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月下に咲く薔薇

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月下に咲く薔薇 3.

 揺れないベッドで目を覚まし、クロウはそこが建造物の中である事を思い出した。昨日までは龍牙島で待機していたが、記憶に間違いがなければここはバトルキャンプという事になる。
 トレミーでもバトルキャンプでも、クロウにあてがわれた部屋は小さくそうそう物が増えたりはしないので、自身の周囲2メートルの景色はいずれも狭苦しく殺風景な事この上ない。
 しかし、バトルキャンプならではの風景が、確かにここにはあった。
 部屋に窓があるところ。そして、相部屋の仲間がいるところだ。
「…よっ。目覚めは良さそうだな、ロックオン」
 クロウは起き上がり大きく伸び上がると、既に着替えを終えている隻眼のガンダムマイスターに朝の挨拶をした。カーテンの横から弱い陽光が漏れ入ってくるところを見ると、今朝の日本は好天のようだ。
「ゆうべの話を覚えているか? クロウ」
 身支度を調えながら背中でロックオンの声を聴き、はて何の事だろうかと首を傾げる。次元獣バスターとしての自分と金に繋がる話を思い浮かべても、心当たりは蘇ってこない。
「今日のパトロールは俺が出るって事にでもなってたか」
「…やっぱりな。もう忘れてやがる」
 そう言うなり、ロックオンは苛々と腰に手を当て前屈みになった。
「何かしたか? 俺」
 腕の動きが止まったクロウへ、スナイパーがやや批判ぎみに人差し指と言葉を同時に突きつける。
「お前とデュオに決まっただろ? 21世紀警備保障の手伝い。あれの話だ」
「あ…。あれか!?」
 指摘されてから、昨夜の記憶がセットになって急浮上する。失念していた。それはもう完璧な程に。
 その上、件の経緯を思い出した瞬間、気乗りがしないとの思いが露骨に表情に出てしまった。
 尤も、時間にすれば瞬き程の僅かな変化だ。ロックオン・ストラトスという男は、それを見逃さない。
「なぁクロウ…、お前もデュオやエイジみたいにあんまり露骨な態度は取らない方がいいぞ。命懸けていようがいまいが、俺達の生き方は自慢できる部類には入らねぇんだ。堅気のOLさん達がZEXISにいる分、俺達、救われてるのかもしれないんだぜ」
「わかってるさ、勿論な」目を細めながら、クロウはゆっくりとカーテンを開けた。「だから、『たかが』ってんじゃねぇ。……眩しいよな、ロックオン」
 クロウの前に広がっているのは、日の出を迎え明るくなるばかりの滑走路と海、そして空だった。太陽が昇り始めたばかりなので、やや南向きの建物の窓に朝日が直接差し込むまで今しばらくの時間を要する。
 それでも。目に心に眩しいものはある。
「そうか。…そうだな」
 おそらく言わんとするところを、ロックオンが察してくれたのだろう。短い返答には、クロウの思考に対する確かな理解が忍ばせてあった。
 アイムの暴露によって、クロウの過去はとうとうZEXISのメンバー全員が知るところとなってしまった。勿論、既に互いの覚悟を悟っている仲間達だ。今更クロウの経歴を知ったところで、突然態度を翻し距離を置こうとする者など一人も現れはしない。
 しかし、いや、だからこそ。変わらぬ皆に戸惑って無駄な気遣いを始めたのは、暴かれた側のクロウだった。
 あの時に限り、アイムの話に嘘はない。一時的とはいえ、確かにクロウはテロリスト同様の外道な生き方をしていた。世界の暗部に身を浸した事のない者達と、どうして自分が積極的に関わっていられよう。
 しかも、よりによってバレンタインときている。琉菜のこだわりからも伝わってくる神聖なイベントという認識に、この身は場違いだからと主張する事が間違っているとでも言うのか。
「但し、それでもお前はやらなくちゃな」やや間を置いた後、ロックオンが厳しい言葉を敢えて使う。「もし今、投げ出してみろ。この先、いよいよ彼女達の顔をまともに見られなくなるぞ」
「……確かに」
 小さく息をつき、クロウはロックオンを正面から見据えた。
「なら、お前もちょっととか言わずとことんまで手伝えって。眼帯姿に気後れしてるのは、そもそも彼女達じゃないだろ」
「おっと!」自分の言葉に縛られたと気づき、ロックオンがしてやられたと左の眉を上げる。「苦し紛れにしちゃ、痛いところを突いてくれるな。いっそ死なば諸共、か?」
「よせよ。死ぬ為じゃない。俺達みんなで生きる為だろうが」
 互いに見つめ合い、直後には2人で仲良くぷっと吹き出す。
「OK。一本取ったお前の勝ちだ。俺も関わらせてもらう。それで、大山さんから伝言なんだが、9時に第4会議室に集まってくれ、ってな」
「もう起きてるのか、彼女達は」
「ああ」言葉と同時に、ロックオンが首肯した。「マクロス・クォーターの中で資料作りは始めていたみたいだ。それに、助っ人が増えたって言ってたぜ」
「助っ人…」聞いた途端、クロウの中で自然と浮かんでくる顔がある。もし本当にその人物なら、願ったり叶ったりだ。繊細な問題を一手に引き受け、解決に導いてくれそうな気がする。もし、本当に想像した通りの人物ならば。「そいつがやたら使えそうな気がするのは、俺だけか?」
「さぁな。ま、9時になればはっきりする事さ」
「9時ねぇ」さりげなくはぐらかすロックオンは、その名を聞かされているのかいないのか。クロウとしては気になるところだ。「で、今は…」
 2人は、同時に壁に掛けられた時計を仰ぐ。
「日本時間の午前6時43分。皮肉なもんだな。ゆうべ何も起きなかった分、お互い6時間近く熟睡できた計算になる」
「おかげで頭も体もすっきりだ。いい仕事ができるぜ、今日は」
 手伝いの話はさておき次元獣バスターとして、クロウは今の意気込みをロックオンに開示した。
 深夜に活動していた割に回復が早いのは、戦士として単純に嬉しい。実際には、トレミーの中とバトルキャンプで睡眠時間を2回に分けていた訳だが、横になれば回復する。それがZEXISのパイロット全員が持つ能力の一つだ。
 突然何が起きるのか。それは誰にも予測する事ができないのだから、体力と気力を積み増し有事に備えておけるのなら、睡眠時間分の平和には素直に感謝をしよう。
「するか? ランニング」
 突然、ロックオンがクロウを屋外へと誘った。
「そうだな。折角のバトルキャンプだ。平地のありがたさってやつを、足の裏で満喫するか」
「ああ」
 軽く水分を摂った後、2人は白い息を吐きながら朝のランニングを楽しんだ。
 吸い込む冷気で鼻が痛くなるのも構わず、手袋と服だけを頼りに凍った風を切る。耳は感覚を失い、頭皮は気温を嫌がり幾らかの痛みを訴える。これが本当の日本の冬の朝かと納得したところで、クラッシャー隊の本拠地が静岡の南端にある事をしみじみと実感した。
 同じ時刻の龍牙島ならば、気温が1~2度は高かろう。自分が今いる場所は、昨日まで過ごしていた離島ではない。都市と、首都と地続きにあるバトルキャンプなのだと感覚でも理解する。
 岬の一つを要塞と化したこの基地は、陸路が県内に開け、空路で海上からの進入を許す独特の構造を持っている。クロウ達が走っているのは敷地の北端で、塩の香りが強いものの、距離的には海よりも基地外の土地の方が遙かに近い。
 基地の外には、極普通の日常がある。
 バトルキャンプに不吉な黒煙を立ち上らせたくはないな。もやもやを払拭しようと、クロウは弱い日差しの蒼天をくっと仰いだ。
 白息の噴霧は、屋外のあちこちで起きている。クロウ達の前を闘志也とキラケンが、後ろからはアルト達SMSのパイロット達がほぼ同じペースで走っている。
「おはようございます!」
 これから走ろうという者達を追い抜く際、ストレッチを始めたばかりの甲児とさやかから挨拶をされた。
 料理と家族を愛している一学生とそのガールフレンドが、軍属やレジスタンスと共に早朝のランニングを必要と感じる。光子力に深く関わった者が、ZEXISの中でどうありたいかを自問し続けた結果なのだろう。
 甲児達だけでなく、強大な力を手にした者達は皆自分に厳しい。まるでそれが義務であるかのように、早朝の自主的な体力づくりを日課に組み込んでいる。10代、20代。更には、もっと年季の入った者達であろうとも。
 レントンとエウレカの2人に柔軟運動を手伝ってもらっている大人は、大柄な竹尾ゼネラルカンパニーの厚井常務。21世紀警備保障の大杉課長は、走らずに体操だけをし食堂に向かった。だが、この2人は基地滞在時・出撃後を問わずかなりの早起きをする事で知られている。
 大杉などは帰り際、皆に「わかっているとは思いますが、運動の後は水分とミネラルをしっかり摂って下さい。特に水分は、この後の食事だけでは全然足りませんよ」と声をかけてゆくのだから、本当の狙いは運動後にあるのではと勘ぐりたくなる。
 それを「はい!」と目を輝かせ受けているのは、シン。既にクール・ダウンに入っているようだ。
 一方で、厚着を避け立ったまま冷気に身を晒しているロジャーは、和やかな空気から1人自らを切り離していた。動きとしては目立ったもののない鍛錬だが、流石はロジャー、やっている事はかなり高度な部類に入る。呼吸によって筋肉の緊張と弛緩をコントロールしているネゴシエイターなど、他の次元を見回してもビッグオーの操者しかいないのではないか。
「この中に黒の騎士団は…と」
 つい探してしまうクロウは、皆から相当離れたところで1人佇む長身の男を見つけた。あの背格好と張りつめた気配、四聖剣を率いる藤堂のようだ。太平洋に体を向け、ロジャー以上に今は何をするでもない。
「背負っちまってるな、あの背中は」
 独りごちるクロウに、ロックオンは何も言わなかった。
 背負っている。そうだ、ZEXISは皆既に大きなものを背負い込んでいる。クロウが1人傍観者めいた物言いをしてしまうのは、リモネシアの件が秘めた決意である為。そして、スフィアなる人外の存在からは目を反らしている為だ。
 ロジャーや万丈がもたらした話は、確かに筋が通って聞こえる。異常な領域にあるアイムの執着と謎めいたアサキムの言葉。スフィアについてZEXISよりも明るいZEUTHが言うのだから、謎が解けてゆく際の開放感は本物ではあるのだろう。
 しかし、実感という枠の外に出てしまうそれら夢物語のような話を、クロウは容易に取り込む事ができなかった。借金や金といった具体的な束縛と同様に、スフィアなる存在がクロウに深く根を張ったなどとは。
 人間1人に抱えたり背負ったりできる重荷など、所詮総量がしれている。アサキムはZEUTHと、アイムは自分と因縁浅からぬようだが、連中を再び衝突するであろう難敵と解釈するならば、多額の借金は日々のクロウを圧迫する最大の脅威に相当する。
 いずれも難儀な存在だとしても、クロウ個人の問題として大きく横たわっているのは、誰もが認める通り後者だ。ならば自分は、後者の為にあがいて生き、借金を完済する。その重荷だけと向き合おう。以前にクロウは、そう決めていた。
 戦争根絶の志だけでなくソレスタルビーイングまで背負ってしまったチームの心的柱、ロックオン・ストラトス。親しくもあり共通点も多いが、やはり彼は自分には真似のできない生き方をしている。
 金に執着し敢えて俗物である事を選んだクロウと、身を捨てて大事を成し遂げようとするロックオン。2人の在りようは、まるで水と油だ。最大の差は、それこそ覚悟とやらの大きさにあるのかもしれない。
 運動を終え2人で朝食をとっていると、キラ達と共にグランナイツが、そのまま食堂でコーヒーを飲みくつろいでいるとデュオとヒイロがやって来た。
「ステキな企画、上手くゆくといいね」
 食後の琉菜とエイジをクロウ達の横に連れてきた斗牙が、そう言い残して食堂を後にする。
「俺は、絶対に斗牙の方が向いていると思うんだけどな」
 ソルグラヴィオンのメイン・パイロットを視線で見送りつつ、エイジがさも不満げにロックオンの隣に座った。
「まぁ、ごちゃごちゃ言うのはよそうぜ。どうせ、俺達暇なんだし」
 近づいてくるデュオもまた、諦めが表出した顔つきをしクロウの隣で椅子を引く。
「嫌なら辞める? あんた達」
 突然、立ったままの琉菜が昨日とは真逆な話を持ち出した。豹変に驚いたのは、昨夜から渋っているエイジとデュオの2人だ。
「いいのか?」
 デュオの言葉と口調が一致しない。エイジに至っては、呆けてさえいる。おそらくは、嫌だ嫌だと言いつつも、やる気の方はきちんと育て今日ここにやって来たのだろう。
 琉菜は言う。
「そんな顔してお手伝いに行ったら、21世紀警備保障の人達がかわいそう」
「違うんだよ、琉菜ちゃん」咄嗟にクロウは間に入り、「2人は照れているだけなのさ」と兄貴めかして弁護した。
「照れてる、ねぇ…。それも仕方ないか」すっかり神妙な子犬と化したエイジとデュオに、琉菜がぐいと顔を寄せる。「じゃあ、もう一度選ばせてあげる。どうしたいの?」
「なら、手伝うよ」ぼそりと小声で呟いたエイジに対し、頭を下げつつ「助力の栄誉を賜り、光栄の至りぃ~」とデュオが立ち上がって大袈裟に謙る。
「そういうところ、上手いよな」翻しすぎるデュオの態度に、エイジが僅かに皮肉を込めた。
「どうせ手伝うのなら、徹底的に陽気にやるのが一番だろ? まず、ここで琉菜が笑う。俺にとっちゃ、そこからだ」
 おどけた物言いだが、デュオの目は真面目そのものだった。
 しかも、離れていた筈のヒイロが、いつの間にかデュオの背後に立っている。
「あれこれはぐらかすのは、難易度の高いミッションだと理解しているからじゃないのか?」
 一瞬、食堂全体がしんとした。
 クロウ達ばかりか、ゲイナー達、エルチ達、葵達にシモン達、竜馬達までもが一斉にのんびりとしたものが削げ落ちた顔をしこちらを見る。どうやら全員が、気のない素振りをしながらも話に耳を傾けていたようだ。
 皆、考えている事は一緒という事か。ZEXISの中から淀んだものを一掃したい、と静かに願っている。
「かもしれない」遂に潔く認めたエイジが、「ここは一つ、俺がやるっきゃないのか!」と語気に力を込めた。
 たかがとされどは、背合わせの関係にある。ただのお祭りとも映るバレンタイン企画は、既に仲間たちから一定の成果を期待されているらしい。
 寄せられた思いの大きさを悟ったロックオンが、「おいおい…」と乾いた笑顔を作った。レクリエーションの域を越え、件の企画はヒイロの言う通り隊の雰囲気を左右する立派なミッションと化している。
「もし手伝える事があるなら、あたい達も当てにしていいから!」
 小さなチルの言葉だが、それは居合わせた聴衆全員の気持ちでもあった。
 白く長い体でそっとクロウ達の足下にやって来るリンクス達も、四つ足特有の円らな瞳で靴の高さから見上げている。まるで、何かを訴えるつもりで。
 無理に納得して引き受けた依頼だが、流石にこれはやる気が増す。
「じゃあ9時と言わず、今から手伝いに行くか」
 コーヒーを煽って立ち上がるロックオンに、クロウ以下、デュオ、琉菜、エイジの手伝い組全員が了承した。
 連れだって食堂を後にすると、背後から2人分の靴音がする。
「もしかして、その顔ぶれなら行く先は第4会議室かな?」
 クロウは、やはりと思った。声の主が、先程想像した助っ人メンバーの顔と合致する。
 振り返れば、そこには当然の如くSMSのミシェルがいた。
 もう1人は言うまでもなくクラン大尉で、その小さな体型で皆の視界から外れまいと腰に手を当て視界の中でより多くの面積を占有している。
 女性達が助力を求めていると聞けば、この少年が乗り出さない訳はない。
「私達も、そこに行くのだ。企画の手伝いとやらをする為にな」
 右手で何がしかを弄びながら、クランがクロウ達の顔をじろりと見比べてゆく。
 クランの仕草が、皆の視線を自分の手元へと誘導していた。「これを見ろ」と言わんばかりに。
 時として、無言のメッセージは言葉以上の重要度を持つ。
「バラ、か? 随分と派手な赤だな」
 クランの心情を汲み取ってやり、ロックオンが敢えて彼女の手元を新しい話題に選んだ。
 彼女がそっと摘んでいるのは、一輪の赤いバラの花だった。棘がついたまま花の下に20センチ程の茎を残している。葉も分かれた枝に5枚付いており、生き生きとした濃い緑は主張の強い花の赤をより一層際立たせていた。
 派手。正にそういう表現が相応しい程、大輪のバラはクロウのような素人が見てもわかる程花の形が良く高貴な印象さえ漂わせていた。おそらくはクランがちらつかせずとも、その完璧な花の見目だけでいずれは話が今と同じものへと傾いたろう。
 東洋にはシャクヤクという更に大輪の艶やかな花があるが、こうして開花の形を誇示するバラを前にすると、決してシャクヤクに劣ってはいないと赤花の肩を持ちたくなる。
 さては、ミシェルからの贈り物なのか。
「似合ってるぜ、クラン」
 同じ事を考えたらしいエイジが、目尻を下げつつクランとバラの組み合わせを褒めた。
 ところが、照れるどころか、何故かクランは怒りと共に激しく頭頂から湯気を立てる。
「おい! このバラをミシェルにプレゼントしたのは誰か、知らないか?」
「え? ミシェルに?」
「それ、ミシェルが貰ったのか!? 貰った方なのか?」
 クロウとデュオが色男をまじまじと見つめれば、ミシェルがふっと笑いながら細身ならではのポーズを決める。
「今朝、俺のメサイアのコクピットに置いて行った女性がいるらしくてね。棘付きなのは、ガードが固い証かな」
「見ろ! おかげで、ミシェルは朝から使い物にならなくなった。それで私が取り上げたのだが、贈り主の想像を始めたまま今も戻ってこないのだ」
「そ…、それは大変ね。少なくとも私じゃないから、安心して」
 硬直する琉菜を見、一体何を思ったのか、「よし! 私はこれから、他の女達に会ってくるぞ!」とクランがいきなり踵を返す。
「ダメだ、クラン」
 咄嗟にゼントラーディ戦士を制止したのは、のぼせていた筈のミシェルだった。声には力が入り、先程までのうっとりした物言いからはかけ離れた圧力を語気に滲ませている。
「バレンタイン企画の手伝いは、お前が志願したんじゃないか。なのに、もう投げ出すとはね。ちょっと無責任すぎるだろう」
 黙ったまま下唇を噛み、クランはミシェルを見上げていた。
「どうする? 打ち合わせに行くのか、行かないのか」
「…て、手伝いたい。私は手伝いたいぞ、ミシェル!」
 次第に大きくなる声で、クランは2つの願望から1つを選び取る。
「それでいいんだ。行くぞクラン」
「ああ! 大山達が待っているからな」
 段差のついた2人が歩き始めると、やりとりに飲まれていたロックオンも我に返る。
「行くとしますか、俺達も」というリーダーの声を合図に、クロウ達も移動を始めた。
「しっかし、棘付きのバラを贈るってのは、普通なら無しだよな。ちょっと微妙な関係だったりして」
 クロウの前を歩くデュオが、ふとそんな感想を漏らした。色男の人間関係について想像を膨らませているのか、波乱の予感に少年の口端が歪む。
「でも、バトルキャンプにいる誰かなんでしょ?」
 琉菜が話に加われば、「まぁ、そういう事になるんだろうけど」とエイジが返しかけ途中でやめる。
 怒声が工作する他人の色恋は、第三者にとってつまらない話だ。勿論、うっかり前を行くクランの逆鱗に触れてしまうのも面白くない。
 案の定、バラの話にクランは聞き耳を立てているし、これからあの2人と共に行動するのだから、バラを意識の外に追い出してしまうのが賢明な対処法のような気がする。
 クロウはそう決めてから、エイジ達も同様の事を考えているのだろうと推察した。
 色男に贈られたという美貌のバラ。
 デュオの言う通り、その一輪は既に人間関係に小さな波風を立て始めていた。
 贈り主が敢えて今を選んだのは、黒の騎士団の件と密会の失敗でストレス・ゲージが上がった為なのだろうか。流石に全員が、三角関係のしわ寄せまで被りたくはないと願ってしまう。
 棘がついたままのバラの花。
 ZEXISにとって、新たな火種の登場でなければ良いのだが。


              - 4.に続く -
 
 

 
後書き
(2013年5月11日に脱稿したものを2015年9月22日に加筆修正) 
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