冷やし、固形化することができたとしてもそれを銃に込めてしばらくすれば間違いなく液体に戻るし、発砲したときの熱で確実に溶ける。
 だが目の前にある弾丸は、常温でも溶けていない上、発砲時の高熱にさらされたであろうにその形を残していた。現代化学ではありえないことであるし、西洋の錬金術でも長く水銀を固形化することはできないのだ。

「付け加えるならば、これは不発弾のようなものだ、恐らく。狗神憑の身体の中には何かが破裂したような空洞があり、そこには液化した水銀が溜まっていた。本来ならば弾丸が体内で液化しその際に炸裂、内傷を負わせるという代物なのだろう」

「つまり、アンタはこう言いたいのかい? 下手人は狗殺しの武器、それに謎めいた技術も持ち合わせていると」

 タキの目隠しの下の目が鋭くなる。

「そんな物は到底個人が用意できるようなものじゃあないね。背後で下手人(そいつ)を支援している組織、それもそれなりの規模がないと無理だ。そんなのが動いているのなら、絶対に尻尾はどこかに出ているはずだよ」

 タキは重衛を睨みつける。目は隠れているが、その鋭い眼光は重衛に伝わった。

「おい犬護、お前たちは私たちを支援するためだけに存在しているのだろう? そんな連中が何故未だに足跡すらつかめていない? 資料によると大旧杜の奥まで侵入されているそうじゃあないか。お前たちの目は、鼻先で象が動いているのにも気づけないほどの節穴なのかい?」

 心にもない。トカケは「これこれ」と一見タキをとがめているように見えるが、その内心はタキと同意見だった。重衛は面目ないと頭を下げた。

「犬護にも調査はしてもらっているが、そのような組織は影すら見当たらない。犬護の調査能力をもってしても見つからないのならば、その組織とやらはよほど隠密能力に長けているか、あるいはそもそも組織などこの世に存在していないのかもしれない」

 伊花が重衛をフォローするが、タキはフンッと鼻を鳴らす。彼女の目には伊花が「無能に同情・同調する無能」にしか映っていないのだ。

「何れにせよ、件の下手人は放置しておくわけにはいかない。狗神憑を殺すだけで何もないのなら放置してもよかったのだが、鎮められていない狗神憑の死体からは広く穢れが広がる。幸いにして今回は早い段階で事態が発覚し、早急に対処することができたが我々の目の届かないところで勝手に狗神憑を殺され、穢れが広まればその被害は一人の狗神憑が起こすものよりも大きくなる。それらしき人物を見かけたのならば、相応の対処をするべし。以上、今回の緊急会議を終了とする。解散」

 伊花の言葉により、出席していた面々は次々に立ち上がりその場を去る。だがタキもトカケも腑に落ちないといった表情だ。
 一方、彼女らの孫たちそれほど事態を重く見ていなかった。特に、マキは。

「この下手人ってやつさ、深淵四層にまで潜り込んでいて、しかも古狗も始末しているらしいぜ。砂蜘蛛っての。腕がなるよな」

「あらあら、マキ。まだその人と戦うって決まったわけじゃないのよ」

 マキは親友のユズリと共にその場を後にする。彼女たちは、自分たちならその下手人もどうせ簡単に倒せるだろうという自信があった。

 ただ一人、その場に残っているサクヤはそうではなかった。犬上筋以外に狗神憑と戦える存在、それが本当に害であるのか、頭を悩ませるのだった。
 
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